僕の恋路は壁が多い   作:銀楠

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裏切る方だって辛いけど、絶対裏切られた方が辛い

 

 

 五限目は十分の短縮授業だった。

 で、普段より短い五限目が終わると、全校生徒は講堂に集まって生徒会選挙に出た立候補者の演説を聞くことになる。

 演台に立つ人間は全員、事前に別室に来ている。僕と前田も当然いた。

 もちろん前生徒会長である忘野先輩の姿も。

 彼女は僕と前田の顔を見て、にやりと笑っていた。

 かなり楽しそうだ。これは僕が文句を言っても柳に風だな。

 前田の表情はいかんとも表現しがたい。今から行う演説への緊張と、傍らに僕がいることへの安心が、絶妙な表情を作り上げている。

 町田陣営は、かなり居心地の悪そうな雰囲気を出していた。前田の様子をちらちらと窺っているようだが、声を掛けてこようとはしない。

 正直助かった。今の前田に、普通の応対ができるかはかなり際どい。

 

「大丈夫だよね……?」

 

 前田が僕の袖を掴み、上目遣いがちに訊いてくる。

 

「もちろんだ」

 

 前田の熱すぎる信頼を裏切るようで、心が痛む。やはり、全員が幸せになることはできないのだ。何かを得るには、何かを支払わなければならない。

 願わくば――すべてが終わった後、前田が僕のことを、それでも友達だと呼んでくれるなら。

 そんな絵空事を空想する。

 

 やがて、進行を担当する生徒がやってきた。選挙管理委員会の三年生だ。

 

「はい。本日はよろしくお願いします。既になにをするかはご存じだと思いますが、一応簡単におさらいしますね」

 

 プリントが回ってくる。誰もがそのプリントに視線を落とす中、前田だけは読もうとすらしていなかった。

 

「応援演説人も含めて、演説をする人は全員、演台横の椅子に座って自分の番を待ってもらいます。なので、ここに戻ってくるのは全部の演説が終わってからですね」

 

 舞台から控室に戻ってしまうと、他の候補者の演説を聞けないからな。うろ覚えだけど、去年もそうだった気がする。

 

「それと、今回は副会長に立候補した人がいないので、選挙の規則に則って、次点の生徒を副会長にしたいと思っているのですが、構いませんか?」

 

 つまり、負けても副会長の席は用意されているということだ。

 だが。

 今回はそれじゃあダメなのである。

 状況が変わった。

 もはや生徒会長というポジションにすら興味はない――勝利だ。勝利しなければ意味がない。

 

「では、舞台袖の方に移動してもらいますか?」

 

 選挙管理委員会の指示に従って移動を始める。

 みんなで動き始める際、離れたところに立っていた忘野先輩が流し目を送ってきた。

 その妖美な視線に、僕はやはり、獣の笑みを幻視した。

 

 

 講堂にいいイメージはない。

 わけわからんおじさんとおばさんの、やたらに長いだけの話を聞かされる空間というイメージしかないからだ。

 冷暖房も充実しているとは言い難くて、夏は暑いし冬は寒い。

 ほとんどの生徒のそれに漏れず、僕もまた、講堂が嫌いな生徒の一人だった。

 

 ただ、まさか舞台の方に立たされるとは思ってもなかったが。

 考えてもみれば、あのおじさんおばさんも、同じ環境に同じ時間いなければならないわけで、彼ら彼女らを憎々しく思うのは、お門違いだったのかもしれない。

 そんなことを思った。

 

 前を歩く町田が入場していくので、僕も続く。

 まずは忘野先輩が演台に立った。

 

「まずは一年間、生徒会長を全うさせていただいたこと、感謝します」

 

 その言葉と同時に、僕の眼はどうしようもなくいほどに忘野先輩に惹きつけられた。

 場の空気が一瞬にして彼女に支配される。

 カリスマ。

 そう呼ぶにふさわしいものを、彼女は持っている。僕の場合、頭に『悪の』とつけたくなってしまうが。

 

「私が生徒会長という大任を務められたのは生徒の皆さんのお蔭です。本当にありがとうございました――次の生徒会長も、託せる生徒になってほしいと思っています。皆さんどうか、真剣に演説に耳を傾けてください」

 

 そして長くもなく、短くもない謝辞は終わった。

 喝采が行動を埋め尽くす。

 扇動者という言葉が頭を過った――それはさすがに、色眼鏡というものだろうか。

 彼女を苦手に思う僕だから。

 彼女の一挙一動が。

 彼女の行動に伴う全ての結果が。

 僕にはどうしても、気持ちの悪いものに見える。

 色眼鏡。

 昨日今日で、突如嫌いになった言葉だ。

 

 そして進行は手ばやに進み、早くも演説の時間になった。

 まず、パイプ椅子を立ったのは町田だった。

 町田陣営は応援演説人である加持を後に回す作戦らしい。

 

「町田竜虎(りゅうこ)です。ドラゴンの竜にタイガーの虎で『りゅうこ』です。一瞬かわいい名前だなって思った人もいるでしょうけど、これはカッコいい名前です」

 

 町田はいきなりジョークから切り出した。

 町田は爽やか系の男子なので、このくらいの冗談なら口によく合っている。

 

「これから二年も終わりに近づいてきて、当たり前ですけど三年生も一年間しかなくて、俺は何か、誇れることがしたいと思って生徒会長に立候補しました」

 

 そこから続く町田の演説は、一言で言うと「真面目」だった。

 面白味があるかと言うと、そんなにない。ドストレートに直球勝負を仕掛けてきた。

 

 勝ちに来ている。

 

 ――そう思った。

 いま、前田は未曽有のピンチに晒されている。噂によって、勝率は限りなくゼロに近しい。だから、余計なことは何もしないで、大人しく取れる票を取りに行っているのだ。

 加持の作戦だろうか。

 終始、真面目なまま、どこにも瑕疵のない町田の演説は終了した。

 

 どこからともなくぱちぱちと小さな拍手が巻き起こる。

 忘野先輩に巻き起こった喝采の後なので小さく聞こえてしまうが、舞台上に聞こえてくるくらい拍手が巻き起こっているのだから、充分に成功だ。

 

 すっと、加持が立ち上がる。

 それから、少し後ろの方を振り返った。

 その顔をやりにくそうに歪めて、泥を吐き出すように言う。

 

「……悪く思わないでください」

 

 弱っている人間を叩きのめすのは、それはまあ、心に負担のかかる行為だろう。

 前田に関しては一切触れない演説。

 至って普通のことだが、良心の呵責は無視できないらしい。

 難儀な奴だ。

 

「二年の加持百合子(ゆりこ)です。生徒会長に立候補した町田竜虎さんを支持します」

 

 そこから始まった加持の演説は、やはりこれと言って特徴のない、それゆえ文句のつけようもない、平坦なものだった。

 堅実に。

 確実に。

 負けないことで、勝とうとしている。

 

 最悪のパターンだ。

 堅実に勝たれるのが、一番具合が悪い。負けるならせめてトリッキープレイに負けないと、言い訳のしようもないほどに実力で敗北したことになる。

 それはまずい。

 

「ねえ、篠宮君……私、どうしたらいいの?」

 

 前田が小声で訊いてくる。

 僕も小声で答えた。

 

「次、僕が先に演説する。それを見てろ、そしたらわかるから」

 

 嘘は言っていない。

 嘘ではないだけ――といった感じだが。

 

 やがて、会場から小さな拍手が起こった。

 加持の番が終わったらしい。

 さて、次は僕の番か。

 パイプ椅子から腰を浮かす。

 演台に向かう途中で、加持と擦れ違った。

 一瞬目が合うが、気まずそうに目を逸らされる。

 そこまで気にしなくてもいいのに。

 

「えー。篠宮涼太です。前田華凛の応援演説人をしています」

 

 そう言って。

 僕は演台から講堂を睥睨した。

 前田華凛の名に反応して、誰もが口々に噂話を始める。それぞれは小さな声で喋っているつもりなのだろうが、みんながそんなことをするものだから、講堂は騒音で溢れかえっていた。

 散漫な意識で、思い思いに喋っている連中を、僕は黙って見下ろす。

 

 視界の端で、選挙管理委員が戸惑っているのが見えた。

 僕は先ほど名乗った。つまり演説はスタートしている。なのに僕は話し始めない。

 困っているのであろう。

 一年生の制服を着た選挙管理委員会に、僕は視線だけでストップウォッチを押していいと合図した。

 三分以上、五分以下。

 それが僕の持ち時間。

 選挙管理委員会の後輩が躊躇いがちにストップウォッチのボタンを押したことで、僕の持ち時間は減少し始めた。

 それでも僕は何も話さない。

 

 ただ、ざわめく講堂を眺める。

 暇なので、見知った顔を捜すことにした。

 

 雪姫はこちらをじっと見ている。相庭は寝てる。天乃は相変わらず眼帯。千種は今日も姿勢が美しい。星川はギャル友に話しかけられていて、累は僕のことを半笑いで見ていた。

 

 しばらくすると、あまりに何も喋らない僕に対して、講堂全体がざわつき始める――が、それでも僕は微動だにせずただ見下ろす。

 弛緩していた空気が一周回って静かになっていく。だが、僕はそれでも満足しない。

 ただ、ぼっと立ち続ける。

 

 なにを言ってもいいのなら、なにも言わなくてもいい。

 

 事前に確認したのだから、ルールに抵触してないのは間違いない。

 さすがにフランス国家を熱唱するつもりはなかったが、ガン黙りする可能性は、あの時から考えていた。

 何かを喋るための場所で、あえて何も喋らない。

 太古の昔より使われてきた技法だ。

 

 いずれ、誰も口を開くことがなくなり、講堂の中に緊張感が出てくる。

 煩いくらいの沈黙が張り詰めてくると、ようやく僕は口を開いた。

 

「今から前田華凛が演説をします。きっと素晴らしいことを話してくれるでしょう。どうか、ご清聴をお願いします」

 

 丸投げ。

 僕は無責任に前田にすべてを投げつけることを選んだ。

 演台を降りると、前田が僕のことを大きく目を見開いて見ていた。

 

 信じていたものに裏切られたような――いや、『ような』というかまんまその通りなのだろう。

 彼女は僕を信じてすべてを託したはずなのに、その全てを土壇場で丸投げされた。

 その絶望感たるや、筆舌に尽くしがたいものだろう。

 

 胸が締め付けられるように痛い。

 押しつぶされそうなほどの罪悪感が、僕の全身に圧し掛かる。

 

 席に戻る最中、次に演説する予定の、僕にハードルを上げるだけ上げられた前田と擦れ違う。その顔は悲愴に染まっていて、スカートの裾から覗く膝はいっそ滑稽なくらい笑っていた。

 擦れ違いざま、袖を掴まれる。

 僕を見上げる瞳は、恐怖に震えていた。

 

 ――今から何とかしてくれるんだよね?

 ――ほら、何でも言うこと聞くから。私、何すればいいの?

 ――助けてくれるんだよね?

 

 そんな声が聞こえてくるようだった。

 僕はそんな彼女の手を、無慈悲に振り払う。

 

「ごめん」

 

 

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