僕の恋路は壁が多い   作:銀楠

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青空の下、君の香り

 

 

 真実が白日の下に曝されるというのは、もちろん比喩表現なわけだが――しかし皮肉なことに、僕は衝撃の事実を確かめるために、白日の下に馳せ参じた。

 昼休み。

 球技大会の中休みを使って、陽光さんざめく空の下に――つまり校舎の屋上に、僕は足を踏み入れた。

 球技大会中ということもあってか、屋上はいつもより人が少ない。

 というか、誰もいない。

 ひとりを除いて。

 

 先に断っておくが、話の流れ的に、もちろんその『ひとり』があの怪文書の差出人なわけで。

 晴天の下、霹靂が駆け抜けるように――ということもなく、至って普通に、いつも通りに、そこに彼女はいた。

 

「あら、誰かと思ったら、女の子をいいように侍らせているのに、その誰とも結局関係が進んでいないことで有名な、残念ハーレム王の篠宮くんじゃない」

 

 千種美穂。

 罵倒から始まるバッドコミュニケーションは、彼女のお家芸。

 耳が痛いんだか心が痛いんだか判然としない罵詈雑言を努めてスルーしながら、僕は単刀直入に用件を口にする。

 

「考えてもみると、お前っていつも屋上にいたよな」

「………」

 

 屋上は別に人気スポットでもなんでもない。

 僕や忘野が昼休みに屋上に集合するのは学年が違うからお互いの教室に入りにくいのが原因であって、千種がここに訪れる理由は不明だった。

 思い返してみると、初めてここで千種と会ったとき、ここにいる理由をはぐらかされた覚えがある。

 

 何故千種はいつもひとりで屋上にいたのか。

 待ち人を待っていたからだと考えることもできる。

 

「千種、悪い。先に謝っとく」

「え?」

 

 僕は制服のポケットから一通の封筒を取り出した。

 それはもちろん、彼の怪文書――いや、ラブレターである。

 

「この文章を相庭に見せた」

「……相庭さんに?」

 

 ちゅちゅちゅのちゅ、とかなんだとか、目が滑って読む気にもなれないラブレター。

 神龍(シェンロン)をも凌ぐと語る相庭に望んだ願いは、その解読だった。

 頭の可笑しい相庭なら、頭の可笑しい文章を普通に読めるのではないかという、僕の読み。

 それは、見事的中した。

 

「これは怪文書なんかじゃなくて、ちゃんとラブレターだったんだな。つまり、逢引のお誘いだったんだ――『階段のぼったら』とか『お空の下で』とか、そういう文言は『屋上に来て』って意味なんだろ?」

 

 逢引の場所をポエムに混ぜて指定するという謎の高等テクニック。

 相庭に解読してもらえなかったら、僕には百年かけても理解できなかっただろう。

 

 ちなみに、場所は指定しているが時間は指定していないから、千種はいつもここにいたのだ。

 待ち続けていたのだ。

 この半月ほど。

 もし僕が百年気づかなければ、或いは、百年待っていたのかもしれない――なんて。

 

「もしそれが……」

 

 千種の喉が大きく鳴った。唇をちろりと舌が舐める。

 瞬きを不自然なほど繰り返した後に、

 

「もしそれが相庭さんの解読通り、屋上での逢引の約束だったとして――それがどうして、私が差出人という推理になるのかしら。屋上には普段、私以外も色んな生徒が出入りしてるのに」

「字だよ」

「……字?」

「あんな達筆な文字を書くやつはそういない。僕は筆跡鑑定なんて特殊な技能を持っちゃいないけど、お前ぐらい特殊な字体ならさすがに見分けが付く」

 

 この屋上で何度か行われた勉強会。

 僕が忘野に勉強を教える傍らで、千種は相庭に勉強を教えていた。

 

 尖りすぎなキャラクターであるふたりの勉強会には僕の関心も思わず吸われて、忘野に勉強を教える片手間に、ふたりの勉強会を覗いたことがある。

 だから、印象に残っていた。

 千種の見惚れるほどに達筆な文字は。

 

 そのときに千種があのラブレターの差出人だということに思い至らなかったのは、だから、単に僕があの怪文書を自分で忘却していたからなのだが。

 

「そう……文字で……なるほど……」

 

 譫言のように呟いた千種は、際限なく瞬きを増やしすぎて、遂には目を瞑った。

 そして天を見上げる。

 天を仰いで呆然としているというよりは、姿勢が良すぎて、なんだか『ショーシャンクの空に』ごっこをしているみたいになっているが、もちろん本人にそんなつもりなどないだろう。

 

 やがて千種は瞑っていた目を静かに開くと、決然とした足取りで、さながらランウェイを歩くパリジェンヌのようなウォークで、屋上の端へと歩み寄った。

 そして、転落防止用のフェンスに手を掛けると、クライミングの要領で身体を持ち上げ、徐々に昇っていく。

 

 おお、こいつ、かなり運動神経いいな。

 

「いや、なにしてんの?」

「フェンスを上っているのよ」

「上ってなにすんの?」

「飛ぶわよ」

「飛んでどうすんの?」

「え? 死ぬわよ?」

「待て待て待て待って、まあ落ち着け」

 

 なんて澄んだ瞳なんだ。こいつ死ぬことに何の疑念も抱いちゃいねぇ。

 

「私は至って落ち着いてるわよ? ほら、イカロスも落ちることがわかっていて飛んだでしょう? それと同じよ」

「同じじゃねぇよ」

「ああ、心配ならしないで頂戴。あの文章を書いたのが私であることが貴方に発覚したのと、私の自殺は無関係だって、ちゃんと遺書に書き記しておくから」

「逆効果なんだよなぁ」

 

 僕は溜息を吐いた。このままでは転校待ったなしだ。

 後で傷つけるのに、今助けるというのも意味不明だが、仕方ない。

 僕は可能な限りの優しいトーンで、

 

「なにも死ぬことはないじゃないか。何でも命あっての物種だぞ。ちゅちゅちゅのちゅ♡」

「……ッ⁉ いってきます」

 

 お気に入りのフレーズで説得を試みた途端、猛然と金網を上り始める千種。クライミングのワールドレコード待ったなしですねこれは。

 

 いってきますと言われても、いってらっしゃいと返すわけにもいかないので、僕は千種が登っているフェンスを思いっきり蹴った。

 ガシャンッ、と音が響いた。

 千種が登っていたフェンスが激しく揺れる。

 

「きゃあっ⁉」

 

 バランスを崩した千種がフェンスを掴み損ねて、宙に浮いた。

 咄嗟に受け止めようとした僕だったが、

 

「ぐっ……」

 

 背中に強い衝撃が走った。

 お姫様抱っこで受け止められればカッコよかったものの、僕にそんな難しいことができるはずもなく、僕は精々、千種のクッションになることしかできなかった。

 まあ、カッコはつかないが、地面との衝突を避けられただけ良しとしよう。

 

 僕の上に乗った千種の身体はわりに柔らかい。女性特有の丸みに乏しい千種だが、それでも女の子なのだと意識させられた。

 

「……助けてなんて言ってない」

 

 か細く、怜悧で、硬い声だった。

 

「いや助けるだろ。言われなくても」

 

 目の前で飛び降りようとしている知り合いを黙って眺めてるほど、僕は鬼畜じゃない。

 僕は千種を助け起こしながら、言葉を紡ぐ。

 

「助けるっつーか、ポエム特定されたくらいで取り乱しすぎだろ……。そもそもあれって、特定されることが前提じゃないのか? ラブレターなんだから――それに僕は、お前を馬鹿にしたいわけじゃないんだよ……。なんていうかその……嬉しかったし」

「……嬉しかった?」

「ああ」

 

 僕はブリキのようにぎこちなく頷いた。

 

「告白されるのは、どんな形であれ、どんな奴であれ嬉しいよ」

 

 言葉はどんどん鈍くなっていく。

 喉はからからに乾いていき。

 顎は次第に錆びついていく。

 

「だけど……」

 

 だけど、言わねばならない。

 それが誠意というものだから。

 

「だけどごめん――お前の気持ちには応えられない。僕には好きな人がいるから」

 

 言った。

 口にした。

 逸らしてしまいそうになる視線を逸らさぬように。

 

 これが今日の僕が用意していた本題である。

 ラブレターの答えとして、お断りの返事をするためにこの場所に来たのである。

 差出人が千種だとわかった瞬間から、悩みに悩んだ。

 千種は美人だ。

 成績も優秀だし、運動神経がいいことも判明した。

 ちょっと、いやかなり暴力的だけど、あれが俗にいうツンデレのそれならば許容できる――いや、やっぱりそこに関しては要相談かな。

 とにもかくにも。

 絶賛恋人募集中の身としては、千載一遇のチャンスであることは間違いない。

 千載一遇で、空前絶後だ。

 しかし。

 だけど。

 

 好きな人がいる。

 

 それが全てだった。

 千種の想いは嬉しいけれど、受けられない。

 それが僕の出した結論だった。

 

「……本当にごめん。でも……僕は……」

 

 言葉が途切れたのは、罪悪感で心が圧し潰されそうになったから。

 誰かの好意をふいにすることが、こんなにも痛いものだとは知らなかった。

 

「……そう」

 

 途切れた僕の言葉を千種は察し、頷く。

 

「篠宮くん……」

 

 罪悪感に胸を痛める僕の前に、千種が静かに歩み出た。

 その美しい長髪から仄かに匂い立つ、柔らかなシャンプーの香り。

 吐息の気配すら感じれるほどの距離で、彼女は静かに口を開く。

 

「私も、先に謝っておくわね」

「え……?」

 

 それは一瞬の出来事で――気づいた時には手遅れだった。

 雲一つない白日の下、僕は千種に唇を奪われた。

 

 ――みたいなことは一切なく。

 

 めちゃめちゃハイキックだった。

 それはもうハイキックだった。

 どちゃくそハイキックだった。

 大きく振り上げられた脚が僕の側頭部を打ち抜く。世界が回転するとかじゃなくて、普通に一回暗転した。

 惜しむらくは、今日の彼女が体操着だったことだろう。

 スカートだったら、またパンツを拝めたかもしれない。

 

 いや、パンツなんてどうでもよくて。

 

「え?」

 

 突然のことに思考停止しながら地面を転がる僕を睥睨しながら、

 

「勘違いも甚だしいわ、この自意識過剰野郎」

 

 と、千種は毒づくのだった。

 

 

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