キス、口付け、ベーゼ、接吻、口吸い……。
それらはいずれも、ひとつの行為を示す同義語の語群であり、僕の目下最大の関心事であった。スマホの検索履歴はそれに関連するワードばかりが占めている。自分で恥ずかしくなるくらいに。
そんなに意識しているのかと問われれば、それはもう、大いに肯定せざるを得ない。
言い訳させてもらうなら、幼いころのじゃれあいとして行った湯川とのそれを除くと、僕にとっては初めてのキスだったのだ。思春期限定でいえば、ファーストキスということになる。しかもそれは唐突で、脈絡もない突然の行為だった。
意識しないという方が、おかしいではないか。
異性からのキスの意味をネットに問うてみると、一番に上がるのは好意の意だった。ちなみに二番目に多かったのは挨拶の意だ。
精神衛生上――チキンと言われても仕方ないが――二番目の意図であってくれた方がいっそ楽だなんて邪な考えが過ったが、ネットの海を隅から隅まで調べてもマウストゥマウスの挨拶は存在しなかった。
ならば第三の意図として、星川によるただの大胆な悪戯という推理もできる。
しかしこれは、いくら何でも逃げすぎというものだろう。ここは男として向き合わなければならない局面な気がする。それに、星川に対しても失礼な邪推でもある。
そもそも……
――本気だから
柔らかな唇の感触と、内心の照れを悪戯げな声で隠す情景が脳内で生々しく再生され、僕はハッと顔を上げた。
混雑した朝の電車内。気怠い車掌のアナウンスによって、不眠で疲労した脳へと睡魔が押し寄せる。車窓から臨む見慣れた街並みは、今日も単調で人工的だ。おもしろみの欠片もない。
駅に着くまで短いながらもひと眠りしようかと、ウトウトしかけて、
「篠宮」
「うおっ!?」
至近距離から湯川に呼びかけられて、僕は小さく悲鳴を上げた。
僕より少し背の低い湯川が、不思議そうに僕を見上げている。
幼馴染である僕たちはお互いの表情を読むのに長けている。だから。こうして正眼からまっすぐ見つめられると訳もなく、いや、訳はあるのだが、焦ってしまう。別に考えていることが分かるといっても、記憶まで読み取れるわけじゃないので焦る必要もないのだが。
「なんか寝不足?」
「ん……ああ。昨日、夜通しでおじゃる丸を一気見してたから」
「絶対嘘。おじゃる丸に徹夜させるポテンシャルなんてない」
「なんてこと言うでおじゃるか!」
「まさか……本当におじゃる丸を見てたの……!?」
もちろんそんなわけがなく、実際は悶々として寝付けなかっただけなのだが、それを湯川に教える必要もなく。
眠たい頭で言い訳する僕を、湯川は露骨に疑うような目で見ていた。
「もしかして悩み事? よかったら相談乗るけど」
「いや、まあ……悩んでるってわけじゃあ……」
「人間関係だな」
曖昧に誤魔化そうとする僕をまっすぐに見詰めて、湯川は迷いのない口調で断言する。自身に満ち溢れたその口調に、僕はあっけなく動揺した。
「え?」
「その顔は人間関係に悩みを抱えているときの顔」
「うっ…」
「悩みの原因は最近知り合った人。その顔を見るに……女性関係かな?」
「ぐう」
ぐうの音も出ないほどにズバリだった。いや、ぐうの音は出たのだが。むしろ、ぐうの音しか出なかったが。
反射的に星川のことを思い浮かべて、僕は呻いた。
星川にキスされたのはつい昨日のことである。
知り合って間もない僕たちだが、思えば、それなりに色気のあることをやってきた。あまつさえキスまでされれば、いくら恋愛ド素人な僕でも星川の好意くらいは分かっている。
もちろんそれを迷惑に思っているわけではない。どころか、僕だって星川のことを憎からず想っている。
とはいえ、別に星川から直接好きだと言われたわけではない。それに近しいことはされたが、今後の関係に言及するような発言はなかった。つまり、僕と星川は付き合っているわけではないということである。
この場合、僕は星川にどういう距離感で接すればいいのだろうか。
この問題こそが、僕を寝不足にしている一番の原因だった。
「いま、星川さんのこと考えてるでしょ?」
「いや、『ぐうの音』って何だろうなって考えてる」
「なにそれ」
あまりにもズバリ言い当てられたものだから、僕は反射的に適当なことを言ってしまった。僕と湯川ぐらいの関係になると、今のは肯定に近しい反応だ。
「星川さんとなんかあったの?」
「いや、何もないぞ。何もなさ過ぎて、なんかあってほしいくらいだ」
「ラッキースケベとか?」
「バカ。そんなこと……」
「ないの?」
「あるに決まってんだろ」
もうここは強気に誤魔化しに行く。隠していることはあるけれど、言うつもりはありませんよという態度を見せた。後はもう、湯川の分別に身を委ねるしかない。
「ふぅん」
僕の願いが天に届いたのか、はたまた、湯川の星川への友情が思ったよりも篤かったのか、根掘り葉掘り聞かれることはなかった。
僕は一安心して、電車のドアに寄りかかる。電車はゆっくりと減速していた。その様子を見ながら、瞼を閉じる。
結局、一睡もできはしなかった。