その日、僕が登校すると、教室はなぜかどよめいていた。
どことなく忙しない気配。
教室の端っこに、男子が団子を作って何やら集会を開いている。
「なんだあれ?」
「みんな、男の子の日なんじゃない?」
「まず男の子の日がなんだよ?」
「そら、女の子の日の男の子バージョンでしょ」
「女の子の日?」
「そう、生理の日の事」
「お前マジ、そういう下ネタを教室で言うのやめろ。あと、生理の男の子バージョンなんてねぇんだよ」
そんな中身のない会話をしながら、僕らは揃って着席する。
すると、
「おはよ、ふたりとも」
声をかけてきたのは星川だった。
心臓が跳ねる。
しかしここは男の意地で心を落ち着かせて、平然といた態度で視線を彼女に向けた。
「うえっ⁉」
違う。
何が違うって、雰囲気が違った。
まず髪型が違う。ハーフアップにしたり、カントリーにしたりと遊ばせていることの多い金髪が、今日はストレートだった。ゆるふわとかウェーブとかもない、真っすぐなストレート。
制服の改造も元の状態に戻されている。必然、露出は大幅に下がるものだが、イモっぽくはならない。
よく見るとメイクも薄い。所謂、ナチュラルメイクというやつだろうか。
全体的に華やかさがなりを潜め、どことなくアンニュイな空気を纏っている。
「どうした、星川。しつ――イメチェンか?」
失恋か――と言おうとして、ギリギリで舵を切った。そこまでノンデリじゃない。
「ま、そんなとこ……どう?」
「いや、まあ、似合ってるけど……」
「なんかエロい」
余計なことを言ったのは、後ろの席の湯川だった。
身も蓋もない湯川の戯言に、星川は目を白黒させる。
「エ、エロい⁉」
「なんか、事後感がある。ね、篠宮?」
「最悪のキラーパスやめろ」
諸事情により、今の僕は星川にセクハラしづらいんだ。
「そうなんだよね……いや、実はあたしも失敗したなって思ってて。清楚系を目指そうとしたんだけど、上手くいかなくて」
「星川でもお洒落失敗することあるんだな」
「清楚系は慣れてないだけ!」
そんなことを言いながら、星川は僕の隣の席の椅子を勝手に拝借し、僕と湯川との間ぐらいの位置にどっかりと腰を下ろした。
「それで?」
星川は湯川の机に頬杖を突きながら、どことなく空々しくも無関心な口調で呟く。
なぜか僕のことを横目でちらりと見ながら。
「あの後、後輩たちと連れ立ってどこいったのかなー……なんて」
「ああ、昨日の昼休み?」
「そうそう」
「ぐっちゃぐちゃになったな。屋上に行ったら先客に千種がいて、もうカオスだった」
「そう……なの?」
「ああ、千種と相庭は種類の違う毒虫みたいなもんだな。誰が死んでもおかしくなかったし、全員死んでもおかしくなかった。僕や忘野が今も息をしてるのは、ただの奇跡だ」
「ふーん。あの、メッシュの子といい雰囲気になったとかはないんだ」
「忘野と僕がいい雰囲気になるには、まず相庭を駆除……間違えた。相庭をどけなきゃならないだろうな」
「なるほどなるほど」
星川は表情を明るくして顔を上げた。
なんでだろう。
――なんて思うほど、僕も鈍くない。
彼女の分かり易すぎる反応も、その意図も――その好意も、僕にはわかっている。
わかってるから、やめてほしい。
ドキッとしてしまうから。
僕が息を飲んだ瞬間、教室の隅っこで、おおっ、と小さな歓声が起こった。教室の端に集まった男子が数人、一台のスマホを囲んで盛り上がっている。
「さっきからなんなんだ?」
僕は温度の低い目で、興奮状態のクラスメイト達を眺めた。
星川がちょうど近くを通りかかったクラスメイトを呼び止める。
「ね、前田。あれなに? 男子どもはなんで盛り上がってるわけ?」
「ああ、あれ? ほら、昨日すごくかわいい一年の子が訪ねてきたでしょ? なんか、誰かがあの子のこと隠し撮りしてたみたいで、その写真を見て盛り上がってるみたい」
「忘野のことか……」
僕は顔を顰めて低く呻いた。
前田は、まったく、と呆れたように男子の輪を眺め、
「生徒会長のお姉さんがいることも噂になってて、ふたりの写真を見比べて盛り上がってるんだって」
と、補足情報を付け足した。
「まったくこれだから男は。同じ男として、恥ずかしい限りだぜ」
「胸ばっか見てるスケベが言うなっつぅの」
「バカお前……僕を胸しか見てない程度の低い男にするな。僕くらいの漢になると、ちゃんと尻も見てる」
「最近は脚もね」
湯川の援護射撃も決まったところで、星川がどうしようもなさそうに苦笑い。
そんな僕らのやり取りを、前田は少し面白そうに眺めて、
「篠宮君は見に行かなくていいの?」
落ち着いた口調で訊いてくる。
「いや、別に」
僕が投げやりに答えると、前田は満足げに頷いて、
「そうだよね。篠宮君には
と、核爆弾を投下してくるのだった。
慌てて視線を上げると、星川と目が合った。氷点下の瞳。死んだわ。
「おいおい、前田。やめてくれよ。僕と湯川はそんなんじゃないんだって。いや、ホントに勘弁してください」
「やめないと、また私のカップ数を盾に脅してくるの?」
核爆弾、隙を生じぬ、二段構え。
悪戯気に微笑む前田、爆笑する湯川――そして、絶対零度の視線を寄越す星川。
視線で人が凍らせられたなら、僕はたぶんフリーズドライになってると思う。
「前田、お前はひとつ勘違いしている」
「勘違い?」
「ああ、僕が無類の巨乳好きであることはご存じのことだと思うが……」
「全然ご存じじゃないけど」
「そうか。じゃあ、宣言しておくが、僕はおっぱい星から来たおっぱい星人だ。或いは、おっぱい教のおっぱい聖人だと言ってもいい」
「そ、そうなんだ」
「ああ、ここまで言えば言いたいことがわかるな?」
「え……わかんないけど?」
心底不可思議そうな顔で、前田は首を捻る。
そんな彼女に、僕は菩薩のような表情で告げた。
「いいか? Ⅽカップごとき、おっぱい星人のサポート対象外だ。だからいい気になるな」
「バリムカつくぅ~‼」
僕の机で台パンを繰り返したのち、憤慨したような足取りで去っていく前田だった。
「そっか、そういえばあんた巨乳好きだったもんね」
いつの間にか機嫌を直した星川が、一段高い声でそんなことを言ってくる。
「ああ、漢らしいだろ?」
「いや、普通に引く」
そう言って、星川はからからと笑った。
笑いながら、ブラウスの第一から第二ボタンを外す。
ぎりぎりうっすら谷間が見えるような格好になって、僕は開眼した。
「……いや、さすがに見すぎだから」
「そうかもしれないけど……そうかもしれないけど‼」
でも見ちゃうだろ。
そして、動揺している僕に、
「ね、今日はお昼一緒に食べよ?」
と、可愛らしく誘ってくるものだから、僕は反射的に、
「ああ」
と、曖昧に返事をしてしまったのだった。
そして、返事をしてから、思い出した。
「あ」
「なに……まさか、先約?」
ぎろりと、星川の目が光る。
「まさか、昨日のあの子たち?」
「は、はは……」
僕は苦笑いを浮かべた。
そんな僕を星川は静かな怒気を孕んだ半眼で睨みつける。そして彼女は無言のまま、
「ふん」
と、荒っぽく鼻を鳴らして、去っていくのだった。