幽冥来たりて、禍を生す   作:クサリ

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 その部屋は、何の変哲もない教室のようだった。ただ、扉に鍵がかかっていて、入るのに児島が持ち出したマスターキーが必要であったということだけが今までの部屋と異なる所だった。扉を開け、生ぬるい空気に乗って腐敗臭が広がる。いい加減慣れ始めていたとは言え、ここにも死体があると考えると児島の気分は沈みもする。だが、二人を出迎えたのは予想だにしていない光景だった。

 

「だれっ!?」

 

 張り詰めた声が耳朶を打つ。甲高く、掠れた声。人の声だ。

 目を見開いた児島が素早く部屋を見渡し、教室の角に人影がうずくまっているのを見つけた。

 児島と同じ学生服を身につけた、小柄な少女だ。肩口を少し超えた程度の明るい茶髪を鮮やかな青いリボンでルーズサイドテールに纏めており、華奢な体躯は平常ならば庇護欲を唆る愛らしさを感じさせるのだろう。しかし、ぽっかりと空いた眼窩とそこから絶え間なく流れ続ける血がその全てを台無しにしていた。

 

「ちょ……大丈夫っ!?」

 

 慌てて駆けつけた児島がその肩に触れると一際大きく体を震わせたが、相手が人であるとわかると胸の前で強く握られた拳が緩んだ。恐怖に引き攣った呼吸をほぐすように児島の手が背中を撫でると、それに合わせてゆっくりと呼吸を深く整え始める。ぶるぶると細かく体を震わせる彼女に根気よく付き合いながら、こんな状況なのに何の動きも見せない敷島に対して鋭い視線を向ける。

 しかし敷島はどこか唖然とした様子で二人を見つめるばかりで────いや、違う。わなわなと唇を振るわせ、自身の胸元を握りしめるその姿はひどい混乱と、何か児島には推し量れない強い感情を押し込めているようにも見えた。

 怪訝に思った児島が声をかけようとしたその時、少女の方から声がかかる。

 

「だ、だれ、なの? 怪物じゃない、よね?」

「うん、怪物じゃないよ。私、児島花澄(かずみ)。あなたは?」

 

 安心させるように手に触れて、そこで少女の指先に血と肉がこびりついているのに気づいた。彼女の握り込んでいた拳から、ずたずたに傷ついた眼球が二つころりと落ちる。

 

「こ、児島、さん? あの、学年順位でよく見る……」

「あ、うん。そっちで認知されてたか」

「私は、相沢奈津美(あいざわなつみ)。児島さんは……一部で有名だから……」

 

 頭が良いと評判である、というのは決して児島の思い上がりではない。定期テストの順位発表で常に上位に居る児島の名前は、成績を気にする類の人種にはそれなりの知名度を持っている。目の前の彼女も、その知名度を知っている側の生徒であるらしかった。

 

「それで、奈津美ちゃん。何があったの……?」

 

 奈津美の様子は明らかに尋常ではなかった。どこにも外傷がないようなのに眼窩の周りだけは酷く傷ついていて、肉の抉れたような痕まで見える。誰かが意図を持って傷つけたにしては、あまりにも思い切りが悪い中途半端な傷も多い。恐らく、自分で自分の眼球を抉り取ったのだ。

 

「児島さんは、覚えてないの? 変な時間にチャイムが鳴って、辺りが急に暗くなって、校舎もへんなことになって」

 

 奈津美は唇を噛み締めて、何かを恐れるように辺りを見回すような仕草をする。児島は手を握る力を強めて、急かすことなく続きを待った。

 

「みんな────みんな、体育館に避難するように放送があって、私は保健室にいたから、優子ちゃんと一緒に行こうとして、でも、でも、ああ、あの子が寝てるから起こして連れて行かなきゃって───」

「大丈夫。話したくないところは、話さなくても良いからね」

 

 再び奈津美の呼吸が浅くなり始めたのを見て、体を密着させるようにして背中を叩く。詳細はわからないが……なんとなく、その続きは想像できた。たぶん、あの惨状を見てしまったか、あるいはまさに()()()()現場に出会したのだろう。

 

「……保健室から逃げて、でも気づいたら怪物が廊下を歩き始めて、二人で近くの教室に隠れて、ああ、でも、でも」

「でも?」

「優子ちゃんが……優子ちゃんが、()()()()()()()!」

 

 意味を図りかねる発言に思わず児島の動きが止まる。奈津美は止まったその手を払うように勢いよく頭を抱えて、がりがりと掻きむしり始めた。

 

「生まれた、生まれちゃった! やだ、うらやましい、ああなりたくない、なんで、生まれた、やだ、おいてかないで!」

 

 爪が頭皮に食い込む。絡みついた髪を引きちぎるように掻き乱す指が肉を抉り、赤黒い血が奈津美の顔を伝い始めた。児島が慌ててその腕を止めようとするが、小柄な体のどこにそんな力があるのかわからない程の怪力で何の制止にもなっていない。

 

「しっ、敷島さん! 手伝って、この子、すごい力……!」

 

 今度は奈津美の動きが止まる番だった。敷島、とその名前を繰り返して、虚な眼孔が正面を向いた。

 敷島は、ようやく二人の近くにまで歩み寄って、奈津美の前に膝をつく。青ざめた唇を恐怖に震わせて、掠れた声で、こう言った。

 

「奈津美。奈津美、なのか……?」

「……お父さん?」

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