「死んだ界異の肉を利用して再受肉って、そんなのアリかよっ!?」
「アリなんだろうよ目の前でやってやがんだから! おい入口組、こいつのデータないのかっ!」
結界に阻まれて抵抗すらできずに切り殺された数多の界異。その死肉が同じ場所に固まってしまっていたのが良くなかったのだろう。ひとりでに肉塊が捻じれ、集まって球状に固まり、その肉を裂き割って新たな存在が這い出てきてしまったのだ。
それは、概ね、人型と称する他ない異形の巨人であった。ピンク色の皮膚がまだらに張り付く肉体はぶくぶくと不格好に膨れ上がり、脂肪と筋肉が球状に固まったような物体が無数に融け合って三メートルほどの巨躯を作り上げている。頭には口も鼻も耳すらもなくただ巨大な単眼が占拠し、不気味に捻じれて溶け合い、親指しかまともに識別できない肉塊のような拳からはぼたぼたと刺激臭を放つ体液が滴り落ちる。肉を粘土代わりにして適当に人の輪郭だけを模倣したような、生命への無尽の軽蔑と侮辱がそのまま形を取ったような、言い知れぬ不気味さを漂わせていた。
巨人が、結界へとゆっくりと拳を押し付けて力をかける。物理的な力ではこの結界は解除できない――――そこから来る油断を嘲笑うかのように、巨人の手の動きに合わせて結界壁はゆっくりと形を捻じ曲げつつあった。
「嘘だろ、こいつ結界に干渉してやがる!」
「えええええっ、こんなナリして結界破りの技術あんのこいつっ」
「……結界を放棄します! 総員退避っ!」
参番の号令の下、巨人とは反対側に結界を抜けて後退する。壱番に抱えられて運ばれる児島は、巨人の手によっていともたやすく結界が押しつぶされ、破断する様をありありと見せつけられていた。
『データ照合完了! 待ったせたね三人とも、そいつには一例だけ出現例があった!』
「篝さん! 前置きはマジでいいんで、はやく! はやく詳細をギブミー!」
『識別名“
間合いを取り終え、児島を降ろした面々が巨人へと向き直る。血桜を構える壱番と弐番に、カラビナを構える参番。一つ眼はナナツド隊をゆっくりと睥睨して。
その瞳が、怪しい光を放った。
『――――“邪視”だ! そいつの視界に入るな、穢れに
途端に、壱番の体がびくりと痙攣し、眼から真っ黒な血が涙のように流れ始める。その懐から、真っ黒に染まった人型の符がはらりとこぼれ落ちた。
「枚数確認! 七!」
「五!」
「……っ、三!」
一瞬の視線の交錯で、壱番は一回分の死を迎えた。形代紙がなければ魂の全てを汚しつくされ、人としての死を迎えることができない体にされていた。己を通り過ぎた破滅の余韻に呼気を震わせ、しかし壱番は一つ眼を睨み据える。
「児島ちゃん、遠く離れていてくれや。今回は流れ弾もあり得る規模の戦いになる」
「でもっ」
「でももクソもねえ! 守るだけの余裕がねえんだよ、聞き分けてくれ!」
怒号を放つだけ放って、まずは弐番が一つ眼へと向かって駆けだした。廊下で壱番も見せた、姿勢を低く保って重心を投げ出すような走り方だ。弧を描くように接近し、一つ眼の視線を一ヵ所に留めないようにしている。
「今回は僕も前に出ます。一人にしてしまいますが、あなたなら大丈夫だ。ヤツの邪視にだけ気をつけて、近寄らないように」
「逃げればいいじゃん! 私が望めばたぶん退路は出せるから、あんなの放っておいて!」
「それはダメです。あれを放っておけば、今後僕達はどこから来るかもわからない邪視に怯えなければいけなくなる。廊下のような一本道だと特に致命的だ」
理由を語るだけ語って、血桜に持ち替えた参番も続く。弐番が巨腕を紙一重でかわしたその隙を縫って、一つ眼の足を浅く斬りつけた。
「児島ちゃん、頼むよ。君に何かあれば、俺達も終わりなんだ」
「わかってる、わかってるけど……あんなめちゃくちゃな奴に立ち向かって、勝てるの!?」
「わかんない。でもやるしかないし、勝つしかない。児島ちゃんが祈ってくれれば、案外勝てちゃうかもなぁ」
息を吸って、吐いて。怯えを沈めた壱番が、児島に笑いかけて駆けだした。その間に、一つ眼の拳から噴き出した溶解液をまともに喰らった参番から形代紙がこぼれ落ちる。
受けることは許されない。見られることも許されない。そんな状況で、祓魔師達は度々形代紙を散らしながらも一つ眼と互角に渡り合っていた。
攻防の中で一つ眼の意識から外れた者が祓串を打つ。巨腕をかわした隙に注連鋼縄を張る。邪視を避けずにまともに喰らいながら、生来の霊的素養で耐え凌いで結界を完成させる。
そこまで苦労して完成させた結界も、巨人が動き出せば容易く壊される。それまでの僅かな隙に、穢装を弱めた一つ眼の体に血桜が食い込んだ。
一つ眼から血が噴き出し、めちゃくちゃに暴れ始める。無軌道に振り回される拳とそれによって飛び散る溶解液を完全に避けるのは至難の技であり、死ぬほどではない手傷もまた祓魔師達に積み重なり始めていた。
ジリ貧だ。形代紙を多く残していた参番が壱番を庇うように動いているようだが、少しずつ全員の形代紙が削れて数が均され始めている。大して一つ眼は手傷は負っているものの、まだ体力を残しているように見えた。
児島は、必死に祈っていた。壱番に言われたこともあるが、それくらいしか自分にできることはないと自覚があったからだ。もう、目の前で誰かに死んでほしくなかった。目の前で巻き起こる死に憔悴し心削る自分を、どこかわざとらしいと冷めた目で見る経験はもうたくさんだった。
こんな時すら、自分の心配を優先させてしまう心根に嫌悪が湧く。必死に戦っている三人への心配が、どこか薄ら寒い白々しさを交えたものとしか思えなくなっていく。
しかし、現実は非常だった。児島の祈りを嘲笑うように戦況は動く。
急に動きを止めた一つ眼に、ナナツド隊はまず警戒心を抱いた。しかし、既に一つ眼相手の戦闘で甚大な被害を受けている三人には、悠長に戦闘を続けている余裕はもうない。相手が何かを企んでいるのなら、それが実行される前に叩き潰すことが最適解であるというのが、三人の共有する見解だった。
ほぼ同時に、三つの刃が突き出される。それは突きこまれさえすればそのまま一つ眼の肉体の中心を抉り、絶命に至らせるであろう渾身の一撃だった。
だが、三人は判断を誤った。
一つ眼の体を構成する不快な質感の肉と脂の球体、そのひとつひとつにぱっくりと亀裂が走る。肉を割り裂き、全身に現れたのは――――眼球だ。
それら全てが怪しい光を放ち、自らを囲むナナツド隊全員の魂を汚しつくす。邪視により痙攣し固まった体を無理やり動かして後ろに飛びのき、全員が続く拳の追撃から逃れた。
「……くそ、一つ目じゃないのかよ!?」
「言っても仕方ないでしょう! しかしこれは、マズい……!」
「くそ、やべえやべえやべえやべえって! もう余裕がねえのにここで全体攻撃とか反則だろう!」
なお悪いことに、一つ眼の全身の眼球は邪視を放っても消える様子がない。ここから先、一つ眼はいつでも全方位への邪視を行うことができるという、絶望的な証左だった。
ナナツド隊が焦燥を露わにしているのと同様に、児島もまたひどく焦っていた。このままでは、三人が負けてしまう。あれほど頼もしく見えた三人であったのに、ぽっと現れたあんな巨人なんかに、成す術もなく。
あともう少し、あともう少しなのだ。あの全身に眼球を生やす変化が、一つ眼の体にも大きな負担をかけていることを児島は察していた。眼球のために無理やり肉を裂いた反動か、一つ眼から流れる血の量が急激に増えているのが、遠くのここからはよく見える。
児島は必死に辺りを見回した。自分にも何かできることはないか。このまま、傍観者のままでいて三人が死んでいくのを見守るのはまっぴらごめんだった。かといって、このまま自分が戦闘に加わるのはあまりにも無謀で、足を引っ張る行為だ。何か少しでも補助になり、邪魔にはならない行動がないかと考えて、黒い煙のようなものに覆われた空間に気づいた。
幸いというべきか、筋肉であった部分を眼球で埋め尽くした一つ眼の動きは先ほどよりも鈍くなっていた。ナナツド隊の三人は、出来る限り眼球を潰すことで邪視の脅威を軽減しようと斬りかかっているが、一つ眼もそれをさせまいと拳の振り回しと、ごく一部の眼球だけを使った邪視の連射で三人を近づけまいとしていた。一応、邪視にも一度使った後のクールタイムが必要であるようだが、この物量を前にはそんなものは無いに等しい。
攻め切らなければいけないのに、三人にももう余裕がない。有効でない形代紙の消費は避けなければならず、それが戦況を膠着させる。
一進一退の攻防。回避に次ぐ回避により界異が撒き散らす穢れと祓魔師の纏う加護が空間中に撒き散らされ、それはある現象を起こす。
唐突に、空間に満ちる空気が重くその場の全員に圧し掛かる。拮抗し、密度を増しながらせめぎ合い続ける二種の力が行き場を失くして渦巻いているのだ。
「――――戦闘区域内圧力の上昇を確認!」
「マジかよっ、もう避けらんねえってか!?」
「本格的にイチバチに賭けるしかなくなっちまったな、ああもうヤダー!!」
一度この現象が起こってしまった戦闘では、密集した穢れと加護が互いの攻撃に纏わりつき、その回避の難易度を跳ね上げる。掠めるように避けるのでは、纏わりついた力場をかわすことが出来なくなるのだ。
攻撃性を帯びた力場に触れたものの末路は言うまでもなく、退路を断たれたナナツド隊は絶体絶命の窮地にあった。
振り下ろされた一つ眼の拳を、ナナツド隊は大きく飛びのいてかわすしかない。そして、そうして隙を晒せば――――再び、全身の眼球を使った邪視がやってくる!
邪視の直撃覚悟で三人が血桜を構え、突撃しようと判断を下したその時。
「こっちを見ろぉーーーーーっ!!」
戦場に、黒く尾を引く何かが投げ込まれた。
それは銀色の光沢を放ち、片手の中に納まりそうな大きさの金属だった。何か筒状の物体を括りつけられたそれが、全員の視線を集めながら、戦場の宙を舞う。
はっとした様子の三人と違い、一つ眼はその物体から全ての眼球の視線を逸らすことができない。なぜならそれには――――
――――そのマスターキーには、疑似穢が括りつけられていたからだ。
その隙を見逃さず、三本の血桜とそれが纏う力場が満身の力を込めて一つ眼に叩きつけられる。荒れ狂う力場は一つ眼の体内で交差し、その体を爆発的に四散させた。
思わぬ幕切れに呆然とした顔を晒す壱番と弐番に向かって、決着の一手を引き寄せた少女はにっと笑い、勝利のVサインを決めてみせた。