僕の恋路は壁が多い   作:銀楠

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海は広いな大きいな

 

 

 波の押し寄せる砂浜で。

 

「わっ。しょっぱい。海の水ってホントにしょっぱいんだ!」

 

 頬に付いた海水をひと舐めして、星川が可愛らしい悲鳴を上げた。

 

「ていうか思ったよりしょっぱいんだけど……うえっ。舌が痺れる……」

「瑠璃ちゃん。そっちボールいったよ!」

「はいはーい」

 

 前田が宙に弾いたボールを、星川が走って追いかける。

 砂浜は海水に湿っていて、かなり足場として悪かったが、星川は持ち前の運動神経を駆使して波際を走駆する。

 ボールが落ちる寸前、ヘッドスライディングでもするかのように飛び込んだ星川が、右手の甲をボールの下に滑り込ませて打ち上げた。

 

「うわ。瑠璃ちゃんすごい運動神経……」

「えへへ。よゆーよゆー」

 

 その姿に見とれていた僕は落ちてくるボールを頭で跳ね返し、ボールは力なくビーチに転がった。

 

「あ、篠宮君。ちゃんとやってよ。瑠璃ちゃんのこと見てたでしょ?」

「いや。僕が見てたのは星川の尻だ」

「じゃあ仕方ないねとはならないよ……」

「おっぱいに生涯を捧げた身にもかかわらず尻なんぞに目を奪われたこと、この篠宮涼太一生の不覚」

「ツッコまないからね。友達だからって何でもツッコんでもらえると思ったら大間違いだよ」

 

 前田の白眼視を受け流しながらボールを拾い、それを宙に打ち上げた。

 緩く山なりの軌道を描いたボールは、ボケっと突っ立っていた湯川の頭上に落ちていく。

 

「篠宮ってホントおっぱい好きだよね」

 

 と、湯川は両手でボールを打ち返す。

 高く打ち上がったボールに飛びつく影。

 ワンピースタイルの水着に包まれた、スレンダーなシルエット。

 千種美穂さんである。

 千種は全身を弓のようにしならせたあと、全身のバネを開放した。

 

「死ね」

 

 およそビーチバレーの掛け声とは思えない言葉とともに放たれたのは、文字通りの殺人スパイク。

 

「あぶねっ!」

 

 ガチで命の危険を感じるレベルの剛速球は、間違いなく僕の頭部を狙っていた。

 身を屈めて躱すと、背後でボールが砂浜を叩く音が響く。

 

「あら、篠宮くん。また落としたの? しっかりしてほしいわね」

「なんで僕が悪いみたいな感じになってんだ。今のは避けてなかったら僕の顔面が爆ぜてたわ」

「篠宮くん、新しい顔よ(裏声)」

「頭部がビーチボールの人間とかもうそれシンプルにホラーだろ。あと、バ〇コさんの声真似うまっ⁉」

 

 千種がまた妙な一芸を披露してくる。

 僕はボールを拾うと、またそれを緩く打ち上げる。

 

「ほいっ」

 

 今度は前田がトスする。

 綺麗な弾道のボールが向かうのは、星川の頭上。

 星川は跳び上がると、千種のように全身をしならせて、そしてボールを打った。

 

「せいっ」

 

 気合一閃。

 超人的な運動神経を誇る星川のスパイクは、千種のそれに勝るとも劣らない。

 則ち、殺人スパイク。

 その弾道にあったのは、やっぱり僕の頭だった。

 

「ぶぺっ⁉」

 

 直撃。

 目を瞑ることすらできず、僕の顔面は星川のスパイクをお迎えする。

 

 マジで一瞬意識が飛んだ。

 

「ちょっ……ゴメッ……避けられると思って」

 

 星川が慌てて駆け寄ってくる。

 僕はのそりと身体を起こしながら、首を振って無事を伝えた。

 

「千種の時は大丈夫だったんだけど、星川の時は揺れる胸に目が奪われてな。千種の時は大丈夫だったんだけど」

「遺言はそれでいいかしら?」

「欲望に忠実すぎる……」

 

 千種の侮蔑の眼差しと、前田の白い眼つき。

 

「……僕はちょっと休む」

 

 形成悪しと判断して、僕はビーチパラソルの方に向けて歩き出した。

 

「あ、私も」

 

 追って、湯川も休憩を申請する。

 僕と湯川はビーチを歩いていき、パラソルの下に腰を下ろした。

 

「篠宮、鼻の下伸びまくってたよ」

 

 湯川が何気ない口調で言ってくる。

 一見いつも通りの声音だが、僕にはまだそれは固く感じた。

 

「そりゃ、可愛い女子と戯れてたら鼻の下も伸びるだろ」

「どうせ、なんかエロいこと考えてたんでしょ?」

「馬鹿言え。僕が考えてたのは精々『おっとボールと間違えちまったぜ』って言いながら女子の胸に不可抗力タッチをかます作戦くらいなものだ」

「思ったよりもなこと考えてた」

 

 二人で海を眺める。

 思えば、こうして海を眺めるのなんて、小学生の頃、家族みんな海水浴に来て以来だった。

 波に揺らめく海面が、燦燦と輝く太陽を反射してきらきらと煌めく。

 

「……大丈夫か?」

「思ったより人混みも平気。ナンパは予想外だったけど」

「あれな……千種がいなかったらどうなってたことか――ていうか、湯川のくせにナンパされてんじゃねぇよ。お前がナンパされて、僕が逆ナンされないのはおかしいだろうが」

「篠宮、星川さんいるのに逆ナンされたいの?」

「されたい」

「ダメな方を即答するな。星川さんに言いつけるから」

「星川、怒るだろうな……楽しみだぜ」

「ブタ野郎すぎる」

 

 湯川は苦く笑った。

 ビーチの喧騒が、どこか遠くなっていく。

 

「篠宮があの二人に凄んだ時、めっちゃドキドキした」

「トキメキで?」

「また暴力問題起こすんじゃないかって」

「………」

 

 僕があのとき千種に助けを求めたのは、僕じゃ勝てないからっていうのが理由の七割。残りの三割は、女子がやっつけた方が角が立ちづらいからというものだ。あの二人も男なら、女子にボコボコにされましたとは吹聴しづらいだろう。

 暴力問題はもう懲り懲りである。

 あんな奴らの家に頭下げになんて、絶対に行きたくない。

 

「――っていうか、湯川もナンパくらい自分であしらえよ。『何でも奢るから』って言われたら『じゃあ、ロールスロイスが欲しいな♡』って返すくらいの度胸を持てよ」

「そこまで肝据わってたら、陰キャやってない――ていうか、それ言うなら、私だって助けてって頼んでないし。(幼馴染)じゃなくて、星川さん(カノジョ)助けに行けよ」

「それなすぎる指摘なんだけど、そりゃ無理だ。星川はナンパ慣れしすぎてて、助けに入る前にあしらっちゃうから。お前、岩場にいたせいで見てなかったみたいだけど、すごかったぞ、星川のナンパ撃退カーニバル。千切って投げ、千切っては投げって感じだった」

 

 ちなみに前田はあまり慣れてないらしく、ちょくちょく絡まれては、近くのクラスメイトが助けに入るまでたじたじだった。そういうのをそつなく熟すイメージのある彼女にしては、意外な反応である。

 意外な反応といえば、千種もナンパの対処が意外だった。丁寧に、かつ慎重に、丁重にお断りの言葉を口にして、ノー・バイオレンスで潜り抜けていたのだ。今日、初めて千種の水着姿を見た瞬間に、ビーチが血の海になる光景を想像した僕だったが、それは間違いだった――まあ、自分へのナンパは綺麗にあしらえても、想い人へのナンパは許せなかったらしく、人目に付かない岩場ではR‐18なバイオレンスが展開されていたわけだが……まあ、そのくらいはご愛敬である――黙祷。

 

「それで、大丈夫か?」

「だから、人混みは思ったよりも大丈夫だって……」

「今の『大丈夫か?』は、最近のお前についてだ」

 

 おそらく、湯川もわかっていたはずだ。

 

「………」

 

 帰ってきた沈黙がそれを証明している。

 

「……よくわからない」

 

 しばらくして聞こえてきたのは、自信なさそうな声。どこか遠慮がある。

 

「それだけか?」

「なんて言わせたいの?」

「それがわからない仲じゃないだろ、僕ら」

 

 僕と湯川がアイコンタクトで意思疎通ができるのは、お互いの思考が極端に近いからだ。一緒に育った僕たちは、思考の経路も似た道を辿る。だから、読みやすい。

 僕はとても心がざわざわしている。

 だからきっと、湯川も……。

 

「……少し、怖い」

 

 僕の隣で、湯川が少し体勢を変えた。

 

「少しだけ?」

「……本当は、すごく怖い。自分の心が自分で制御できなくて、どうでもいいはずのことが、すごく楽しかったり、すごくつまらなかったりする。自分が理解できなくて、怖い」

「………」

 

 多分それは、僕らくらいの年頃なら普通のことのはずだ。

 思春期っていうのは、別に、恋をするためだけの期間じゃない。

 医学的に言うと、ホルモンがなんちゃらとか、副交感神経と交感神経がなんちゃらとかあるのかもしれないが、要約すると、ココロが不安定になる時期なのだ。些細なことで喜んでみたり、ちょっとしたことで怒ってみたり――そういう時期なんだと思う。

 

 湯川も。

 僕も。

 少しずつ。

 しかし急速に。

 変わり続けているのだ。

 

 どうしようもないことに。

 

 

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