「おーい、かぐや姫役連れてきたぞー」
声を張り上げながら教室に入る。クラスメイト全員の視線が、僕と湯川を射竦めた。
内履きに履き替えたから、もう湯川をお姫様抱っこもしてければ、おんぶもしてないが、それでも湯川は寝間着だ。二十何対もの視線を集め、湯川は鼻白む。
いままでの湯川なら、声も出せないどころか、呼吸だって忘れたことだろう。
だが――
「……よろしく」
消え入りそうな声ではあったが、しかし確実に、湯川はそう言った。
ほとんど初めて聞くであろう湯川の声に、今度はクラスメイトたちが鼻白む。
そんなクラスメイトの中から、前田が出てきた。
「累ちゃん⁉ 累ちゃんがかぐや姫役をやってくれるの⁉」
「うん……まあ……」
湯川は一瞬視線を彷徨わせた後、僕を指さして、
「涼太がなんでも言うことひとつ聞くからって言うもんだから……」
「言ってねぇよ。公衆の面前で大胆な嘘を吐いて、既成事実作ろうとするのやめろ」
隙あらば恩に着せようとするな……………ん?
「……⁇」
僕と同じ疑問には差し当たったのか、前田もぽかんと口を開けたまま惚けていた。
しかし、湯川はそんなことに気づいていないのか、それともそんなことはどうでもいいのか、気ままに伸びなんてしていた。
「よしっ……じゃあ、私は衣装に着替えてくる」
「任せろ。僕が手伝う」
「失せろ」
失せろって言われた……。
湯川はそのまま、僕をひと睨みし、
「涼太は星川さんに電話しろ」
とだけ言って、衣装のチームの方に去っていった。
「累ちゃん……なんか雰囲気変わったね」
前田が言う。
僕は小さく頷いた。
「みんな変わってくんだよ……それが当たり前だ」
人は環境に適応して、自身を変化させていく。
どんな人間も、たった一人の例外もなく。僕らは死ぬまで、ずっと成長し続ける。
僕も。
湯川も。
僕は教室を出ると、階段の踊り場に出た。
人の気配はない。
スマホを取り出す。
星川の連絡先を表示する――少し気まずい。
「……まあ、なるようになるか」
通話ボタンを押した。
呼び出し音が三度鳴る。
電話は四度目の途中で繋がった。
「……星川」
『なに?」
「……いや、大丈夫かと思ってな」
『別に検査受けてるだけで、あたしが食中毒になったわけじゃないから、大丈夫も何もないんだけど』
「そうだった」
『うん』
「………」
『………』
「……劇の話だけど」
『――聞いた。代役は湯川がやってくれるって?』
「耳が早すぎるだろ……いや、千種から聞いたのか」
『千種もさ、変わった友情の示し方するよね』
「それ、本人に言うなよ? 殴られるからな? 僕が」
『………』
「………」
『……思うところがないわけじゃないけど、あたしから言いたいことはひとつ』
「聞きましょう」
電話の向こうで、息を吸う音がした――或いは、いろいろと飲み込む音だったのかもしれない。いろいろ飲み込んで、飲み下して、そして星川は言った。
『――最高の劇にしてこい』
僕の彼女は、どこまでもイケメンだった。
◆
そして場面は一気に移り変わり、ステージ裏の舞台袖。
僕も衣装に着替え、クラスの輪に交じっていた。大道具や照明、音響の準備も完了し、あとは開演を待つばかりである。
「かぐや姫はまだか?」
近くにいたごんぞーくんに問いかける。
舞台袖には湯川の姿がない。
「着付けるのに時間がかかっているんだろ。即興劇だからな、それなりに動く可能性を考慮したら、適当な着付けはできない」
「――つってももう時間が……」
――その足音は、やけに僕の鼓膜を揺らした。
視線を向ける。
そこに立っていたのは、まぎれもなく、湯川だった。衣装係が作ったなんちゃって十二単を纏ってはいるが、間違いなく、僕の幼馴染であるところの。
しかし。
きっととんでもない量の整髪料を使ったのだろう。その緑の黒髪は、まっすぐに伸ばされていた。平安の女子かくあるべしとばかりに、丁寧に整えられている。顔を隠すように生えていた髪も、左右に振り分けられ、肩から背中に流れている。
それは……
それは何というか、とてもとても、美しい容姿をしていた。
もちろん僕も、湯川が意外と美少女だということを知らなかったわけではない。
しかし、考えてもみれば、僕ですら湯川のちゃんとした素顔というのを久しく見ていなかったわけで、めかし込んだ湯川は、僕の目にすら新鮮に映った。
「……なにぼーっとしてんの? もうすぐ本番なんだけど」
「え……いや、おう……」
何も言えなかった。
軽口で誤魔化すこともできなければ、素直に褒めることも。
ブザーが鳴る。
開幕の合図だ。
『――大変お待たせ致しました』
司会のナレーションが会場に響き渡る。
いよいよだ。
『続いての出し物は、二年一組による演劇――「かぐや姫」です……‼』
緞帳の向こう側から、疎らな拍手の音が聞こえてきた。
もう逃げられない。
今更不安になって、僕は湯川を見た。
「……行こ、涼太。始まる」
仄かに笑う彼女に、僕も小さく笑って答えた。
「ああ、最高の劇にしよう。累」
幕が上がる。