九月も三日。
七限目と
手早く終わらせたい議題ができてしまったからだ。
なんとなく流れで、僕と前田が黒板の前に立つ。委員長という立場は、こういう時に損をする。
僕は黒板にチョークを走らせた。
『文化祭の出し物について』
「いったん意見を全部出してもらって、それから投票でどれをやるか決めようかな。誰か、案のある人は遠慮なく言って欲しいな!」
前田が司会進行をする。
すっと手が上がった。よく知らない男子だ。
「やっぱ文化祭といったら出店じゃないか?」
「出店ね……」
黒板にそのまま書き記す。
僕がクラスメイトに背を向けている間に、女子の反論が飛んだ。
「出店って、あの外でやるやつ? えー、せっかくなら教室でなにかやりたーい。せっかくなら教室でカフェとかやろうよ。屋台とか高校卒業してからでもその辺の道端でできるじゃーん」
その辺の道端で屋台とかできるわけないだろ馬鹿か――と思ったけど、さすがに言わずに、僕は黙々と黒板に『カフェ(教室)』と記した。
「お化け屋敷もベタだよね」
誰かが言う。
明らかに他の出し物より手間がかかりそうなので、僕は気持ち小さめに『お化け屋敷』と黒板に書いた。
「ベタといえば、劇とかもベタだよね」
「げっ」
これには思わず声が漏れた。
だって明らかに面倒だ。
しかし、書記である以上仕事はしなければならないので、僕はお化け屋敷のさらに半分の大きさで『演劇』と書く。
「う~ん、どれもいい案だと思うけど、悩んじゃうな~」
前田が言う。
「篠宮君は何がいいと思う?」
あまつさえ、こちらに話を振ってくる始末。
「……まあ、無難に展示とかだろ。写真とか、川柳とか」
「置きに行ったわね」
すぐさま、千種に弱点を突かれた。
「たしかに、その程度のことなら簡単にできるし、展示をやりはしたという言い訳も立つわ。でも、いくら何でも妥協の線が強すぎる。誰が高校生の写真や川柳なんか見に来るの。誰も来ないわよ。暇で暇でたまらない展示で、達成感ゼロの文化祭をお送りするつもり? そういう逃げの姿勢が――」
「わかった‼ わかりましたのでご着席ください千種さん」
相変わらず僕に対してだけ当たりが強すぎるが、言ってることは間違ってない。
僕らの高校は、三年はクラスで出し物を出すことはない。つまり、実質的に高校最後の文化祭と言えるわけだ。そんな祭りで妥協なんて、誰も求めてはいないだろう。
前田が黒板に記したクラスの案を見ながら呟く。
「そうだね。やりがいは求めたいよね……」
高校生みたいなことを言いながら(正真正銘高校生だが)、前田は小さく小さく書かれた『演劇』の文字を消して、そして大きく書き直した。気持ち、他の文字より大きく。
「じゃ、この中から投票で選ぼうか」
僕は天を仰いだ。
◆
「え~……厳正な投票の結果、2-1の出し物は『かぐや姫』となりました。拍手~」
僕がやる気のない声で言った途端、クラスは割れんばかりの喝采で包まれた。
クラスメイトの顔をちらりと見ると、誰も彼も笑顔笑顔。華やかな青春の色を湛えている。
「時間余ったから、このまま配役まで決めちゃおうか」
前田も笑顔で言う。
僕はチョークを弄びながら、
「良いんじゃないか」
と、適当に答えた。
「じゃ、まずは脚本だね」
というので、僕は黒板に『脚本: 』と書いて、空想いに耽る。
「脚本書きたいよって人!」
しーん。
誰も手を挙げない。クラスメイトの誰もが、視線をあちこちに寄越し、お前がやれよと言っている。
まあ、名作をリメイクするだけとはいえ、少なからず自分のセンスが投影される物語を書くことになるわけだ。やりたくない気持ちは痛いほどに理解できる。
「……脚本書いてもいいよーって人」
前田は先ほどよりだいぶ声量を落として繰り返した。表現にも、クラスの為に仕方なく立候補した――という逃げ道を用意している。
しかし、誰も手を挙げない。
クラスの雰囲気がそわそわとし始めた。
投票の結果を見るに、少なくともこのクラスの半数近くは演劇をやりたいと言ったはずだが、どうにも脚本はやりたくないらしい。
このままでは、演劇の案は流れることになる。
僕としては、それでもいっこうに構わないのだが……そんなことを考える僕の視界の端で、すっ、と手が上がった。
前田華凛の手である。
「じゃあ、私がやるよ」
おずおずと手を挙げた前田は、クラスメイトの視線から逃れるように、黒板の前に立っている僕に視線を向けた。
何の視線か……と一瞬戸惑った僕だったが、直ぐに黒板に向いて『脚本:前田』と書き足す。
「じゃ、前田監督……『かぐや姫』の主要な登場人物を先に挙げてくれ」
「うん……でも、その前に。監督って呼ぶのやめてくれるかな、恥ずかしいから」
「じゃあ、前田提督で」
「語感だけで喋るのはやめようね!」
元気なツッコミをした後、前田は指を
「まずかぐや姫でしょ? それから竹取の翁とその奥さん……かぐや姫に求婚したのって、何人の貴公子だっけ?」
「五人よ。あと、帝もいるわね」
千種がすぐさま答える。
成績のいい彼女のことなので、教科書にも載っている竹取物語の概要くらいは憶えていても不思議ではない。
僕は黒板に『かぐや姫: 』『翁: 』『
『石作皇子: 』
『車持皇子: 』
『右大臣・阿倍御主人: 』
『大納言・大伴御行: 』
『中納言・石上麻呂: 』
『帝: 』
「はーい」
そのタイミングで手を挙げたのは、クラスの名も知れぬ女子。赤茶に染めた髪はハーフアップにされていて、改造された制服は肌色面積が大きい。
「かぐや姫には瑠璃を推薦しまーす。なんか夏休みの間に黒髪になってたし、ちょうどいいじゃん?」
なにがちょうどいいのかはわからないが、まあ、僕としても反論する余地はないように思う。
しかし、その意見に反旗を翻したのは、黒髪三つ編み丸眼鏡と、もはや逆に個性的ですらある見た目をした、クラスの目立たない女子だった。案の定、名前は知らない。
「私は……千種ちゃんがいいんじゃないかと……思う……」
「はあ?」
なよなよしく提案した三つ編みに、赤茶のギャルが語気荒く噛みつく。陰キャがトップカーストの意見にケチ付けてんじゃねぇよ、ってところだろうか。
「まあまあ」
仲裁するのはもちろん前田。
「本人たちの意思が最優先だから」
と、それっぽい理論を傘にいったん場を治めた後、件のふたりに水を向ける。
「――っていうことなんだけど、どうかな? 瑠璃ちゃんと美穂ちゃん。かぐや姫やりたい?」
「私は遠慮するわ」
にべもなく断ったのは千種。
背筋を伸ばしたままの体勢で、緩く首を左右に振っている。
「足立さんの推薦は嬉しかったけど、私、人前で演技とかできるタイプじゃないの。ごめんなさい」
三つ編み――足立にしっかりフォローも入れつつ、謝罪しながらの辞退。そのマトモさの一割でも僕に向けてくれれば……。
「瑠璃ちゃんは?」
「……まあ、別にいいけど」
渋々と言った感じではあるけれど、口角が微妙に上がっている。まんざらでもなさそうなのは、誰の目から見ても明らかだった。
忘れがちだけど、星川は基本的に陽キャだ。劇の主役みたいなポジションを、厭うタイプではない。
僕は黒板に『かぐや姫:星川』と書き足した。
「じゃあ、翁は誰がやる?」
前田が問うと、赤茶のギャルがまた手を挙げた。
「篠宮がやんなよ」
まさかの名指し。
僕が教卓の上から胡乱な視線を寄越すと、赤茶のギャルはニマニマした顔で、僕を見ていた。
……今思い出したけど、コイツ、
まあ、外野にやいのやいの言われても気にする僕ではないのだけれど、しかし、だからと言って由良のしょうもない策略に乗ってやる義理はない――あと、何よりめんどくさい。
「僕は劇には出ないぞ」
「はあ?」
ワンパターンな攻撃。
「陰キャのくせにあたしの命令が聞けないの?」攻撃だ。スクールカーストが低い相手は、これで大抵の命令を聞かせることができる。
ただし、僕には効かない。
「僕は学級委員だから、生徒会とか文実とかとコネクションしなくちゃいけない立場だ。劇の練習とかには顔を出せないから、演者にはなれない」
「でも、華凛は脚本やってんじゃん」
「それは前田のキャパが常人離れしてるからできるだけだ。僕をこんなバイタリティお化けと一緒にしないでくれ」
「それ褒めてるんだよね⁉ ねぇ、篠宮君。それ褒めてるんだよね⁉」
すっと目を逸らす。「目を背けないでくれるかな⁉」と騒がしい前田を躱して、クラスに問いかける。
「んで、翁やってもいいよーって奴?」
誰も手を挙げない。
そりゃそうだ。
いま手を挙げたら、由良に逆らってるみたいになってしまいかねない。
誰もが視線を逸らす中、しばらく経って、一人の男子生徒が溜息とともに手を挙げた。
「俺がやろう」
四角い顔。色黒。長身。筋肉質。
ちょっと同い年には見えない老け顔のクラスメイト。名前は知らないが、千種と同じ、風紀委員の男子生徒だった気がする。
由良がキッと鋭い視線を向けるが、その角顔はそ知らぬふりをしていた。
「おっけ。ありがとう」
そう言って黒板に振り返って、チョークを持ったところで問題が発生した。
もう一度振り返り、角顔に視線を寄越す。
「お前、名前は?」
「篠宮君……」
隣から前田の呆れるような声が聞こえた。
だって仕方ないじゃないか……。
「……柴田だ。柴田
「了解。ごんぞーくんね」
「待て」
「ん?」
「そのやけに軽々しい呼び方はなんだ?」
「不満?」
「大いに不満だ」
「じゃあ……体鍛えてるみたいだから、ムキムキくんね」
「却下だ」
「えー……じゃあ、ガチムチくんは?」
「逆に何故それなら許可されると思った?」
「わかったわかった……じゃあ、もう、しょうがないからガチホモくんで。これで満足?」
「満足なわけないだろ」
なんだか妙に尊大な話し方をするクラスメイトとコールアンドレスポンスを楽しんでから、黒板に『翁:ごんぞーくん』と記した。さすがにガチホモくんよりはマシだと思ったのか、文句は上がらなかった。これがドア・イン・ザ・フェイスである。
そこからの配役は、割と素早く決まった。
うちのクラスは基本的に行事への参加意欲が高い。
前田がやけに意欲的なのが印象的だった。
――そして、クラス会議中、ずっと寝たふりを決め込んでいた湯川も、また、僕の印象に強く残っていた。