その日、私は生まれて初めて早起きをした。
◆
今になって思うと、やっぱりあれは、恋でもなんでもなかったのではないかと思う。
気の迷いという表現をすると、なんだかそれは否定したくなってしまうが、それでも、その表現が一番近い。
篠宮凉太は、私の幼馴染だ。
中学の頃、一時疎遠になったこともあるけれど、それを除いたら、首も据わる前からの付き合いである。人生のほとんどを共にした相手――というと、なんだか連れ合いみたいな感じになってしまうが、全然そんなことはない。
お互い、好きとかでは全然ないのだ。
実は涼太のことが好きなのではないかと、布団の中で悶々としていたあの頃が、今はもう懐かしいくらいである。
「はよーございまーす」
玄関から、涼太の声がした。
私を迎えに来たのだろう。
実のところ、来てくれるかは不安だった。
というのも、私と涼太は、昨日の朝まで疎遠だったのだ。日課のように起こしに来てくれていたのも、既に三か月近く前の話である。
しかし、来てくれた。
その事実に安堵しつつ――その安堵が、実のところ恋心でも何でもないことを、今の私は知っている。
「おばさん、累のこと迎えに来ましたー」
ダイニングに顔を出す涼太に、私は声をかける。
まだ寝ていると思われて、私のいない部屋に侵入されるのは、なんとなく嫌だ。
「おはよう、涼太」
「おお。おはよぅぅぅぅぅぅぇぇぇぇぇぇぇええええええ‼⁉⁇」
私に気が付いた涼太は奇声を上げて驚いた。
いつも眠たげな眼が、限界まで見開かれている。
「なに? 私が早起きしてることが、そんなに意外?」
「お前が早起きしていることは天変地異レベルの事象ではあるんだが――ってかそれ以前にお前」
涼太は私の顔を――厳密には頭を指し、
「その髪、どうしたんだよ?」
そう。
私は髪型を変えていた――いや、『髪型を変える』なんて生易しいものではなく、もうバッサリと切っていた。昨日平安女子を演じたばかりだというのに、その日の午後には、髪に鋏を入れたのである。
腰くらいまであった長髪を肩口くらいまで切って、前髪はちゃんと顔が見えるように梳いた。全体的にちょっとアシンメになっているのがこだわりポイント――らしい。
「美容室でバッサリとね」
「ふ~ん。お前が美容室ねぇ」
今までなら、一撃で嘘だと断じられていたであろうが、そんなことはなかった。
――涼太曰く。
変わっているのである。
誰も彼も。
彼も――私も。
「失恋でもしたか?」
そんなことを無神経に言ってくる涼太。
まあ、意外と神経質な彼である。無神経なことを言ってくるということは、すでに彼の中で、私の〝不調〟は折り合いの付いたことだと認識されているのだろう。それならそれで、私も嬉しい。
「そうかもね」
それが適当な返事だったのか、それとも含みを持たせたセリフだったのか。
それはやっぱり、私にはわからない。
「それより見たか? 学校の掲示板」
涼太は自然な感じで食卓に座る。
そして当たり前みたいな感じでお母さんも朝食を出す。
私はそれに苦笑しながら、
「見た。すごいことになってるね」
と、返事をした。
「まさかあんないい加減な即興劇が、あそこまで好評だとはな……」
「よかったじゃん、涼太。しばらくは学校のヒーローだよ?」
「マジでいい迷惑だな」
「ははっ」
「お前も、そんな見た目にしちまったら、しばらくは誰も放っておいてくれないぞ?」
「時代がやっと、私に追いついたってことか……」
「いやどう考えても逆だろ。お前がやっと時代に追いついたんだよ。まだ、周回遅れかもしれないけどな」
「そういうの、釈迦に説法って言うんだよ」
「言わねぇよ。その諺は自分に対しては使わねぇんだよ。じゃないと自分を釈迦と同一視することになるだろ」
ツッコミながら笑う涼太を見て思う。
ああ、やっぱり――やっぱり、好きだなぁ、と。
それはきっと恋よりも純粋で。
それはきっと愛よりも高尚な。
篠宮が言ったように、きっと私たちは結婚しない。恋人にもならない――でも、生涯を共にすると思う。ずっと一緒にはいられなくても、いつまでも一緒にいられると思う。
だからこれは恋ではなくて……難しくて、言葉にはできないけれど、或いは、この感情を表現する言葉なんて最初からないのかもしれないけれど――とにもかくにも、私の心の中の整理はついた。
言葉にできないナニカで。
理屈の付かないナニカで。
心の中にストンと落ちた。
思春期を迎えた私たちは、少しずつ、だけど急速に変化していく。
淡くも焦がれ、青くも敗れた青春の物語。
いつかそんなこともあったねと、笑い合える日が来るのだろう。
「ねぇ、涼太」
「ん?」
「――学校、行こっか」
――こうして。
私の恋ではない何かは、失恋という形で終わった。
これで一応、五章的なものが完結になりますので、今回は後書きありです。
今回は作者待望の文化祭編。ストーリーについてあれやこれや触れたいところではあるのですが、この後書きではキャラクター達について触れたいと思います。
まずは、今回の最重要パーソンだった湯川累。
思えば最初の第一話からの付き合いになるわけで、しばらくは主人公の悪友みたいなポジションに居座り続けたヒロイン(?)。彼女のキャラクター設定にはヴィトゲンシュタインというイギリスの哲学者の提唱した『語り得ぬもの』がベースに存在します。
語り得ぬものについては、沈黙せねばならない。
よく『言っても無駄な奴には言っても無駄』という意味で誤用される言葉ですが、本来の意味は『言葉で抽象的な概念を論理的に語ることはできない』という意味です。ヴィトゲンシュタイン自身は〝神〟や〝道徳〟をその例に挙げましたが、作者は〝心〟もその枠組みに入れていいのではないかと思っています。
言語や論理では表現できない心理状態を、誰しも経験したことがあるはずです。
そういう抽象的な、少なくとも日本語にはその心理状態を的確に表現できる単語が存在しない感情を、ストーリーを介することでちょっとでも表現してみたい。
そんな想いから、本編であるような方向に進めてみました。いかがだったでしょうか。
そして、もう一人どうしても語りたいキャラがいて、それが千種美穂です。
作者の意図としては、キャラの根幹に『主人公の友達』というポジションに収まるキャラにしたいと思っていまして、それに苦心した次第です。というのも、ラブコメはその性質上、異性間の友人関係というのがどうしても成立しづらいのです。これを回避するには、もう異性として見れないようにするしかないのですが、そうなるともはや異性である必要がないという……なかなか難しいジレンマを抱えてしまいます。
千種と篠宮の友人関係の構築にはだいぶ苦労したのですが、いただく感想を拝見する限り、どうやら読者の皆様にも千種と篠宮の友人関係が受け入れられて行っているようで……。
千種お前……登場初期はあんな嫌われてたのに……成長したな(泣)
感想をくださる皆様に感謝を。このキャラクターってどう見られてるのかな……と、不安になりながら文を綴っている作者にとっては、皆様の感想が作品の指標です。どのキャラクターも皆様の感想なくしては成り立たないでしょう。本当にありがとうございます。
もはや誤字しかないとさえいえるレベルで誤字りまくっている拙文に懲りずに赤ペンを入れてくださる皆様にも感謝を。
そしてここまで飽きもせずに読み続けてくださった皆様に最大限の感謝を捧げます。
さてさて、では今回はこの辺りまでとさせていただいて。
恒例の最後のひと言を。
実は作者、一度も文化祭を経験したことがないのである(例のアレのせいで)