校舎内をあてどなく歩いていたら、いつの間にか一年三組の前に来ていた。雪姫のクラスだ。
暗幕が少しはみ出ていて、そこにパンプキンヘッドとか、白いお化けの紙とかが付いていたので、直ぐにお化け屋敷だと分かった。
まあ、知り合いのいるクラスに顔を出さない方がおかしいよな。
ということで、僕は五百円玉を取り出して、受付に渡した。
ところが、僕の顔を見た受付にマズい顔をされた。
「げっ……お前……」
どことなく見覚えのある顔である。
背が低い男子。丸顔。先輩に対してこの無礼さ……。
「お前は……『EDナントカ』‼」
「なぁんで名前じゃない方を先に思い出すんだよぉぉ‼」
「ちょっと待って、いま下の句思い出すから」
「コードネームの後半のことを下の句とは言わねぇんだよ‼ 君島ですぅ‼」
今日も元気のいい君島は、柳眉を逆立てながらがなる。
「てか、お前、何しに来たんだよ……?」
「いや、そんな敵愾心バチバチに張られても。普通に客としてきたんだよ。ほら、五百円……高くね?」
「文化祭価格なんで……って、入れるわけないだろ‼ 忘野にちょっかいかけるのはもうやめてくれよ‼」
「あっ、雪姫いるんだ」
「えっ、あっ」
やっちまった――みたいな顔をする君島。やっぱり憎めない。
僕は受付の机に五百円玉を置くと、そのまま教室の中に侵入した。
暗い。意外と雰囲気がある。
「ふっふっふっ……ようこそ呪いの館へ」
緑色の照明を浴びながら、入場した客を最初にもてなすのは、謎の窯を長い棒で混ぜている魔女。制服の上に黒いマントを羽織って、とんがり帽子をかぶっただけのちゃちな変装だが、演者の演技力が高いお蔭か、それなりに雰囲気が出ていた。
――ていうか、相庭だった。
「おや? リョータ先輩ではありませんか。相庭茅の世界一の先輩として、いま、世間で話題のリョータ先輩ではありませんか」
「そんなことが話題になってしまう世間なんて滅んでしまえ」
「やれやれこの先輩は。安易に滅んでしまえなどと。弁えてください、リョータ先輩。貴方のそういう迂闊な発言のせいで、うっかり世間が滅んでしまったどう責任を取るんですか」
「僕の迂闊な発言ごときでうっかり滅んでしまう世間なんてあるか」
相庭は「ですか」と嬉しそうに笑って、とんがり帽子のつばを少しだけ持ち上げた。愛らしい少女の顔面がご開陳される。薄暗いながらも、緑の光で照らされた顔は、それなりの美少女だった。このつかみどころのない後輩は、陰険な魔女のコスプレすら着こなしてしまうらしい。
「ところでリョータ先輩、おひとりですか?」
「僕は星川とは別れてないし、アイツとは午後から回る予定だ」
「おおっ。聞いてもないことをつらつらと」
何気に酷い言い草で慄きつつ、相庭は順路を進もうとする僕の横に並んだ。
「いや、なにしてんだお前。持ち場に戻れよ」
「なにを言っているのですかね、この先輩は。わたしがリョータ先輩をこんな薄暗い部屋で独りにさせられるわけないでしょう。しっかりしてくださいよ、この先輩野郎」
「黙れ、働け」
先輩野郎ってなんだよ。
尊敬の呼称と侮蔑の呼称を取り合わせるな。
「ときにリョータ先輩」
「なんだ?」
「ユキちゃんなら出口手前で幽霊役をやってます。急にぎゃって飛び出してくるので、ご注意ください」
「………」
「……リョータ先輩?」
「……いや、なにやってんだお前! お化け屋敷でネタバレとか、お前、馬鹿か! 馬鹿だ馬鹿だとは思ってたけど、そこまで馬鹿だったのか‼」
「はっはっはっ。リョータ先輩は元気がいいですね。はっはっはっ」
相庭は快活に笑った。
なに笑ってんだコイツ。
横合いから飛び出してくる三つ目メイクの後輩に会釈しながら、通り過ぎる。
「このように何度も何度も脅かして、その全てをやっと潜り抜けた思ったら、最後の最後に幽霊に取り憑かれてお化け屋敷を出ることになる、というコンセプトなのです」
「雪姫みたいな美少女に取り憑かれたら、それはもうただのラブコメだろ」
「『お前を地獄に引きづり込んでやる』というセリフもあります」
「雪姫みたいな美少女にと一緒に地獄に行けるなら、それはもうただのご褒美だろ」
そんな会話をしながら出口の方に進む。教室を使ってるから広さは知れてるのだ。
「はい。お疲れさまでした。お気を付けてお帰りくださーい」
知らない女生徒が、僕の隣にいる相庭に首を捻りつつそんなことを言った。そしてにこやかに、教室の出口を手で示す。
その通りに進んでいくと、それは出口手前でいきなり現れた。
幽霊っぽい白い服を着た雪姫が飛び出してきたのだ。
頭には、いかにも幽霊ですという、白い三角巾まで被っている。
「うらめしや~」
声がかわいい‼
全然怖くない。
スタッフに出迎えられた後に脅かされるというのは悪くないアイディアだったと思うけど、それも事前に相庭にネタバレを食らったせいで驚けなかった。
「あれ、涼太さん。こんなところで会うなんて奇遇ですね」
「奇遇ってか、普通にお客さんなんだけどね、僕」
雪姫は焦ったように頭から三角巾を外し、サッサッと手櫛を入れる。
僕はそれを微笑ましく思いながら見過ごして、口を開いた。
「雪姫は幽霊役か。こんな重要なポジション、よく任せてもらえたな」
「はい、いえ……たまたまです……」
「ふっふっふっ……なんせユキちゃんは生徒会長の肝いり妹ですからね。不肖このわたしとハルヒコくんの努力の甲斐あって、今では女子からも『ユキちゃん大好き同盟』の参加者が増えていっています」
「………」
ちなみに『ユキちゃん大好き同盟』とは、雪姫の非公式ファンクラブのことだ。相庭が創設したらしい。
君島は、いつか僕がお願いした通り、雪姫を遠くから見守るだけの関係を辞めて、彼女と積極的に関わっていくことにしたらしい。美人過ぎるあまり女子から総すかんを食らっていた時代から見れば、クラスの出し物の大トリを任されるまで成長したというのは、僕としても驚きを禁じ得ない。
忘野先輩の威光があるのかもしれないけれど。
相庭や君島が頑張ってくれているからかもしれないけれど。
それでも、雪姫自身の努力なくして、そのような結果は得られないはずである。どこまでも消極的だった彼女の変化に、僕はどこか、喜んでいるようだった。
「涼太さんのクラスは、なにをやるんですか?」
「僕のクラス? ああ、二年一組は演劇だよ。演目は『かぐや姫』」
「え、演劇……⁉」
「わたしのリョータ先輩は何役で出演するんでしょう?」
「僕はお前のリョータ先輩じゃないし、劇にも出ない。裏方だよ」
そう答えた瞬間、雪姫はなんだ、と言わんばかりに溜息を吐いた。
そこまで露骨にがっかりされても、僕にはいかんともしがたいのだが。
「おや……わたしの直感は、リョータ先輩は主役を演じると囁いているのですが……」
「『かぐや姫』の主役ってかぐや姫じゃねぇか。僕に女装しろって言ってんのか」
「いえ……そういうわけでは……」
珍しくも歯切れの悪い相庭に僕が首を捻っていると、背後から次のお客さんの足音が聞こえてきた。
「ん、悪い。営業妨害だったな」
「いえ……涼太さんとお話しできてよかったです……私、お昼までなんですけど、午後って……」
と、どことなく自信なさげに訊いてくる雪姫に、僕は苦く答える。
「すまん……午後は星川と回る予定だから……ごめんな」
「…………………いえ……大丈夫です」
ちっとも大丈夫そうじゃない雪姫を、しかし、なにか気の利いたことを言うこともできず、次の客に押し出されるようにして、僕は一年三組の教室を後にするのだった。