「――えっ?」
今なんとおっしゃいました?
お父さんにもご挨拶?
おとうさん?
ちょっと意味がわからないな。お父さんって何かな。音鵜さんかな? 音尾さんのご親戚かな? それとも尾登卯山かな? ウサギの尻尾に形が似ていることからその名がつけられた、兵庫県の山の名前かな?
「――そんな架空の山の話なんてどうでもいいでしょう。それよりほら、お父さんがお待ちかねよ。ふふっ。穹の友達だなんて……、きっと冬眠明けのクマのようにそわそわして待ってるわ」
天乃母さん、脳内現実逃避に割り込むのはやめてください! 最近僕のモノローグ読まれ過ぎでは? 尾登卯山が架空の山の名前であることを一瞬で看破しないでください。
……。
……いま、冬眠明けのクマって言いました? それ狂暴と残虐の象徴みたいなものじゃないですか……っっっ‼⁉⁇
「アメーノ⁉ お父様がご在宅だなんてわたくし聞いていませんのことよ⁉」
「パパぐらい私にもいるよ。土曜なんだから家にいてもおかしくないでしょ……」
僕のテンションにちょっと引いたのか、天乃が素のキャラで返してきた。
ふざけんな、お前は魔界生まれだから父親なんている方がおかしいだろ、いやおかしいのはどう考えても僕ですね、ご尊父様がおかしいなんてことはもちろんありません、むしろおかしいのはこの家において異分子である僕の方であり、これは家庭クライシスの予兆であり、家族ルールに則って処されるべきは僕の方であり、刑は即執行されるのが一般家庭の一般であり、僕の全身が極めて数学的に一般化されるのは自明の理でありとにかく何も聞いてないんですけど‼
聞いてないんですけどッ⁉
「あらあらそんなに緊張しなくても大丈夫よ。モノローグを読まれたとき対策で『ご尊父様』なんて表現しなくても……『全身を極めて数学的に一般化される』って何かしら?」
「当たり前のようにモノローグを読んだうえ、僕の作戦まで暴いたあげく、僕の適当な表現を蒸し返さないでくださいそしてやっぱり帰らせてください。豪雨の中自転車漕いで帰る方が生存確率が高い気がしてきました」
「あらあらまあまあ」
天乃母は頬に手を当てて、おかしそうに肩を揺らした。
「大丈夫。私の夫よ。うちのお父さんは、クマはクマでもテディベアみたいにかわいいから」
「テ、テディベア……」
そ、それならワンチャンあるか……?
瞬時に、頭の中でテディベアの戦闘力を計算する。男の子たるもの、誰でも頭の中にスカウターが内蔵されているのだ。
いくら僕でも、さすがに二年前までスポーツマンだったし、テディベアくらいには勝てるよな? 勝てるな。うん、勝てる。さすがに勝てる。きっといけるさ。いけるいける! 僕の信じる僕を信じろ! 来いやテディベア! マスコットとしての矜持なんて捨ててかかってこい!
「……よ、よし……じゃあ、ご挨拶だけでも……」
「ええ、二階の奥の書斎にいるわ」
脳内シミュレーションを信じて、覚悟を決める。最悪の場合、パイルドライバーで沈めればいいや。
僕は天乃母に背中を押されて、書斎に向かった。
◆
書斎と言われれば、なんとなく本棚をイメージする。難しい内容の学術書とかが収納されていて、部屋の中央には書斎机が設置されているのだ。ミステリなんかでは、それに加えて、本棚が可動して、秘密の部屋に繋がるというワクワクドキドキのギミックが隠されているのだ。
なんにしてもそこは静謐で、知の空間であるべき。
そのはずなのに、現実はいつだって僕の想像の斜め上を行く。
広い廊下の先にある重い扉を抜けた先は、書斎というよりはトレーニングルームだった。
ダンベル。レッグプレス。ローロウ。ハンマーカール。ベンチプレスにサイドベント。
会員制のジムですらなかなかお見掛けしないようなトレーニング器具が、自称書斎にずらりと並んでいる。部屋の隅にはドラム缶のような容器に入った大量のプロテインがあって、腕の太さ40cm以下の方はご退室くださいと言っているようだ。
もちろんこんな充実した施設を見せられたら元スポーツマンとしての血が滾るわけで、血が滾るっていうか血が凍るわけで、血が凍ったら出血することもないわけだから、僕が出血死するわけでもないよなー。
――おい、話が違うぞ。
きつく沁み込んだ血と汗の薫りの、その奥で。
巨大な影が、ゾロリと蠢いた。
唾を呑み込む。恐る恐る視線をやる。
暗がりに超人ハルクが立っている。
……いや、よく見たら人だ。ギリギリホモサピエンスのエッセンスを感じることができる。略してギリホモ。
二頭筋がチョモランマだとしたら、三角筋はエベレスト。Tシャツを押し上げる大胸筋は僕のだーいすきな巨乳様。大腿筋は太すぎて、泣く子も黙らせる鬼が泣き出しかねない。アメリカ旅行なんかに行ったら、超人ハルクが暴れてると勘違いされてアベンジャーズがアッセンブルするレベル。
騙された。
超騙された。アルティメット騙されたと言ってもいい。どこがテディベアだよどう見ても未成年が見ちゃいけない残虐テディベア物語だろ。絶対地下闘技場出身だって。ブラックペンタゴンで自由を獲得してる受刑者だろ。
誰だ勝てるって言ったの!
パイルドライバーで倒せるとか以前に、胴体太すぎて脚で固定できねぇわ!
残虐テディベアはもう十月も下旬に突入したというのにタンクトップ一枚で、頭は禿頭。巨大な鼻は顔面の中央に根を張って、覗く胸元には冗談みたいに大きな傷跡がある。黒々焼けた肌には珠のような汗を浮き上がらせて、戦闘準備は万端。
「………」
「………」
眼が合った。
……これは死んだな。
はいはい死んだ死んだ。人間あきらめが肝心。せっかく恋人もできて、幼馴染との関係も次なるステージにステップアップして、人生これからって時にね。でも悔いはない。さよなら人生。こんにちはネクストライフ。ごめんなさい父さん。貴方より後に死ぬことはできなそうです。でも、最後は笑って死にます。
「むん……」
残虐テディベアが近づいてきた。
胸元を掴まれる。
多分電柱より太い巨腕が、軽々と僕を持ち上げ、地面にごろんと転がされる。知能の高い獣は、たびたび獲物をいたぶって遊ぶことがある、というトリビアを思い出した。
そして眼前には、四角い鈍器のようなものが落ちてきた。
「ふんぬ」
そして残虐テディベアは顎を軽く動かした。
ふんぬ――ってなんですか。『憤怒』ってことですか?
四角い物体に視線を走らせてみると『LAST』と書かれているのが見えた……あー、はいはい、なるほどね(察し)
それからよくよくもう一度それを見てみると、それは『LAST』ではなく、『KLASK』と書かれているのがわかった。
……『KLASK』?
四角い物体の中には、黒い棒が二本と、白い球が三つ、黄色い球がひとつ配置されている。
四隅には扇の線が引かれ、ボードには二つの丸い穴。
これは間違いなく――
「KLASK……?」
お手軽テーブルホッケーこと、
「やったことはあるか?」
残虐テディベアが喋った。
喋るんだ……。
「あっ……はい……持ってるので……」
首肯すると、黒いスティックが差し出された。
砲弾と見紛うほど巨大な手が台の下に向かう。僕もそれに合わせて、黒いスティックを台の下に滑り込ませた。盤上のスティックと磁石で吸着し、自由に操れるようになる。
一瞬の沈黙。
残虐テディベアの三角筋が蠢動した瞬間、サーブが行われた。僕はスティックを素早く動かして、ボールを鋭く跳ね返す。
カン、と弾き返されたボールは、盤の上を滑るように転がり、行きついた先は――
「よしっ!」
残虐テディベア側の、盤の穴だった。僕の得点である。
ふっ……僕にボードゲームで挑むなんてどうかしてるぜ。テレビゲームじゃ累に全く勝てない分、僕はボードゲームにめっぽう強いのだ。
ガッツポーズして、
「………」
無言で胸筋を歩かせている残虐テディベアと眼が合った。
あ。
やっちゃった(テヘペロ)
「ふんむ……」
ふんむ――ってなんですか? 僕が霧状になるまで殴打して、窓から『噴霧』するってことですか?
そんなことを考えていると、
「ぬ」
再びサーブ。反応が遅れた僕はそれを止めることができず、黄色いボールは穴の中に吸い込まれていった。それを確認して、
「ぬおぉ」
大きな掌を握りしめてガッツポーズをした。パァンという大きな音が鳴ったが、さすがに掌の中で空気が炸裂した音ではないと信じたい。
僕をじっと見詰めるので、ボールを角にセットして、こちらからもサーブを繰り出した。
三角筋の蠢動。弾き返されたボールを、こちらも負けじと弾き返す。
ゴール。僕の得点。
「……娘が友達ができたと言うので、君の劇を見に行った」
喋った。
喋るんだ……。
「……かぐや姫ですか?」
「ああ。段取りは充分とは言えなかったが、面白い劇だった」
まあ、ガチの即興だったので、グダグダになってしまったのは否定できない。
「パイルドライバー」
残虐テディベアが呟く。
よもや僕にパイルドライバーを掛けると言っているのかと思ったが、さすがにそんなことはなった。
「見事なパイルドライバーだった。君は世代ではないだろうが、オレが子供のころはプロレスラーが大流行してな……小さい頃はプロレスラーになりたいと思っていた」
悪いけど、その夢が叶わなくて本当に良かったと思った。この人がプロレスラーになってたら、対戦相手が十人は死んでる。
「小さい頃は病弱でな……その夢は到底叶えられるものではなかったが……」
驚きの新事実である。
この人が病弱だったとか、リハクの眼をもってしても見抜けねぇよ。
「治療で頭は禿げ上がり、心臓の手術で胸に傷跡が残ってしまった」
あ、なるほどね。
胸の傷は日本刀を大胸筋で受け止めた時の傷かと思ってました。
「君のパイルドライバーは病床に臥せっていたころ、幾度となく勇気をもらったスティーブ・オースチンを彷彿とさせた。幼き日の情熱を思い出させてくれて、ありがとう」
手を差し出される。
おずおずと、僕は握手に応じた。
……。
いやいや。
芸は身を助くという言葉があるが、さすがにあの日図書室で千種に教わったパイルドライバーが、ここまで響いてくるとは思わなかった。あの日、僕の運命の日過ぎるだろ。
……とりあえず、千種にはあとでお礼のメッセージを送っとくか。
百倍くらいの呪詛になって帰ってきそうだけど。
「幼いころの娘はオレに似て病弱でな……、高熱で右目の視力を失くしてしまったのだ」
「そうですか………………………は? えっ⁉ 右目見えてないんですか‼⁉⁇」
またまた衝撃の新事実である。
彼女の眼帯はてっきり中二病のそれだと思っていたのだが、しかし、そうではなかった。
慌てて記憶を浚う。
僕が彼女の眼帯をイジったことは………………………ない。いろいろ思いはしたけど、言葉にはしてなかった。ギリセーフだ。
……或いは、彼女の中二病もそれに起因するのかもしれない。
中二病だから眼帯をしているのではなく、眼帯をしているから、中二病でそれを隠しているのかもしれない。
全然的外れの推理かもしれないが。
真実は闇の中だ。
「変わった娘になってしまったが、君のような友人がいるのなら、安心だ」
そう言って彼は、再び盤上に視線を注ぐ。
その眼はまるで子供みたいで、そしてそれ以上に――
「娘をよろしく頼む」
――天乃穹のお父さん、なのだ。
なんだかその事実がこそばゆくって。
僕らは夕飯の席に呼ばれるまで、盤上に集中していた。