「なんでいきなり黒髪に?」
当然の疑問を、当然のように口にする。
普段の僕だったら、安易に女子の容姿に触れたりはしないのだが、さすがに変化が大きすぎて、触れない方がおかしいので触れた。
「まあ……なんとなく? どう? 似合ってる?」
星川がその場でくるりと回って見せる。
黒くなった長髪が、艶やかに広がった。
「なんかエロい」
殴打された。普通に痛かった。
「アンタが黒髪が好きだって言うから黒にしたの」
いー、と歯を見せて照れ隠しする星川に、しかし僕は、何も言い返すことができなかった。有体に言って、照れてしまったから。
◆
人の流れに乗って歩くことおよそ十分。道の両脇に屋台の明かりが見え始めた。
焼きそば、たこ焼き、綿あめなどの定番商品を売っている店から、ヨーヨー釣り、いかめし、射的、さらにはよくわからない景品をぶら下げている型抜き屋まで、程度の差こそあれど、どれも一様に繁盛している。
「おぉ……」
星川が目を開き、感嘆の吐息を洩らす。
「賑わってるね」
「ああ……賑わってるな」
僕は曖昧に同意した。
湯川は人混みが苦手なため、夏祭りに出向くことはない。僕は中学生の頃は友達と来た覚えがあるが、それは大人数で来たため、騒がしさを感じる側ではなく、むしろ騒ぐ側の人間だった。
人酔い、というのをほとんどしない僕だけれど、しかし、この喧騒には気圧されてしまう程度にはインドアな僕である。一瞬怯んで足を止めた僕を、星川の手が取った。
「花火までまだ時間あるし、ちょっと見て回ろうよ」
「あ、ああ……そうだな。こういうのも花火大会の醍醐味だしな。なんか欲しいものあったら言ってくれ。奢るから」
「うーん……」
星川はぐるりと、きらきらした眼差しを周囲に向けた。
「あ、りんご飴あるじゃん。あたし、あれ食べたい」
ということで、僕はりんご飴を買った。
僕も同じものを買おうかと思ったが、なんと、一個五百円である。驚異の価格だ。もちろん、悪い意味で。なんでりんごに飴塗っただけでそんな値段になるんだよと思わずにはいられなかったので、自分の分は買わなかった。
「……と、もうこんな時間か。そろそろ行かないと花火を見逃がしちまうかもな。せっかくなら、一発目から見たいし」
りんご飴の屋台に予想以上に並んでいたらしい。僕が慌てたように言ったその言葉に、星川は首を傾げる。
「まだ早くない?」
「せっかくなら穴場で見たいだろ。ちょっと遠いんだよ」
「ふ~ん」
星川を連れだって人波を逆走する。
十分も歩くと人並みは疎らになり、そこから五分も歩くと完全に住宅街になった。
「ねえ、どこ行くの?」
星川が不安そうな声で訊いてくる。
「公園」
別に隠すことでもないので、僕は端的に答えた。
「公園?」
「ああ、公園。夜は子供もいないから、結構静かだよ」
「そうかもしれないけど……花火見れなくない?」
「いや、ギリ見える場所がある」
程なくして目的の公園に辿り着くと、遠くから花火の炸裂音が聞こえてきた。それと、幽かに大気を揺らすような振動。東の空に、仄かに光が灯って見えた。
「間に合わなかったか……」
まあ、一、二発見逃した程度である。
星川の方を見ると、やっぱり見えないじゃん……という不満そうな顔でこちらを睨んでいた。僕はそれに肩を竦めて答えて、公園の一角に佇む、寂れた遊具を示す。
「ジャングルジム……?」
「そ、あの上に昇れば、ギリ見えるってわけ」
言って。
僕らはふたりして、いい年こいてジャングルジムを上ることにした。星川は持ち前の運動神経で、浴衣をものともせずに上って、むしろ、着慣れない甚平を着ている僕が、星川に助けられるように上ったくらいである。
ジャングルジムの天辺に腰を下ろすと、大きな音を響かせながら、夜空に大輪の花が咲いた。それが消えると、また次の花火が夜天を彩る。
柳の樹のように垂れ下がる花火もあれば、輪っかをいくつも重ねたような花火もある。一度消えてからまた光る花火も。
喧騒はなく、ただ、静謐な夜の公園に、花火の音だけが降り注いでいた。
好みは分かれるところではあろうが、僕としてはこういう楽しみ方の方が好みだ。星川もそうであってくれたら嬉しい。
遠くの空に上がる花火を、僕と星川は、大して言葉も交わさずに眺めた。
フィナーレが近づくにつれて、大玉の花火が夜空を華やかに飾る。連続の打ち上げ花火は見ごたえがあった。音が振動となって伝わる。
「篠宮」
そこに、小さな星川の声が紛れ込む。
周囲に人はいないのだから声を落とす必要なないのだが、この静謐さを台無しにしたくないという、彼女なりの気遣いが窺えた。
「ん?」
「こんな場所、よく見つけたね」
「まあね。今日のデートの為に、色々準備したんだよ、僕も」
嘘だった。
「嘘」
そして、星川に一瞬で見破られた。
「……一応、どうして嘘だと思ったのか、訊いてもいいですか?」
「勘――女の勘」
そりゃあ、敵わない。
星川が視線で話せと言ってくるので、僕は正直にゲロった。
「実は去年見つけたんだよ――湯川に花火を見せたくて。アイツ、人混みダメだからさ」
「あたしと来ちゃってよかったの?」
「このジャングルジム、今年中に取り壊しらしいから、来年からはこの穴場使えないんだよ。せっかく見つけた穴場なんだから、使わないと損だろ」
令和の価値観では、ジャングルジムは危険な遊具という扱いになるらしい。まあ、このジャングルジムは何だか普通のやつより高い気がするし、子供が落ちたら危ないというのは間違ってもいないと思うのだが――それでも、遊具が消えることに郷愁を覚えるのは、少しじじクサすぎるだろうか?
「そっか」
星川は僕を見て、少し不満そうな顔を作って、そして笑った。それから、僕の甚平の裾を掴み、ぐっと自分に引き寄せて花火を見据える。
「うおっ」
予想外の星川の行動に、僕は驚嘆の声を洩らした――というか、ジャングルジムの上で引っ張られたので、マジで一瞬死ぬかと思った。
「あたしだからね」
「ん?」
「篠宮とここで花火を見たの、あたしだから」
花火を見上げる星川の顔は、仄かに赤く染まっていた。決して、花火の照り返しではないことは、一目瞭然だった。だから、僕は何も言わずに花火に視線を戻した。
ふたりで見上げる夜空を、大輪の花が染め上げる。
その光景を目蓋に焼き付けた。
一生消えない思い出のひとつとして。
いつか、ふたりで懐かしむ高校二年の夏の思い出として。