僕の恋路は壁が多い   作:銀楠

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名前をもじってあだ名をつけると、たまに事故る

 

 

「ああ! ヘンタイがユキちゃんを押し倒した!」

 

 なんだか随分なことを言われながら立ち上がると、視界に映ったのは、またもや見知らぬ女子だった。

 ポニーテールにした艶やかな黒髪。体操着の上にはジャージを着ていて、手にはバドミントンのラケットを持っている。どことなくおどおどとした雰囲気を醸し出しながら、一定の距離を空けてこちらの様子を伺っている。

 立ち居振る舞いがいかにも気弱そうに見えて、しかしこの子に蹴られたんだとすると、これで意外と攻撃的ということになる。

 

「へ、ヘンタイが立ち上がった!」

「誰がヘンタイだ!」

「あ、あ、あ、ヘンタイが喋った!?」

「ヘンタイだって喋るくらいのことはするだろ」

「う、あ、ヘンタイが自分をヘンタイだって認めた!」

「認めてねぇよ」

「ヘンタイがヘンタイを否認した!」

「…なんで僕、行動を逐一実況されてるんだ?」

 

 そんなことを言いながら巻き込んでしまった忘野を助け起こす。そのお礼なのか、忘野はこの少女の誤解を解くように口を開いた。

 

「カヤちゃん、先輩はヘンタイじゃないよ」

「へ?」

 

 カヤちゃんとやらが素っ頓狂な声を上げる。

 

「ユキちゃんを脱がせようとしていたヘンタイじゃないんですか?」

「僕は忘野(わすれの)に下着の色を訊いただけだ」

「やっぱりヘンタイじゃないですか!?」

 

 そんなことを叫ぶ女子をよく見ると、かわいい顔をしていた。まだ少し幼さを残した顔立ち。ぱっちり開いた大きな目。おどおどとした顔には化粧っけを全く感じない。おそらく、スッピンなのであろう。

 

「それで、どうして僕を蹴ったんだ?」

「そ、それはですね」

「いや、理由はなんとなく察してはいるんだけどね。大方、忘野が脱ごうとしているのを見て勘違いしたんだろうけど。でも、何も暴力で解決しようとすることはないんじゃないか?」

「ぼ、暴力だなんてとんでもない。私がそんな暴力で物事をどうこうしようとする人間に見えますか? 見えませんよね? 見えるわけがないんです。そんなこと、私にはできませんから。私に対して暴力を振るえと言うのが、最大の暴力ですよ。言葉の暴力です」

「誰も暴力を振るえなんて言ってないけどね」

 

 言い訳が凄いな。

 というか事実として僕を蹴っているわけで、その自己弁護は成り立っていない。

 

「………ま、いいか。怪我したわけでもないんだし。僕は二年の篠宮涼太。君は?」

 

 前回、というか先ほどの反省を活かして、今度は自分の名前から名乗る。

 しかし、そんな僕の小さな努力は実らず、

 

「え、え、私に名前を訊いてるんですか? 人に名前を訊くときは、自分から名乗るのが礼儀じゃないんですか? そ、それとも、名乗るのも恥ずかしいような名前なんでしょうか? 分かります分かります。昨今流行りのDQNネームさんなんですね。DQNネームというのが気に障るようでしたら、キラキラネームと言い換えても良いです。それならまあ、名乗るのを躊躇ってしまう気持ちも理解できます。私から名乗るのも(やぶさ)かではありません。感謝して良いですよ」

 

 右手の五指を力いっぱい握りしめる。

 このとき、彼女にとって幸運だったのは、僕が今日寝不足だったことだろう。もし、昨晩十分な睡眠をとっていて、身体が(すこぶ)る好調だったら、或いは拳を振り抜いていたかもしれない。いつか言ったが、僕は男女平等主義者なのである。

 

「カヤちゃん、先輩は今名乗った。篠宮涼太先輩」

 

 そんな僕の怒気を敏感に察したのか、忘野が仲裁する。

 カヤちゃんとやらはその言葉に本気で驚いたような顔をして、続いて、本気で申し訳なさそうな顔をした。

 

「あ、あ、そうでしたか。失礼しました、リョータ先輩。わたしは一年の相庭(あいば)(かや)です。親しい人からは名前の真ん中をとって『バカ』って呼ばれています」

「それは本当に親しいのか?」

「小学生の頃は苗字と名前の頭から一文字ずつ取って『あかちゃん』と呼ばれていました。わたしと赤ちゃんプレイをしたいのならご随意に」

「…相庭って呼ばせてもらうよ。普通に」

「ですか!」

 

 嬉しそうな顔をする。

 その顔だけを見ていると、もしかしたら相庭にこちらを煽る意図はないのではないかと思ってしまう。いや、十中八九ないのだろう。純度百パーセントの純真で、その内心に悪意などひと欠片もないのかもしれない。

 ――それはつまり、相庭は素で相手をざわつかせているということであり、まったくいいことではないのだが。

 

「それで、相庭はこんなところに何をしにきたんだ? まさか、お前も忘野と一緒か?」

「え? わたしがユキちゃんと果し合いをするとでも思ってるんですか? まさか、そんなことはしませんよ。リョータ先輩は早とちりさんですね」

「どうして僕がそんな風に思ったと思ったのか、ぜひお前の頭をかっ開いて、覗いてみたいくらいだよ、僕は……」

「え? やめてくださいよ。わたしの頭を解剖しても、わたしの脳みそは美味しくありませんよ。いくら日本一のおりこーさんの脳みそとはいえ、カニバリズムはよくないと思います。ところで、カニバリズムって、どんなリズムなんでしょうね? やっぱり、情熱的なミュージックなんでしょうか?」

「……………そうだね」

 

 これが日本一のおりこうさんなら、もう日本はダメかもしれないが、それはさておき、僕は根気強く質問を言い直した。湯川と長年幼馴染をやってる手前、根気強さには定評のある僕である。完全な独り相撲感も否めないが。

 

「――で? 忘野はここにサボりにきたって言ってたけど、相庭はここに何をしにきたんだ?」

「わたしですか? わたしはユキちゃんを探しにきたんです。そしたらユキちゃんが体操着を脱ごうとしていたので、思わずリョータ先輩の背中を蹴ってしまいました。ところで、二人で何をされていたんですか? 悪代官様ごっこでしょうか? それなら、わたしも交ざりたいです。お代官様、お戯れを、とか言いたいです。よいではないかよいではないか、とか言われたいです」

「……それはお家でお父さんとでもやってくれ」

「おとうさんが悪代官役で、リョータ先輩が街娘役ですか?」

「そんな地獄のような光景に、君は耐えられるのか?」

 

 ていうか、何の話だよ。

 話が逸れるにもほどがある。いや、もしかしたら、あえて話を逸らされているのかもしれない。だとしたら、なかなか巧妙である。なんの目的があるのかは皆目見当もつかないが。

 

「………つまり、相庭はサボってる忘野を迎えにきたんだな? その手に持っているバドミントンラケットから察するに、お前らも球技大会でバドに出るのか?」

 

 視線を相庭から忘野に向けて、質問を飛ばす。忘野に訊いたのだと明示するように。短い付き合いながら、相庭と会話するのは無駄であると、僕は察していた。

 

「はい。『お前ら()』ということは、先輩もバドミントンで出場するんですか?」

「ん、まあ、そうだな。出場するというか、登録しただけだけど。それに僕は男女混合(ミックス)ダブルスの方だし」

「そうですか」

 

 相槌を打たれた。

 打たれただけだった。

 

「………」

「………」

「………」

 

 僕と忘野と相庭。三人は三者三様に黙った。

 こんな急に会話が終わることはあるだろうか。いや、ない。

 反語を使って強調してしまうほどに不可解な沈黙だったけれども、忘野はそれを疑問に思っている様子はなかった。ちなみに、相庭が何を考えているのかは分からない。たぶん、何も考えてはいないと思う。

 沈黙は金という言葉があるけれども、それにしたって、この沈黙は気持ち悪すぎた。

 耐えきれず、口を開く。

 

「もしあれだったら、僕らと一緒に練習するか? ほら、大会で当たることはないから、気兼ねしなくていいだろう?」

 

 冷静に考えると、先輩と練習なんて気兼ねしないわけがないのだが、僕はこの時、そんなことには気づいていなかった。いやまあ、気づいていても、口を止めることはできなかったと思うが。

 

「……カヤちゃんはどう思う?」

 

 僕の、今にして思えばぜひ断ってほしいお誘いを、忘野はあろうことか相庭に丸投げした。

 そいつに判断を任せるとは、見上げた根性である。或いは、友情か。相庭に対してどっちも持っていない僕なら、花占いで決めた方がまだマシだと思うだろう。

 

「………」

 

 黙って、考える風にする相庭。

 考えることは、どうやらできるらしい。すべてに本能で答えているわけではないようだ。イエスかノーかの二択でしかないと思うのだが。

 できれば、ノーと言ってほし――

 

「わかりました!」

「っ!?」

 

 相庭がいきなり大きな声で叫ぶように言ったので、びっくりしてしまった。

 

「リョータ先輩と練習してあげます!」

「………」

「むしろ今になってみると、こちらから練習を共にしようと申し出ていたような気分になてきました! どうでしょう、ここはひとつ、わたしの方からリョータ先輩を誘っていたということにしてもらってもいいでしょうか!」

「………」

 

 図々しい。

 いや、図々々しい。

 

「わたしから誘ったということで宜しければ、一緒に練習してあげますよ、リョータ先輩!」

「……まあ、そこに(こだわ)る気はないから、どっちだっていいけど」

「ですか!」

 

 僕と忘野と相庭。

 そしてここにはいない湯川。

 変則すぎる四人チームが結成した瞬間だった。

 

 

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