幽冥来たりて、禍を生す   作:クサリ

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エピローグ
幽冥来たりて、禍を生す


 光が収まった時、辺りは静寂の暗闇に包まれていた。異界特有の重苦しく肌に張り付く様なものではない、一種穏やかさを感じるような、静謐な空気を壱番はいっぱいに吸い込んだ。

 

「…………あーーーっ、疲れた!!!」

 

 溜まりに溜まっていた鬱憤を晴らすように張り上げられた声がぐわんと体育館に反響し、そこにいる三人の耳朶を叩く。迷惑そうに頭に手を当てながら、壁際にもたれかかっていた弐番が立ち上がった。

 

「うるっせえんだよ、おちおち寝てもいられねえ」

「えええっ!? まさかの罵倒!?」

 

 そこは労ってくれるところじゃないの!? と騒ぐ壱番を適当にあしらいながら弐番が辺りを見回す。木造だったそれらは色と質感を取り戻し、元の光景に戻っているように見えた。

 

「こりゃ、あー、うまくいったのか?」

「ええ、なんとか。ギリギリ間一髪ってところでしたけどね」

 

 見れば、全員の体がボロボロに汚れ傷ついていた。穢れによる変異こそは形代紙が最後まで引き受けてくれたものの、その分こまかな外傷が無数に刻み込まれている。

 

「あ! 参番、最後無茶して生身で邪視引き受けてたろ! 大丈夫なのか?」

「平気ですよ。僕は霊的素養が高い分、その辺りの抵抗力もありますからね。とはいえ、医霊はしっかりと受けないとダメでしょうけど」

 

 気怠そうに腕を回す参番を見て、壱番は安堵の息を吐く。今度ばかりは、誰が死んでいてもおかしくないキツい修羅場だった。

 

「はあーあ、気が抜けたら腹減ったなあ。この後なんか食いに行かない?」

「良いですね。デブリーフィング終わったらみんなで行きましょう。何食べますか?」

「おいおい、壱番に決めさせるなよ。そいつに聞いたらいつだって焼肉って答えるに決まってるだろ」

「えー、良いじゃん焼肉。ガッツリ動いたからガッツリ食いたいしさ。そういう弐番は何が食いたいんだよ?」

「肉」

「ほらーっ! 弐番だってそうじゃん!」

「二人とも、よくアレの後にお肉食べようと思えますね……。まあ僕も行けますけど」

 

 騒がしく話しながら体育館の扉を開けて、久方ぶりの外気を存分に肺に取り入れる。そういえばと弐番がフェイスガードを外せば二人もそれに続いて、くたびれた笑みを突き合わせた。

 

『三人とも、お喋りを楽しんでるところ悪いけど早くこちらに戻ってくるように。というか普通まずはこちらに連絡しないかね?』

「あっやべっ、ごめんなさい。なんかもー、終わったー! って気分でいっぱいでした」

『やれやれ、その辺りの切り替えの速さも評判の秘密なのかな。各務くんが君たちの治療をしたくてソワソワしてるから早く帰って来なさい』

「はーい」

 

 淡い月光に照らされた道を、三人が歩いていく。何か怪訝そうな顔をした弐番が、あっと声を上げた。

 

「待て、そういや児島ちゃんはどうした?」

「あっ、マジだ居ねーじゃん! 探さねえと!」

「その必要はありませんよ」

 

 参番の静かな否定に、壱番と弐番が顔を見合わせる。

 

「そんなこと言ってられねえだろ。異界からの帰還なんだからどこに飛んでてもおかしくねえんじゃないの?」

「そーだぜ、いきなりひとりぼっちになって児島ちゃん泣いてるかもしれないじゃん!」

「いえ、彼女は無事に帰りました。ここからの捜索は無意味です」

「……なんでそうわかるんだよ?」

「わかるものは、わかるんです。ほら、各務さん達を待たせてしまっていますよ」

 

 珍しく抽象的な参番の言葉に、困惑を強めて二人がまた顔を見合わせる。参番はその様子にくすりと美しい笑みを浮かべて、どこか上機嫌そうに歩き始めた。

 

 

 

 

 ────光が収まった時、児島は体育館でひとり、ぽつりとその場に立ち尽くしていた。

 ぼろぼろと涙をこぼしながら、ごめんなさい、ごめんなさいと謝罪を繰り返す。右手首に巻かれていた血染めのリボンを握りしめ、とうとううずくまってしまったその姿を、異界発生の初動に駆り出されたタクティカル祓魔師が発見した。

 

 児島は、四年前に戻されていた。マヨヒガ事件が発生したその翌日に。ひどく憔悴した様子の彼女は手厚く保護され、境界対策課管轄の医霊部門で診察を受けながら事情聴取が行われた。

 心に大きな傷を負っていた児島に、供述を誤魔化そうという発想をする余裕はなかった。自分が正直に全てを語ることが何を引き起こすのか、よく考えることもせずに洗いざらい吐き出したそのことを、児島はこの先ずっと後悔し続けることになる。

 

 境界対策課にとって児島の証言は、緊急性に富み重大な意味を持つ情報に溢れていた。現在の装備実験班には存在しないナナツド隊という部隊。マヨヒガ事件以降調子を崩し始めた旧姓に敷島を持つ相沢という職員。そして、この手に負えないマヨヒガをたった三人で攻略することが可能となる未来がやってくること。数多の犠牲はありながらも、()()()()()()()()()()()()()()()()の情報は、まさしく祓魔師達が喉から手が出る程に欲していたものだった。

 故に、児島の生還は徹底的に秘匿される運びとなった。マヨヒガ事件の生存者は零名。それが真実となり、不審な上層部の動きに何かを察した敷島が黒不浄を盗んで出奔するのを、あえて止めるものは誰も居なかった。

 

 児島の不幸はそれだけに留まらなかった。医霊部門による診察で、児島自身の体質が変化をきたしている事が発覚したのだ。身に宿す穢れの最低量が固定され、いくら祓っても外部に汲み出しても変化しないということだった。

 これは、とてつもなく恐ろしいことだった。穢れを汲み出しても汲み出しても尽きないということは、児島一人を確保すれば()()()()()()()として活用することが可能になるということだった。呪詛犯罪者が児島の身柄を得でもすれば、下手をすれば国を揺るがす大規模テロですら可能となる。穢れが引き起こす界異の発生とそれがもたらす甚大な被害を目の前にした後では、児島を自由にするわけにはいかないと語る祓魔師達の言い分にも頷く他になかった。

 

 児島花澄は、マヨヒガ事件で死亡した。そういうことになったし、児島もまたそれに同意した。両親を恋しく思う気持ちはあれど、彼らを自分のせいで事件に巻き込むことだけはしたくなかった。そうして、児島は名を変えて残りの青春を境界対策課内で過ごすことになる。

 

 

 

 

「────よく我慢したものだよね。君の献身には本当、頭が下がる思いだよ()()()()()

「……二度とその名で呼ぶなと伝えたはずですが」

 

 瞳に燻る昏い感情を隠すこともなく、中性的な美貌を持った人物が篝を睨みつけた。作戦からは日を改めた後、狩衣の調整があるからと篝に研究室へと呼び出されたのだ。

 

「いや、いや、すまないね。ただ、君を称賛する気持ちは本当なんだよ。あの時、過去を改変する権利を手にしていたのは君だけだったというのに」

 

 そう。マヨヒガの中で、参番は、参番だけは、児島の存在によって定義された規定ルートから外れることができた。早期に突入して敷島との合流を図っても良い。児島に諸々の真実を明かして兄を求めさせ、もっと素早く被害のない攻略を可能とする選択もあっただろう。だが、参番は決して、決してそれをしなかった。

 

「……するわけないでしょう。僕にだって、約束がある」

 

 すっかり色褪せて水色になってしまったリボンを懐から取り出し、大きなため息を吐く。長い、長い道筋だった。ひたすら自分を捨て、ゼロから積み上げていかなければならない旅路に最後に残った“児島花澄”を、今ようやく手放せる。マヨヒガが公的に解決された今この時から、遺品を表に出しても問題がなくなったのだから。

 

「マヨヒガ────迷い家にはね、一つだけ迷い家のものを持って帰って良いという伝承があるんだ。例えばそれが器なら、そこに盛った米は尽きることがなくなるし、例えばそれが水飴の入った瓶ならばやはり水飴が尽きることはなくなる」

 

 参番の気怠げな瞳が篝へと向けられた。そんな程度のことはすでに参番も調べ上げているし、だからそこから続くであろう言葉も容易に想像がついた。

 

「僕がこれを持ち帰ったから、穢れが尽きることのない体になったと言いたいんでしょう?」

 

 そうだけどね、と篝が苦笑して、手をひらひらと振る。

 

「それから先の話さ。君という器の中身が固定された以上、それを誰かに譲渡してもそのリボンにはそれ以上の力はないし、君の体質が変わることもない」

 

 不器用な励まし────励ましなのだろうかこれは?

 とにかく参番はため息をついて、わかっていますよと首肯する。名残惜しさを感じないこともないが、もうこれを手放すことは決めていた。

 

「いいや、わかってないね。私が言いたいのはロマンの話さ」

「ロマン?」

「君はあらゆるものを失ってきた。友人、家族、名前、過去。そして今、最後に残ったものも手放そうとしている。そう────これでようやく児島花澄は死んで、君は生まれ変わることになる」

 

 生まれ変わり。生まれ変わりか。

 その言葉は、不思議と参番の胸にすとんと収まった。しがらみと呪縛に囚われていた児島花澄から解き放たれ、今ようやく別の人生へ踏み出すことができるのだと。

 そう思えば、そう悪いことでもない気がしてくるのだから不思議なものだ。

 

「いいですね、それ。僕はこれから生まれ変わる。新しく生まれてしまったものがこんなに禍々しくては、みんなに悪い気もしますけど」

「良いんだよ、それでも。壱番くんも弐番くんも笑って迎え入れてくれるさ────それでもお前は仲間だろ、ってね」

 

 気づけば参番は、驚くほど柔らかな笑みを浮かべていた。

 それはきっと、生まれて初めての心からの笑顔だった。

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