「食中毒ぅ⁉」
その夜。
学校から一斉送信されたメールを見た僕は、悲鳴に近い声で叫んだ。
今日は――文化祭一日目は、救急車が学校に乱入してきたことによって、三時前で強制終了した。僕と星川は結局、デートらしいデートもできないまま終わった。
もちろん、花の高校生たちがそんな暴挙に納得できるわけがない。
学校の掲示板は荒れに荒れていた。
真偽不明の様々な情報と、責任の欠片もない様々な憶測が、根も葉もない噂という形になって独りでに暴れ出す前に、学校側は真相を開示して混乱を収束するという対応を図ることにしたらしい。
男子生徒が食中毒で搬送。
原因はお料理研究会。
明日の文化祭二日目の開催は予定通り行う。
要約すると、大体こんな感じのことが書かれているメールだった。
つまり、これをもっと要約すると、学校はお料理研を生贄に差し出したということである。お料理研は無実、なんて、そんなドラマさながらの意外過ぎる真相さすがにないだろうけど、しかし、この一斉メールのせいでお料理研がやり玉に挙げられることになるのは、想像に難くない。学校だってそんなことは承知で、それでも、お料理研を生贄に差し出したのである。
食中毒は、間違いなく彼らの責任だ。
高校生だからって、食品を提供する立場で、食中毒を出しても仕方ないなんてことにはならない。お料理研の部員がどうなるかはわからないけど、顧問は間違いなく減俸だろうし、部も解散かもしれない。
その程度の罰で済めば、御の字だが。
「荒れるだろうな……」
文化祭は、わかりやすいくらいの青春イベントだ。
そのイベントをほぼ直接的な原因で潰してしまったお料理研は、まず間違いなく
そんなことが想像できたところで、僕ごときには何もできはしないのだが。
そもそも、僕は――僕らはお料理研に構っている暇なんてない。
「マズいな……」
二日目の開催は予定通り行う。
その判断が普通なのかどうなのかは、社会経験のない僕にはわかりかねるが、しかし、何はともあれ、僕らのクラスは大ピンチに陥っていた。
食中毒。
これが起こった場合、まず保健所に連絡がいく。連絡を受けた保健所は、食中毒の調査をする。この調査とは、食中毒の発生元の調査に始まり、被害の大きさの把握まで含まれる。つまり、食中毒の可能性がある人間は、全員検査を受けなければならないのだ。
食中毒の疑いのある人間――つまり、お料理研の提供する料理を食べた人間、全員である。
学校の内外問わず、多くの人間がそこには含まれるが、運の悪いことに、そのリストの中に、我らが二年一組の
件の食中毒患者を病院に搬送し、治療。それから保健所の調査。その男子生徒が文化祭で食べ歩きをしていたこともあり、食中毒の発生元の調査は、ちょっとだけ難航したようだ。発生源がお料理研であることが判明したときには、既に夜だった。
その食中毒が特段毒性の強いものというわけではなかったこともあり、体調に異常をきたしていない者の一部の検査は、明日の朝一番に回されることになったらしい。星川も、明日検査するそうだ。
僕らのクラスの演劇は午前に執り行われる。
しかし、主役は出れない。
僕らのクラスは、出し物を中止するしか道が残されていなかった。
いま、前田からクラスの出し物をどうするかの相談が来た。
忘れがちだが、僕はクラス委員だ。クラスの指針は、基本的に僕と前田で決めなければならない。
「どうするもこうするも……」
道は残されていない。
でも僕は、人に頼られがちな、しかしその実、全然リーダーには向いてない友人の顔を思い浮かべて、嘘を吐くことにした。
『明日、朝クラスで集まって会議しよう。それまで保留』
返信は、僅か一分で来た。
◆
翌朝、六時半。
普段の僕なら、まだ家を出てすらいないような時間に、僕は校舎の階段を登っていた。
別に、文化祭が楽しみ過ぎて早く来てしまったのではない。
昨日、前田とやり取りした結果、七時に集まって、劇に関してどうするかをクラスで議論することにしたのだ。もちろん、参加は基本的に自由だが、学級委員が不参加というわけにはいかない。
それに……。
「怒られるだろうなぁ」
呟きながら、二年の教室がある三階を通り過ぎる。
目指すは五階、生徒会室だ。
生徒会室といっても、別に特殊な教室じゃない。うちの生徒会はそこまで権威づいたものではないのだ。普通の教室があって、そこにホワイトボードとか長机とかが置かれているだけである。
少し汚れの目立つ生徒会室の扉を、手の甲で三度打ち鳴らした。
「二の一の篠宮です。失礼します」
本来は向こうから入室を許可されるまで入らないのがマナーなんだろうけど、この際その程度のことは気にしない。
引き戸をガラガラと開けると、中には忘野生徒会長がひとりで鎮座していた。さすがに朝も早いこともあってか、他の生徒会役員はいない。というか、冷静に考えて、忘野先輩がいるのがおかしいくらいの時間なのだ。だが、僕には不思議と彼女はそこにいると確信していた。
彼女は手元の書類――ではなく、スマートフォンに落としていた視線を無遠慮に入室してきた僕に向けると、その青い瞳を細くした。
「よく来たね、篠宮後輩。なんの用かな?」
相も変わらず、超然とした雰囲気を出す忘野先輩。
どこまでも見透かしたような口調だが……、或いは、僕が考えていることなどお見通しなのかもしれない。
まあ、僕は彼女との腹芸を楽しむために生徒会室に来たわけではないので、別に見透かされていようと構うことはない。むしろ、見透かされてる方が話が早くて楽なくらいだ。
口を開く。
「二年一組の演劇の件ですけど、中止ということにさせてください」
「………」
青い瞳が、僕を射抜く。心の中を覗き込むような気味の悪い視線。或いは、獲物を狙う毒蛇の眼。
緊張に、喉が鳴った。
「ふぅん、篠宮後輩はクラスメイトを信じてないんだ」
一段飛ばしの言葉。
確信めいた口調には恬として迷いはなく、僕の浅知恵はこの秀才を前にして、一瞬で見破られてしまったのだと知った。
「そうですよ」
無駄に誤魔化しても意味がないことを察して、僕は素直に敗北を認めた。
「クラスの会議に諮っても、絶対に意見は割れる。時間がないとか、現実的に不可能とか、全員がそんな大人な理解を示してくれるとは限らない。もうほとんど無理な状態でも出し物を続行したいって主張する連中は絶対にいる。そういう連中を説得するのは楽じゃない」
「だから、勝手に中止にしちゃうことで、そういう子たちを封殺しちゃおうってことか」
うちのクラスで欠けたのは、星川と、彼女と行動を共にしていたギャル友だけだ。この中で、演劇に必須なのは主役の星川だけ。つまりうちのクラスは、かぐや姫の代役さえ立てれば、まだ演劇の続行が可能ということになる。
問題は、それが限りなく不可能ということだ。
かぐや姫は主役。出番は当然一番多いし、セリフも少なくない。今から代役を立てたところで、絶対劇のどこかで失敗する。
大コケするくらいなら、やらない方がマシだ。
「篠宮後輩の判断は確かに面白いけど、二つほど欠陥がある」
忘野先輩は指を二本立てて言った。
「一つ、君のクラスメイトはもう高校二年生だ。できないことをそれでもやる――なんて子供じみた主張をする子が、絶対にいるとは限らないんじゃないかな?」
「それならそれで構わないじゃないですか。全員が中止に賛成するなら、今この場で中止を決定してしまっても問題ないはずです」
「それが欠陥の二つ目だ――篠宮後輩のクラスメイトの総意が是であろうと非であろうと、その判断を勝手にした君に、非難が集中することは容易に想像が付くのだけど」
まあ。
それはそうだろう。
そんなことは、もちろんわかっている。
わかっていて、それでも、僕はこの方法が一番の選択だと思っている。
クラスが二分して諍いが起こるより、僕一人に集中放火された方が、ずっとマシだ。
「……ま、下手したらお料理研の被害者であるはずの君の彼女が、クラスの敵にされてしまうかもしれないからね」
知ったように、忘野先輩は言う。
実際には、クラスの諍いを仲裁する役目を負わされることになりそうな前田のためでもあるのだが、まあ、そんな主張をしても仕方ないので言わない。
忘野先輩は掲げた二本の指を頬に当てて、つまらなそうな目を向けてくる。
「篠宮後輩……わかってるのかい? 君がやろうとしていることを、世間では自己犠牲って呼ぶんだ」
「……そんなカッコいいものじゃないですよ」
「カッコいいって思うんだ」
「………」
言いくるめられてる。
居心地が悪い。
「私はね、篠宮後輩――」
気疎くて目をそらしかけた僕の視線は、しかし、彼女の紺碧の瞳に捕まった。
吸い込まれるような空を、或いは、原初の海を思わせるその瞳は、僕を掴んで離さない。
「自己犠牲のできる聖者より、聞き分けの悪い勇者の方が好きだ。ご都合主義に何もかもを手に入れて、笑っちゃうくらいの
「………」
「君にやる気がないというのなら、今回ばかりは私が口実を与えてあげよう」
そう言って忘野先輩は、頬に当てていた二本の指を再び掲げた。
「篠宮後輩には貸しが二つあったね。それをいま行使するよ」
一学期、雪姫との関係解消に向けて、彼女に演技の依頼をしたので貸し一つ。
雪姫と別れてからすぐに星川と交際し始めた件について、忘野先輩が上手く図らってくれた件について貸し一つ。
然るべき時に、忘野先輩の『お願い』をなんでもひとつ訊く。
そういう約束だった。
「一つ、二年一組の演劇を成功させて、文化祭を最高に盛り上げてほしい」
「何がそこまで……」
「文化祭が終わったら生徒会も解散。この文化祭は私にとって生徒会長としての集大成だ。いいものにしたい」
「それなら、自分でやればいいでしょう。忘野先輩なら、なんとでもできるはずです」
「こう見えて、いま忙しいんだよ。お料理研へのフォローでね」
そういって忘野先輩はスマホを掲げ、シニカルに笑う。
「……もう一つは?」
「ん?」
「だから『お願い』のもう一つは何ですか?」
「そうだねぇ」
ニタニタ笑って、
「――湯川後輩との仲直り、なんてどうかな?」
忘野先輩はそんなことを言った。
確かにそれができたなら。
そんなことが可能なら。
それは文句なしの、どこまでもご都合主義の、笑っちゃうくらいの
――僕にとって。