僕の恋路は壁が多い   作:銀楠

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正しいことを言う奴っていうのは、大抵ウザい

 

 

 ――ピーンポーンパーンポーン――

 

『二年一組、篠宮涼太。至急生徒指導室に来なさい』

 

 ――ピーンポーンパーンポーン――

 

 

 そんな校内放送が下校直前に入ったので、僕は気の進まないままに生徒指導室に向かっていた。時刻は十二時ちょっと過ぎ、お腹が減って来る頃合いだ。

 

 うちの高校は土曜日も月の半分くらいは、暗黙の了解で全員参加する特別授業なるものがある。『特別』なんて気取ってはいるが、その実態は、午前中で終わる普通の授業だ。内容としては平日では消化しきれないカリキュラムを熟している感じ。

 国の定めた余裕のある教育方針と、机上の計算では如何ともしがたい実社会のはざまでは、時折こういうことが起こるらしい。

 

 しかしまあ、土曜日まで授業をさせられる先生も不憫だな、なんて生意気にもすかしたことを考えていた僕だったが、まさかその僕が、土曜日にまで生徒指導の先生の手を煩わせることになるとは……。

 一体何事だろうか。

 全く心当たりがない。

 僕ほど品行方正な生徒もそうはいないだろう。

 ……嘘だ。

 本当は心当たりしかない。

 心当たりしかないから、逆にどれが原因で呼びつけられたのか判断が付かない。

 

 そんな風にあれこれ考えながら歩き、生徒指導室に辿り着いた僕は、教室のドアを三回ノックし、

 

「二の一の篠宮です。失礼しまーす」

 

 そんな風に適当極まる挨拶をかましながらドアを開けた。

 

「いらっしゃい。待ちくたびれたよ、篠宮後輩」

 

 そしてそんな僕を迎え入れたのは、銀髪碧眼の三年生だった。

 まるで王座に座る王様かのように、パイプ椅子に泰然と腰掛けて、紅茶なんか呷っている。

 

 銀髪で。

 碧眼。

 北欧風の顔立ち。

 そして、毛先に入った、特徴的な青メッシュ。

 

「忘野……生徒会長……ですよね?」

「ん? ……ああ、そうだよ。はははっ――いや、ごめん。学校で名前を確認されたことなんてないから、ちょっと反応が遅れちゃったよ」

 

 などというちょっとした知名度自慢も、彼女が言うと嫌味にならない。

 嫌味にならないというか、事実なだけだ。

 

「えっとあの……忘野生徒会長が僕を呼んだってことでいいんですか?」

「そうだけど? それ以外の可能性があるのかい?」

「いや、まあ、普通生徒指導室に呼ばれたら、生徒指導の先生に呼ばれたと思うんじゃないですかね?」

「ああ……そうだね。生徒会室には他の役員もいるから、密談には使えないと思って、先生に頼んでこの部屋を借りたんだ。なんでわざわざ生徒指導室なのかは……まあ、あとでわかるよ」

 

 そんな含みを、緊張感のない声で残す忘野生徒会長。

 

「あの、忘野生徒会長――」

「その『忘野生徒会長』って呼び方、長ったらしいから変えなよ。生徒会ももうすぐ解散だしね」

「じゃあ、忘野先輩――僕は今日、どうして呼ばれたんでしょうか?」

 

 と、僕は単刀直入に訊いた。

 

「用件ね……うん、もちろん大切な話があるからなんだよ。いや、私としても、こんなことは言いづらいことこの上ないんだが……」

 

 忘野先輩はそうやって話にクッションを設けて、しかし、さしたる緊張感もない声で、

 

「私の妹と別れてくれないかな?」

 

 と、宣った。

 

 

 妹、というのはこの場合もちろん、僕の後輩であり、かつ偽の恋人であるところの忘野雪姫のことを指すのだろう。

 僕と彼女の恋人関係は学校内ではすでによく馴染んだものであり、そして不釣り合いだのなんだのという話は、さして交友関係の広くない僕の耳にも届いている話ではある。

 しかし。

 まさか恋人(偽)の実の姉からそんなことを面と向かって言われるとは思っていなかった。

 

「別れろっていうのは……」

「ああ、言葉が足りなかったね。失敬失敬。付き合ってるフリ(・・・・・・・・)を辞めてほしいっていう意味だ。というか、そんな面倒なこと、もうしなくていいよっていう、私なりの気遣いなんだけど」

「……何故――」

「何故、フリだってわかるのか? そんなの、私があの子の姉だからに決まってるだろう。あの子が本当に異性を好きになるわけがない。だって、そこまで成熟してないんだから。姉として恥ずかしくもあり、誇らしくもあることに、あの子はどこまでも無垢なんだよ――ほら、幼い子供みたいに」

「………」

「何故、付き合ってるフリを辞めてほしいのか――という意味なら、今言った通り、篠宮後輩を気遣ってのことさ。いい感じの女の子がいるんだろ? それなのに妹が迷惑をかけてるみたいだね。それについては、姉の私から謝罪させてもらうよ。不肖の妹が申し訳ない」

「………」

 

 ああ。

 なるほど。

 そうだったんだ。

 

 僕はどこか、忘野の姉は――つまり忘野先輩は、不出来な妹のことを実は溺愛しているんじゃないかって、そんな、どこかご都合主義的なことを、どこまでもご都合主義なことを考えていたけど、そんなことは一切なかった。

 口調でわかる。

 忘野先輩は妹のことをどこか下に見ている。見下していて、見下げ果ている。

 事実は小説より奇なりっていうけれど、現実はどこまでも現実だ。非情なまでに非情だ。

 姉妹は、姉妹でしかない。

 

 忘野先輩は何もおかしなことは言ってない。

 彼女は至って普通だ。

 世に憚る大抵の『姉』ってものは、きっとそんなもんなんだろう。

 彼女が特別、嫌な奴ってわけではない。

 

 ――でも。

 先輩とはいえ、その余裕ぶった表情は僕の癪に障った。

 

「――フリじゃないですよ」

「ん?」

「僕と忘野はフリじゃなくて本当に付き合ってるんです。ラブラブですよ。ちゅちゅちゅのちゅです」

「ちゅちゅちゅのちゅ? ――ふ~ん……あくまでも本当に付き合ってるって主張するんだ?」

「はい」

「でも、いま篠宮後輩はあの子のことを『忘野』って呼んだよね――あの子は、彼氏とは名前で呼び合うほど仲良しだって言ってたけど?」

 

 あの野郎。

 

「……先輩の手前、ちょっと恥ずかしかっただけですよ。いつもは雪姫って呼んでます」

「そんな噂は私の耳には入ってないけどね」

「噂?」

「うん。生徒会長なんて務めてるからね、校内の流行には目聡く……耳聡くか。とにかく、情報は可能な限り集めるようにしてる――もちろん君についてもよく知ってるよ、篠宮後輩」

「僕について?」

「ああ。中学時代は、かなり快活な性格だったそうじゃないか――今とはだいぶ違って」

 

 そう言って忘野先輩は、厭らしく目を細めた。

 

「所属していたバスケ部ではPG(ポイントガード)なんて務めていて、次期キャプテンとまで呼ばれていたそうじゃないか」

「そんなこともありましたね」

「でも、クラスの女子の間で起こっていたイジメに首を突っ込んで、見事に干された――だんだん人間関係の輪から弾かれていったらしいね。最初は女子から。でも、その空気は伝染して、最終的にはクラス中から――君は半月もかけずに孤立した」

「あったなあ、そんなことも」

「普通ならそのまま陰湿なイジメにシフトしていくのが鉄板だけど……いや、本当に、中学時代の君はヤンチャだったみたいだね。クラスメイトの陰湿な嫌がらせに君は真っ向から反抗して、最後は暴力沙汰。ひとりを病院送りにしたとか」

「実は喧嘩も強いんですよ、僕」

「そのせいで熱を上げていた部活は自主退部。ここより偏差値がかなり高い高校に進学が決まってたのに、二次募集でわざわざうちを受けてきたとか」

「………」

 

 そんなこともあった。

 バスケも、そういえばしてた。たしかに熱を上げていた。

 その頃すでにゲーマーとして名を挙げつつあった湯川に、僕は変な対抗心を燃やしていて、無名だった中学を全国に連れていくんだと――僕はそう、本気で思っていた。

 

 喧嘩もした。

 妙なちょっかいを掛けてくるクラスメイトに気が立って、勢いよく殴ったら、相手の頬骨が折れちゃって、大騒動になったのだ。僕もその反動で中指が折れて病院に行くことになったが、まあ、自業自得なので騒がれなかった。

 相手の家に行って、下げたくもない頭を下げたのは、忘れたくても忘れられない苦い思い出だ。

 相手の方も、高校進学を前にして陰湿な嫌がらせをしていたなんてことを明るみにしたくなかったのか、話はかなり簡単に纏まった。

 くだらなすぎてくだらない、僕の黒歴史である。

 

 ちなみに。

 今の話に出てきた、クラスの女子の間でいじめられていた奴というのが、湯川のことである。

 当時、中学生らしく中学生していた僕によって一方的に切られていた縁は、その件を境に復活した。

 二次募集で今の高校を選んだのも、湯川の進学先だったからだ。

 

「………」

 

 後悔はしていない。

 もし後悔があるとすれば、それは一瞬でも湯川に手を差し伸べるか悩んだ、自分の不甲斐なさである。

 ――だけど。

 今の僕なら、もっと上手くやれてたかもしれないとは、時々思う。

 それも、後悔と呼ぶのだろうか?

 

「篠宮後輩も、昔はヤンチャしてたんだね。ギラギラしてたわけだ――『男の子は狼』なんて言葉があるけど、君もそうだったんだね。でも、今の君はどちらかと言うと、牙を抜かれ、爪を剥がれた……犬みたいだ」

「いいじゃないですか。犬、嫌いですか?」

「大好きだよ――でも、犬が好きなのは、従順だからさ」

「………」

「妹と別れてほしい。私の用件はそれだけだ。目に入れても痛くはない妹だけど……君との上っ面の恋人関係を自慢げに語るあの子は、さすがに痛々しいからね」

 

 酷い言い草である。

 でも、言い負かせない。

 それは僕が論破が苦手なのとは関係なく、忘野先輩が正論を言っているからである。

 

 嘘を吐くのはやめなさい――と、冷静に諭されているのだ。

 

 分が悪いなんてもんじゃない。

 ここは一度、適当に煙に巻こう。

 

「僕は――」

「もし君が断るなら」

 

 機先を制された。

 僕の言葉など聞く価値もないとばかりに。

 

「私も子供だから、篠宮後輩にちょっとした嫌がらせをしてしまうかもしれない。君の中学時代のクラスメイトが、君にそうしたように――例えば、知り合いに君のことを喋っちゃうかも。そうなると、土曜授業の日に生徒指導室に呼び出されたって事実も、悪い方に働いちゃうかもね。真実は先生じゃなくて生徒会長に私用で呼ばれたんだけども……ほら、噂っていうのは誰にもコントロールできないから」

「………」

「事情が事情とはいえ、君が同級生に暴力を振るったのは紛れもない事実だ。頬の骨を折るなんて、相当凶悪だろう――現代の子供っていうのは、とにかく暴力を忌み嫌うように躾けられているからね。噂が蔓延したら、君がどんな扱いを受けるかは、私にも想像できない」

「………」

「誰からも変な目で見られ、笑われ、馬鹿にされ、蔑まれ、疎まれ――孤立する。篠宮後輩が中学時代に経験したように。その頃のことは忘れてないだろう? ――恥ずかしい――そう思っていたはずだ」

「………」

「羞恥心っていうのは、どこまでも人を歪ませるよね。クラスで浮いてから卒業までのたった数か月間で、熱血スポーツ少年だった君が今みたいな擦れた――擦り切れた人間になってしまうくらいに。そんな思いをしたくないんだったら――」

「かかって来いよ」

 

 割り込むように言った。

 やり返すように言った。

 言っちゃった。

 そして、言ってやった。

 

「……は?」

「僕のことを晒し上げたいなら、そうすればいい。クラスメイトに指差されたって、学校中から罵られたって、僕は気にしない」

 

 中学の件からもう一年以上経っている。

 当時のことを何度も振り返った僕は、既にひとつの知見を得ていた。

 

「僕には湯川っていう幼馴染がいる。この学校の入試をパスできたことが信じられないくらいのバカだけど、噂なんかに流されるほど愚かじゃない」

 

 アイツほど我の強い奴はいない。

 それは頑固で面倒でもあるけれど、自分の目を何よりも信じているということでもある。

 

「僕には星川っていう友達がいる。めちゃめちゃチャラチャラした今風のギャルだけど、僕のことを根気強く信じてくれる」

 

 アイツほど強い奴はいない。

 心が少しでも弱いとできない、他人を信じるということを、平気でやってのけるイケメンギャルだ。

 

「あと……まあ、うん。千種もいる……かな。アイツはほら……好感度もともとゼロだから。ない袖は振れないっていうか……」

 

 くそっ。

 千種を最後に持ってきたせいでキマらなかった……。せっかく珍しくもカッコつけてたのに。

 

「とにかく、僕には学校中から総すかん食らっても一緒に馬鹿やれる奴が三人もいる――だから、今の僕は全校生徒から後ろ指差されてもまったく恥ずかしくない。アンタが僕のことを噂したいなら、好きにすればいい……です」

「………」

 

 言っちゃった。

 でも、後悔はない。

 今度こそ後悔はない。微塵もない。

 僕は一瞬も迷わなかった。躊躇わなかった。

 僕は少しも不甲斐なくない。

 だから一切、恥ずかしくない。

 

「ふ~ん」

 

 割とあっけない返事だった。

 その紺碧の瞳が僕を射竦める。

 その視線からは、なんだか、彼女が初めて僕という存在を認めたかのような、そんな印象を受けた。

 

「なるほど、私が間違っていた。私の認識不足だった。私が見誤っていた……というか、見るのを忘れていた。ど忘れしてた」

 

 忘野だけに――と、彼女は唐突に身も凍るようなギャグを披露した。

 

「前言は撤回するよ、篠宮後輩。偽物でも本物でもどっちでもいいけど、あの子に付き合っていて欲しい」

「あの子『に』じゃなくて、あの子『と』でしょ……」

「あっはっはっ。そうだね。そういうことにしておかないとね。失敬失敬」

「はあ……なんで唐突に掌返しなんてしたんですか?」

「それはもちろん、君が思ったよりも面白い人間だったからさ。面白い人間とは、繋がりを持っておきたい。別に妹の彼氏としてじゃなくてもいいんだけど……そうだ」

 

 忘野先輩は、不意に思いついたみたいに言った。

 不意打ちみたいに言った。

 

「いっそのこと――」

「いっそのこと?」

「私の彼氏になっちゃう?」

 

 なんちゃって――と、最後に付けられたら納得してしまいそうなセリフだったけど、そんなことはなかった。

 

「そんな扱いに困る冗談は言わないでください」

「冗談じゃないかもよ?」

「じゃあなおさら遠慮してください。渋滞気味なんで」

「あっはっはっ。お気に入りの後輩が青春を謳歌しているみたいで嬉しいよ」

 

 いつの間にか、お気に入りの後輩にされていた。

 いやそれも、冗談かもしれないが。

 

 

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