【完結】黄昏の輪舞   作:扇架

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十話

「や ら れ た」

 ジェームズはソファに深く腰掛けた。天を仰いでふうっと息を吐く。ぼろぼろのユニフォームも脱がず、拝借してきたスニッチを放っては掴み、放っては掴むばかりだった。

「してやられたな」

 親友が苦々しげに返して、コーヒーをがぶ飲みする。『クソ苦い』『悪魔の飲み物』と評判のそれはあっと言う間に消えていく。どう考えてもカフェインの摂り過ぎだ。腹を壊さないのが不思議なくらいだった。

 ジェームズは試合を思い返し、万歳をする。目立つのが大嫌いなリーンが、よくもまあ華々しく活躍したものだ。これでスリザリンに居場所もできるかもしれない。

「さすがは僕の幼馴染!」

「……クィディッチバカだが、リアイスの方が大事なんだな?」

「嫉妬かい?」

 にやにや笑ってみれば、シリウスは眉間の皺を増やした。やけくそのようにコーヒーを注ぐ。

「負けてるのにへらへらしているのが気に食わないだけだ! くそ、全部ユスティヌの掌の上みたいでムカツクったらない」

――なに?

 身体を起こしたジェームズを、シリウスがバカにしたように見る。灰色の眸は怒りのためか蒼を帯びて、ぎらぎらと光っていた。

「あの時リアイスがクアッフルを蹴って、俺が打ち込んだブラッジャーの軌道を変えた……ユスティヌがわざわざ完璧な瞬間にパスを投げたから。ユスティヌがやったってよかったはずだ。けど、あの女はどうしてかリアイスに花を譲った」

 眼を細める。そもそもが、リーンをスリザリンチームに入れたのはユスティヌだ。その支配力を余さず使い、他をねじ伏せてまで。

「どうして……」

「ただの善意とは考えにくいよね」

 ぽつり、とリーマスが零した。菓子を口に放り込み、続けた。

「だって敵対する家の子に、なんで塩を送るような真似をする?」

 これじゃあスリザリンの中にリーンの味方が増えるだけじゃないか、と。

 

――理解できない

 彼はベッドに横たわりながら、唇を噛んだ。

 ユスティヌは彼の手に余る。どうにもできない。どうにもならない。完全な純血主義に染まっていないのに、許容した。あまつさえ彼女は求めた。大した才能もなく、一生陰に潜んでいるはずの彼を。

『幻獣に忠誠を』

 彼女は分かっているはずだ。彼がいずれ闇の帝王の陣営に下ることを。そうでもしなければ安全を買えないことを。帝王に弓引く勇気など持っていない。中途半端な場所にいれば両陣営から狙われる。臆病なのは自分が一番知っている。帝王に――内実はどうあれ――杖を捧げると誓い、生き延びようとしている卑怯者なのだ。

『いいのよ。盲信者はいらない。必要なのは現実を見れる人間』

 ただ信仰に縋る奴隷など誰が必要とするの、と彼女は顔を歪めた。

『僕が得られるものは?』

 問うた。

『……貴方と母君の身の安全および衣食住の保障はどうかしら。私が生きている限り、約束しましょう』

 汗がつっと流れたのを感じた。

――父親から逃れられるのならば

 いつも母親が哀れだった。暴力を振るわれても自分が悪いのだと言う愚かな母親が。父から逃れさえすれば、まだまともな生活が営めるだろうに、そうはしない。父に尽くし、骨までしゃぶられるだろうと分かっていても、父に隷属し果てている。

『……憎いでしょう? マグルの父親が』

 あまりに甘美な囁きだった。誘惑はあまりに甘い。彼は母親を哀れに思っていた――だが、自らのことも哀れんでいた。そして、不条理な運命に、父親に怒っていた。

 父が憎いと言った時の、友人の怯えたような顔がちらついた。しかし、すぐそれも掻き消える。

『本当に?』

 問いを重ねることに意味を、彼も彼女も分かっていた。

『ええ。幻獣は誓いを守る』

 妖艶に、彼女は笑みを刷く。唇が血を滲ませたかのように鮮やかに紅かった。

 だから貴方は――。

「リアイスを守れ……か」

――彼は化け物と契約したのだ

 

 

 

 よいですか、と女が言う。

『染まらず濁らず色褪せず。ブラック一族の誇りを忘れてはなりません』

 我らは純血一族。ユスティヌを除けば最も尊き青き血を継ぐ者。

――忘れてはなりません

 それは、呪いのように。

 

 

 フクロウが届けてきた『日刊預言者』をざっと見て放り出す。ジェームズからは「意外だねえ」とからかわれるのだが、シリウスはこれでも新聞はきちんと読む。特に、魔法界に嵐が吹き荒れているこの状況では。

――全く関係ないとは言えない

 彼自身は実家を嫌ってはいるが――だからこそ、余計なことに巻き込まれないように情報を集めなければならない。

 ベッドの上に山積みになった手紙を眺める。全て実家からのもので、シリウスは開けてさえいなかった。待っているのは親からの手紙ではない。従姉妹のアンドロメダからのものだ。

――やってのけた

 親を騙し通し、見事に行方をくらませた。家系図からは綺麗に消され『ブラック家のアンドロメダ』という存在はなくなった。

 アンドロメダがいなくなったと聞いた時、彼は驚き、興奮した。彼女は一族の呪いを引きちぎったのだと。

「燃やさないんだね」

 リーマスがひょいと顔をのぞかせた。薄暗くてもあちこちにある傷は分かる。彼が人狼で、自らを傷つけているからだ。

「まとめて焼き払ったほうが楽だ」

「量が多いからね……このところ、毎日じゃない?」

 あまり他人の家の事情に首を突っ込まないリーマスも、気にはなるらしい。上等な紙と上等なインクを使ってしたためられた手紙の山を、呆れたように見る。ぼんやりと彼の横顔を見て「傷、」と声に出していた。

「うん?」

「毎回毎回、痛くないのか」

「僕は頑丈だからね……人間じゃないし」

 自嘲のこもった言に、舌打ちする。

「お前は人間だ。甘いものが異常に好きなだけの、普通の人間だ」

 うん、とリーマスは微笑う。

「変わってるよね……君も、ジェームズも、リーンも」

「あぁ?」

 リーン・リアイスの名が出てきたことで、シリウスの機嫌は急降下する。リアイスの癖にスリザリンに入った裏切り者。ユスティヌが眼をかけている不気味さもあって、グリフィンドール派の令嬢の名は、あまり触れたくないものだった。

 リーマスはシリウスの様子に小さくため息をついたが、続けた。

「普通は純血魔法族ほど異端を排除しようとするものだよ。しかも、ポッター家に、ブラック家に、リアイス家の嫡子……僕の友達は物凄く豪勢な顔ぶれだ。中身が箱入りお坊ちゃんお嬢ちゃんどころかぶっ飛んでいたけど」

「典型的純血でいて欲しかったのか?」

「いいや」

 彼はにやっとする。こんな笑い方は珍しい。いつだって柔らかく笑むのがリーマス・ルーピンだ。

「君達が君達で僕は幸運だった」

「幸運だ、の間違いだろ」

 指摘すれば、琥珀の眼が瞬いた。ちょっと頭をかいて、頷く。

「そうだね」

 シリウスはもぞもぞした。こういう雰囲気は苦手だ。ジェームズが来てぶち壊してくれないかと思ったがあのバカ眼眼はピーターに勉強を教えるのに忙しい。リーマスの肩を叩き、ベッドから降りた。

――スリザリンの授業はなんだったか

「何を考えている?」

「『悪いこと』だ」

 ジェームズとピーターを呼ぶ。

「久々に仕掛けるぜ」

 悪戯仕掛け人の格好の憂さ晴らし『セブルス・スネイプ襲撃』は途中までは上手くいったが、失敗した。

――正確には失敗させられた

 原因は目の前にいる。

「他人にちょっかいをかけるのがそんなに嬉しいかしら?」

 『インスタント沼爆弾』を食らい、泥沼に飲み込まれていたスネイプをなんとか救出したせいで、どろどろになっている。その中で、群青色の双眸だけはギラギラと輝いていた。

「リアイス、こんな低脳どもに言うだけ無駄だ」

「そうね、セブ」

 リーン・リアイスは歌うように返す。マンティコアの弔い歌のようで、シリウスは背筋が冷えた。隣にいるジェームズをぎこちなく見れば、彼もまた凍り付いていた。

「マズイぞ……」

 獅子の尾を踏んじゃった、とジェームズが言う。少し砕けた物言いをしたところで、現実は変わらない。

 リーン・リアイスは怒っている。

「バカにだって恐怖という感情はあるでしょう?」

 その瞬間、ジェームズは踵を返した。

「三十六計逃げるにしかず!!」

「孫子持ち出して賢いふりをしたつもり!? ほんっとあなたもブラックもどこまでアホなの!」

 友人にあっさり見捨てられ、シリウスも一歩踏み出す。だが、半歩横にずれた。頬を何かがかすめ、窓が割れる。ぎょっとして一瞬、動きが止まった。

「滑れ!」

 足元が溶ける。走り出そうとしても、確かな感触は得られない。

「のぉああ!!」

 ジェームズの悲鳴が前から聞こえ、元親友が盛大にすっ転ぶ。

「浮遊せ――」

「武器よ去れ!」

 紅い光線がシリウスの杖を弾き飛ばした。無理に振り返れば、足を取られ転倒した。盛大に後ろ頭をぶつけ、眼から火花が散る。

 横に転がって、腕を突こうとする。だが、滑る。

「畜生!」

 二人分の足音と、緑と銀のネクタイ。泥をぽたぽた垂らしたままの悪鬼二人がにぃっと笑った。

「よくもやってくれたな……ざまあみろ、ブラック、ポッター」

「いらないちょっかいをかけるからよ」

 スネイプとリアイスが同時に杖を構え、唱えた。

「放せ!」

 悲鳴が聞こえた。それが自分のものだと気づいたのは二秒後。猛烈な勢いで廊下をすっとぱされ、柔らかい何かに叩きつけられた。

「こんなのってない!」

「何がだジェームズ! お前俺を見捨てて逃げようとしたくせにぃぃ!!」

「策士策にはまる、ね」

 いい気味とばかりにリアイスの高笑いが響く。シリウスとジェームズは自分達で作り出した沼にはまり、もがいた。

 最悪だ。口の中は泥が入り、おまけになんだか臭い。思い切りいやなものにするつもりでつくったのだから当然なのだが。

「リーン、幼馴染にこんな仕打ちを!」

 革靴がジェームズの額に叩きつけられる。嫌な音とともに、彼がずぶずぶと沈んでいった。なんて乱暴な女だろう。

「黙りなさいジェームズ! 一人に向かってよってたかって攻撃を仕掛けて!! 勇気と粗暴を履き違えているんじゃないの、グリフィンドール寮生!!」

「うるせえスリザリン!」

 そこからはまさに泥試合だった。シリウスとジェームズがなんとか這い出そうとするたびに、リアイスとスネイプが沼に蹴り落す。まさに情け容赦ない。鬼だ。悪鬼だ。

「消えよ」

 身体に纏わりついていた泥が消失する。床の上でもがき、やっとのことで立ち上がった。二人してぜーぜーと息を吐く。

「名門の嫡子とは思えない行動ね」

 よく透る声だった。どろどろになった顔を、上げる。

「ユスティヌ……」

 暗い紅藤の眸が向けられていて、身を固くする。彼女の中にある正体の知れない、暗く熱い何かがシリウスを警戒させる。

「先が思いやられるわ。婚約者さん」

 なに、と唇が動いた。彼女の手には封書がある。漆黒の地に“双狼”そして“幻獣”が刻印されていた。その意味を、シリウスは知っている。

「貴方の父君と母君は大層お喜びよ。ねえ、ブラック家の次期当主様?」

 呼吸が速くなる。彼は、今更思い出していた。

――忘れてはなりません

 呪いのような、母親の言葉を。

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