バドミントンは『世界最速の球技』と称されるスポーツである。初速が弾丸にも匹敵するスマッシュは、普通の人間には目で追うこともできない。
そんな高速のシャトルが飛び交うバドミントンは、当たり前のようにハイカロリーなスポーツだ。遊びでほんのひと試合しただけでも、臓腑が悲鳴を上げるのは仕方がないと言えた。
…いや、言えない。
仕方なくなんかない。
僕が今、呼吸困難になりながら地面をのた打ち回っているのは、バドミントンのせいであることも、普段の運動不足のせいであることも、どちらも疑いようもない事実なのだが、もうひとつ疑うべくもない事実があるとすれば、それはこの惨状の原因の一翼を担っているのが、湯川という、僕の幼馴染その人であることだろう。
「お前……もう少し……手伝おうとか……しろよ……」
息も絶え絶えになりながら、相棒を叱責する。
球技大会の練習と称して結成した変則四人チームだったが、当たり前のごとく、湯川が初対面ふたりとまともなコミュニケーションをとれるはずもなく(この場合、一概に湯川だけを責めることはできない。相庭とまともなコミュニケーションを図るのは人類にはまだ早すぎる)、練習ができるような状況でもなかった。
ということで、練習とは名ばかりの実戦式ミニゲームを敢行したわけである。
初心者同士のお遊びのような試合。
――に、なるはずだった。
結論から言うと、試合は激戦の様相を呈した。
忘野と相庭は見事な連携をもって、シャトルを跳ね返してくる。聞けば小学校からの友人同士ということだったが、なるほど、納得の連携である。
対して僕は、持ち前の運動神経と唯一の男性という利を活かして、八面六臂の活躍をした。自分で言うのもなんだが、この試合のMVPは、間違いなく僕だったと言えるだろう。
じゃあ、僕の相方の湯川は何をしていたのかと問われれば、これはもう、何もしていなかった、と答えるしかない。
ただただぼっ立ちしていた――のですらない。
シャトルを、避けていたのだ。
湯川持ち前の圧倒的な動体視力と反射神経を用いて、相手のラケットがシャトルを打ち返した瞬間に、その弾道を予測し、その着弾地点から逃げるという離れ業。
すごいはすごい。
すごく意味が分からない。
普通に戦ってくれ。
まあ、そんな湯川の反応から、僕もシャトルの行方を察していたのだから、恩恵がなかったと言えば、それは嘘になるのだが。
なんにせよ、ダブルス用のコートでシングルスをやらされた僕は、寝不足も相まって、それはもう、疲労困憊だった。
「肉体労働は私の仕事じゃないから」
飄々と、湯川が言う。汗の一滴どころか、息のひとつも乱さずに。
「肉体労働は僕の仕事でもねぇよ。てか、スポーツのことを肉体労働って表現するのやめろ」
「ところで肉体労働って、なんだかちょっとエッチな響きだよね」
「いや、まったく?」
「『肉体労働』を上手いこアナグラムしたら『肉奴隷』になりそうじゃない?」
「ならねぇよ」
「アナグラムで言うと、やっぱ最強なのは『ちんすこう』だよね。アナグラムすると、『ちんこ吸――」
「お前マジいい加減にしろよ!」
すべての沖縄県民に謝れ。
「シキ先輩とリョータ先輩は仲良しさんですね」
と、今の下ネタ合戦(僕は下ネタは言ってない)のどこに仲良し要素を見出したのか、傍観していた相庭がそんな的外れな感想を口にした。
「さながらわたしとユキちゃんのような小慣れたコンビネーションです。リョータ先輩もなかなか隅には置けませんね。シキ先輩のような美人さんと仲良しこよししているとは」
「私が……美人……?」
「はい! 大変お整いあそばされた顔だと愚考しますよ。わたしほどではありませんが!」
『わたしほどではありませんが
呆れかえった僕は、忘野に視線を向ける。
「お前もよくこんな奴と友達やれてるな」
湯川と幼馴染やってる僕が言うことでもないけど。
「カヤちゃんはいい子ですよ?」
「いや、そりゃあ悪い奴じゃないのは察しが付くけど…」
「はい。悪い子じゃないです。私みたいな嫌われ者にも、分け隔てなく接してくれますし」
「分け隔てがないんじゃなくて、個人を識別できてないだけ説を、僕は強く押すけどね………ん? え? お前、嫌われてんの!?」
「はい」
何を当たり前のことを。と言わんばかりの表情に、僕は思わずたじろいだ。
忘野が嫌われているって、そんな馬鹿な。この
なんだ? 僕がおかしいのか?
そう思って湯川に視線を向けると、僕と同じように、目を丸めて驚いていた。
「嫌われてるというか、羨ましがられてるんですけどね。妬みと嫉みです」
と、横合いから相庭が口を挟んでくる。
「ユキちゃんはわたしに並び立つほどの美人さんですから、男子からの人気は凄まじいんです。もう、ギラギラって音が聞こえてきそうなほどの熱視線を、そのワガママボディで独り占めしちゃってるんですよ」
「ああ」
なるほど、と。
同じ男子として、理解できなくもない。忘野の冷たい美貌には視線を引き付けられてしまう。
ワガママボディは誤用だと思うが。忘野は比較的スレンダーだ。
「恋に恋する乙女の世界ですからね。ユキちゃんは男の子のアイドルであると同時に、女の子の敵にもなっちゃうんです。嫉妬に羨望。羨ましさ余って、恨めしいというわけです」
理解できなくもない話である。共感できない話でもあるが。
「ところで、恨めしいと言えば、『恨み骨髄』なんて言葉がこの世にはありますが、もし恨み骨髄な人が骨髄移植を受けたら、その恨みは晴れるのでしょうか? そんな外科的療法で恨みを解消できるなら、世界の平和も待ったなしですね…………はっ!? なんとなく言ってみましたけど、これは世紀の大発明なのではないでしょうか!? いやぁ、雑談から世界平和を生み出してしまうなんて、自分の才能が恐ろしいです。史上初のノーベル賞での生理学医学賞と平和賞、二部門同時受賞者になってしまいました。どうです、リョータ先輩? 今のうちにわたしのサイン、書いておいてもらっておいた方が良いんじゃないですか?」
馬鹿が馬鹿なことを言っているが、もちろん無視する。こんな長尺の台詞を噛まずに言えたことだけは尊敬できるが。
「ま、気にすることはないさ」
言ってみた。
言ってみただけだった。
特に何の責任も持たない、故に何の重みもない、無責任なエールだった。エールにすら、なっていなかったかもしれないが。
「同級生に嫌われてても、三年も経てば他人になるやつらだし。暇なら、二年一組にでも遊びに来てくれ。いつでも相手するから」
忘野にそんなことを言ってみる。その表情はピクリとも動かなかった。
表情は動かなかったけれど、小さく頷きはした。
ならばまあ、よしとしよう。
「? わたしに言ってます?」
お前じゃねぇ、黙ってろ。
――さて、というわけで。
バドミントンの練習を終えた僕たち(湯川は何もしていない)だけれども、日がオレンジ色になってきたころで、お開きにしようということになった。
体育館に設置された支柱とネットを取り外し、体育倉庫に片付ける――ちなみに、この間、片付けることを『なおす』と言う方言について相庭が何か熱く語っていたが、もちろん全部無視した――それが終わったら、ラケットとシャトルを収納して、お片づけは終了なのだが……
……事件は、その時起こった。
「ん?」
カサッ――と。
ラケットをケースに収納した瞬間、そんな異音がした。それはまあ、有体に言って紙の音だったのだが、そんな音がラケットケースから聞こえてくるはずがない。そもそも、取り出すとき、そんなものは中に入っていなかった。
「どうした?」
湯川が肩越しに話しかけてくる。
「いや、ちょっと……」
どうしたと問われても、上手い返しが思いつかなかったので、僕は行動で示すことにした。つまり、音の正体を探ることによって。
収納したばかりのラケットを引き抜いて、ケースを逆さまにする。ゆするような感じで揺らして、中に入っているであろう紙を中から取り出した。
「………っ!?」
「………っ!?」
体育館の床に叩きつけられた紙は、手紙だった。手紙というか、それが入っていそうな封筒だった。封筒と言ってもよく見る茶封筒ではなく、なんというか、ラブレターが入っていそうな、そんな意匠の封筒だった。
……というか、おそらくラブレターが入っているのであろう。
というのも、その封筒にはやけに達筆な女性の字で、
『愛しのあなたへ』
と、宛先が記されていたのである。