翌日、生徒会選挙投票日。
累と連れ立って登校した僕は、一瞬で察した――クラスが浮足立っている。あっちを向いてもこっちを向いてもヒソヒソヒソヒソ。前田の名前が飛び交っている。
「最悪の状況ね」
話しかけてきたのは千種だった。
僕は相槌代わりに溜息を吐く。
「例の噂――事実なの?」
「………」
「……そう、言えないのね」
頭の出来のいい千種は、今日も話が早くて助かった――いや、助かってない。状況は何も改善していない。
何とかしてやりたい気持ちは――もちろんある。
前田という少女に、僕は幾度となくお世話になってきた。
問題が起こるたびに、彼女に泣きついてきたと言ってもいい。
だから。
僕はその大恩に少しでも報いるために、現状の打開を――そんなふうに考えてしまうことこそ、僕の傲慢さだと知りつつも。
溜息が再び漏れる。
僕は何と無力ななんだろう。
――前田華凛。
かつてイジメられていたという少女。
彼女を救う算段が、僕には何ひとつ思いつかない。
「貴方も難儀な男ね……」
「……なにが?」
「間違えたわ――貴方も難儀なウジ虫野郎ね」
「言い直す必要あったか?」
「ま、これをあげるからせいぜい頑張りなさい」
唐突に。
そう言って彼女が僕に手渡したのは――ラッピングされたハンカチだった。柄は、青と黒のチェック。僕好みのデザインだ。
どうしてこれを?
――そう聞こうとして再び顔を上げた時には、千種は既に自分の席に座って、自習を開始していた。
そういえば。
今日は僕の誕生日なのだった。
そして前田は、登校してこなかった。
◆
昼休み。星川と席をくっつけて、弁当を広げること間もなく。
「前田さんのこと、助けなくていいの?」
「……僕が?」
僕の前に腰掛ける星川が、重々しい表情のままひとつ頷く。
突拍子がなさすぎる発言に開いた口がふさがらず。
ようやく出てきた言葉は、
「いまさらできることなんてあるか……?」
もうほとんど雌雄は決してしまったようなものだ。
人気者の前田華凛はかつてイジメられていた。
そんなセンセーショナルな噂、どんな方策をもってしても上書きできない。
決して。
決して彼女の過去は、なかったことにはならない。
そして、彼女はこれから卒業までの間、ずっとその色眼鏡で見られ続ける。
遅きに失したのだ――何もかも。
「篠宮なら、なんとかできるんじゃないの?」
星川は、なおもそう主張する。
重すぎる期待だ。僕のことをそこまで評価してくれているのは素直に嬉しいが、こればっかりは不可能と言わざるを得ない。
或いは。
最後の手段として、
――いや、それは今はともかくとして。
「星川よ。実はゲーマーなお前のためにわかりやすく説明すると、お前が言ってるのは、既に世界が滅んでるのに、そこら辺の一般人を捕まえて、『今から魔王城行って世界救ってこい』って言ってるようなものだ」
「FGOってそんな感じのストーリーじゃん」
「あれはなんやかんやで主人公もちゃんと魔術師だからノーカンだ」
「じゃあ、魔術師になって」
「さすがに無理」
突き放しても星川は粘る。
「……面倒だから?」
「僕が魔術師になれないのは、面倒だからじゃなくて才能がないからだ」
「でも、リーダーの才能はある」
「……ないよ。そんなの」
それはまごうことなき僕の本心だ。
僕は確かに、個人よりも大衆を相手にする方が気楽なタイプだ。
かといって、大衆の全てを掌握できるわけではない。
「悪いけど、僕には前田を救うことはできない」
「そんなことない……。あたしの知る限り、前田を助けられるのは篠宮だけ」
星川は大きく首を振る。黒に染め直した髪が、さらさらと揺れるくらい。
もはや粘る云々の話ではない。彼女には折れるつもりがないらしい。
「お前は僕のことを主人公か何かと勘違いしてないか?」
「そうかもしれない」
「は……?」
星川のキレ長で大きな瞳が、ただ僕を真っ直ぐ見詰めている。
「『自分』を持っていて、『他人』を理解できる篠宮だからこそ、前田を救うことができる」
――ああなるほどな。
僕は不意に得心した。
彼女は僕のことを誤解している。
星川は僕のことを、カリスマか何かのように思っているのだろう。そういえば、カリスマギャルを自称していたこともある彼女である。カリスマと言う単語に、造詣が深いのかもしれない。
だが。
僕はカリスマと呼ばれるタイプではないのだ。
周囲に合わせるのではなく、自己のために周囲を変化させる。それはただの自己中心的な奴だ。僕は集団の長ではなく、集団の癌である。
星川が好きになった僕が、もしも『集団を統率することに長けた篠宮涼太』なのだったとしたら、それは――
頭をガシガシ搔きつつ、立ち上がる。
「どこ行くの?」
「散歩」
カノジョと楽しくランチをしている気分ではなくなってしまった。
◆
教室を出ると、一歩二歩進んだところで見知った後輩たちとバッティングした。
忘野雪姫と相庭茅の仲良しコンビである。
「おや、訪ねてきたタイミングで出てくるとは、運命ですね?」
「なんてことない偶然だな」
ウザ絡みしてくる相庭をあしらいつつ、雪姫に視線を向ける。
「どうしたんだ? 僕に用……だよな?」
「はい……あの……はい。今日は、涼太さんの誕生日だと伺ったので」
十月三十一日。
確かに今日は、僕の誕生日だ。
朝、千種にはハンカチを貰ったし、累には登校前に青色の靴紐を貰った――靴紐て……まあ、ありがたく使わせてもらっているが……。
「おめでとうを言いに来てくれたのか? あ、それとも、プレゼントを用意してくれたとか?」
「はい……えと……お気に召していただけるかはわかりませんが……」
自信なさげに。
そう言って彼女が取り出したのは、細長い箱だった。
純白の箱に、金の文字で何事か書かれている。筆記体で書かれているうえに、英語ではなさそうなので、なんて書かれているかはわからないが、まあ、その箱の形状から、おおよそ何が入っているかは検討がついた。
「ペンか?」
「はい」
「そうか……うん。嬉しいよ。いや、ホントに。お洒落なペンって、なんか憧れがあったんだよな」
嘘ではない。
僕は割と、お洒落な文房具を好むタイプの人間である。
感覚的には、お洒落な腕時計を買う奴と心理的には近い。実用面で考えれば絶対安い奴の方がコスパ良いはずなのに、なぜかそこにお洒落さを求めてしまうのだ。
雪姫からその箱を受け取って。
「開けていいか?」
「……はい」
緊張した面持ちで頷く雪姫に苦笑しつつ、僕は箱を開けた。
――そして絶句した。
そこに入っていたのは。
ペンはペンでも、ガラスペンだった。ちょっといいボールペンでも、お洒落な万年筆でもなく、透き通るように透明な、ガラスのペンだった。
どおりでちょっと重いなと思った。
「こ……これ、高かったんじゃないか?」
「いえ……そんな……」
「税込み一万六千五百円です」
「いちまんろくせんごひゃくっ……⁉」
「か、カヤちゃん……‼」
「ちなみにユキちゃんのひと月のお小遣いは、五千円です」
「もう、カヤちゃん‼」
「………」
重いなー。
いろんな意味で重いなー。
しっかりお小遣い三か月分のプレゼントを贈ってくる後輩(元カノ)重いなー。
僕は引きつりそうになる表情筋を全力で制御して、にっこりとした笑顔を作り、雪姫に笑って見せた。
「ありがとう……大切に使わせてもらうから……」
「は……はい」
表情に乏しい雪姫だが、色素が薄いせいで赤くなるとすぐに解る。
彼女の頬は、ほんのりと紅がかっていた。
重いなー(白目)
「相庭は?」
ブレイクタイムとばかりに。
僕は相庭に水を向ける――何気にコイツ、いつも雪姫の隣にいてくれるのありがたいんだよな。
「僕に何かくれないのか?」
「おやおや、卑しいことこの上ないですね、このリョータ先輩は。かわいい後輩にプレゼントを乞うなんて、プライドというものがないのですか?」
「あ、じゃあ、お前はいいや。ありあとやしたー」
「そこまで言うなら仕方ありません‼ あなたの相庭茅が、一肌脱いであげましょう」
「僕はいらないって言ってるんだが――おい、ちょっと待てとまれ。お前何脱ごうとしてんだ、ここ廊下だぞ馬鹿やめろ」
リボンを緩めてワイシャツのボタンを上から外し始めた相庭の手を掴んで止める。
なにし晒しとんじゃコイツ、ネジ飛んでんのか?
「??? だから、一肌脱ぐと言ったではありませんか?」
「『一肌脱ぐ』っていうのは『ちょっと頑張る』って意味の慣用句なんだよこのお馬鹿‼」
「『脱ぐ=頑張る』という理論は、古くからあるもの、ということですね」
「おい馬鹿やめろ。とんでもフェミニストが欣喜雀躍しそうなことを言うな――そして脱ぐな。何がしたいんだテメェは!」
「わたしのリョータ先輩のために、脱ぎたての下着をプレゼントして差し上げようと思っただけですが?」
「『思っただけですが?』じゃねぇんだよ。なんで僕がそんな特級呪物を預からなきゃいけないんだ。なんの罰ゲームだよ」
「そんなことを言って、本心ではわたしのダイナマイトボディにムラムラしてるんでしょう。仕方がありませんね、このオスは」
「事実無根もいいところだなこの野郎。お前マジで誹謗中傷で訴えるぞこの野郎――何故か僕の周りにはナイスバディな美少女が複数人いるんだよ。お前ごときじゃダイナマイトボディには含まれんわ己惚れんな。僕がお前を性的な目で見ることは死ぬまでねぇ」
「違います」
「『違います』⁉」
会話になってねぇ。
「――違うよね、カヤちゃん」
静謐な声が、響いた。
雪姫の声である。
その音は、絶対零度の声音だった。
その白眼視は、脱ごうとする相庭を押さえる、僕の手に注がれていた。
「違うよね?」
雪姫は繰り返す。
そうじゃないよね――と。
その身も凍るような冷たさに、さしもの相庭も息を呑むほどだった。
「……え、ええ――もちろんですよ。やだなぁ、ユキちゃん。ちょっとリョータ先輩と戯れただけじゃないですか」
あはは……と、珍しくも戸惑いがちに苦笑う相庭。
この狂人への最大の対抗策は、絶対零度を覚えた雪姫だった。
これはゴジラVSメカゴジラ的な熱い戦いだ。僕に関係ないところでやってください。
「リョータ先輩のわたしが誕生日プレゼントを用意してないなんてことはもちろんありませんとも。こちらをどうぞ」
じゃかじゃかじゃん――と、セルフドラムロールを口にしながら相庭が取り出したのは、ガラス瓶に入った黒いインクだった。
「ガラスペンはペンだけじゃ何も書けませんからね。ユキちゃんのプレゼント共にお使いください」
「あ、ああ……ありがとう」
存外まともな物が出てきて驚いている僕に、雪姫は言った。
「では、私たちはこれで失礼します――カヤちゃんと『お話』しなくてはいけなくなったので」
「――ひぇっ」
雪姫が相庭にジロリと視線を向けると、相庭は小さな悲鳴を漏らす。
雪姫……強くなったな。
「まあ……あまりやり過ぎないようにな?」
「……そうですか。涼太さんはカヤちゃんの味方ですか……」
ジロリと再び相庭に鋭い眼光。
もはや相庭は悲鳴すら出ていない。プルプルと震えている。
浮気された女は、男ではなく浮気相手の女を憎みがち――というトリビアを思い出した。とりあえず黙祷しておこう。
「じゃあ、雪姫、それから相庭、ありがとな。これは大切に使わせてもらう」
「はい。涼太さんも、選挙演説頑張ってください」
「………」
その言葉に、うんともすんとも返せない僕だった。