飛び込んだ先は、どうやら職員室のようだった。小物や書類の置かれたデスクが規則的に配置され、壁には掲示物や黒板が整然と並んでいる。ここでも独特の腐敗臭が漂っているあたりどこかに肉片が散らばっているのだろうが、何かが動く気配はなかった。
二人の背後で扉が消え去ったのを確認すると、児島がゆっくりと地面にへたりこんだ。
「もうやだぁ……何なの、さっきから……」
「たぶん、場所と場所がめちゃくちゃに繋がったり途切れたりを繰り返してるんだろうな。同じ道を通って同じ場所にたどり着けるかは限らないっつうか」
「そういうことじゃないってば」
さすがに疲れた様子で頭を掻きながら話す敷島に、ため息を返す。この男、デリカシーがないというか、怯えたり戸惑ったりという心の動きがないのではないか。何が起こってもすぐに状況の分析を始める無神経さは頼もしくもあり、やはり怪しくもあった。
ただ、悪人ではないのだろうという確信もあった。細かい機微は拾ってくれなくても、こちらを気遣おうとする姿勢は端々に感じることもなくはないし、致命的な所ではいつも助けてもらっている自覚が児島にはある。
だからこそ、当の敷島が児島のことを訝し気に見つめていることに気づいた時、なんとも釈然としない気持ちになった。
「なに、その顔」
「いやあ、ちょいと気になることがあってな」
もごもごと言いづらそうに見つめる敷島の視線から怪訝さは消えない。それがなんだか気に食わないというか、もどかしいというか、とにかく癇に障る感じがして、児島は一度大きく息を吐く。
「なら、ちょうど良いかも。私も敷島さんに気になってることがあるし、お先にどうぞ?」
「お先にどうぞってなあ……まあ、いいか。先に言っとくけど怒んなよ?」
鼻息も荒く頷いた児島を前に、「本当にわかってんのかねえ」というような顔を敷島はしたが、観念したようにその疑問を言葉に出す。
「さっきから……児島。起こっていることがお前さんにとって都合が良すぎねえか」
「……都合が良い? こんな所に閉じ込められて、怪物に襲われてるのに?」
「それはそうなんだがな、一旦そこを除いて考えてみろよ。お前が気絶した後、どうなった。お前が界異……怪物どもに見つかった後、どうなった?」
敷島の提示した問いに児島は言葉を詰まらせた。気絶すると、保健室が見つかった。怪物に見つかると、逃げ道が現れた。確かにそれだけを見れば児島にとって都合の良いように物事が動いているとも取れる。
「でも、不都合なことが起きていないわけじゃないわ。それならそもそも怪物に襲われないし、あんな……あんな、怪物達の巣みたいなとこに出くわすわけないじゃん」
「それは……そうなんだよなぁ。だけどあえて、あえてだ。それに意味があるとすれば、どういうことだと思う?」
「はあ? 意味って」
意味、意味と来たか。怪物に襲われることに意味なんてあるのだろうか? その塒に迷い込むような意味とは?
一度考える方向に頭を切り替えれば、滑らかに思考は回り始める。襲われることそのものは、敷島も児島も同じだ。同じであるならばそこに特別なものはない。故に考えるべきは、児島の開けた扉が怪物達の巣に繋がったこと。
あれが児島の存在に起因した出来事であるのならば、敷島と自分は何が違う? 体格、年齢、性別、あるいは心の持ちようであるのか、服装、あるいは所属。あるいは、あるいは――――
――――懐かしく切ない感情を唐突に思い出す。それは、あの空間の中央に吊り下げられた、巨大な塊を見た時のものだ。
はっとして顔を上げると、感情が抜け落ちたような冷たい視線と目が合った。好奇心も興味も、およそ熱と呼べる感情の感じられない、無機質なガラス玉のような目と。
「意味なんて、あるわけないじゃん」
咄嗟に誤魔化しの言葉を吐き出したのはきっと、児島が敷島に恐怖を抱いたが故だった。守るべき子供としてか、暖かな色を覗かせる目をしている時と、こうして何の色も見せない冷たい目をしている時の落差はますます敷島という人物を分からないものにしていた。
「ま、だよなぁ」
スイッチを切り替えるように柔らかな苦笑を浮かべて軽く謝罪をする敷島に、安堵するような、より恐れが強くなるような、相反する感情を飲み下すのに児島は非常な苦労を要した。
「それより気になるって言うなら、私は敷島さんの方が気になるんだけど」
「俺? おいおい、華の女子高生が、見ての通りの記者のおっさんの何が気になるってんだよ?」
けらけらとからかうように笑う様子に思わず冷たい視線を投げかける、まったく、こちらが気に揉まざるを得なくしているのはそういうところだというのに。
「色々知りすぎというか慣れすぎじゃない? っていうのはどうせまた記者がどうとか言うんだろうけど」
「おう、よくわかってんじゃねえか。実際そうだしな」
「どうだか。それで……」
少し、考える。恐れを振り切るように返した言葉だったからほぼ見切り発車となってしまったが、それが却って児島にどう話を運ぶかを考えるきっかけを与えていた。
結局のところ、児島が敷島を恐れているのはその人となりを知らないからだ。何を良しとし、何を不快に思い、どんなきっかけで怒るのか、喜ぶのか。今まで児島の接してきた大人達とは様子の異なる人間であるからこそ、予測が立たずに振り回されている。
だから、少しだけ。児島の方から敷島に踏み込んでみることにした。
「敷島さん、まだ記者としては新人でしょ?」
「へえ。どうしてそう思った?」
敷島は少しだけ目を見開いて、どこか楽しげに問いを返した。