幽冥来たりて、禍を生す   作:クサリ

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 ナナツド隊の勝利条件は、これ以上なく明確だ。タイムリミットが来る前に誰も死なずに“秘密兵器”を蛭子に突き刺してやればいい。ただし、それを満たすためには複数の障害が立ちはだかっている。

 

「長くは保たねえからな? 俺の命、預けるぞ!」

 

 弐番の手の中で、小さな筒が黒い煙を吐き出し始める。蛭子を除いた全ての界異が弐番へと視線を移したところで、弐番は姿勢を低くして走り始めた。

 重心を前に投げ出したような走り方。自身の体重を余さず加速力に利用するような疾駆は漆黒の尾を引き、周辺の界異の注意を引き付け始める。

 

「おおおおおおおおおぉぉぉっ!!!」

 

 正面から二つ腕が飛び掛かるのを這うような疾走で真下を潜り抜け、足を狩ろうとする七本指を踏みつぶす。刹那、顔面目掛けてまっすぐに飛んできたピンク色の弾丸を跳ぶように避けて、地面を転がった。

 

 ――――無脳(むのう)。神経系を束ねて芋虫型に押し固めたような小さな界異は、素材となった人間の脳実質を穢れを生み出す弾丸として放ってくる。弾丸は有限ではあるが、被弾した時には肉体と魂の双方にダメージを与えてくる厭らしい敵だった。

 

 転がる背中が七本指を潰す不快感に顔を顰めながら、くるりと体を丸めて膝を曲げた姿勢で回転を終える。弐番は慣性をある程度残したまま、再び駆けだす事に成功した。

 縦横無尽に走り回る弐番の背後に、追い縋る界異達の流れが出来始める。逃げるその背中に鎌首をもたげて狙いを定める無脳を、参番のカラビナが次々と撃ち抜いていく。

 数の暴力に加えて、それを縫うように遠隔攻撃を行う無脳の存在はどうしても許容できるものではなかった。故に弐番が攪乱を行い、隙を晒した無脳から各個撃破を行って排除することが勝利の第一条件だった。

 

「お前なんか怖くねえ! 怖くねえったら、怖くねえんだよおおおお!!」

 

 疑似餌に釣られなかった二つ腕は、壱番が相手をする。その雄たけびは情けない鼓舞のようであり、挑発のようでもある。複数体に囲まれながら二つ腕の殴打を時にいなし、そらし、弾いて持ちこたえるその姿は弐番ほど巧みではないが、少しだけ持ちこたえられるだけで十分だった。

 

「壱番、バック!」

 

 参番の声に従い、壱番が無理やりに後ろへと飛びずさる。隙だらけなその体に致命打を加えようと大振りの打撃を構え、しかしそれが実現することはない。

 風のように目の前を過ぎ去った弐番を追った界異の群れに、思いっきり衝突されたからだ。

 体勢を崩した二つ腕達を続く界異が次々と踏み越えていき、そしてその隙間に、黒檀の筒が転がった。

 瞬間、空間に放射された呪詛が爆発的に死を振りまいていく。

 

『よしいいぞ弐番くん! すぐさま90度ターンだ、じゃないと児島ちゃんの進路を塞いじゃうからね!』

「これっ……すんげえ、しんどいん、だけどっ!」

 

 ナナツド隊のつけている狩衣には、異界調査に使われていた機材を小型化したものが組み込まれている。篝や各務といった入口待機組はそれを利用してナナツド隊周辺の状況を把握しているのだ。今回はそれを使って、走ることに全力で周囲を把握する余裕のない弐番を、篝がつきっきりでオペレートしていた。実質的に弐番の命を握るプレッシャーも何のその、篝はラジコンのようなものだね、なんて笑いすらしていたのだから頼もしいというか、人の心に乏しいというか。

 

「参番!」

「了解!」

 

 前方が崩れて次々と玉突き事故を起こす界異に向かって壱番と参番が次々にカラビナを撃ち込んでいく。もはや、この先のことを考える必要のない二人は祓串の残量を気にすることなく、優先的に二つ腕へと攻勢をかけた。

 

 狩衣にしっかりと守られた祓魔師に対して、七本指は単体での脅威をもたない。唯一の寄生はフェイスガードによって防がれているし、フェイスガードを壊すほどのパワーは七本指にはないからだ。

 だから、この作戦ではその存在を無視することにした。精々が組み付かれて重しとなり、他の界異の攻撃を受けないように気をつける、と言った程度だ。そもそも、数が多すぎてまともな対処など出来ようはずがない。そちらへリソースを割り振るのはやめて、個々の脅威が高い二つ腕をまず排除することにナナツド隊は決めていた。

 

 戦況は、急速にナナツド隊へと傾いていく。戦闘開始から数十秒、二つ腕は既に大きく数を減らしている。加減なしの全力疾走を続けていた弐番はとうとう疑似穢を遠く放り投げてしまったが、もう彼が界異を引き連れて走る意味は薄い。肩で息をしながら油断なくこちらへ合流する彼は、間違いなく今回の最大の功労者だった。

 だが、ナナツド隊は誰一人として険しい顔を崩すことはしなかった。このままで終わることはないと、全員が理解していたからだ。

 

 赤子の泣き声が響き渡り、界異達の死肉が中央に鎮座する四つの塊へと集まり始めた。

 

 

 

 

 児島の意識からは、現実感というものが欠落していた。

 ふわふわと浮かぶような感覚。暖かな液体に全身を包まれて、微睡んでいるような幸福感が胸を満たしている。

 常に児島を蝕んでいた欠落感も、今ばかりはない。今までずっと失くしていたものを取り戻したような、ただ幸せな充足感を生まれて初めて感じていた。

 

 ――――お兄ちゃん、私には、お兄ちゃんが居たのね。

 

 今の児島は、全てを理解している。自分に欠落していたものは何だったのか。どうして常に出来の悪い劇でも見るかのように現実を見てしまっていたのか。

 ああ、それは当たり前だ。こんなに重要な登場人物を欠いていて、どうして真に楽しめるというのだろうか?

 暖かな羊水に包まれていたあの頃を思い出した。鈍く響く心臓の音がもたらす安堵を思い出した。隣に感じる存在の愛おしさと、それを失うことの心細さを、思い出した。

 

 ――――生まれたいのね、お兄ちゃん。私みたいに現世に生まれ出てみたいのね。

 

 最愛の兄は、生まれる前に死んでいた。母親の胎内から出ることもできず、理由もわからないまま世を去ってしまった。そして偶然、その体の一部が私に吸収されて、私は一人でも二人でもない中途半端な存在として生を受けたのだ。

 穢れを持っている理由なんて、簡単なことだった。参番の語った“我兄喰(わせぐ)い”。私は最愛の兄の骸を喰らっていたのだから、儀式の要件を満たしていたのだろう。

 

 今なら、兄の切なる叫びがわかる。そのいじらしい欲求が、健気に願う想いが十全に理解できる。

 生まれてみたかった。妹と同じ感覚を味わってみたかった。呼吸というものをしてみたかったし、誰かに愛されたかった。

 ああ、あの、大きな手! 母の体を通り抜け、小さな妹の体を取り上げたあの暖かな手のひらに、焦がれて焦がれてしかたがない!

 そう訴える声は、幽冥を転がり落ちる内に同じような境遇の霊魂に届き、そしてマヨヒガに届いた。

 マヨヒガは子供たちの母となり、その()内に招き入れて生誕の時を待ちかねていたのだ。

 惜しみなく()を与え、揺籃(死肉)を与えて、とうとうその献身は身を結びつつある。

 

 ただ生まれたいと訴える他の霊魂と違って、兄はもうひとつ、余分に願いを持っていた。

 (花澄)に会いたい。どうせなら、(花澄)に取り上げて欲しい。

 その願いのなんと愛らしいことだろう。それ故にマヨヒガは児島の通う学校に発生し、その内に存在した全ての人間を胎へと招いたのだ。

 

 私一人だけ、すべて忘れてしまっていたことが申し訳なかった。そして、兄の存在を隠していた両親のことを、少しだけ憎らしく思う。

 でも、今となってはもうどうでも良かった。私が兄の体を受け止めれば、兄はこの世に生まれ落ちることができる。私の欠けていたパーツが、かちりと音を立てて嵌まるのだ。

 私と兄は完全なものになることができる! それを思うだけで、幸福が溢れて止まらない気持ちになった。

 見上げれば、おくるみに包まれた赤ん坊が光の中をゆっくりと降りてきていた。あれが兄だと、直観的に理解する。

 それを受け止めようと上げかけた腕を、がくんと引くものがあった。

 

「なかったことにするの?」

 

 血まみれになった虚ろな眼孔が、私のことを見つめていた。

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