スプラッシュランドの目玉といえば、何といってもスリル満点のアトラクションだ。
丘の上の雄大なパノラマを背景に、縦横無尽に中空を駆け巡るコースターのレールは、仰ぎ見るだけで肝が冷える。
「ところで星川ってさ、怖いものとか大丈夫な人だっけ?」
「あたしはへーき――篠宮は?」
「ぼぼぼ、僕も平気だよ。あああ、当り前じゃないか」
「……もしかして高いのダメとか?」
「それはまず何をもって高いとするかの議論から始める必要があると思うね。マリアナ海溝に比べたら普段僕が生活している場所だってエベレストよりも高いわけで、そういう観点でいくと僕は全くこれっぽっちも高所恐怖症じゃないという結論に至るわけなんだよ」
「はいはい。高いのダメなのね……」
厳密に言うと、高いのは別にダメじゃない。僕がダメなのは、絶叫系だ。高さと速さがダメなわけで……そもそも、ああいうアトラクションは人を怖がらせる為に設計されているわけで、それを怖がることは逆に普通なはずだ。なに恥じることはない。
そんな言い訳をしても格好はつかないので、僕は反論はしなかった。
それにまあ、コンセプト勝ちしている遊園地だから、大概何に乗っても楽しめるわけだ。
例えばゴーカート。
なぜかびしょ濡れのコースの上を、スリップしながらタイムを競うアトラクション。高得点を狙うには精密なドライビングテクニックが要求されるので、これが意外と面白い。中学生の頃にやり込んだので、実はこのアトラクションにはちょっとだけ自信がある。
今回、先にスタートするのは僕の方だ。星川に良いところ見せてやろう……、
「えいっ、くらえー!」
と思ったら、一瞬でクラッシュした。
「あのね星川さん、申し訳ないんだけどね、これ、人に追突して遊ぶゲームじゃないんだよね」
「あたしレースゲーム嫌いなんだよね。やっぱり、格闘ゲームの方が滾るっていうか」
「ゴーカートで滾らないでくれるかなぁ!」
「聞こえなーい」
僕の車体にバンパーをぶつけながら、後続車の星川は大はしゃぎ。僕の恋人が煽り運転に目覚めてしまった件について――これで一本ラノベを書こうと思う。
どうやらこの世には、ハンドルを握ると人格が豹変するタイプの人間がいるらしい。将来何があっても、病める時も健やかなる時も、彼女を運転席に座らせないことを誓います。
ゴーカート衝突ゲームを何とか、命からがら一周すると、星川がやけに楽しそうな顔でもう一周乗りたいと言うので、次は二人乗りの安心安全安泰ゴーカートを選ぶ。
魂の説得で運転席の権利を何とか奪取すると、
「あそこに突撃! スプラッシュ神風アタック!」
「お前はカレシに自滅特攻を勧めるのか⁉」
星川が助手席から、手と足とちょっかいを出してくる。将来何があっても、病める時も健やかなる時も、彼女を助手席にも座らせないことを誓います。
「すっごい楽しかった。あたし、早く車の免許取りたいな」
「そうだね。日本の自動車学校の適性検査が正常に働いてくれることを切に願うよね」
「うん……うん?」
そんなこんなでゴーカートを三周ほどして、僕らはいい加減ちびっこに紛れて遊ぶのが気まずくなったので、近くのベンチで小休止。
「めっちゃ濡れたね」
「それな―」
なんの面白みもない掛け合い。それが何とも楽しい。今僕、人生の中で最高に輝いてるかもしれない。
ふと、隣に目を向ける。星川は湿った髪を絞っていた。水の滴る髪、張り付いた服、濡れそぼった唇。
カッ――と、体が熱くなる。
そういえば、僕らは付き合い始める前にフライング的なキスをしてしまったけれど、逆に、正式にお付き合いを始めてからはキスはしていない。いやまあ、付き合いたてだから、そりゃそうなのだが……。
――ここの観覧車、カーテンついてるんだっけ……。
ふと思った。
悩める僕の頭の中に悪魔が出てきて「観覧車まで待たずにここでササッと唇を奪っちまえよ」と声高に主張する。「そんなことをしてはいけません」と窘めるのはもちろん僕の天使。「男なら男らしく、舌まで入れてねっぷりとキスなさい」
……。
僕もまさか、僕の本性がこんなにクレイジーだとは思わなかった。「きーす、きーす」と声を揃えてやかましい天使と悪魔に青筋を立てつつ、理性を総動員して現状維持。
「ん?」
そんな僕の視界の中で、星川は可愛らしく小首を傾げる。やだ、僕の彼女、可愛すぎ……。「ちゅーう、ちゅーう」と声を揃えた合唱に、僕の理性も加わった。
かくして誰も僕を止める者がいなくなり、ええいままよと身体を起こしたその矢先。
「……っ⁉」
脊髄に氷の針を刺されたように、全身が総毛立った。
ひょっこりと。
視界の端っこで。
青いメッシュの髪がひと房。
見えてしまった、ような……。
「そんな馬鹿な……」
「……何? どうしたの?」
首を傾げる星川の背中側。
ベンチと売店の並ぶ大通りに、お馬鹿な友人を連れて、いるはずのない女の子がひとり。なんということでしょう、黒い髪のひと房だけを青く染めた髪をしとどぐっしょりと濡らして、とことこ無表情で歩いているではありませんか。
「……すぅ」
僕はそっと目を閉じた。
これは夢だ。
『うつし世はゆめ 夜の夢こそまこと』
江戸川乱歩先生も言ってたではないか。これは現実、つまり夢。夢ってことはつまり現実で、現実ってことはつまり夢ってことだ――どういうこと?
……何でもいいけど、次目を開けたらすべてがハッピーみたいな。
たっぷり十数えて瞼を上げると、
「――涼太さん、こんなところで奇遇ですね」
すぐ目の前にこんにちは雪姫、さよならハッピーエンド。
おのれ江戸川乱歩め。あんなエログロ好きの変態の言葉なんて信じるんじゃなかった。
雪姫はシックなベストとブラウス、下はクールなショートパンツで綺麗な脚を惜しげもなく晒している。
ちなみに傍らの相庭は、英字の書かれた白いTシャツに地味目なブラウンのキュロット、腰には淡い水色のパーカーを巻いていた。毎日違う髪型は、今日はサイドテール――なんでお前はいつもちょっとお洒落なんだよ。
「おやおや、リョータ先輩とギャル先輩はデートですか。お盛んですね」
「お盛んなことはまだしてねぇよ」
「『まだ』してないということはこれからするということでしょうか」
「死ね」
コイツと会話するのは疲れるので、適当に切り上げる。
雪姫に目を向けると、その深海よりも静謐を知る黒瞳は僕を真っ直ぐと見上げていて、
「星川……先輩……」
「忘野さん、偶然だね」
「……おふたりでいらっしゃったんですか? 待ち合わせして」
「まあ、一応」
「……たっぷり楽しんだんですね、あんなことやこんなことを」
「え、まあ、いちおう……」
「そうですか。そうですか……」
僕の腕にばっちり絡まる星川(いつの間にか腕を組まれていた)と視線を合わせて、氷漬けにでもされてしまったかのように、忘野さんちのスノービューティーはいつまでもそこに立ち尽くしているのでした。
……そういえば。
神に祈った『全てのカップルに破局を』ってお願いのキャンセルのキャンセルのキャンセル、してなかったな。