学年の違うふたりを教室内に招き入れるわけにはいかないので、僕らは各自お弁当をもって、校内でランチができそうな場所に向かった。
屋上である。
我が校は屋上が生徒に解禁されている珍しい学校だ。
というか、屋上に限らず、何かと緩いのが我が校の売りである。
星川は制服を派手に改造しているし、髪もキンキラキンに染めている。今、傍らいる忘野だって、青のメッシュを入れているくらいだ。
屋上に足を踏み入れると、爽やかな風が吹き戦いだ。
屋上が解禁されていると、みんな屋上に足を運びそうなものだが、案外、そんなこともない。
我が校は住宅街の真中に居を構える学校なので、別に屋上からの眺めに面白味はないのだ。故に、わざわざ階段を上がる労を取る必要もない。
まあ、それでも高いところが好きな奴というのは一定数いるもので、ちらほらと生徒が散見された。
「……ん?」
その中にひとり、知った顔がいた。
「千種じゃないか」
千種美穂。
クラスの風紀委員様である。
風紀委員はチョロい、と湯川に不名誉なことを言われていた彼女が、屋上でひとり寂しく弁当を食べていた。
切れ長の瞳が、こちらに向けられる。
「あら、どこの馬の骨かと思ったら、篠宮くんだったのね。あまりにも馬の骨と酷似してるから、見間違えてたわ」
出会いがしらに一発。罵倒から始まるのが彼女の会話スタイルらしい。
「そんな見間違えがあるか」
「失礼。どこの篠宮くんかと思ったら、馬の骨だったのね。見間違えたわ」
「見間違えてねぇよ。僕は『篠宮くん』その人だ」
「あら、謙遜しなくていいのよ」
「してねぇよ。お前の中では、馬の骨が『篠宮くん』を名乗るのは謙遜に値するのか」
いや、そんなことはどうでもいいだろ。いつまで馬の骨の話してるんだ。
「それで? 千種はこんなところで何をしてるんだ?」
「……別に何も……野暮用よ。そういうあなたこそ、こんなところで何をしてるの? 湯川さんは?」
「誤解されているようだがな、僕にも湯川以外の知り合いがいるんだ」
「あら、素敵ね。なら、私にもその妄想……失礼、エアー友達を紹介してくれるかしら?」
「失礼が失礼すぎるだろ」
空虚なツッコミをしながら、僕の背後にいたふたりを紹介する。
「こいつらは一年の後輩たち。メッシュの子が忘野で、黒髪の子が相庭だ」
ふたりは行儀よくぺこりとお辞儀をする。
千種は咀嚼していた卵焼きを呑み込んでから口を開いた。
「忘野さんと相庭さんね。どうも。私は千種美穂。ふたりとも、もう大丈夫よ。篠宮くんに弱みを握られてるのね。安心して、私がこの鬼畜を成敗してあげるから」
「すごいこと言われてるな、僕」
「馬糞は黙ってなさい」
「馬糞⁉ おいっ、撤回しろ! 馬の骨の方がマシだ」
目を見開く僕とそれをシカトする千種。
そんな僕らを見て、相庭が口を開く。
「いやー仲良しさんですねえ。付き合ってどのくらいなんですか?」
お前は会話のレパートリーがそれしかないのか。
僕は呆れた顔になって、千種は形容しがたい表情になる。
「相庭さん……いいかしら? 世の中には言っていいことと悪いことがあるの。そういう冗談は、私嫌いよ」
「お前……どうせ僕と湯川が付き合ってる的な誤解してるくせに、ものすごい棚に上げたな」
「は? 付き合ってる? あなたと湯川さんが? 何言ってるの? そんな誤解するわけがないでしょう。馬鹿なのかしら? 馬の骨で馬の糞で馬鹿だなんて――いったいどれだけ馬が好きなのかしら」
「いや別に馬が好きなわけじゃないけど」
「付き合ってるだなんて……大方、あなたが一方的に湯川さんに破廉恥なことをしているだけの関係なんでしょう? 汚らわしい」
「そんなことは……ない……よ?」
心当たりがありすぎて、語尾が不自然になってしまった。
いやいや、アレはアレでアレがああしてアレだから、アレは別に破廉恥なんかじゃない。そうに違いない。
「キャラの濃い先輩ですねぇ」
と、相庭がひと言。
年間お前が言うな大賞受賞間違いなしだな。
「ていうか千種、もうちょっと言葉の矛を緩めてくれ。相庭はともかく、忘野が委縮しちゃってるだろ」
「いえ、先輩。お構いなく。先輩が楽しそうにしているのを見ているだけで、私は満足ですので」
「………」
なんて愛らしい後輩なんだろう。
僕は感動した。
まるで雄大な自然の山々に神々しさを感じてしまうような、そんな神秘的としか表現できない何かを、僕は感じたのだった。
「『相庭はともかく』とかいう、私を除け者にするような表現はやめてほしいですね。訂正してください。誤りを認めて謝ってください」
「………」
なんて鬱陶しい後輩なんだろう。
僕は吐き気を催した。
田舎で雄大な山々に見惚れていたら肥溜めに足を突っ込んでしまった時のような、そんな強い不快感を感じた。
「不愉快だわ」
タイミングよく千種がそんなことを言うので、声に出ていたのかと、僕は少し焦った――が、よく考えたら、別に声に出ていたところで何も構いやしないので、僕は適当に相槌を打った。
「確かに、相庭は不愉快だな」
「そうじゃなくて」
千種は首を振る。
「忘野さんのようなかわいい女の子に味方されて、いい気になって鼻の下を伸ばしてるあなたが不愉快なのよ、篠宮くん」
「あ、僕ぅ⁉」
「ええ、あなたよ。これはもう、全国の『篠宮』の責任と言っても過言ではないわね。日本中の『篠宮』を――いえ、この際せっかくだから、日本中の『四ノ宮』も代表しちゃって、纏めて謝罪しなさい」
「急に全国の『しのみや』を代表する人間に選出されて、戸惑いを禁じえないんだけど……?」
そんな中身のないことを話していると、相庭が勢いよく手を上げる。
「私も全国の『あいば』を代表する人間を名乗って、構わないでしょうか?」
「それはダメだろ」
全国の馬鹿を代表する人間なら、構わないかもしれない。
「その点、忘野は全国の『わすれの』を代表しても問題ないかもしれないな」
何の気なしに話を振ってみる。
「いえ、私は……私より優れた忘野をひとり知っているので」
「へー。珍しい苗字だと思ったけど、別の忘野に会ったことがあるのか」
「はい……というか、私の姉ですけど」
「あっ、お姉さんいたんだ」
「なんで知らないのよ」
と、口を挟んできたのは、千種だった。
「逆になんで僕が忘野家の家族構成を知ってるんだよ」
「生徒会長でしょう。忘野
「え、あ、そうだっけ?」
「あなたそれでも学級委員なの?」
僕はすっと、目を背けた。
月一で行われる生徒会会議には学級委員も召集されるのだが、各クラスひとりでいいので、いつも前田に任せているのだ。
だから僕は、生徒会のメンバーの名前など、ひとりもわからない。
しかしそうか……姉か。
忘野の姉となると、ひと目見てみたいと思わなくもない。
彼女ほどの美人の血縁となると、それまた、信じられないほどの美人なのだろう。
「『姉』という漢字って『
相庭が何か言ってる。
この子は一貫して、僕にツッコミの稽古でも付けているのだろうか。
どんなぶつかり稽古だ。
「姉は私と比べたら――比べることもできないくらい、優れた人間です」
そんな卑下するようなことを言わないでも……。
そんなことないよ――という世辞も、彼女の姉を知らないから言ってあげられない。
「生徒会長を務めてますし、スポーツも万能ですし……成績なんて、私とは天と地です」
「ユキちゃんはおバカですからねー」
なんということだ……。
相庭に『おバカ』と呼ばれるなんて、普通の人間なら、屈辱に耐えられずショック死してるぞ。
「……忘野、もしあれだったら、僕が勉強教えてやるぞ」
気が付くと、僕はそんなことを言っているのだった。
なにかと彼女を甘やかしてしまう僕である。
「いいんですか?」
「ああ。一年の範囲なら、それなりに教えられるだろうし」
「じゃあ――」
「待ちなさい」
千種が横やりを入れてくる。
「忘野さんの勉強は私が見ましょう。どうせなら、より賢い方に教わった方がいいに決まってるわ。そんなノミと同じ程度の頭脳しか持っていない男より、私の方が忘野さんのためになるでしょう」
「ノミとか言われた……ちなみに、千種は一年最後の期末テストの学年順位はいくつだったんだ?」
「……七位よ」
「僕は三位だ。うぇーい」
「チッ」
デカい舌打ちだなぁ。
「はー。リョータ先輩って賢いんですか。人は見かけによりませんねー」
いちいち不愉快な後輩である。
「それでは先輩。次は教材を持ってきますので、明日の昼休みに勉強を教えてください」
「ああ……え⁉ 明日⁉」
「はい、いけませんか?」
そんなまっすぐな目で見られると、たじたじになってしまう。
僕は断るのがどこまでも苦手なのだ。
「……いけなくないよ。昼休み、またここに集合しようか」
「はい」
「じゃあ私も道徳の教科書でも持ってきましょうかねー」と阿呆なことを言っている相庭を横に、そんな約束を交わす僕たちだった。
道徳の教科書なんてねぇよ。小学生か。
千種はそんな僕たちを見て、忌々し気に舌打ちをひとつして、
「不愉快だわ」
と、毒づくのだった。