相庭の爆弾発言が投下されて数分後、僕らは気まずい空気の中で昼食を取っていた。
――わかっている。相庭のさっきのアレは別に恋愛的なアレじゃない。先輩として、みたいなアレなのだろう。
しかし、わかってはいても、真っ直ぐと『好き』と言われると、胸に迫るものがあるのは事実だった。
思えば。
僕は星川にだって『好き』とは言われていない。
相庭ごときの『好き』にだってどぎまぎしてしまうのは、仕方のないことなのだ。
しかし、そんな心情を相庭が理解してくれるわけもなく、
「おや、リョータ先輩、頬にご飯粒が付いていますよ」
相庭はスパゲッティを嚥下してから、自分の頬っぺたを触っていた。
言われるまま、右の頬に手をやる。しかし、ご飯粒の感触はなかった。
「違います違います、こっちですよ、リョータ先輩」
と、隣に腰掛ける相庭が手を伸ばしてくる。
「えい」
一瞬だけ相庭の指が頬に触れた。
取れたご飯粒を相庭は躊躇いもなくぺろりと食べてしまう。
「あ、あのだね、相庭君」
「どうしました、リョータ先輩くん」
相庭は首をこてんと倒した。サイドテールに結った髪の隙間に、綺麗な首筋がちらりと覗く。
僕は巨乳派、僕は巨乳派……決して、
なにやら、星川と雪姫の視線が痛い。機嫌を損ねてしまったらしく、不満そうにじっと僕のことを睨んでいるのが視界の端に映っていた。
「僕には彼女がいるわけで、一応お前も生物学上は女に分類されるわけなんだから、不用不急の接触は控えてくれるかな?」
お洒落しているからだろうか。さっき『好き』って言われたからだろうか。無暗にドキドキしてしまった。意外と美人だということは知ってはいたが、今まで意識したことはなかった。見れば、唇などプルプルである。決して、スパゲッティの油ではない。肌もやけにきめ細かくて滑らかだ。
「あれ? もしかして相庭、化粧してる?」
「やっと気づきましたか。実は先日の図書館でも、メイクしてたのですがね。どうです、可愛いでしょう?」
「ああ、
「おやおや、もう孫の話をするとは……どれだけせっかちなんですかね、このオスは。千里の道も一歩から。孫を作るにはまず子供から。帰りにラブホでも寄りますか?」
「死ね」
『ラブホ』という単語に、雪姫が肩を跳ねさせて反応する。
「ど、どうした?」
「……何でもありません」
何でもありそうな反応をする雪姫。赤みがかった顔を見ると、追及する気も失せたので黙っていると、
「ところで、涼太さん」
と、雪姫が露骨に話を変えてきた。
「ん?」
「顔に鼻が付いてますよ」
「そりゃ付いてるだろ。なかったら僕は例のあの人だ」
「取ってあげます」
「僕の鼻は取ったり付けたりできないんだよ! 僕は福笑いか!」
「……では、目玉を」
「グロすぎるだろ。どんな妖怪だ、お前は!」
「仕方ありませんね……では、眉毛を取ってあげます」
「仕方なくねぇよ。なにも仕方なくねぇよ。僕をやーさんにしたいのかお前は」
「では口を取ります」
「取れねぇって」
「じゃあ、唇を奪います」
「それもう別の意味になっちゃってるから」
おそらく、先ほど相庭がしたようなことをしたいらしい。なにがどう間違えば「ご飯粒取ってあげる」が「唇を奪います」に悪魔変形してしまうのかは永遠の謎だが、カノジョの前で唇を奪うとか宣言しないで欲しい。
「ユキちゃんとリョータ先輩は仲良しですね」
相庭がニコニコしながら余計なことを言う。
やめて、カノジョの前で別の女のこと仲良くしてるとか言わないで。星川さんも机の下でゲシゲシ蹴らないで、めっちゃ痛いから。
「これでリョータ先輩の願いの成就に、また一歩近づきましたね」
「僕の願い? なんだっけそれ?」
「おやおや、なにを照れてるんですか。球技大会の日に、わたしに願いを託したでありませんか」
「球技大会? ……ごめん、あの日はちょっと色々ありすぎて、全然覚えてないや。僕、お前になにかお願いしたっけ?」
「しましたとも。ハーレムの構築をね」
そういえばそんな話をしたな――とか思うよりも先に、僕の左右の脛に激痛が走った。右は星川、左は雪姫に蹴られたのである。声も出ないくらいに痛かった。
「その願いを叶えるためにも、こうしてわたし自身がハーレムメンバーに加わることで、リョータ先輩の欲望を実現しようとしているのです」
ゲシゲシバキバキドギャベキぎゃあぁ――と机の下で、元カノと今カノによって繰り広げられる、一糸乱れぬ足技のオンパレード。そろそろ本気で脚の骨が逝きかねない。
仕方がないので、篠宮式
――いい加減黙らないと、こっちも実力行使に出るぞ
相庭からも同じ方式で返信が返ってくる。
――実力行使とは「唇を塞ぐぞ」という意味ですか?
――しばくぞ
――そこに愛があるなら♡
「OK Google――後輩 殺し方」
三割くらい冗談で(つまり七割本気で)音声検索したら、結構ガチで殺し方に関しての検索結果が表示されて、僕はインターネット社会の闇を実感した。
ほうほうなるほど、やっぱり証拠隠滅には車の免許がないとダメか。後一年は我慢だな。
ふたりに足をシバかれながら、僕はそんなことを思った。
◆
「――ていうことがあったんだよ」
後日、我が家に遊びに来た湯川に地獄の遊園地デートの結末を話したら、湯川は手元のカードを睨みながら、こちらには一瞥もくれずに、
「なにそれ、モテる自慢?」
と、冷たく言い放った。
「いや、ともすればそういう風に聞こえてしまうのは僕も覚悟の上だったし、ぶっちゃけそう言う側面がないとは言えないんだけど、僕は真剣に悩んでるんだよ」
「ふ~ん」
湯川は興味なさそうに相槌を打ちながら、二枚のカードを切る。そして、山から捨てた分だけカードを補充した。
「それなら、ちゃんと後輩たちに迷惑だって言えばいいじゃん――スタンド」
「いや、相庭はともかく、雪姫には……ちょっとな――ほい、フルハウス」
「スリーカード……ちっ」
ポーカーで負けた湯川はカードをばら撒いて大の字に寝転がった。
「さて、湯川。勝負のルールは憶えてるな?」
「わかってる。負けた方は勝った方の質問に何でも正直に答えるんでしょ?」
「そうだ」
そういうルールだった。
湯川は基本、ゲームと呼べるものなら何でも好む。そういう湯川の性格を突いての、今回の勝負だった。テレビゲームじゃ逆立ちしたって勝てないので、こうしてカードで勝負したのだ。
僕にはどうしても、湯川に訊きたいことがあった。
まどろっこしい駆け引きは僕も湯川も嫌うところなので、僕はいきなり本題に入る。
「夏休みに入ってから、僕の予定の一切を忘野先輩に漏らしてるのは、お前だな?」
「………」
そうとしか考えられない。
だって、僕の予定を知っているのは、僕と星川――そして、湯川しかいないからだ。忘野先輩と湯川がどこで接点を持ったのかはわからないが、思い返してみると、夏休み序旬に図書館で集まった時、忘野先輩が湯川に勉強を教えているシーンがあった。あれは、今にして思えば、奇妙な光景だ。人見知りの極致にある湯川が、初対面であるはずの忘野先輩から勉強を教わっていたのはおかしい。逆説的に推理すると、忘野先輩と湯川は夏休みに入る前から接点があったことになる。
僕のある程度確信を持った問いに、湯川は天井を見上げたまま、つまり僕と目を合わせないまま、
「それが正直に答える質問?」
と、気怠げに訊いてきた。
「…………いいや」
少し考えてから、僕は答える。あるいは、問う。
「なんでそんなことをしたんだ? ――これが、正直に答えてほしい質問だ」
「……………」
何も答えない。
ただ茫洋とした瞳を、天井に向けている。
そのまましばらく押し黙った後、
「……わからない」
呟くように答えた。
「……わからない。私も、自分が何を思っているのかがわからない」
その瞳は、小さく動揺に揺れていた。
「そっか」
嘘は吐いていない。長い付き合いだからわかる。
本当に自分の心がわかっていないのだ。
だから、戸惑っている。動揺している。
「そっか……」
繰り返した。
納得するしかない。
僕はそれ以上、なにも問わなかった。
それは、短期的に見れば正しかったのかもしれないし、長期的に見れば間違っていたのかもしれないし、結果的には、やっぱり正しかったのかもしれない。
なんにしても。
僕らの歪みはこうして始まった。