【完結】黄昏の輪舞   作:扇架

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十三話

「リーンは……」

「お前……せい……ふざけ……!」

 羽虫が耳元を飛んでいる。夢なのか、現なのか定かではない。

「……血……合う……」

 途切れ途切れの音が乱舞する。その中で、貫くように声が降ってきた。

「私の血を使って下さい。必ず合います」

 引きずられるように眼を開けた。馴染みの緑のカーテン。細く光が射し込んで、漂う塵を照らしていた。身じろぎしようとして、わき腹の違和感に気がついた。片手で触れてみると、包帯が巻かれているようだった。

――なにが、どうなったんだっけ

 とにかく、片手をついて上体を起こそうとする。が、力が入らなかった。

「眼、覚めた?」

「ユスティヌ……」

 この数年で慣れてしまった気配と声に、どうしてか安堵する。

 ユスティヌのまなざしは柔らかかった。

「怪我が酷くてね……少し、危なかったのよ」

 どっと記憶が蘇ってきた。今更ながら己の行動に身体が震える。生きているだけで奇跡だ。

 リーンの様子を見ながら、ユスティヌは顎を引いた。

「どうも彼らの話を総合して聞いたら、銀を打ち込んだあなたの判断はあながち間違いじゃなかったようね。逃げる暇もなかったっていうし」

 セブルスも、ポッターも無事よ、とユスティヌは言い添える。ルーピンだけは寝込んでいる、と続けた。

「あなたが放った銀は、ルーピンの肩を撃ち抜いたわ。怪我といえばそれくらい。あなたが一番重傷」

 彼女は、自分のわき腹を斜めに斬りおろす仕草をした。

「爪でざっくりとね。腹のど真ん中じゃなくてよかったわ。絶対助からなかったでしょうから……輸血しても無理だったでしょうね」

 爪、とつぶやいた。ならば人狼になる心配はない。咬まれた場合だけ、人は人狼になってしまう。そうして、はたと気づいた。ユスティヌを凝視する。

「あなたが血をくれたの……!?」

 少し、間があった。ユスティヌが肩をすくめる。

「騒がしいから駆けつければ、みんな大騒ぎだったのよ。あの場にいた魔法使いと魔女の中で一番純血で、魔力が強いのは私だった……」

 ブラックの血なんて死んでも嫌でしょう、と問われ頷いた。

「あのどうしようもない男は?」

「各方面から制裁を受けてみるも哀れな様子だわ。元婚約者として情けないわね。あの男の価値は顔だけなんじゃない」

 そのとき、扉が勢いよく開いた。

「黙ってきいてれば、好き勝手に!」

「あらご機嫌ようシリウス。あれだけ私がぼこぼこにしたのに、まだ懲りないのかしら。やっぱりあなたの弟と婚約してればよかったかしらね」

 飛び込んできたブラックは、ユスティヌを見て硬直した。蛇ににらまれた蛙の状態だった。

「私は行くわ。リーン、お大事にね」

 礼を言う暇もなく出ていってしまった。嫌な沈黙が流れ、耐えきれなくなって声をかけた。

「座ったら? 見下ろされるの嫌いなのよ」

 ブラックが黙ったまま、椅子に座る。しょぼくれた犬そのものだ、いつも根拠のない自信で満ち溢れた、はた迷惑なグリフィンドール生の面影はなりを潜めていた。

「悪かった」

「さすがにあなたでも謝るのね」

「……俺が、考えなしだったし。お前は好きじゃないが、死んで欲しいとまで思ってないし」

「実の母親でも私を殺そうとしたのに、他人のあなたが惜しんでくれるのね」

 言うつもりのない言葉だった。なのに、口から飛び出ていた。ブラックが凍り付いたようにリーンを見る。

「な、おい……」

「ああ、いいのよ。終わったことだし……とにかく、リーマスとセブに謝って頂戴。呪文と体術でぼろぼろにされるがいいわ。そうしたら私もすっきりするわよ」

「ああ……」

「言質は取ったわよ」

 ブラックは耳に入っていないようだった。唖然としたままだ。余計な情報を与えてしまった。なんとなしに苛立って、追い払いにかかる。

「さっさと帰って。ちょっと貧血気味なの」

 のろのろと、ブラックが立ち上がり、眩しそうに目を細め、リーンを見下ろした。

「リーマスを止めてくれて、感謝する」

「私の仕事だから構わないわ」

 ブラックが今度こそ出ていった。寝台に再び横になる。巻かれた包帯の厚さと、痛みに傷の深さを思った。

 きっと、魔法でも消せない跡になるだろう。

――年経た騎士ほど多くの傷をもつ。身体にも、魂にも

 祖父のいかめしい言を思い出しながら、熱と痛みが渦巻く眠りに落ちていった。

 

 

 手を握られた。

――男の子に目の前で泣かれるのってはじめて

 こんがらがった頭で、そんなくだらないことを考えた。涙がぱたぱたと落ちてくる。

 狼狽えていた。いつも穏やかで優しい彼が泣くなんて、誰が想像しただろう?

「ね、ねえリーマス……」

 彼の背をさする。制服の下に、無数の傷跡があることを、リーンは知っていた。大きいのも小さいのも、長いのも短いのも、たくさん。人狼になる苦痛は、リーンにはすべてを推し量ることはできない。そんな彼が泣いているのをみるのは、胸が疼いた。

「ほんとうに、ごめん……僕のせいで、怪我……生きてて……よかった……」

「いいのよ」

 言いながら、奇妙な気持ちだった。リーマスもそうだったのか、顔をあげる。

「なんだか……いつも、いいのよって言われている気がする……」

「仕方ないじゃない」

「それもだ……」

 泣きつかれたのか、リーマスの眼はぼんやりしていた。それでも、握ったリーンの手を離そうとはしなかった。

「なんでいつも許してくれるんだい? どうして、そんなに……強いの、君は……」

「強い、わけじゃないわ……ただ……」

 心の中を探し回った。強いという言葉は、自身にあてはまるとは思えなかった。

「ただ……なくしたくないだけ。私は、臆病なのよ」

 ぽつりと呟いた。

――異端だった自分を受け入れてくれた

 ジェームズたちだけではない、一年生の時よりも遥かに多くの味方を得た。それを今更失うことは堪え難かった。手に入れたからには、それ以前には戻れない。向けられる友情を知ってしまったからには、なおさら。

 黙りこんだリーンに、リーマスが微笑んだ。

「君は勇敢だ。並のグリフィンドール生より、ずっとね」

 ありがとう、と囁いた。

 

 真夜中だった。セブルスはユスティヌの個室に招き入れられていた。首席の権利の一つで、共用の部屋より遥かに広い。 

「……とりあえず、生きてておめでとう、かしら」

 ゆったりと足を組み、ユスティヌはセブルスと視線を合わせた。背筋が寒くなって、今すぐ眼を逸らしたい衝動にかられる。

――純血の中の純血

 内に秘めた魔力は凄まじい。時折レギュラスやほかの純血が畏れるように眼を伏せるのも、分かる気がした。純血は魔法族の血が濃い分、魔力に敏感な者もいるのだろう。魔女とマグルの間に生まれた自分とは違って。

 そして、混血のセブルスにさえ分かる、この肌を刺すような魔力は、ユスティヌの怒りの深さを示していた。

「ええ、なんとか……」

 声の震えをおさえるだけで精一杯だった。

「愚かなことをしたわね、セブルス。シリウスなんかに踊らされて、あの子を危険にさらしたのだから」

 貫くような鋭さが、ユスティヌの声にはこもっていた。セブルスはぐっと歯を食いしばる。

「申し訳、ない」

 ふっと圧迫がゆるんだ。ユスティヌは小さく笑っている。

「もう構わないわ……人狼相手に生き残るなんて。いくらリアイスといえど、十五の子が! 素晴らしいわ」

 セブルスに語って聞かせている風ではない。ユスティヌの双眸は美しく煌めき、生気に満ちていた。火星の輝きだ、と彼は思った。災いを告げる紅き星。だが、その熱がすっと消え、代わりにいつもの静けさが宿った。

「ねえセブルス、契約を守ってね……閉心術やほかの術を仕込んだ意味を、忘れないで」

 ええ、とだけ、彼は呟いた。ユスティヌは満足気に微笑んだ。

「あの子は狙われるもの……そして、私が守れるとは限らない」

 奇妙なほど虚ろな響きに、セブルスは動きを止め、頷いた。

 

 リーンの傷は、癒えるのに時間がかかった。やはり傷跡は残ってしまって、魔法でもどうしようもなかった。脇腹なので、服で隠れる。マダム・ポンフリーは残念そうだったが、リーンは気にしていなかった。生きているだけで幸運というものだ、と素直に思えた。

 入院している間、ぽつりぽつりと人が訪ねてきた、ジェームズや、リーマス。リリーとアリス、フランク。レギュラスとセブルスはグリフィンドールの面々と鉢合わないようにこっそりとやってきた。

 そして、ブラックもやってきた。よほどリーンの怪我に感じるものがあったらしい。少しずつ、話をしていった。今まではジェームズやリーマスを間に挟んで話すことがほとんどだったから新鮮だった。

――そうして、二月の末になっていた

「人が、少ないのね……」

 マフラーを口元まで引き上げる。ホグズミードは雪に覆われ、時折吹く風が服の上から凍みていく。壁という壁に手配書がはられ、歯をむき出しにして通行人を威嚇していた。

 早く帰りたい、とちらっと思った。寒いのもあるし、今日は祖父がダンブルドアを訪ねていると報せが来た。久しぶりに会いたかった。

「物騒だものね」

 隣を行くユスティヌは平気そうな顔をしていた。手袋こそつけているが、薄手のものだ。マフラーはつけていない。本当に人間かしら、と失礼なことを思った。

「寒いところで育ったのよ、北の森……とても静かな」

 ユスティヌがこういう風に自分のことを話すのは珍しかった。ホグズミードに出ていくのだって、同じくらい珍しい。彼女はホグワーツにいるのが好きなように、リーンの眼には映っていた。

――なにかあったのかしら

 ホグズミードに行きましょう、といわれたとき、空耳かと思った。あまり、ホグワーツの外に興味を持っているようには思えなかったからだ。城でゆったりと本を読み、紅茶を飲み、時にはクィディッチの戦略を練る。そういう時間の過ごし方を彼女はしていた。たいして、リーンはといえば。

――しょっちゅう行っているなんて言えないわ

 さすがに非合法の動物もどきになって徘徊していることは、ユスティヌにも、誰にも話していなかった。魔法法に抵触するのだから、秘密が漏れる危険は避けるべきだというのが、動物もどきたちと人狼の間の取り決めだった。アズカバンに放り込まれる可能性すらあるのだ。

 大通りを進んでいく。生徒たちとは逆方向だ。途中でジェームズたちを見つけた。眼が合った。怪訝そうな顔をされたが言葉を交わす暇もない。

――こっちは

 あの樹の方だ。動物もどきになったときに見つけた、秘密の通路。手を引かれ、導かれるままに歩いていく。少し坂になっていて、その上に樹はあった。

「ユスティヌ……?」

「誰もいないわね」

 坂の下を、彼女はみる。確認するような口ぶりだった。そうして、リーンに向き直った。不思議と、彼女の輪郭が鋭く感じた。スリザリンの女帝――全てを跪かせる、長の威厳のようなものが漂っている。肌が粟立った。

――魔力

「私があなたが力を蓄えるのを、待っていたわ、リーン。リーン・ランパント・グリフィンドール・リアイス……黄金のグリフィンの血を継ぐ魔女」

 静かな声だ。うなる風にも、ばさばさと外套が翻る音にも掻き消されず、リーンに確かに届いた。己が耳を疑った。そうして、意味が分かると一歩、二歩、後退した。血の気が引いていく。

「な……」

――彼女は、知っている

 リーンの――リアイスの、血筋の秘密を。

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