土日明けの月曜日。
僕は校門を少し入ったところで立っている。
「前田華凛」と名前の書いてあるタスキをつけて。
別に僕が「前田華凛」という名前に改名したわけじゃない。いや、
隣には、同じ「前田華凛」と書かれたタスキをつけた前田が立っている。
「生徒会長に前田華凛、前田華凛をよろしくお願いします。前田華凛。前田華凛。前田、前田。前田華凛、前田華凛」
死んだような声で連呼する。
意味のなさそうな行為に見えるかもしれないが、これは結構有用な作戦だ。
生徒会長なんて誰がやっても同じなので、投票時、ほとんどの生徒は少しでも聞き覚えのある名前に入れようとするだろう。
だから、登校してくる生徒が必ず通る場所で名前を連呼するっていうのも、結構価値のある行為なのだ。
「ほら、前田も声を張り上げて」
「うん……でも、自分の名前を連呼するのって、どことなく抵抗感があるんだよね……」
「まあ、気持ちはわからんでもないが……しょうがない、僕が一肌脱ぐか」
僕はペットボトルのお茶を一口呷って、喉を湿らせる。
そして、先ほどまでとは違い、ちょっと通る声で名前を連呼する。
「前田華凛をお願いします。名前だけでも覚えてってください。前田、前田華凛です。まえだまえだをよろしくお願いします」
「なんかお笑いコンビみたいになっているような……」
「前田華凛。前田華凛です。名前だけでも覚えて帰ってください――そこの後輩、前田華凛の名前は覚えたか? ――よしっ。覚えたなら今日はもう帰っていいぞ」
「ダメだよ!」
「皆さん、生徒会長なんて誰がやったって同じです。どうせ大した権力なんてないんですから。皆さんはどうして政治家がみんな年寄りなのか知ってますか? ――それは経験がものを言う職種だからです。ですが、政治に半生捧げてる政治家と違って生徒会長なんて十代半ば。ぶっちゃけ誰がやったって、経験不足に違いはありません。みんな素人同然です。でも、この前田華凛は違います。やる気があるので。素人は素人でも『使える』素人です。皆さん、どうせなら使える素人を選びませんか? 一番使える素人、前田華凛をよろしく――前田、いま演説中だから邪魔しないでくれるか?」
「邪魔するよ! これはもう邪魔せざるを得ないよ!」
「なんだよ……」
「表現に異議ありだよ! なんか怪しいから、ヘンな比喩表現を使うのはやめて、もっとストレートに言ってもらえるかな?」
「しょうがないな………………ん゛ん゛っ――皆さん、どうせなら一番
「遺言はそれでいいのかな? ん?」
千種に教わったのであろうか。
前田のヘッドロックは、めっちゃ綺麗に極まっていた。
あと、千種より若干おっぱいが大きいので、ふよふよ当たって気持ちよかった。
………。
……うーむ。
まあ、聴衆の反応は良い感じだ。足を止めて聞いてくれている人もちらほらいるし、足を止めずとも、クスクス笑っている奴もいる。名前くらいは、覚えてもらえただろう。
こちらはふざけたおして名前を覚えてもらう作戦だが、その点、校門前の町田たちは正攻法で攻めていた。
「皆さん、僕が生徒会長になったら、校内の自動販売機を増やしたいと思います。販売する飲み物の種類も豊富にして、学校生活が快適になるように努めます」
「町田雄介くんは生徒会の書記も一年やっていて、実績もあります。生徒会長として活躍できるはずです」
「生徒会の業務もある程度把握していますから、実務で滞ることはありません。その分、皆さんの要望に耳を傾ける時間を取ることができます」
超正攻法だ。
人は利益で動く。ちょっとでも真面目に生徒会長を選ぼうとする奴なら、間違いなく町田を選ぶだろう。
応援演説人の加持もいい仕事をしている。そこまで派手さのない少女だが、それ故にエグみがない。好かれるタイプではないが、嫌われるタイプでもない女生徒だ。印象で得票を逃す可能性が低い分、彼女みたいなタイプは強い。
「ねえ、篠宮君、私も公約とか言わなくていいの?」
ヘッドロックを極めたまま。
わずかに拘束を緩めて、前田は聞いてきた。
「言いたいなら言ってもいいが……まあ、言わない方が賢明だろうな。そういう
これが、僕なりのこの選挙への挑み方だ。
あくまで選挙を人気投票として扱う。そうじゃなきゃ、生徒会経験者に勝つなんて不可能だ。
◆
次の日も、その次の日も、僕らは律儀に登校時間に校門と校舎の前に立った。
とにかくインパクト。名前だけでも覚えてもらう。
時に僕が小ボケを挟んで、前田がそれにツッコむ。
やってることは売れない芸人に限りなく近しいが、別に構いやしない。なんか面白い奴がいるな、くらいに思ってもらえれば御の字だ。
忘野先輩は投票直前の演説で八割決まると言っていたし、それは事実そうなのだろうけど、残りの二割が無駄になることはない。生徒会の書記として生徒のニーズを聞き続けた町田には、公約じゃ勝てないのだ。投票直前の演説でも、公約はそこそこに、何かインパクトのあることをする予定である。
ただ、考えることはみんな同じか――町田陣営も校門の前に立っていた。
「生徒会長になったら、制服の規定を学校側と掛け合って、冬にはダウンジャケットを着れるようにしたいと思います」
町田は懸命に声を張り上げている。
うちの学校は校則は緩いが、登下校時は指定の制服を着なければならないことになっている。コートも学校指定のもので、これが真冬になると寒くて仕方ない。指定のものにする以上あまり高価なものにはできなかったということだろうが、薄っぺらいのだ。体の芯まで冷える。そのうえ教員がもこもこのダウンジャケットを着て出勤してくるのを見てしまったときなんかは、もうシンプルに殺意を覚えるほどだ。
町田のこの公約は、昨日までは言ってなかったものだ。
今日、突然冷え込んだことを機に思い付いたのか、それとも以前から思い付いてはいたが気温が下がるのを待っていたのか――後者だとしたら、侮れない策士家だ。
「前田。僕はちょっと離れる」
そう言って、僕は自販機で温かいお汁粉を三つ買い、町田陣営に近付いた。
「よう、町田。お疲れ」
「だいな……篠宮」
「お前、いま僕のこと大納言って呼ぼうとしたか?」
ちなみに累も、周囲からかぐや姫と呼ばれているらしい。お互い大変だな。
「ほら、これ」
そう言いながら、町田と加持にお汁粉を渡す。
「今日は朝から冷えるな」
「ははっ。そうだな。すっかり冬って感じだ」
町田は僕からお汁粉を受け取って、若干霜焼けた手の中でゴロゴロと転がした。
しかし加持はすぐに受け取らず、猜疑心満載の眼を僕に向けている。
「……毒とか入ってませんよね?」
「さすがにそこまではしねぇわ」
しかしなかなか鋭い。
僕の目的は、ずばり彼らの妨害だ。
僕と話し込むことで、その話している間、彼らは選挙活動ができない。手土産にお汁粉を選んだのも、飲み終わるのに一番時間がかかりそうな飲み物だったからだ。
「明日はついに投票日だな。僕らはまだ明日の演説の原稿は決まってない。そっちは?」
「俺らはもうある程度は決まってるかな」
「へー。内容は?」
「それは教えられません」
口を挟んできたのは加持だった。
いま気が付いたが、彼女は二年生なのに僕に敬語を使っている。所謂、敬語女子だ。
「――演説の内容をかぶせられたらたまりませんから」
そしてなかなか賢い。
町田陣営のブレインは彼女ということで間違いないだろう。
「演説は僕らの方が後攻だ。かぶせるも何もないだろ」
「それでも、情報はあまり与えたくないので。町田くんも、吹聴しないでくださいね?」
「わ、わかってるよ……」
加持は大人しそうな印象の女子だったが、そうでもないのかもしれない。
人は見かけによらないことを、これでもかと言わんばかりに学んできた僕だが、やはりというか、人の印象はどうしたって見た目で左右されてしまうものだ。
「加持ってアレだな……意外とアレなんだな」
「どれですか?」
ぎろりと睨まれる。
それだよそれ。その攻撃的な性格だよ。
そんなことを口にしたら、どれだけの口撃が返ってくるかわからないので、適当にお茶を濁す。
「結構……頭よさげなんだな」
「頭いいのが意外な見た目をしてるということですか?」
ダメだった。
こいつアレだ。千種タイプだ。ただ、千種は発言がハチャメチャなのでツッコミに徹すればなんということもないが(ただし、奴には実力行使がある)、加持は理詰めで口撃してくるタイプなので、やりづらさはこっちのが上かもしれない。
答えに窮した僕を救ってくれたのは、敵陣営であるところの、町田だった。
「そうそう、加持は頭もいいんだ。定期テストで学年一位を取ったこともあるんだぜ――って、それで言うと篠宮も頭いいんだっけか?」
「いや、僕は学年一位を取ったことはないな」
「そうか? まあ、俺からしたらどっちも雲の上って感じだけどな」
町田は爽やかに笑う。
僕は割と人の心に敏感な人間なので、普通に察した。
町田はたぶん、加持のことが好きだ。
そして件の加持は。
その頬をうっすら紅に染めて、やりづらそうに視線をあらぬ方向に向けていた。
――もう付き合っちゃえよお前ら。
「それにな、加持は占い(?)みたいなこともできるんだぜ」
「えっ⁉」
「……そんな不審なものを見る目で見ないでください。失礼です――占いというか、行動心理学に興味があるので、ちょっと詳しいだけです」
「ふ、ふ~ん……」
この時僕が考えていたのは「え? じゃあ、加持は町田の好意に気付いてるってこと?」だったが、さすがにそれを口に出すほど頭がおかしい人間ではないので、僕は頭をフル回転させて何とか別の言葉を探した。
「じゃあ、僕のこともちょっくら占ってみてくれよ」
「……まあ、簡単なものなら」
簡単なものと言わず、めちゃくちゃじっくり時間をかけてやってくれと言いたいところだったが、そんなことを言ってしまったらさすがに僕の目的がバレてしまいかねないので口にはしなかった。
「――と言っても、わたしは篠宮くんのことをほとんど知りませんし……、まあ、簡単に今できるものと言ったら、色彩心理とかでしょうか」
「色彩心理?」
「人間は情報として、形よりも色を優先しやすいという習性があります。色彩感覚を重視している人間は、色に対して感情を抱きやすく、好みの色にその人間の性格が表れやすい――という理屈の心理学です」
僕は別に心理学には詳しくないので、こうやって急に難しい言葉を並べられると、理解は簡単ではなかった。
しかし、形よりも色を優先する、というのは聞いたことがある理論だ。確か、女子トイレと男子トイレのマークを色だけ反対にすると、男は女子トイレの形をした青色のマークに、女は男子トイレの形をした赤色のマークに入っていく――みたいな……どこで見たのかは忘れた。
「篠宮くんのパーソナルカラーは何ですか?」
「まあ、青……か、黒だな」
文房具とかを買うとき、なんとなくその色に目が行ってしまう。
だから、僕の身の回りのものは青と黒ばっかりだ。
僕が答えると、加持はひとつ頷いた。
「青は『冷静』を示す色です。常に周りを観察していて、周囲に合わせた行動をとることが得意です。黒は『信念』を示す色で、負けず嫌いや忍耐強さ、そして何者にもとらわれない強い『信念』を持っているとされています――周囲に気を遣える『青』と、周囲に影響されない『黒』の両方をパーソナルカラーとして持つ篠宮くんは、典型的なリーダータイプと言えるでしょう」
「あ……はい」
めちゃくちゃ占いっぽい締め方をされた。
朝の情報バラエティー番組かよ――というツッコミは、寸でで呑み込んで、
「僕って、リーダーって感じかな?」
「どっからどう見てもそうだろ」
そう言って笑ったのは、町田だった。
「文化祭の時の劇、俺も見てたけど、完全に主役だったじゃん。あとから聞いたけど、クラスをまとめたのも篠宮だって話だし。話してみると、なんか任せたくなる雰囲気あるんだよな、篠宮って。まるで……」
まるで。
「――忘野生徒会長みたいだよな」
生徒会室を残留する、忘野先輩の私物を思い出した。
青と黒で統一された、文房具類。
それを見た時に僕が抱いた不快感。
――その正体が同族嫌悪と呼ばれるものだと、心理学に詳しくない僕でも知っていた。