【完結】黄昏の輪舞   作:扇架

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黄昏の輪舞
一話


 ちいさな世界の中に押し込められるようにして育った。イギリス西部・ゴドリックの谷にある城で、ひっそりと。

 生まれてこの方ゴドリックの谷を出たことが無く、友達といえるのは幼馴染の少年くらいなものだった。切り立った山々の間を、風が走り抜ける。哭き声のように谷に音が木霊した。

――また、誰か死んだのだろうか

 城が騒然としている。それでも、彼女にとっては慣れたものだ。

 暗い時代――闇の帝王・ヴォルデモートの世なのだから。

 バシッと鋭い音が部屋に響く。見れば、深紅の絨毯の上に、彼女付きの屋敷しもべ妖精が立っていた。どうしたの、と問う間もなく、妖精ははらはらと涙を零した。

「お嬢様……お嬢様……旦那様が……」

 旦那様。その呼称で呼ばれるのは――それは。

 彼女の手がかすかに震えた。

「……父上が」

 妖精は頷いた。彼女はぎゅっと拳を握り締めた。なんてこと――まさか、あの人までもが。

「誰に、」

 最も聞きたくない答えが、返される。

「闇の帝王です。お嬢様」

 自分の顔から血の気が引くのが分かった。お嬢様、と呼ぶ声も遠ざかる。

 分かっていたことだ。世は暗い――闇の帝王の時代なのだと。

 

 

 九月一日・キングズクロス駅。

「リーン!」

 呼ぶ声に、少女は振り向いた。長い黒髪がさらりと揺れ、その驚くほど鮮やかな瞳は駆け寄ってくる少年に向けられる。

「ジェームズ」

 少年は、軽やかな足取りでこちらまでくると破顔した。父親からの遺伝だろうくしゃくしゃな黒髪がぴょんと跳ねる。

「久しぶりだね。……付き添いはいないの?」

「母も祖父も忙しい人だから」

 言いながらも、それだけが理由ではないことを知っていた。祖父は最長老としての務めがあるので城からあまり出られない。しかし、母は――いくら忙しいとはいえ――子どもの見送りくらいはできるはずなのだ。

 あなたはいいわね、優しい両親がいて、という言葉を呑みこんで笑ってみせた。

「いきましょう」

 ジェームズは何か言いかけて、口を閉じた。カートを押し、二人は人ごみのなかをすり抜けていく。そびえ立つ柵の前で、一旦立ち止まった。

「九と四分の三番線……僕たちの始まりさ」

 心底わくわくしたようなジェームズに、彼女も頷いた。ある意味始まりだ。――城から、母から逃れることのできる生活がここから始まる。

 意外なほど安堵している自分に驚くのと一緒に納得もしていた。あの家は、息が詰まる場所だったのだ。出てみるまでまったく意識もしていなかったが。

「さあ行こう。リーン」

 幼馴染に頷いてみせると、ジェームズとリーンはカートを押して、柵を通り抜けた。視界が、白い煙に覆われる。霧のように漂うそれの向こうには、紅い汽車が鎮座していた。

 ふくろうが鳴き、猫が優雅に歩く。様々な色のローブに目を瞬かせた。非魔法族の世界ではついぞ見ることのできない光景は、リーンの心を落ち着かせた。

「ワーオ、これに乗って行くのか……いいね。でも僕は箒に乗って行くほうが楽しいだろうと思うけど」

「私はこの汽車がいいわ。箒は寒いもの」

「ほら、飛ぶのが上手いのにそんなこと言う。でもまあ、仕方ないかリーンだし」

 呆れたような幼馴染だったが、この汽車を随分気に入っているのは確かなようだった。彼の母親譲りのハシバミ色の目はきらきらと輝いていた。

 カートを押して進んでいる途中、足元に何かがまとわりついた。ちらと見下ろせば、白い子猫がリーンにじゃれかかっている。十中八九誰かの飼い猫だろう。彼女はかがみこんで子猫を抱き上げた。

 もしかしたら、飼い主とはぐれたのかもしれない。が、ぐるりと見回しても誰が飼い主か皆目見当がつかなかった。

「ブランシュ!」

 少女が慌てた顔で走ってくる。深い色の赤毛がふわりと舞った。

「あなたの猫なのね?」

「ええ、どこかにいっちゃって……見つからないかと……本当に、ありがとう」

 赤毛の少女は子猫を抱き上げる。ブランシュ、というらしいその猫は、飼い主の腕の中でごろごろと喉を鳴らした。

 なぜか呆然としているジェームズの足をこっそり踏みつけて――彼はひどく痛そうな声を上げたが――さっさと汽車に乗り込んだ。

 空いているコンパートメントを探して奥の方まで進み、結局最後尾近くに空き室を見つけて滑り込んだ。

「さすがに有名ね、ジェームズ」

「なんてったってポッター家だからね!」

 ジェームズは誇らしげだった。魔法界の名家の一つポッター家はその純血の血筋と代々積み重ねてきた財力ではブラック家やマルフォイ家と勝るとも劣らないといわれている。ただ、違うのは後者の家系と違い純血主義ではないところだろうか。

 お陰で代々スリザリンの家系からは目の敵にされている――リアイス一族と同じように。

「どうせあの連中とは違う寮になるに決まってるんだから、気楽にいこうよ」

 ジェームズは三つ四つの小さいころからずっとグリフィンドールに入ると言い続けてきた。きっとそうなるのだろう。そして、リーンも。

 突然、コンパートメントの扉が開いた。

「ここにリアイスとポッターがいると聞いたが……」

 リーンはすっと目を細める。開け放った扉口、淡い色の髪と目を持つを持つ少年と取り巻きらしい連中がいたからだった。何よりリーンを警戒させたのは、彼らの締めているネクタイだった。緑と銀、それはスリザリン寮を象徴する。

「確かに僕達はポッターとリアイスさ。で、何の用なのかな」

 誰かが、無礼な新入生がと毒づいた。しかし、リーンもジェームズも怒りはしなかった。というよりも、警戒する気持ちが強くてそれどころではなかった。

 こちらの気持ちを知ってか知らずか、少年は思いもかけない一言を言い放った。

「なに、純血名家のお二人を僕達のコンパートメントに招待しようと思ってね」

 気が進まないどころではなかった。隣のジェームズと顔を見合わせると、彼の意思もまたそうであることがはっきりわかった。二人が口を開きかけたそのとき、扉の外に燃えるような赤毛がちらりと見えた。

「今度は何を企んでいるのかしら、レストレンジ?」

 その瞬間、少年の目つきがさらに冷ややかに、そして険しくなった。周囲の取り巻き立ちも剣呑な雰囲気をかもし出す。

「これはスリザリンの問題だ……グリフィンドールの貴様の出る幕ではない」

 言葉そのものが熱を持っているかのようだった。しかし、乱入者は平然としているように淡々と言葉を紡いだ。

「この子たちはまだどこの寮にも入っていないわ。まあどうせ、彼らのことだからグリフィンドールに入るだろうけど」

 何かに利用しようとしているのなら、止めることだと最後に駄目押しされ、レストレンジは踵を返した。

「……興が削がれた。行くぞ」

 取り巻きたちも彼について行く。険のある目でその後姿を見ていた少女は、リーンとジェームズに笑いかけた。

「レストレンジ一派には近づかないことね。質が悪いから」

 ではグリフィンドールで、と言い残し、彼女は去っていった。

「あんな先輩がいる寮なんだからいいところだろうね」

 ジェームズは少女の後姿を見つめたまま呟いた。そして、不意に立ち上がるとちょっと遊んでくると言ってコンパートメントを出て行った。

 一人きりでコンパートメントに座っていたリーンは、暇をもてあましていた。一体ジェームズはどこまで遊びにいったのだろう。相変わらずの行動力だ。

 もってきた本も読み終わり、思い立ってコンパートメントの扉を開けて外を見てみれば、ちょうど誰かが歩いてくるところだった。

 鮮やかな赤毛――さっきの少女だ。

「あ! あなたはさっきの」

 気づいた少女がトランクを転がしてやってくる。汽車が発車して随分たつのにまだコンパートメントの空きを見つけていないのか、と訝しく思ったが、リーンはそれを口に出さず、代わりにこう言った。

「私のコンパートメントに来ない? ちょうど、退屈していて」

 少女がぱっと顔を輝かせる。

「いいの?」

「もちろん」

 この子とは上手くやっていけそうだ、と頭のどこかで囁いた。

「あの、よかったらもう一人一緒で構わないかしら?」

 ちらと少女が後ろを向く。その視線を追えば、トランクを転がしてくる影がもう一つあった。黒髪の少年だった。たぶん、少女と幼馴染なのだろうと思い、彼女は頷いた。

「一人きりよりよっぽどいいわ。私はリーン・リアイス。あなたたちは?」

「リリー。リリー・エヴァンスよ。こっちの彼はセブルス・スネイプ」

 リーンについてコンパートメントに入ると、彼ら二人はくたびれたようにトランクを置いた。

「はた迷惑な二人組にうんざりしたから抜け出してきたのよ」

 リリーは憤懣やるかたないといった様子だった。隣のセブルスも同じで、二人揃って大層不機嫌だ。聞けば、やたら高慢な二人組が突然乱入してきた挙句、こちらの気に障るようなことばかり言ってきたらしい。

 なるほどそれは嫌な連中だ。内心で同意していたリーンだったが、詳しく話を聞くうちに嫌な予感がしてきた。――絶対グリフィンドールに入るといっている眼鏡の少年? もしかしたらもしかするかもしれない。だとしたら後で幼馴染になんて言ってやろう。

「ねえリーン。あなたは自分がどこの寮に入るか知っているの?」

 知っているし、決まっている。

「グリフィンドールでしょうね」

 父も母も、誰もが入った寮。リーンの祖先が――ゴドリック・グリフィンドールが創った寮。グリフィンドールへ、リーンも入る。

 決まっていることだ。それこそ、生まれたときから。それ以外の答えを、彼女は知らなかった。

「私もグリフィンドールに入れればいいのに。セブは、スリザリンがいいと言ってるけど」

 リーンはセブと呼ばれた少年を見た。

「リリーはとてもスリザリンなんて感じではないように思えるわ。あなたがグリフィンドールに入ればいいじゃない。それが嫌ならレイブンクローとか」

「僕はきっとスリザリンだ。母や祖父がそうだった……」

 ちらちらとリリーを見ながらの発言に、リーンは気の毒に思った。よほどリリーと同じ寮に入りたいらしいが、寮というものは家系で決まることが大半なので、こればかりは軽々しく慰めることができなかった。

「組み分けがあるまで分からないわ!」

「そうね」

 ちっともそうは思っていなかったが、リーンは頷いた。

 

「一人にして悪かったよリーン」

 大して悪いと思っていなさそうな口調でそう言ったジェームズ・ポッターはコンパートメントに入ってきて呆然と口を開けた。

「エヴァンスはともかくスニベリーがなんでここにいるんだい!」

 気色ばんでセブルスが立ち上がろうとするのを片手で止めて、幼馴染をじろりと睨んだ。

「ジェームズ」

「……いや、悪いとは思ってるけど」

「元はといえばあなたがこの二人のコンパートメントを乗っ取ったんでしょう? それをよくもいけしゃあしゃあと」

「だから」

 リーンの強い口調に気おされたのか、ジェームズの言葉は弱々しかった。少しは反省したようだと判断して、着替えるからコンパートメントを出て行って、と言い放ち、外にセブルスと二人になってしまうという事態を考慮して、ジェームズの杖を没収した。

「いくらなんでもやりすぎだよ」

「あなたに対しては用心に用心を重ねたほうが無難なのよ」

 物心ついたときからの仲なので、相手の行動原理が手に取るように分かる。きっとこれ幸いとセブルスに呪いでもかけるに違いない。質の悪いことに、彼も幼少より魔法教育を受けてきた人間なのだから。

 押し黙った二人が扉を開けて出て行くと、そこには彼女以外にリリーしかいなかった。

「ポッターと知り合い……なのよね?」

「幼馴染よ。私の両親とジェームズの両親が親しかったの。家も近いといえば近いし……物心ついたときには一緒だったわ」

 共に住んでいる場所はゴドリックの谷であるし、父親同士が親友だった縁もある。城から出してもらえないリーンのために、ジェームズを遊びに行かせてくれたのは彼の両親だった。

 大切な幼馴染であるが、いつからスニベリー――泣き味噌なんて言葉を使うようになったのかと首を傾げたくなる。あんまり酷いようならドレア小母さんに報告だわ、と心の片隅に留め置いた。

 二人とも学校の制服に着替え終わった。ネクタイも何も無い、寮に振り分けられる前のまっさらな制服だ。

 そのとき、ホグズミード駅に到着しましたという放送が車内に流れた。

 

 暗く、寒い夜だった。汽車から外へでると吹き付ける風に思わずくしゃみをした。マグルが決して知らない、北の大地の風だ。

「これからどうすればいいのかしら?」

 リリーが不安げに呟くと、後ろから茶々が入った。

「心配いらないさ。森番が迎えに来ているはずだよ」

 冷たい風にもめげている様子は全く無い。リーンは半ば感心しながら後ろを見た。やはりというかなんというか、声の主はジェームズだった。隣にさらりとした黒髪の少年がいるところを見ると、彼がリリーとセブルスにはた迷惑なことをした一人なのだろう。つかの間楽しそうに話している二人に注目していたが、イッチ年生はこっちだ! という大きな声に意識を持っていかれた。

「よし、イッチ年生は集まれ!!」

 見上げれば首が痛くなってしまいそうなほどの大男だった。長くもじゃもじゃの髪や髭に一瞬戸惑ったが、よくよく観察してみれば大らかな気性ではないかと思った。しかし、この体格はどうしたことだろう。もしかしたら、巨人との混血なのかもしれない。

「リアイス、何をぼさっとしてる」

 隣のセブルスから不機嫌そうに促され――といっても出会ってこの方ずっと不機嫌そうなのだが――他の一年生とともに森番について小途を下っていった。

 途中、ジェームズに杖を返していなかったことを思い出したが、彼がどこにいるのか全く分からなかった。道は暗く、灯りは森番がもつ一つきりで、人を識別するのは難しい。  なんとかして下まで辿り着くと、湖の岸辺のようだった。そこには、小船が何艘も並べられていて、生徒たちは次々と小船に乗り込んだ。すると、誰も何もしていないのに、独りでに船は波間を裂いて進み始めた。

「魔法って本当に凄いのね!」

 興奮したようなリリーに、リーンは黙って頷いた。小船が動くことくらいどうということはないのだが、マグル生まれの彼女の反応が新鮮だった。

 それこそ、城に招いたらおおはしゃぎだろう。古さとその掛かっている魔法の数だけは自慢できるので、リリーにとっては面白いかもしれない。

 だが、その興奮をも吹き飛ばす光景が、突如として広がった。湖面がきらめく。その光の元はといえば、そびえたつ城の、窓という窓から漏れ出す光だった。石造りの巨大な城に、リーンはほうと息をついた。実家より大きく、何より見るものを魅了するなにかがある建造物だった。

 やがて小船は対岸に着き、降りた生徒たちは森番に導かれ扉をくぐった。

 寮についての説明の後、大広間まで誘導された。ABC順に名前を呼ばれるようなので、リーンの順番はだいぶ後半になるだろう。次々とこなされる『組み分け』を眺めているうちに、見覚えのある男子生徒が滑り出た。

「ブラック・シリウス!」

 ブラック家の長男だ、とどこからともなく囁く声が聞こえる。ジェームズと一緒にいた生徒だった。まさかブラック家の者とは思いもよらなかったリーンは、その生徒をじっくり見つめた。

 これで、彼とジェームズが一緒の寮になる可能性が限りなくどころか、全くないことが明らかになった。ブラック家は例外なくスリザリンだった――ジェームズの母、ドレア小母だってスリザリン寮の出身だと言っていた――彼女もまたブラック家の一員だった身で、組み分けの時否応なしにスリザリンに押し込まれた、とどこか残念そうに言っていたのだ。

 気の早いスリザリン生はもう拍手の準備をしている。ブラックが椅子に座り、マクゴナガル教授によって帽子を被せられたが、どうしたことか。帽子はうんともすんとも言わない。スリザリンのスの字も言わない。

 大広間がざわめく。どの寮の生徒も困惑顔で、ひそひそ話をしながら組み分け帽子の裁定を見守っていた。

 帽子が身じろいだ。

「グリフィンドール!!」

 なんだって! と誰かが呻くように言った。広間中が一瞬呆然とした。だが、何より呆然とした顔をしていたのは、ブラック本人だった。目を白黒させている教授が帽子を脱がせても、一、二秒ほど静止したままだった。見かねたマクゴナガルに肩を叩かれてようやく夢から醒めたように身じろぎして、どことなく覚束ない足取りでグリフィンドール寮の席まで歩いていった。

 リーンはこれまでの世界がひっくり返ったような衝撃を受けた。代々スリザリンの家系、その例外が目の前で誕生したのだ。ありえないわ、とこっそり呟いた。純血主義の名家はリーンの知る限り代々皆スリザリンのはずなのだ。こんなことが起こるなんて、自分の一族は信じないに違いない。

 得たいの知れない感情が影を落す。しかしそれが何なのかはっきりと名前を付けられないまま、組み分けは進行していった。

「リアイス・リーン!」

 呼ばれ、いつの間に出番になったのだろうと驚きつつ、広間に置かれた丸椅子まで歩いていった。途中、主にグリフィンドールの席からリアイスだ、とか、グリフィンドール一人獲得だ、とかの声が届いた。

 椅子に腰掛け、帽子が被せられる。目の前はビロードの闇に閉ざされた。

 魔法の気配がする。それが、リーンのことを注意深く探っているのが何故だか分かった。

『……リアイス……アリアドネの子か』

 穏やかな声が、頭の中でした。まさか見抜かれるなんて、と思えばそれすらも分かっていたのか、帽子は笑った。

『私はグリフィンドールであり、スリザリンであり、レイブンクローであり、ハッフルパフ。偉大なる魔法使いと魔女の思念と知識を注ぎ込まれた存在。これくらいは容易いことさ』

『さて、君の行く寮は決まっている――といいたいところだが』

 声に、明らかな困惑の響きが混じった。リーンはその声に胸騒ぎがした。

『君にはグリフィンドールとスリザリンの資質がある。そして、その秤はむしろスリザリンに偏っている』

 雷に打たれたような衝撃に、呼吸が一瞬止まった。偏っている、とこの帽子は言ったのか。しかもよりにもよってスリザリンに!

『ふむ、ずっと一族の中で育てられてきたのか、では、その頑なな思想になるのもまた道理。覚えておきなさい……決してグリフィンドールが正義ではないと。そして、君は知らなければならない。新しい風を浴び、君自身が閉ざされた一族にとっての風となりなさい』

 勇気は君とともにある。必要なのは――むしろ。

「スリザリン!!」

 無情な裁定が下された瞬間だった。

 

 

 

 目を覚ます。そして、飛び込んできた緑色のカーテンに、現実を突きつけられた。あの悪夢のような組み分けが、決して夢幻ではないことを。

 幼いグリフィンドールの末裔は、そのカーテンが目の覚めるような紅色をしていないことに、落胆を覚える。ここは彼女にとって冷たくよそよそしい場所だ。

 

 大広間に入った瞬間、数え切れないほどの視線が突き刺さって立ちすくみそうになる。それでも、リーンは表面上は動揺の欠片も見せず、スリザリンのテーブルに向かい、どこに座ればいいのか分からずほんの少し、迷った。

「こっちへいらっしゃい」

 声のほうへ顔を向ければ、亜麻色の髪に灰色の眼の上級生が手招きしていた。周りのスリザリン生がちらりちらりと彼女を見たが、すぐ眼を逸らした。リーンはゆっくりと彼女に近づき、空いている席に座った。

「私はアンドロメダ・ブラック。ドロメダって呼んでもらって構わないわ……リーン・リアイス」

 ブラックという名に微かに表情が動いたのをアンドロメダは感じ取ったのか、ほんの少し苦笑する。

「リアイス家の人なら、そういう反応でしょうね。たぶん、私の従弟もグリフィンドールでそんな反応をされてるに違いないわ」

 グリフィンドールに入ったブラック姓の者など一人しかいない。シリウス・ブラックだ。

 ああ、立場が逆にできたなら。まるで針の筵だ。

『君自身が閉ざされた一族にとっての風になりなさい』

 不意に、組み分け帽子の言葉が蘇った。君の資質はグリフィンドールよりもスリザリンに偏っているとも。そして、ゴドリックの谷にある生家のこと――母のことも思い出した。

『あなたはグリフィンドールの直系、ランパント。誰よりもグリフィンドールらしくならなければいけないの』

 幼い頃から繰り返し聞かされてきた言葉。何かを恐れるように、リーンのことを真っ直ぐ見なかった母親の、まるで縛り付けるかのような、言葉。

 頭上で羽ばたきの音がして、リーンは物思いからさめた。数多くのフクロウに驚きを隠せない彼女の元に、ミミズクが舞い降りた。そのくちばしにくわえられた紅い封筒に、リーンは自分の身体が震えるのを自覚した。周りがざわめくのを聞くともなしに聞きながら、封筒を慎重に外す。

 しかし、ざわめいているのはスリザリンだけではなかった。なんとグリフィンドールもだ。漆黒のフクロウから手紙を受け取っているのは、シリウス・ブラックだった。その隣では幼馴染のジェームズが早速とばかりに耳に指を突っ込んでいる。準備万端だった。

 嫌々ながら、封を切る。『吠えメール』は大広間を震わすほどの怒声を上げた。

『リーン・リアイス!!』

 魔法で拡大された声が、リーンの名を叫ぶ。あまりの恐ろしさに逃げ出したかったが、足は動かない。床に永久粘着呪文でくっつけられたかのように。

 手紙は十分近く説教をした。リアイスとしての誇りはどこへやった、スリザリンに入るなど言語道断。お前は父祖の名に泥を塗った。極めつけが、これだった。

『今後一切私の前に姿を現さないで。家の敷居を跨ぐことは許しません』

 その一言に、二の句が継げなかった。元々接触の少ない母子だったが、これは断絶するという意思の表れだった。思いもかけず強い感情が湧き上がってきた。顔が熱くなり、眼ににじみ出るものがある。必死にこらえ、燃え上がった『吠えメール』を置き去りに大広間から飛び出した。

 背後で扉が閉まり、何百という視線が断ち切られた。玄関ホールで、リーンはこらえきれず涙を零した。

 好きでスリザリンに入ったんじゃない、と大声で言いたかった。組み分け帽子のせいだ、と。

 母がどれだけスリザリン――闇の勢力を嫌っているか、リーンは知っていた。彼女自身、優しかった父親を殺されたから、純血主義者は嫌いどころではない、憎んでいるといってもよかった。

 扉が開く音がする。誰かが、駆け寄ってきた。

「リーン!」

 ジェームズだった。顔を上げずとも、何千回も聞いた声だ。すぐさま分かる。

「……私、家に帰れないわ」

 勘当されたも同然だった。

「見捨てられたのよ、母に」

 怒り、悲しみ、情けなさが混ざり合う。自分でも何を言っているのか分からなかった。

「このスリザリンのネクタイだって、したくてしているんじゃない。……私の行くべき場所は、決まっているはずだったのに」

 震える手を、口に当てる。帰る場所がなくなった、その絶望が痛みとなって心に突き刺さった。

「君のお祖父さんから手紙だ。君に渡して欲しいって」

 祖父、といわれやっと顔を上げる。差し出された手紙を、半ば茫洋として受け取った。差出人は先代パッサント・リアイス家当主――現在の一族最長老、アシュタルテ・P・リアイスだった。

『お前がスリザリンに入ったことは今朝知った。恐らく一族中がお前に手紙を出すだろうと思ったので、紛れてしまわぬようジェームズ・ポッターに手紙を託した。

 アリアドネがお前を本家から追放すると言ったが、私がなんとか説得した。お前の名は一族の系譜から抹消されておらず、未だに本家の一員であることは変わりない。ただ、アリアドネはお前の面倒を一切見ないと宣言した。こればかりは私の言うことも聞かなかった。

 なので、私がお前の面倒をみる。本家からお前の私物をお前付きの屋敷しもべに運ばせ、グリンゴッツの金庫をお前名義で作らせた。ホグワーツの学費や教科書などはこれからは私が費用を出すので心配するな。金庫の金は、よくよく考えて使うように』

 母親は完全に役目を放棄したらしい。リーンが手紙を読み終えれば、それは何をするまでもなく燃え尽きてしまった。

「お祖父さまが私の面倒を見てくれるって」

 心配げに見ていたジェームズに小さく告げると、リーンは立ち上がった。

 

 そのまま寮に戻った。人数の都合で一人部屋を割り当てられたリーンは、自分の部屋に帰り、顔を強張らせた。床に、山と積まれた手紙。それを見ると、一旦おさまったはずの感情の波が蘇り、リーンは顔を強張らせたまま手紙を両腕一杯に抱え、談話室まで駆け下りると、そこにあった暖炉に放り込み、杖を向けてインセンディオの呪文を発動させた。

 すらりとした杖から放たれた呪文は、手紙の山をみるみるうちに焼き尽くした。

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