【完結】黄昏の輪舞   作:扇架

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十二話

「今年はいよいよ普通魔法技能試験O.W.Lの年です。十全に力が発揮できるよう、備えなければなりません」

 五年生第一回の変身術の講義はマクゴナガルの厳しい言葉から始まった。次々と黒板に現れる魔法式を書き写す。脊椎動物を変身させるというもので、無脊椎動物に比べて難易度は高くなる。

――私たちにとったら簡単だけれども

 小さく笑う。何せ非合法の動物もどきになろうとしているのだ。三年生の時から頑張ってきたが、変身術の上達は目覚ましかった。少なくとも、変身術は優を取れる。それに、魔法薬学と闇の魔術に対する防衛術も。試験勉強に余計な邪魔が入らなければ、だが。

 その心配もなさそうだ、とリーンは思った。スリザリン生は皆真面目に講義を写している。今年ばかりはちょっかいをかけてくるなんて馬鹿な真似はしないだろう。

 足下に、羽根ペンが転がってきた。拾い上げる。随分と上等なものだ。見た目こそ地味だが頑丈で長持ちする。

「悪い、リアイス」

「ああ、あなたのだったのね」

 羽根ペンを返し、また洋皮紙に向き直ったものの、気づかれないようにセブルスの様子を窺うのをやめられなかった。

 鞄も、制服も、細々した品も――すべて良いものに変わっている。確か、彼の家はあまり裕福ではなかったはずなのに。

――父親が死んだから、金が転がり込んできたのか?

 どうにも釈然としない。けれど、他人の家の事情に首を突っ込むのも躊躇われる。リーンは既にスネイプ家の事情に通じていた――本人には知られていないが。

 あまり、あちこちに注意を向けていられないのも事実だった。進路のことや試験のこと、動物もどきの問題に、脱狼薬の研究とやることは山積みだ。

 

 差し出された茶器を受け取った。

「ありがとう、ユスティヌ」

「名前でいいと言っているのに」

 七年生の首席は苦笑気味だった。

「女帝サマに向かって畏れ多いわ」

「……本当はそんなこと思っていないくせにね」

 彼女は優雅に茶器を傾ける。暗い紅藤色の双眸に見つめられると、視線を外すのは困難だった。

――これがユスティヌの力

 その仕草で、その眼差しで、高貴なる青き血を持つ者は周囲を従えてしまう。恐怖からというよりも、魅了されて彼女のもとへ伏してしまうのだろう。

 背筋がぞくりと震える。なんとか視線を外し、リーンも紅茶を呑んだ。あいかわらず淹れるのが上手い。

「もう一杯、いかがかしら」

 気づけば茶器を差し出している。彼女の声は耳に心地よかった。一度敵と認識すれば激しい敵意を孕むことを知っていてもなお。

――ユスティヌだというのに

 リアイスとは敵同士のはずだ。なのに、距離を取るのが惜しく感じてしまう。おそらくリーンがグリフィンドールに入っていれば、関係はもっと険悪だったはずだ。これもスリザリンに入ればこそ。自分が異端であるという事実を思い出し、それを隠すためにそっと笑った。

「餌付けされてる気分だわ」

「子猫なら歓迎よ」

――さらりと言う

 咳払いで誤魔化した。レギュラスが通りかかって会釈する。リーンは小さく手を振った。

「ユスティヌ」

 なんとなしに気まずげな彼の呼びかけに、ユスティヌはゆるく首を振った。双眸が暖炉の火を受け燃え上がる。紅玉色だ、と思った。

「気にしなくていいわよ、レギュラス。シリウスの件は片がついたでしょう?」

「ですが……」

「ユスティヌとブラックの間で話はついたのだから、今まで通り仲良くしましょう」

 展開されるやりとりに双方の顔をせわしなく見比べる。ユスティヌは満足げだ。とても。反対にレギュラスは身の置き場がなさそうだった。兄のシリウスが家を捨てて出ていったのだから、当然といえば当然だろう。すなわち、ウラニア・ユスティヌとの婚約も破棄したことになる。

――顔に泥を塗られて怒るかと思ったのに

 ユスティヌは平然としている。女帝の誇りはバカな男の行動ぐらいでは傷つかないのだろうか。

「真面目ね」

 離れていくレギュラスを眺めながら、ユスティヌが呟く。どこか、面白がっているようでもあった。

「こっちは賠償金をもらったから水に流しているのにね」

 それはとんでもない額になるだろう。少なくとも、グリンゴッツの金庫は一つ――いや、二つか三つ空になったに違いない。頂点に立つユスティヌとの縁談を蹴ったのだから、それぐらいは払わなければ面倒なことになる。時代が時代ならば金だけではなく、ブラック家はシリウスの命だって差し出そうとしたに違いない。

「てっきり、レギュラスと婚約するのかと思ったけれど……」

「もう、お互いにとって利益はないわ。ブラック家に対する風当たりは強くなりつつある……」

 声は氷そのもののように冷たい。ベラトリックスのことだ、とリーンは悟った。彼女はブラック分家出身で、闇の帝王の元に下ったのだ。リアイスの闇祓いも二人ほどやられている。

「あの家はこれから茨の道を行くわ。生き残れるかは実力と運次第。多くの名家がそうであったように」

 ブラック家の健闘を祈りましょう、と彼女は言う。酷く白々しい言葉に聞こえた。

 

 狼の姿に、ジェームズは足を止めた。ここはホグワーツ。獣が出現する道理はない。だが、彼はにやっと笑った。

「完璧にできたわけだね?」

 ゆらり、と狼が尾を振る。毛並みのは白銀で、双眸は紫に近い青。普通の狼ではありえない。

「おめでとう、ルーヴ」

 彼は祝福の言葉を狼に向け、そうして自身も獣の姿を想起した。ポッター家の家紋である鹿を。

 魔力が身体を這いまわり、変化を促していく。体感では長いが実際は短かったのだろう。隠し部屋の床に蹄が打ちつけられる。

 いつの間に現れていたのか、黒い犬が白い狼に向かって唸る。吠えられた狼はじろりと犬をにらみつけ、かちかちと牙を打ちならした。その毛並みに埋もれそうになっていたネズミがきゅう、と情けない声を上げた。だが、毛並みがとけるように消えていき、安息の地を失って転がり落ちた。

「……まったく」

 狼から人間に戻った魔女は、犬を軽蔑の眼差しで見据えた。

「動物もどきになったら知能指数まで下がるのかしら? いえ、もともとよね。ごめんなさい」

「おい、てめえ……この雌狼が!」

「うるさい駄犬ね。そのまま三回まわってワンと言いなさい」

「ルーヴ、パッドフット! せっかくみんなが動物もどきになれたっていうのにそれかい!?」

 もっとさあ、研究が花開いたことを祝う気持ちはないの、と怒鳴られ双方黙った。

「ほら、ジェームズ機嫌なおせよ。酒持ってきたから飲もうぜ!」

「よく持ってこれたわね」

「ねえリーン。そこは感心するところじゃないと思うんだけど」

 ていうか君、監督生なのに緩すぎるよ、とジェームズが言うがリーンは微笑んだ。

「こんなくだらないことに権限を使ったらもったいないじゃない? 権力はここぞというときのために、ね」

「の、飲もうか!」

 ジェームズががくがくと震えながらブラックから杯を奪い取る。

「勝手に酒盛りしてちょうだい。フィルチに見つかって減点されるがいいわ」

「へえ、お前酒弱いんだ?」

「……少なくともあなたよりは強いんじゃないかしらね」

 気が変わった。ジェームズから酒を奪い取り、酒を注いだ。

「ねえ、リーン」

 翌朝、朝食の時間にリーマスがやってきた。わざわざスリザリンのテーブルにやってくるなんてとても珍しい。お構いなしにずかずかやってくる誰かさんとは大違いだ。

「どうしたの、リーマス」

「いや、その……」

 彼の眼が泳ぐ。かなり困っているのは間違いないだろう。リーンは立ち上がり彼の腕を引いた。

「場所を移しましょうか」

 さっさと大広間を出て、玄関ホールで向かい合う。

「それで、どうしたの? 傷が痛むの?」

「いや、僕じゃないんだ……ジェームズとシリウスがね……体調悪いみたいで」

 うんうん、とうなずいて見せる。笑いをこらえるのに顔面の筋肉を総動員しているなんてリーマスは知るまい。

「たぶんお酒でも飲んだんじゃないかと思うんだけど――ああ、君も監督生だから言ったらまずいのかな?」

「いいえ。黙っておくわ。そうねえ、魔法史のノートを貸してもらえると助かるんだけど」

「わかったよ。フクロウで届ける……それで、薬をお願いできないかな?」

「あのバカ野郎どものためならやらないけど、あなたの頼みなら聞くわ」

「感謝するよ」

 リーマスがほっとしたように微笑む。リーンは内心で拳を小さく握っていた。

――ざまあみなさい

 調子に乗って酒をがばがば飲むからだ。リーンは隙をみて自作の薬を飲んだから寝込むまではいかないが、普通あれだけ飲めばひっくり返って当然だ。ザル越えて枠だろお前、と罵倒したブラックを思いだし、むかっ腹が立ったのでさらにあざ笑う。そのおかげで気分は上々だった。

「ああ、薬……あんまり医務室にこもりたくないんでしょ」

「いつもありがとう」

「いいのよ、これぐらい」

 返して、朝食をとりに戻った。きちんと食べておかないと講義に集中できない。

「ルーピンとなにを話していた」

「ハニーデュークスの新作のお菓子の話。高すぎるから割り勘で買わないって?」

「わざわざ、こっちにきてまで話すことかそれ」

「そう。だってなかなかリーマスと話せないんだもの」

 気にせず朝食をとっていると、まだセブルスが何か言いたげにこちらを見ていた。

「あまりあいつと関わらない方がいい」

「ジェームズやブラックよりまともよ?」

 彼は舌打ちする。

「そうじゃなくて……」

 続いた言葉はフクロウの羽音に掻き消された。

 

 くん、と宙に鼻先を向ける。風は乾いて冷たい。森と土のにおい、ハグリッドの小屋の方からは魔法生物のにおいもする。

 暗号名をルーヴという動物もどきは、軽やかに草地を蹴る。今宵は満月。光を毛並みが弾く。

 疾走する影が、ありあまる力を発散するかのように大きく跳ねた。金の眼がちかりと光る。鹿と、犬と、ネズミと、狼と狼。夜は彼らの時間、彼らの領域だった。

――ホグズミードはしんと冷えている

 ホッグズヘッドすら閉まっている時間、彼らは我がもの顔で村の中を探索していた。

 村の奥にある大樹の前で、彼らは脚を止める。犬が鼻面を樹皮にこすりつけ、吠えた。白い狼が爪でひっかく。魔力を纏った彼らに反応したのか、淡い光が大樹からこぼれた。

――通路だ

 動物もどきたちは小さく鳴き声を交わす。ホグワーツに通じる路を見つけたのだ。

 そのとき、夜を人声が渡ってきた。片方の狼が眸をぎらぎらと輝かせ、駆けていく。その腰に狼が飛びついた。思い切り爪を立て、後足を踏ん張る。それでも振りとばされそうになる。

――完全に理性を失っている

 白狼が救援を求めて吼える。それを受けて、鹿が暴れたくる狼の横腹を角ですくい上げるようにして放り投げた。体勢を崩した狼に、犬が飛びかかる。

 奮闘し続け、ようやく狼の意識が落ちた。もう人の気配は無い。彼らは協力して狼を引きずった。

 

 マダム・ポンフリーの声が聞こえてきて眼を開けた。薄緑色のカーテンに、清潔なシーツ。医務室だろう。

 がんがん痛む頭に、思い切り顔をしかめた。

――何が何やら

「気がついたのね」

 カーテンが開けられる。マダム・ポンフリーがいつものようなきりっとした顔で入ってきた。どことなくマクゴナガル女史と通じるものがあって、自然と背筋が伸びる。どちらも己の分野においては絶対的な自信があるように思える。だからこその気圧されるのだろう。

「マダム・ポンフリー、私……」

 リーンがなんとか呼びかけても、癒療の専門家は淡々と脈を取り、熱を計る。

「大丈夫そうね」

 マダム、ともう一度呼びかけた。彼女は初めて気がついたように、リーンに焦点を合わせる。

「あの、私なにが……?」

「倒れたのよ。最近、頭をぶつけたり高度な魔法を使ったりしたかしら? なんだか妙なの。この年齢によくある魔力の乱れかもしれないけれど」

 眼が泳いだところをみられたくなくて、なるべく自然に伏せた。

――動物もどきになっているなんて言えない

 つい二、三日前が満月だった。動物もどきになって校庭をうろついたりホグズミードに行ったりしたのはいいものの、人の気配を感じてリーマスがどこかに行こうとしたのだ。それを止めようとして一騒動。そのときに思い切り身体を打ちつけたり引っかかれたりと散々だった。

 高度な魔法や頭がうんぬんは大当たりなのだ。

「試験勉強に身が入りすぎちゃって。それに、魔法も上手く使えなくて」

 校医はしばらくリーンを観察していたが、納得したのか頷いた。

「あまり無理はしないように。五年生と七年生は毎年のようにノイローゼやらヒステリーやら起こしますからね……」

 昼食を食べたら退院してよろしい、と言いおいて校医が去っていった。安堵の息をつき、ベッドに横になる。なんとか切り抜けた。まさか相手も成績優秀で監督生のリーンが非合法の動物もどきになって徘徊しているとは思わないだろう。

 校医がでていく気配がして、医務室にはリーン一人きりになった。

「リーン、いる?」

 カーテンを細く開ける。リーマスだった。

「怪我は」

 真っ先に訊いた。彼を止めようとしたとき、思い切り爪を突き立てた覚えがある。毛並みに覆われているとはいえ、損傷は受けただろう。

「耳塞ぎ」

 リーマスの呪文がかかる気配を感じ取った。

「たいしたことないよ。もらった薬を塗ったらよくなってきたし」

「ごめんなさい。もっと上手くできたらよかったんだけど」

 二人でベッドに座った。

「謝るのはこっちのほうだよ。僕のせいで迷惑をかけた」

 彼の手のひらは強く握り込まれている。リーンは拳を開かせた。あちこちに白く浮かび上がる傷跡が、彼が人狼と化した時、どれほどの苦痛を抱えているか物語る。

「仕方ないわよ……どうしようもないじゃない。無事でよかったわ」

 それしか言えなかった。リーンはさほど口が達者な方ではない。こんなときにかける言葉を知らなかった。

 うつむく彼の手を握った。

「私やジェームズが何度だって止めるし、傷薬だってつくるわ。学生なんだから夜遊びを楽しむぐらいいいじゃない。権利のうちよ」

「夜遊びはどうなのかな……」

 やっと少し笑った。ほっとしながら続きを言う。

「規則は破るためにあるのよ」

「とんでもない監督生もいたのものだね」

「なんのために品行方正、成績優秀者でいると思っているのよ? ねえ、それに忍びの地図だってまだまだ書き込まなくちゃダメだし……探検していたいところがたくさんあるわ」

 ん、とリーマスが頷いた。

「規則は破るためにある、か。いい言葉だ」

 実はジェームズの受け売りなの、と返した。

 

 なんとか校医に退院の許しを得て、リーンは普通の生活に戻った。といっても試験に向けて、着々と準備を進めなければならなかった。

 図書館――奥まった席に、教科書、参考書、羊皮紙を積み上げ、リーンはアリスやリリーとともに放課後を過ごしていた。

「ものを浮遊させる呪文は何か?」

「ウィガーディアムレヴィオーサ。杖の振り方に注意すること」

「それだけ言えたら完璧よね」

 注釈まで答えたリリーを呆れたように見る。グリフィンドールの監督生は柔らかく笑んだ。

「対策はバッチリしておかなきゃ」

「リリーならどうせ優よ」

 アリス・プルウェットが羨ましげに口にした。リーンは両者を見比べる。

「心配しなくても、リリーは魔法薬学と呪文学で、アリスは薬草学と魔法生物飼育学で優よ」

「リーンは闇の魔術に対する防衛術と、魔法薬学よね」

「魔法史が怪しいけれど」

 二人によってたかっていわれ、手のひらをひらひらと振る。

「あれは教養科目だからいいのよ」

 魔法史は一番やる気がでない教科だった。これ幸いとばかりに脱狼薬の研究にあてたり、その他の暇つぶしにあてたりしている。

「本当に、やる気にムラがあるわよね」

「どうしようもないわ、アリス」

 ここは図書館の奥なので、話し声も司書までは届かない。机に山積みの洋皮紙をつまみ上げる。

「動物もどきについて説明せよ」

「誰が発明したか定かではない魔法の一つ。その名の通り『もどき』であり動物そのものに変身するわけではない。どこかに人間体であった時の身体的特徴を残す……犯罪への悪用が考えられるため、登録が義務づけられている」

 正解、とばかりにアリスにうなずいた。洋皮紙に書かれた次の問いを読み上げた。

「動物そのものへの変身の危険性を述べよ」

 なにその過去問、難しいわね、と文句をいいつつ、アリスは答えた。

「動物そのものへの変身は長期に渡ると人間へ戻れなくなる危険がある。理性が無くなり、やがては人間であったことさえ忘れてしまう。動物、もとい魔法生物へ変身させられ元に戻れなくなった例もあり……」

「それだけ言えれば充分よ」

 慌てて止めた。難しいといいながらも、すらすら答えている。リーンはもう一度、アリスのそばの紙束を見やった。

――変身術、闇の魔術に対する防衛術、呪文学、魔法薬学

 アリスが得意なのは薬草学と魔法生物飼育学、それに天文学だ。かき集めている過去問は彼女の適性からは外れている。どちらかというと可、良ぐらいの成績のものだ。壊滅的に不得意な教科はなかったように思うが……

――この科目って

「リーン?」

 黙り込んだリーンを見かねてか、リリーが声をかけてくる。だが、リーンはアリスを見据えた。

「もしかして、闇祓いに?」

 え、とリリーが声をあげる。リーンも勘で言っただけで確たる証拠があるわけではなかった。穏やかな気性のアリスと、危険を多くともなう闇祓いという職が結びつかなかったのもある。

 けれど、アリスはうなずいた。

「ええ……無謀かもしれないけれど」

 意外なほど強い光がアリスの眼に宿っていた。唇を真一文字に引き結び、また開く。

「マッキノンに従兄弟がいたの……仲がよくて……それに、この間も闇祓いだった又従姉妹が殺されたわ」

 プルウェットは多産の家系で、多くの子を他家に送り出している。血縁は多い。

「プルウェット家そのものへの攻撃はまだ無いわ。でも、そのうち狙われるでしょう。闇側につかない限り」

 マグル出身のリリーは会話の外だった。狼狽えている彼女を置き去りに話が進んでいく。

「逃げてもいいのよ。あなたが他家に嫁げば見逃される可能性はある」

 言葉が転がり落ちた。リーンと違ってアリスには選択肢が残されている。リーンはおそらく同族と婚姻を結ばされるだろう。より純粋なリアイスの血を残すために。

「駄目よ」

 不思議な響きをはらんでいた。いつの間にか伏せていた顔が引き寄せられるように上がる。

「立ち向かわなくちゃ……それに、他家に嫁いでも無駄だもの」

 アリスの目元が和らぐ。

「たぶん、フランクと結婚することになるから」

 フランクはロングボトム家の魔法使いだ。そうして、ロングボトム家はグリフィンドール六大――いまは五大だが――名門に数えられる。

 リーンはなんとか笑みを浮かべた。

「それは、いいことね」

――リアイスだけではない

 激流は闇に膝をつかないすべての名門を飲み込もうとしていた。

 

 試験があろうとお構いなしで、ジェームズたちはあれこれ騒ぎを起こしていた。月に一度の探索には参加していたものの、他は穏和しくしていたリーンは呆れたものの、なにも言わなかった。

――こちらに被害がなければどうでもいいわ

 リリーは監督生の権限を行使して自分の寮であろうとお構いなしに点を減らしているらしい。あれこそ監督生に求められる公正さなのだろう。

 もちろん、リーンが監督生の権限を使わなかったわけではない。時たまされるグリフィンドール生からの嫌がらせの報復のために思う存分使わせてもらった。たとえば、今のように。

「よくもまあ、飽きずに」

 呪文で拘束したグリフィンドール生たちを見下ろした。今回は数が多かったので苦戦した。幸いにもセブルスが一緒にいたのでそれほどひどいことにはならなかった。

「ずいぶん強かったな」

――数年前なら手ひどくやられていた

 妙に場慣れしてしまったから返り討ちにできたものの――。

「暇なヤツらだ」

 セブルスが吐き捨てた。リーンは転がした彼らのそばに屈み込んだ。

「一人につきグリフィンドール二十点減点」

 彼らの顔が目に見えて強ばった。リーンは完璧な笑みを貼りつける。

「五人で二人を襲ったんだからそれくらい当然よね。どうせグリフィンドールが大騒ぎになって犯人探しが始まるけど、知ったことではないわ」

 冷や汗を流し始めた一人に、杖を突きつけた。

「次、こんなことをしたらただではおかないわ」

 視線がかち合う。相手の恐怖の感情を読みとって、リーンは立ち上がった。

「ダンブルドアはお前にとんでもない武器を与えたな」

「必要な武器よ」

 次の講義に遅れる、と足を早めた。もう講義のことに頭を切り替えている自分が少しおかしく思えた。

 ちらっとセブルスの横顔を見る。もとは身長差はさほどなかったが、最近引き離されつつある。五年生ともなれば当然の変化なのだろう。

「グリフィンドールといえば、あの阿呆どもはあいかわらずだな……お前、ルーピンが月に一度どこかに消えているのを知ってるか?」

 不意打ちだった。

「母の見舞いだそうよ。お体が弱いのですって」

 無数に張られた糸をくぐり抜けるように、慎重に答えた。セブルスは頷いた。だが、納得した風ではなかった。

「……ルーピン自身も病気らしい、と聞いたが」

「なになに、リーマスに興味津々なのね。いつのまにそんなに仲良くなったの? 彼、あなたと違って短気じゃないし、穏やかだものね。隣の芝生は青いって――」

 内心はうめきながら、思い切り茶化した。が、杖を向けられて急いで避けた。ひくひくと彼の唇は震えている。

「そのおしゃべりな口を縫いつけてやろうか、リアイス」

「ほらやっぱり短気」

「まったく……」

 セブルスがぶつぶつ言う。疑惑は怒りで吹っ飛んだようだった。安堵を顔に出さないように細心の注意を払う。

――まずいわね

 そう思っていても、どうすればいいか分からなかった。ただ、雲行きが怪しくなってきたことだけを、ひしひしと感じていた。

――そして、その予感は当たった

 

「それでユスティヌ。君は卒業後どうしたいのだね?」

 ホグワーツ城の地下、スリザリン寮監の部屋だった。二月ともなれば、魔法で幾重にも守られた学び舎といえど、ひどく冷える。暖炉には火が躍っていて、向かい合う教師の顔に陰影をつけていた。

 ユスティヌは、この教師が気に入っていた。純血、混血、マグル生まれ問わずに見込みのある者を発掘する才能がこの男にはある。そう、一般的な魔法族が持つ純血名門への敬意はあるにはあったが、ユスティヌに媚びへつらうようなことはしなかった――彼女の自称『取り巻き』とは違って。

 彼女は答えを求めるように、舞踏を繰り広げる炎を見た。

「五年生の時にも、申し上げたと思うのですが……」

「職にはつかない、と確かに聞いたが」

 スラグホーンは両手を広げた。困惑が顔にはかれている。

「実にもったいないことだ。普通魔法技術試験O・W・Lでもすばらしい成績を修めた……その才を生かすべきだ。君なら魔法省で高位につけるだろうし、闇祓いにだって――」

「先生」

 思わず、手を突きだしていた。あまりにも馴染みすぎて同化しかけている仮面がはがれそうになるのを感じ取る。そんな自分に驚きながらも、ゆっくりと声を押し出した。

「正気ですか? 私は……ユスティヌです。ユスティヌが魔法省、ましてや闇祓いになど――」

「君が入ればスリザリン派への牽制になるかと思ったのだけどね。それをおいても、力あるものは貢献せねばならない、と私は考えている。君が三年生の時から見守ってきたが、高貴なる者の義務ノブレス・オブリージュの考えは、君の中にもあるように思えるのだがね。違うかね?」

――嘗めていた

 どこかで、この教師を下に見ていた自分に気づいた。遙かに年上で、経験も積んでいるのだという前提を忘れて。

「それに、君はリアイスだろうと助けていただろう。家のしがらみに関係なく」

「自寮の生徒でしたし、普通のリアイスとは違うように思っていましたから」

 答えたが、なんとなしに歯切れが悪かった。そうかね、とスラグホーンが呟く。仲良くやっているようで、ほほえましかったのだが、と。

「ともかく、君はホグワーツを卒業したら保護を無くす……過激派にとって君は貴重な存在だろう。どう身を守るのか、考えなさい」

――この人は

 なにを読みとったのか、スラグホーンは笑みを刻んだ。

「私の言葉でもあるが、ダンブルドアの言葉でもあるのだよ。君はあれらのような、恫喝と恐怖で支配を好む輩ではないだろう?」

「その言葉、心に刻んでおきましょう……先生、ダンブルドアに伝言をお願いできますか?」

「なにかね?」

「私は、ユスティヌであると」

 五年生は一回、七年生は二回、進路相談がある。それぞれ普通魔法技能試験と、高等魔法技能試験を控えている学年だからだ。二月上旬は七年生の第一回進路相談の週間だった。

「プルウェットのか?」

 リーンが赤線を引いたり、書き込んでいる洋皮紙をセブルスがちらっと見た。レポートの添削をしていると思われたらしい。

「まあね」

 半分本当で、半分嘘だった。アリスのレポートはもちろん添削しているが、あとのいくつかは脱狼薬のための書き付けだった。流れるような筆致でこまごまと文が書かれている。

「アリス、がんばっているから」

「無謀なヤツだ」

 セブルスが鼻を鳴らす。

「目指すのは自由でしょう」

 言いながら、アリスのレポートを置いて、脱狼薬の書き付けを引き寄せた。魔法で誰か知らない人間がのぞき込んだら闇の魔術に対する防衛術の資料に見せかけるようにしてある。

 文字を追っていく。書き込みは、ユスティヌのものだった。いつだったか脱狼薬の開発が発覚した時から、彼女は協力者だった。

 柔らかく崩しているようで、どこか鋭い線――ユスティヌそのもののようだった。

――どうして

 そう、リーンは訊いた。脱狼薬の研究に協力するのかと。あなたには何の利益でもないのではないの、と。

『忌避するよりも、恨みを消すほうが理にかなっているわ』

 淡々と、彼女は言った。

『迫害されればそこに恨みが生まれる……魔法族は内部に敵をつくり出しているわ。ならば、治療し、導き、迎え入れるのが正解なのではないの? そうすれば人材を活用し、魔法界に活力が生まれるでしょう』

 熱っぽい口調だった。

――リアイスが見て見ぬ振りをしてきたものだ

 人狼。恐怖からの迫害。生まれる恨みと怒り。

――分かっていたはずだった

 異端として輪から弾かれる痛みは。だが、それだけだった。ユスティヌは一歩進んだ考えを、リーンの前に広げてみせたのだ。

――リアイスは

 人狼を狩る側なのだ。そのための道具をつくり、闇側に荷担したものは容赦なく殺していく。

 闇側にとって、人狼をつくりだすのは、戦力を生産するのに都合がいい手段なのだ。咬みさえすれば弾圧され、まともな暮らしは望めず、段々と世を恨むようになる。咬むと脅せば、怯えて従う。

――筆頭が、フェンリールだ

 多くの者を咬み、闇側に引き入れている男。史上もっとも残忍な人狼。リーマスも被害者の一人だ。

 次々と人狼が闇側に降っていく中、ダンブルドアがリーマスをホグワーツに迎え入れたのは英断だった。少なくともルーピン一家に希望を与え、リーマスが闇側に行くことを抑止することにもなるからだ。

「手が止まっているぞ」

 ええ、と返した。不審そうにしていたセブルスが、顔を窓に向ける。

「……もうすぐ、満月だな」

 一瞬、彼の眼が冷たく光った気がした。

 

 

 寒い日だった。薄暮も燃えるような橙色ではなく、暗く澱んだ色味だった。

――今日は、満月だ

 そろそろ、マダム・ポンフリーがリーマスを叫びの屋敷に連れて行っているのだろうか。日が完全に落ちてからの移動は、危険を多く孕む。たとえホグワーツが誇る校医といえど、人狼に対しては分が悪い。

 スリザリンのテーブルで夕食を摂っている間に、天井から見える空は明るさを無くし、雲が夜空を覆っていった。

 セブルスはいなかった。だが彼とは別行動も多い。互いにべたべたするのが嫌いなのもあり、深くは考えなかった。淡々と食事を終え、玄関ホールに出た瞬間、扉が猛然と開かれた。

「リーン!」

「ジェームズ? どうした……」

 振り向いて、眼を見開く。幼なじみは血相を変えていた。後ろを見る。ブラックやピーターもいた。即座に耳塞ぎ呪文と邪魔避けを唱え、肩に食い込んだジェームズの手を引きはがす。

「落ち着いて。なにがあったか、説明して」

「スネイプが、リーマスの後を追った。暴れ柳の攻略法も知っている」

 なぜ、とは訊かなかった。ブラックの腫れた頬を見れば分かる。

「行くわよ!」

 即座に玄関ホールの甲冑から槍をもぎ取った。素材を確かめる――銀。

 武器をとられた甲冑は不満げに軋んだが「黙りなさい!」と一喝したら静かになった。槍を切断呪文で半分にし、柄の部分を放り投げる。邪魔だ。

 ジェームズの手を引く。追ってこようとしたブラックとピーターに振り向きざまに言い放った。

「ぞろぞろ行ったら目立つわ。適当に喧嘩したとかでっちあげてごまかしておいて!! 柄もどこかに捨てて!!」

 二人とも、飛ぶように走った。暴れ柳までは遠い。普段なら、禁断の森を迂回するように進路をとらなければいけないからだ。

 冷や汗が吹き出る。

――とんでもないことになった

 走りながら、空を見る。幸い月は雲で隠れている。雲が切れてその光を浴びてしばらくすれば、リーマスの変身が始まってしまう。

――もし、鉢合わせすれば

 セブルスは死ぬ。彼は一般の魔法使いだ。対人狼戦術など知らない。握りしめた半分の槍が、汗でぬるつく。

 走って走って、禁断の森の端まで着いた。リーンは白狼に、ジェームズは鹿に変身して、森に飛び込んだ。獣の姿であれば、森を突っ切るのに不足はない。

 あまりの速さに枯れ草が飛び散る。驚いたように小動物が逃げていった。樹木を縫い、岩を飛び越え、森を抜けた。再び人間に戻る。

 暴れ柳の葉ずれの音がした。

「レラシオ!」

 太めの枝が、暴れ柳の枝をかいくぐり、瘤に当たった。巨木が硬直する。根本の隧道に飛び込む。片手に杖を、片手に得物を持ったまま、半ば這うような格好で進んでいった。

――間に合って

 薄く光が届いていた。光。

――月

 いつもはふさがれているはずの出口は、開いていた。土を払うこともなく、屋敷の中に入る。

 

「二階だ」

 ジェームズが言った時、耳をつんざくような吼え声が屋敷を震わせた。軋む階段を数段飛ばしで駆け上がり、扉を思い切り開ける。

 黄金の眼がある。月に輝く毛並みがぬめるように光った。ちっぽけな人影が、立ち尽くしている。

「セブ!!」

 リーマスだった人狼が、前脚を振りあげる。

「リーン!」

 どうやって距離を詰めたのか、わからなかった。無我夢中でセブルスを突き飛ばした。漆黒の爪が光る。杖から光線が発射され、狼の眼をくらませた。

 その貴重な一瞬。リーンは呪文で槍を溶かし、銀の弾丸をつくった。

「行って!」

 呻いていた狼がのそりと動いた。凶暴なうなりとともに、何かがたたきつけられ、リーンは鉄錆の臭いをかいだ。同時に、銀の光が黒い影に吸い込まれる。

 無様に転がった。狼が悲鳴をあげてのたうち回るのが別の世界の光景であるかのように感じる。

――当たった

 誰かが叫んでいる。うるさい、と思った。身体が一気に重くなって、そこまでで限界だった。

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