「ほら、水でも飲んで落ち着け」
自販機で買ったペットボトルの天然水を湯川に渡す。湯川は青白い顔をこくこくと縦に振りながら頷いた。そして水を一口含んで飲み込む。そして途端に激しくえづいた。僕はその背中を軽く擦る。
先日のオフ会の件で僕らは駅前の大通りに来ていた。
高校生でまともに地元から出たことのない僕らが唯一知っている人通りの多い場所だ。奇跡的にオフ相手の最寄り駅でもあったらしく、話は簡単に纏まった。
対して、僕の同伴に関しては一悶着あったらしい。
というのも、相手がかなり幼馴染の同伴を渋ったようだ。なぜかかなり嫌がったようでこの話自体がお流れになりかけるところまで行ったらしいが、最終的には相手が折れてくれたようだ。さすがの頑固さである。
僕としてはそこまで渋ったのは、やっぱり性別を偽っているからじゃないかと邪推してしまう。もしそうなら、今日はかなり面倒なことになりそうだ。なんなら、相手にはバックレてほしいまである。
そんな僕の邪な考えを嘲笑うかのように、事件は起きた。つまり、湯川の体調不良である。
滅多に晒されない人波に飛び込んだ湯川は五分ともたずに人酔いした。もともと色白だった肌はみるみる青ざめていき、吐き気や眩暈を訴える始末。その様に僕はドクターストップならぬ幼馴染ストップを出して、湯川を連れて待ち合わせ場所を離れた。
そしてあっちへこっちへと少しでも人が少ない方へと流れていき、今ここにいるわけである。
「はぁ…はぁ…死にそう」
「でぇじょーぶだ、ドラゴンボールで生き返れる」
湯川の妄言に適当に返事をしながら、僕はこの後のことを考えていた。
オフ相手には当然ドタキャンの連絡を入れるとして、帰りはどうしようか。この状態の湯川を連れて駅に突っ込むのは明らかな無理ゲーだ。申し訳ないが、僕か湯川かどちらかの親に迎えに来てもらう必要がある。
そんなわけで救援を呼ぼうとスマホを手に取った僕の耳に着信音が聞こえた。僕のではない。湯川のスマホだ。
「ん…DMだ。【紅茶猫】さんからかな?」
【紅茶猫】というのは今日のオフ相手の名前だ。
「えっと…『到着しました。お姿が見えませんが、どちらにいらっしゃいますか?』だって」
「もう来ちゃったか。なんか断るのが申し訳ないな」
到着したての相手に今日は無理、なんていうのは相当胆力が必要だ。僕にはちょっとできそうにない。
まあ、ネット上でならコミュ力最強の湯川になら難しいことではないだろう。
湯川はそんな僕の予想を裏切るように首を横に振った。
「え? 断らないよ?」
「え?」
「だから断らないって。せっかく来てくれたのにドタキャンなんて悪いじゃん」
「いや、でも湯川、その体調で初対面の人と話せるのか?」
「それは無理」
一顧だにすることなく、湯川は否定の言葉を口にした。
自分のことをよく分かっているのは偉いとは思うけど、少しくらい頑張ろうとする気概を見せてほしかった。
「だから、篠宮が代わりに会ってきて」
「…は?」
僕はその言葉を飲み込むのに少し時間がかかった。そして何とか飲み込んだうえで、やっぱり理解できなかった。
「…いや、意味分からん。どういうこと?」
「私はその辺の喫茶店で休んでるから、篠宮が私の代わりに紅茶猫さんに会って来てってこと。あ、通話は繋いどいてね。私も話だけは参加したいから」
「そんな面倒なことするなら普通に断れば良いだろ」
「だってドタキャンなんて悪いじゃん」
「代行の方がなお悪いわ」
「HAHAHA」
「なにわろてんねん」
僕は溜息を吐いた。このパターンはまた押し切られるやつだ。面倒で面倒で仕方ないが、こんな場所で押し問答する方が面倒だ。何より、約束相手を待たせるのが悪い。
「…はぁ、分かった。代わりに僕が行ってやる」
投げやりというかやけくそな言葉だった。
その言葉を待ってましたと言わんばかりに、湯川はスマホを高速でフリックする。【紅茶猫】さんと少しやり取りした後、僕の方を向いた。
「駅前のロータリーにいるって。山吹色のワンピ着てる人」
「あ、本当に女なんだな」
「分かんないよ? 女装してる男かもしれん」
「だったらもういっそ楽しんでくるわ。土産話に期待してくれ」
「すね毛の処理だけは必ず確認しといて」
「おけ」
そんな最高に馬鹿な話をしながら僕は駅の方向につま先を向けた。湯川は地図アプリを開いて近くのカフェを探している。僕はそれを確認して歩き出した。
来た道を戻るように二、三分歩くと、僕のスマホに電話の着信が鳴った。画面に湯川の名前が表示されているのを確認して、応答ボタンを押す。
「もしもし」
『電話に出る時の言葉はもしもしですが、出ないときの言葉ってなーんだ? 正解は電話に出んわ!』
「切って良いか?」
『ダメ』
さすがに親子。ウザいところがおばさんとよく似ている。
『こっちは手ごろな喫茶店に入れた。篠宮の方は?』
「こっちはまだ会えてないけど、待ち合わせ場所にはそろそろ着く」
『了解』
宣言通りというか、少し歩くと駅前のロータリーに到着した。アリ塚に出入りするアリのような人々をなんとなく眺めて、そんなことしてる場合じゃないと首を振るう。
腕に巻き付けた安物の時計を見ると、約束の時間は随分前に過ぎていた。
連絡したとはいえ申し訳ないので、急いで山吹色を探す。
そしてさして時間もかけず、僕は目的の人を見つけた。
人を探している人、というのは存外見つけやすい。僕が紅茶猫さんを探していたように【紅茶猫】さんも僕を探していたのだろう。きょろきょろと辺りを見回す様は不審で、それ故見つけやすかった。
僕が驚いたのは彼女が本当に女性だったことだ。
別に本気で女装男を想像していたわけではないが、やはり先入観はあった。むしろこの期に及んで人違いを想定しているくらいには信じられていない。
だからというわけではないが、僕は早速彼女に声をかけた。
「あの、すいません」
背後から声をかけた僕に彼女が振り返る。一瞬、長い黒髪がふわりと広がった。
振り返った彼女は僕の顔を見た瞬間、なぜかぎょっとする。僕、そんなに変な顔してるだろうかと思った瞬間、彼女は表情を慌てて元に戻した。
「何でしょう?」
続いて作られた清楚な笑みに、僕は見惚れ…ることはなかった。ワンピースの胸部を強く押し上げて主張する塊と視線が二分されたからである。結果首元あたりに視線が行くことになって、僕は命拾いした。
「えと…あの、【紅茶猫】さんで合ってますかね?」
「はい。私が【紅茶猫】ですけど…あなたが【
「はい。そうです」
「合言葉は?」
「え?」
「ですから、合言葉は? 事前に決めていたはずなのですが…」
「ちょ、ちょっと待ってくださいね!」
僕は慌ててスマホに口を近づけた。
「合言葉って何のこと!?」
『ああ、そういえばそんなの決めたかも』
「そういうのは早く言えや!」
『アイコトバガアルヨッ』
「違う。僕は『早く』言えと言ったのであって『速く』言えなんて言ってない」
いや、そんなことはどうでもいい。
「…それで、その合言葉って?」
『巨乳黒髪ロング年上お姉さん』
「何だその合言葉!? ただの僕の性癖じゃねぇか!」
なぜそんな言葉を合言葉に。というか、なぜ湯川は僕の性癖を知ってるんだ。
そんな文句を今垂れても仕方ないので、僕はそれらの言葉を何とか我慢した。
「あの、合言葉ですよね…」
「あ、大丈夫です。聞こえてました。【i:kis】さんと通話なさってるんですか?」
「まあ、はい。あの…」
これまでの経緯を事細かに伝えようと口を開いた瞬間、僕の視界にきらりと光るものがあった。それは彼女の髪の毛だった。毛先の一部が、ほんのわずかに金色に染まっている。
それに気が付いた瞬間、僕は初見だと思っていた【紅茶猫】さんの顔に既視感を覚えた。
それがどうしても気になってしまい、僕は記憶の海に潜り、検索にかける。
そしてそれは、案外早くヒットした。
「……星川?」
まさかと思いつつも、僕はその名を呟いた。
見れば見るほど、彼女の顔はクラスの中心で輝きを放つ、そして湯川が苦手としているギャルなクラスメイトに酷似していた。
「…ちっ」
清楚な見た目に似合わない、苦々し気な舌打ちが響いた。