「それで――勘違いって言うのはどういうことなんだ? あの怪文書は僕宛のものじゃなかったのか?」
と。
球技大会の午後の部が始まり、誰もいない教室の中で、机を挟んで向かい合った千種に憮然と質問する僕に対し、彼女は、
「違うわ」
と、切って捨てた。
苛立たし気な表情になっているのは、だから、僕のせいなのだろう。
千種の言葉を解釈するに、あのラブレターは僕宛ではないということである。
つまり。
先ほどの屋上でのひと幕は千種にとって、好きでもない男に好意を寄せていると勘違いされ、あまつさえフラれたという恥辱の極みみたいな経験だったということである。
それはまあ、怒るだろうし。
それはまあ、蹴られるだろう。
だからまあ、それは良いとして。
「それなら、結局、あの怪文書は誰宛だったんだよ?」
「ふふん」
千種はなぜか、得意げに鼻を鳴らして、自分の席から筆箱を持ってきた。
いや、それは筆箱と呼ぶにはちょっと立派過ぎる代物で、上品な木製の箱は学生が使うには似つかわしくない。
そんな筆箱を千種が開けると、中は整然と整理された筆記用具たちだった。
シャーペンに消しゴム、定規にコンパス、筆ペンなんかもある。
千種は、そんな筆記用具が収められているスペースを持ち上げた。
箱から中敷きが分離され、シークレットスペースが露わになる。
つまり、これは筆箱ではなく
そこから取り出されたるは、四つに折り畳まれた原稿用紙。
それを、千種は僕に手渡してきた。
「読んでみなさい。最新作よ」
「え、いや……」
「今回は純文学風に仕上げてみたわ」
「不安でしかない‼」
とはいえ、読まないわけにはいかない。
僕は意を決して、折り畳まれた原稿用紙を開いた。
夕日の色で真っ赤に染まった教室の中、剥き出しになった豊満な胸を弄られ、甘くしびれるような未知の快感に、累は身体を震わせた。
「や……っ。ふ……んん……⁉」
「ふふ、可愛い声ね。もっと艶やかに鳴いてくれてもいいのよ」
嬉しげな声を上げながら、背後から抱き締めるようにして美穂が累の乳房を愛撫する。
濃密に絡み合う彼女たちはどちらも産まれたままの煽情的な姿で、教室の中には二人の脱ぎ散らかした制服や下着がそこかしこに散乱していた。
当然のように、ふたりの他に人はおらず、彼女たちの行為を阻むものなど何もない。
ボルテージはどこまでも加速していく。
美穂の指が累の敏感な部分を刺激する度、教室の中に絹を裂いたような甘い悲鳴が響き渡る。
「あぁんっ⁉ も……もうダメ……」
散々胸を苛められ、嬲られた累が音を上げる。
漸く愛撫の刺激から解放された累は、全身を虚脱して机の上に横たわった。
淫らに開かれた累の口からは唾液と湿った呼気が洩れ、嫋やかな白肌は夕日の中でもわかるほど赤く色付いている。
ノックアウトだ。
それでも潤む累の黒瞳は、次なる行為への期待を湛えていた。
故に、第二ラウンドが始まる。
「累ちゃん……本当に良いのね?」
「うん……私の初めて、美穂にあげる」
甘美な声で、耽美に言葉を紡ぎ、累は机の上で仰向けになった。
「そう……それなら――二度と戻れないくらい夢中にさせてあげる」
囁くように言って、美穂は累の首筋に唇を落とした。
もう戻れない。
獣になったふたりは、獣のように混じり合う。
未熟な果実たちの、甘くて酸っぱい青春の物語。
ふたりはそのまま快楽の螺旋へと堕ちていった。
緊急特別学級裁判が開廷した。
検察官は僕、被疑者は千種、弁護人は不在だ。
罪状はもちろん、名誉棄損及び猥褻物陳列罪である。
「百歩譲って名誉棄損は受け入れるとして、猥褻物陳列に関しては納得しかねるわね」
「お前の猥褻な趣味が僕に直接陳列されてんだよこのヘンタイが」
「ヘンタイ⁉ 根も葉もないことを口にするのはやめなさい。そういう軽率な言動がいじめに繋がるのよ。風紀委員として、とても見過ごせる発言ではないわ」
「お前の風紀が馬鹿ほど乱れてることを指摘してんだよ、僕は。都合のいい時だけ風紀委員のペルソナ被るのやめてね?」
いや、ていうか。
「え、なに? お前、湯川のことが好きなの?」
「好き? いいえ。大好きよ。愛してるといってもいいわ」
「うるせぇ」
うるせぇが、しかし納得でもある。
あのラブレターの宛名は『愛しのあなたへ』としか書かれていなかった。
字の女性らしさから、勝手に湯川に宛てた手紙である可能性を排除していたが、女の子が女の子に恋文を送ってはいけないなんてルールはない。
同性愛には理解のある方だ。
女の子同士の恋愛だって、自由にすればいいと思う。
――それはそれとして。
幼馴染が登場する濃厚な百合小説を読まされた僕の身にもなってほしい。
なんだか僕の立場としては、千種の想いを応援しづらいところがある。
具体的には、千種と湯川が濃密に絡み合っている画が想像されてしまって、顔が渋くなる。
なんで湯川って僕の幼馴染なんだろうな?
赤の他人なら全然普通に応援できたのに。
「――まあ、何はともあれ、大体理解したよ。勘違いして悪かったな。お前の気持ちは、僕から湯川に伝えておこうか?」
「そうね……いえ、結構よ。いずれ機を見て、自分で伝えるわ」
「あっそ……」
まあ、頑張ればいいと思う。
応援はしかねるけど。
「ところで――お前はなんで湯川なんかに惚れたんだ? 言っちゃあなんだが、アイツそんなに魅力的な人間じゃないだろ。女子に好かれるタイプの女子でもないし」
「私が湯川さんに惚れた理由? ふっ、そんなに聞きたいなら聞かせてやらないこともないわ。随筆形式、私小説形式、俳句形式、ラップ形式――どれで聞きたい?」
「お前のブンガクに興味はないので普通に聞かせてください」
いや、ラップ形式にはちょっと興味があるけど。
「あら、本当にいいの? 私の湯川さんへの愛が詰まった千夜一夜物語はここでしか聞けないわよ」
「千夜一夜物語も矢数俳会もトップオブザワールドにも興味ないから、可能な限り端的に説明してくれ」
「顔よ」
「短っ⁉」
端的過ぎるだろ。
端的っていうか、身も蓋もなさ過ぎるだろ。
もうちょっと愛を謳ってくれよ。
「良いわよね、湯川さんの顔って。いかにも無垢で、純真で――私、ああいう顔を見ると、快楽の園に引き摺り込んで、悦楽に歪めたくなるのよね。篠宮くんもそういうのわかるでしょう?」
「いやわかんないすね」
「よく考えると、不純異性交遊は禁止されてるけど、不純同性交遊は禁止されてないのよね。つまり、私が湯川さんをハスハスしようが、ペロペロしようが、何の問題もないのよ」
「コイツを裁けないの、法の敗北だろ」
「法律ごとき、愛の前では無力だったってことね」
「お前初登場の時とキャラ違い過ぎるんだけど、なんなの? 変なもんでも食ったの?」
「こっちが素よ」
「そうか。最悪だな」
鬱陶しさが相庭に匹敵する風紀委員百合女とか、属性の悪魔合体かよ。なに食って育ったらそんなんになるの?
「――さて、それじゃあ、これにて一件落着ってとこね」
「……まあ、何も落着はしてない気もするけど、湯川の身に危険が迫ってるのは僕としても面白いし――いっか」
どうでもいっか。
――などと考える僕の前で、千種が万年筆を構えた。
何の脈絡もないその行動に、僕は首を捻る。
「ん? なに? 急に執筆? 唐突に創作意欲でも湧いたの?」
「いいえ。確かにこれは私が執筆に使っている万年筆だけど、今から行うのは執筆じゃないわ」
「じゃあ、なにすんの?」
「殺人よ。ほら、万年筆を首に突き刺したら殺せるでしょう?」
「あーなるほどね。殺人ね……で、誰を殺すの?」
「うふふ――可笑しなことを聞くわね、篠宮くん。いま、この教室には貴方しかいないでしょう」
「おー、確かに。それは盲点だったよ」
「うふふ、うっかりさんね」
「あはは、うっかりしてたよ」
そこから数瞬のことを文字で説明するのは非情に難しい。
まあ、簡単に説明すると、千種が万年筆を僕の首に向かって振るってきて、僕がそれを受け止めたわけだが――なんというか、そこには文字では説明できないバトル漫画的な攻防があった。
千種には冗談では済まされない殺意があったし、僕も命懸けで防御した。
「なっ……にすんだお前⁉ 殺す気か⁉」
「もちろん殺す気よ。当たり前でしょう――なに考えてるの、貴方」
「なに考えてるのはお前だ!」
「冷静に考えてもみなさい。私が、私の作品を見た人間を生かしておくわけないでしょう。貴方を殺して相庭さんも殺して私は生きるわ」
「コイツ、目がマジだ……」
千種の殺気は本物だったが、しかし、この世には純然たる膂力の差というものがあるので、僕は割と余裕で、冷静に怒り狂っている千種を抑さえることができた。
千種の手を抑え、固く握りしめられている万年筆を毟り取る。
ここまではよかった。
いや、なにもよかないが。
とにもかくにも、ここからが問題なのである。
例えば僕に合気の心得があって、千種を華麗に制圧することができたら、話は変わったのかもしれないが、生憎、そんな技能は持っていなかった。
逆に――後で聞いた話だが、千種は空手と柔道を習っていたらしいので、この密着状態で使える、
多分、ナントカ刈り――というのだろう。
足元を払われて、バランスを崩したところに投げの予備動作が入った。
これも後で入手した知識なのだが、柔道というのは、投げる側はもちろん、投げられる側にも技術が必要なのだという。
オリンピックで柔道を見てて、あんな綺麗に投げられるもんかね――と、色眼鏡で見ていた僕だが、普通にやるとあんな綺麗にはいかないものらしい。
投げる側と投げられる側の身体を守るために、投げられる側が自分から飛ばないといけないらしいのだ。
もちろんこの時点の僕はそんなことは知らないので、反射的に、がむしゃらに抵抗した。
結果、千種の投げは中途半端なものになり、僕は投げられることもなく、ただ不格好に縺れて転んだ――千種を巻き込みながら。
「きゃっ」
存外、可愛らしい悲鳴だった。
そんな、どこか余裕のある感想を、僕は千種を見下ろしながら抱いた。
見下ろしながらというか、組み伏せながら。
「………」
「………」
目と目が合う瞬間好きだと気づく――こともなく。
僕は普通に気まずかったし、千種は心底不快そうな表情をしていた。
なんか最近このパターンのラッキースケベばっかだなもうちょっと工夫しろよ神――とかなんとか思っていた矢先、教室のドアが開く。
「なんか凄い物音がしたけど、誰かいるの? もう閉会式始まるけど……」
前田だ。
バレーボールで獅子奮迅の活躍をしてきたらしい、首筋にはうっすらと汗をかいている。
勝ったのか、それとも負けても満足できる試合内容だったのか、微笑みを浮かべながら教室内を見渡す。
まあつまり、体操服姿の千種に
これはどう見ても致す前ですねありがとうございます。
「にゃっ……⁉」
一瞬でトマトみたいに赤くなった前田が跳び上がる。
凄まじい跳躍だった。
あーあ……せめてEぐらいあればな。
「違う。落ち着いて聞いてくれ。これはたまたまこうなっただけで……」
「タッ……タマタマ⁉ なに言ってるの篠宮君‼」
「お前がなに言っているの???」
「ええ、そうよ。落ち着いてちょうだい、前田さん」
「お?」
貴重な援軍が現れた。
千種は楚々と身を捩りながら僕の下から抜け出すと、
「いまは篠宮くんに私の敏感で恥ずかしいところを曝け出してたところなのよ。
「疚しいのはお前だけだこのヘンタイ。お願いだから僕を巻き込まないでね?」
「既に篠宮くんには全てを暴かれてしまったわ。彼には責任を取ってもらわないと」
わーい、千種もぐるぐるおめめだ。
混乱してるなら仕方ないね。
――って、そんなわけあるかーい。
「せ、責任⁉」
「違うんだ。前田、違うんだ――千種の言う責任って言うのは、命をもって贖えって意味で……」
「しょ、生涯添い遂げる約束をしたってこと⁉」
「とほほー……このⅭカップさんは何も聞いちゃくれないんだぜー」
何だこのカオスな状況。
誰が責任取んの?
「篠宮君はなんやかんや一筋の! 累ちゃん一筋の純粋さんだと思ってたのに! やっぱり女の子なら誰でもいいんじゃんか! ケダモノ、ラブコメ主人公、残念ハーレム王‼‼‼」
顔を覆って、首筋まで紅に染めながらダッシュしていった。
だいぶキマっちゃってんなアイツ……。