一日が終わる。
もちろんこの場合の終わりとは、高校生らしく、七限目の終了のことを示す。或いは、一日の始まりでもいいかもしれない。
日直が覇気のない声で「起立、礼」と号令を掛ける。その途端、教室は一気に騒めき始めた。放課後はどこ行こうとか、何しようとか、青春を謳歌する者たちの歓声が上がる。
それらを背中で聞き、僕は足早に教室を出た。
廊下にも、歓声の残響のようにたむろしている生徒たちがたくさんいる。今の時代、コミュニケーションはスマホでも取れるのだから、さっさと家に帰ればいいのに。そうできない理由でもあるのだろうか。
校門の前に立って、空を見上げて時間を潰す。大きな灰色の雲が、遠くの空に見えた。
「お待たせしました」
「ん」
聞き馴染みのある声がして顔を向けると、忘野が立っていた。
黒髪に怜悧な美貌を持つ忘野はもともと涼やかな少女だったけど、衣替えによって爽やかさに磨きがかかっている。
「いや、全然待ってないよ」
………。
事実を言っているだけなのに、なぜこうも歯の浮くようなセリフになってしまうのか。
「涼太さん、今日はよろしくお願いします」
「デートについてよろしくお願いしたの?」
「はい。デートについてよろしくお願いしました」
「……そっか、斬新だな」
この子のペースがいまだに掴めない。
のっけから不安の残るスタートを切ったデートである。
「ちなみに今日のデートだけど、忘野はどこか行きたいところってあるのか?」
「いえ。子細、涼太さんにお任せします」
「……了解」
まあそんなこったろうと思って、僕も朝からデートプランを練っておいた。
といってもまあ、地元の名前とデートスポットという単語を検索エンジンにぶち込んだだけの、何のオリジナリティもないプランなのだが、そこはもう、ご容赦いただくしかない。
そんなわけで歩き出そうとしたおり、
「おい」
と、背中に声を掛けられた。
一昨日までなら反応できなかったであろうその呼びかけだが、さすがに昨日の今日なので、今回は反応できた。
振り向くと、昨日も絡んできた小柄な後輩が、今日も無駄に尊大な態度で僕を見ていた。
「お、『ED君島』じゃないか。昨日ぶり」
「おまっ……」
僕が何の気なしに挨拶を返すと、君島は顔を真っ赤に染めた。
何だ……なんで照れてんのコイツ。
首を捻る僕の隣では、忘野が「ED……?」と、同じように首を捻っていた。
あっ。
「俺の名前に余計な二文字を付けないでくれるかなぁ!」
「悪い悪い。ただのケアレスミスだって。そんな怒んなよ、ED」
「余計なのは『君島』の方じゃねぇよぉぉぉ!」
「でもお前……EDじゃなくなったらキャラがもの足んねぇぞ?」
「余計な‼ キャラを勝手に付けるなって言ってんだよ‼」
地団太を踏む君島を微笑ましい気持ちで眺めていると、くいくいっと袖を引かれた。
「涼太さん、『ED』って何ですか?」
「ん? ああ、『ED』っていうのは勃起不全症のことでな――」
「『
顔を赤くしたり青くしたりしながら身振り手振りで言い訳する君島をニマニマと眺める。
コイツ生意気だけど、なんか憎めないんだよなぁ。
「っていうか、アンタさぁ。俺、昨日言ったよな? 忘野にちょっかいかけるのやめろって」
「……言ってたっけ?」
「言っ……たろ? あれ? 言ってないっけ?」
「言っ……てないんじゃないかな?」
「そっか。言ってないか。悪い――ってそんなわけあるかぁ‼ 言いましたぁ‼ 間違いなく言いましたぁ‼」
「チッ――誤魔化せなかったか」
「誤魔化せるわけないだろ‼ なんで誤魔化せると思ったの⁉」
「いやぁ……あ、UFO」
「だから騙されねぇって――ていうか雑なんだよ! 騙し方がさぁ! バカでも騙されねぇよ!」
「ま、さすがにね」
くいくいっと、再び袖を引かれる。
「涼太さん、UFOはどこですか?」
「………」
「………」
「えっと……なんだっけ、君島。バカでも騙されないんだっけ?」
「いやいやいや! うん! 騙されることもあるよね⁉ そりゃあね⁉」
元気いいなぁ。
「ほら、君島、あそこ。三階の窓から、宇宙人がこっち見てるぞ」
「だからだまっ……あ、うん。宇宙人ね……どれどれ……あ、ホントだ、三階に――って相庭じゃねぇか‼ 何がしたいの本当に‼ ――って、いねぇ⁉」
ひとりで楽しそうにしている君島を放っておき、僕は忘野の手を取って走り出した。
◆
デートと言えば映画鑑賞――かなぁと僕は思って、忘野と共に映画館へ。
そこで今話題だというアクション映画を見たのだが、
「まさかベッドシーンがあるとは……」
選択した映画にベッドシーンがあり、気まずい感じになってしまった。
リビングで家族と海外ドラマを見ているときにたまに訪れるあれである。現象に名前が付いていてもおかしくないあの現象だ。
「あのシーン……ピーターとリタはベッドの上で何をしていたんでしょうね?」
幸いなのは、忘野がベッドシーンを理解していないところだろう――幸いか、これ?
「……夜の大運動会じゃないかな?」
「運動会ですか?」
「そうそう」
「楽しそうですね」
「……そだねー」
まあ、今日の教訓は、デートで映画を見る時は事前に下調べしておいた方がいいってことかな。
「涼太さん、次はどこに行くんですか?」
「えっと、この辺のはずなんだけど……」
スマホで地図アプリを確認しながら進むと、
「ああ、あそこだな」
道路を挟んで向かい側に、レンガ造りのカフェが建っていた。
それも、ただのカフェではなく――
「猫カフェ……?」
「忘野ってなんか猫っぽいなって――猫は大丈夫か?」
「はい……大好きです」
普段はあまり表情を動かさない忘野が目を輝かせていた。
それだけで、この店を選んでよかったと思えた。
「……おぉ」
店に入ると、早速たくさんの猫たちに出迎えられた。
人によく馴れているのだろう、座布団の席に着くと、エサもないのに猫たちが寄ってきてくれる。
「……可愛い」
優しい表情を浮かべた忘野が猫を愛で始めた。
慣れないような、しかし柔らかな手つきで、猫の毛並みを梳いていく。
そんな様を眺めていると、一匹の猫が僕の膝に飛び乗ってきて、甘えるように頬をすりすりしてきた。
「む……」
「ふっ……どうだ忘野、羨ましいだろ? 僕、昔から猫に好かれる体質なんだよな」
その代わりみたいに、犬からは蛇蝎の如く嫌われるのだが。
僕は犬も大好きなんだけどね……。
ちなみに湯川は、僕とは全くの逆で、犬に好かれて猫に嫌われる体質だ。
今日猫カフェに来たのも、普段は来れないからだったりする。
「はい、羨ましいです」
「忘野もあれだったら、猫用のおもちゃ借りてくれば良いんじゃないか?」
「いえ……そうではなくて」
と、ひと言挟んで、
「猫が羨ましいなと」
「………」
「どうしたら私も、猫みたいに涼太さんから好かれることができるでしょうか?」
「――さあね」
惚れてまうやろぉぉぉ‼
やめてよ、偽の恋人なんだから。好きになっちゃうじゃん――いや待てよ、別に好きになっても構わないのか? 偽の恋人から本物の恋人にスライドチェンジすればいいだけなのでは? なんとっ⁉ 僕の正ヒロインは忘野だったのか……。じゃあ、このままゴールインして、勝った、第三部完ってことで……。
いやいやいや。
あぶねぇあぶねぇ。
うっかり惚れるところだったぜ。僕、どんだけチョロインなんだよ。
店員さんも「あらあらまあまあ」みたいな目で僕らのことを見ている。
こっちが「あらあらまあまあ」だよ全く……。
それから注文したケーキに舌鼓を打ち、思い思いに猫を愛で、愛らしい姿を撮影して、猫カフェを心ゆくまで堪能した。
そうして店を出る少し前。
僕が猫の顎の下を撫でて可愛がっていると、忘野がじっとこちらを見詰めていて――
「忘野?」
「あ、いえ……猫が好きでよかったと思って」
そんなことを口にして、忘野は薄く笑った。
まるで、好きな人と気持ちを共有できることを喜ぶかのように。
マジか。