【完結】黄昏の輪舞   作:扇架

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二話

「アリアドネ!」

 娘は振り返らない。長い白金の髪をなびかせ、駆け去った。

 老人は、やるせなさにため息をつき、奇妙に空疎な執務室で立ち尽くすばかりだった。

――なぜこうなったのか。

 父親は、娘の青ざめた顔を思い返した。未だかつて無かった『凶事』に、彼女は震え、そして激昂した。

「ありえないわ……よりにもよって私の娘がスリザリンに!」

 しかし、娘は全てを悟り、予測していたようであった。叫び、何かを恐れているように感じた。いいや、感じたのではない。知っていた。

――私は、間違っていたのだろうか。

 あの時、娘を説得すべきだったのだろうか。十一年前に、終わらせていれば、娘も苦しまずに済んだのだろうか。

 老魔法使いは、顔をしかめた。

「どうして腹に宿った初孫を殺すことができようか?」

 魔法族は子どもを大層大切にする。魔力を継いで生まれてきた子宝は、数の少ない魔法族にとっては守り、慈しむべき存在だった。

 彼は考えた。そして、結論を出した。たとえ逆転時計があろうとも、十一年前に戻って命を摘み取ることはしないだろう。

 孫には確かに生きる権利があった。誰がなんと言おうとも。

「私が守り育てよう。アリアドネ、お前が母としての役目を放棄するというのなら」

 それが、彼の使命であるべきだった。

「幼き黄金のグリフィンよ、そなたの未来に幸あらんことを」

 孫の健やかな成長を、彼はただ願った。

 リーンを取り巻く環境はお世辞にもよいとはいえなかった。入学して数日経つが、彼女に同寮の友人はいない。いや、むしろ陰湿な嫌がらせを受けている。

 一度など階段から突き飛ばされそうになったこともある。寮の談話室にいれば、家を追い出された出来損ないなどとこれみよがしにいわれる始末、自然、寮から足が遠のき、一人きりで過ごすようになった。

 杖を袖の中に隠し、引き抜けるようにしつつ、彼女はたった一人で廊下を進む。途中、壁にはめ込まれた鏡に映る自分の姿を見て、ぎゅっと眉根を寄せた。

 緑と銀のネクタイ。リアイスにおいて異端であるという証。

 けれど。

――リアイスの誇りとは。

 当たり前だと思っていた思想と、生まれて初めて真剣に向き合った。遥か昔の祖先ネフティス・グリフィンドール・リアイスが興した一族の思想、グリフィンドールの思想と。

 スリザリンと対極の一族。闇の勢力と戦ってきた、魔法界の鎮護者。世は言う。リアイスこそが正義だと。

 本当に、正義なのか。ホグワーツに入学したばかりの少女を、追放するような一族が。

 悶々と考えながら、歩を進める。このようなこと、スリザリンに入らなければ頭の片隅にも上らなかったに違いない。予定された路線を進んでいれば、ありえなかったことだ。

 その時、リーン・リアイスの周りには静寂しか存在していなかった。だが、耳がかすかな声を捉え、つられるようにそちらへ目をやった。

 空き教室へ続く扉の向こうから声はしていて、彼女はその響きに混じった剣呑なものに眉をひそめた。途切れ途切れに、罵り、嘲るような声は、聞き覚えのあるものだった。

 関わらないほうが身のため。だが、放っておいてもいいものか。しばしの逡巡の後、リーンは扉を細く開けた。幸い、扉は軋みもせず実に滑らかに動き、中の人物たちに気づかれることはなかった。

 ほっと胸を撫で下ろす暇もなく、無意識のうちに杖を取り出した。

「あなたみたいなマグル生まれなんていらないのよ! 穢れた血!!」

 容赦がなく、まるで見当違いな罵倒――当人達にとっては正当な主張を振りかざしているのは、案の定スリザリン生たちだった。

 誰かを囲んでいるようだ。容姿だけは整った少女達は、埃っぽい空き教室の中、喜々とした表情をしていることだろう。

――最低だわ

 まったくもって気に食わない。群れて、弱い獲物を狩る様も、その主張も。

 けれども、彼女は眉間に皺を寄せたまま、迷った。相手は見たところ上級生だ。しかも複数なのだし、入学以前に魔法教育を受けていたとはいえ、ただの一年生が対峙して勝てる相手だとは、正直思えなかった。

 要はここから追い払えればいいのだ。リーンは頭の中でいくつかの簡単な魔法を思い浮かべ、空き教室の備品を一つ一つ観察した。できる、と判断して、呪文を唱えた。

 天井に掛かったいくつもの蜘蛛の巣が、突如として少女達に降りかかってきた。

「いや! 誰かとって!!」

 たまらず悲鳴を上げる上級生達に、リーンはさらに追い討ちをかけた。棚に納められたインク壷を、容赦なくぶつけ、制服を見る影も無く真っ黒にしたのだ。

 大騒ぎだった。少女達は今の今までしていたことも忘れて、半狂乱で教室を飛び出していった。リーンはまんまと教室に入り込み、はたと止まった。

「リリー……」

 深い赤い髪は、くしゃくしゃになっている。座り込んだ少女は唇を噛み締め、翡翠の目には涙が零れ落ちる寸前で盛り上がっていた。

「リーン?」

 ええ、と答えたきり、何も言えずに座り込んだ。リリーの姿が痛々しくて見ていられない。

「助けてくれたのは、リーンよね? ありがとう」

「追い払っただけよ」

 根本的な解決ではない。スリザリン生はマグル生まれであるリリーを執拗に狙うだろう。

「あまり、一人で行動しないほうがいいわ」

 スリザリンであるリーンは行動を共にすることができない。

「誰かそこにいるのか?」

 二人は顔を上げ、開けられた扉の方を見た。扉口には、グリフィンドールのネクタイを締めた生徒がいて、彼は教室の惨状と、泣き崩れているリリー、側にいるリーンに目を留め、顔つきを変えた。

「お前が?」

 やったのか、と言われ、リーンは眉間に皺を刻んだ。

「するはずがないでしょう。こんな真似を」

 こんな恥知らずなことを。

「けれど、お前はスリザリンだ!」

 彼はリーンを敵のようににらみつける。リーンも、彼に怒りの目を向けた。喉の奥からやっとのことで声を絞り出した。

「私は、私よ。たとえスリザリンに入っていても」

「お前はリアイスだろう! それなのにスリザリンに入ったんだ。これくらいやってもおかしくない」

 一番言われたくないことを言われ、杖を彼に向かって突きつけていた。漆黒の杖から赤と金の火花が激しく散った。

「家名だけで決め付けないで! あなただってブラックじゃない! 邪悪じゃないって誰が言えるの」

 目の前の少年が憎らしくてたまらなかった。使用者の怒りに呼応するように、火花はその明度と量を増やす。

 シリウス・ブラックの顔が歪んだ。灰色の目が鋭利な光を帯びて、刃のような生々しい輝きを放った。

「俺はあの家の奴らとは違う!」

 叫んで、ブラックは杖を抜く。お互い一歩も引かずににらみ合った。群青と灰色の瞳それぞれに、互いの姿が映りこむまでに近寄り、リーンは彼の瞳に映る自分の怒りに捻じ曲げられた像を捉えた。

「止めて、リーン、ブラック!」

 それまで放心していたリリーの声に、二人とも正気に返った。ぱっと離れ、視線を外さずに杖をしまった。

 もうすっかり癖になってしまった唇を噛み締めながら、リーンは教室を飛び出した。

「大嫌いだわ、ブラック」

 

 座り込んだままのエヴァンズは、緑の目を開け放たれた扉に向け、悲しげに顔をゆがめた。

「どうしてあんな言いがかりをしたのよ、ブラック」

 静かだったが、語調は鋭い。シリウス・ブラックは立ち尽くし、眉根を寄せた。彼が教室に飛び込んだとき、リーン・リアイスと彼女二人だけだったのだ。しかも相手は杖を持っていた。

 スリザリンに入った生徒のことなんて、信用しない。叔父とアンドロメダは別なだけで、彼は自分の家族に嫌気が差していた。

 あの邸から、家族からいつも逃れたいと願っていて、ホグワーツに来ることでやっと解放されたのだ。

――あいつは俺よりよほど家族に恵まれていたのに

 一族は皆グリフィンドール。純血思想、闇の勢力と戦ってきた魔法界で尊崇を得る家門。グリンデルバルドと戦ったアシュタルテ・リアイスや闇祓い本部を創設したアリアドネ・リアイスは希代の英雄として名高い。

――俺のような、息の詰まるような思いを味わうことも無かったに違いない

 舌の奥ににじんだ苦味をこらえ、シリウスはエヴァンズに手を差し出した。

「寮まで行こう」

 エヴァンズは黙って立ち上がった。差し出された手をしかめっ面で無視して、さっさと歩き始めた。シリウスは舌打ちしてそのあとを追いかける。

「リーンはね、私を助けてくれたのよ! スリザリンの上級生に絡まれているところをね!! それをあなたがあの子の言うことをちっとも聞かないで、追い出したんだわ」

 思わず足を止めた。エヴァンズが振り返る。

「あなたはあの子の言ってたことを本当に理解していた? 自分が同じようなことを言われたら、どう思う? リーンはリーンなのに」

 シリウスは何も言えなかった。責めるような緑の目から視線を逸らした。

 

 寒々しい地下牢で教壇に立つホラス・スラグホーンが二人で組を作って、と言った。今日はグリフィンドールとスリザリンの合同授業。皆思い思いに組を作っていく中、リーン・リアイスは途方に暮れた。

 誰も、組む人などいないのだ。リリー・エヴァンズと目が合い、リリーが何か言おうとしていたが、リーンは目を逸らした。もしかしたら組もうと言ってくれようとしているのかもしれないが、それはあまりにも危険なことだ。ただでさえ穢れた血と差別されているのに、リーンと組めば同寮の友人にも何か言われることだろう。

 きょろきょろと見回していれば、今度は幼馴染のジェームズと目が合った。彼は本当に心配そうな顔をしている。口だけ動かして「組もうか?」と誘ってくれたが、リーンは黙って首を振った。

「同じ寮がよかったな……」

 誰にも聞こえないよう呟き、自分と同じように一人きりで立っている生徒を見つけ、近づいていった。

「リアイスか」

「どうやら組むしかなさそうよ、セブルス・スネイプ」

 彼は特に何も思っていなさそうに、淡々と「違いない」と答えた。二人で席に着き『薬草ときのこ1000種』を取り出し、見るとも無しに見ていると、グリフィンドールの席から嘲るような笑いが聞こえてきて、ちらりとそちらを見て、また戻した。

「気にしないで」

「気にするな」

 二人同時に言って、お互い顔を見合わせる。

「たぶんあれは私のせいだと思うのだけど」

「僕のせいでもある」

 首を傾げれば、セブルス・スネイプは「僕は闇の魔術に詳しいから……目を付けられる」と小さな声で返した。

「それは目を付けられるでしょうね。でも、あなたの場合は学問的興味なんでしょう? 実際非魔法族を殺そうなんて馬鹿なことは考えてないわよね」

「マグルは好きじゃない……が別に殺したいわけでもない。一人を除けば」

 くっと眉間に皺が寄る。リーンはセブルスの顔をじっと見つめた。何かに苦悩するような表情は、どこか覚えがあった。

「それって、身内の」

「父だ。父はマグルだ」

 吐き捨てるように言って、彼は教科書の裏に「prince of half blood」と書きつづった。

――半純血のプリンス。

「……プリンス家の」

「リアイス家に比べればちっぽけだがな」

 自嘲するように笑う。ちょうどそのとき、スラグホーンが説明を始めた。

「よしよし、ちゃんと組を作れたね? では、今日はおできを治す薬を調合してもらおう」

 彼が杖を振ると、黒板にぱっと文字が現れた。

「作り方はここにある。できあがったものは――」

 また、杖を振るうと今度は戸棚が開いた。

「ここにある瓶に詰め、ラベルに名前を書いて提出するように。私が順番に回るから、分からないことがあれば聞いてくれればいい」

 軽いわ、と呟いて。リーンは久々に気分が浮き立った。鍋の湯を沸かしておいてとセブルスに言って、戸棚に材料を取りに行き、戻って早速調合を始めた。

 お互い何をやるかわかっていた。リーンは手馴れたようにヤマアラシの針を測り、セブルスは蛇の牙を綺麗に砕いた。それから薬草を刻み、順番どおりに放り込みつつ、黒板どおりにかき混ぜようとするセブルスを、リーンは制した。

「待って。ここで反時計回りを一回加えたほうが早いの」

 そっと柄杓を取って、かき混ぜれば、規定の回数より少ない回数で薬の色が劇的に変化した。調合に成功した証拠に、湯気の色が微かに色づく。

「こんなの聞いたことが無いぞ」

「父に教えてもらったのよ」

 平然といえた自信はあったが、ほんの少し声が湿っぽくなった。思い出の中でしか会えない父のことを無理矢理振り払うように、リーンは笑った。

「ほら、これでスラグホーン先生から点がもらえるわよ」

 それぞれ瓶に薬を詰め、名前を書いたラベルを貼って、教壇まで近づくとスラグホーンは独特なホッホーという声を上げた。

「素晴らしい! こんなに短時間で終えるとは!! 二人に十点ずつ差し上げよう」

 ここで、彼はリーンたちの後ろに目を向け、付け加えた。

「ポッター、ブラック、エヴァンズにもそれぞれ十点ずつ加点だ。今年は英才たちが揃って私は鼻高々だ」

 スラグホーンは浮き足立った様子で瓶を受け取り、教室を歩きまわり始めた。

「気に入らないわね」

 鼻先に杖が突きつけられる。薄暗いので顔はよく分からないが、彼女がスリザリンだろうとリーンは見当をつけた。

 かといって、それがどう役に立つのかさっぱり分からなかった。リーンは一人で人気の無い廊下にいて、杖は奪われてしまった。お手上げだ、と正直思った。

「しゃしゃり出て、何様のつもりかしら。少しは殊勝にしようとは思っていないようだし」

 何のことだ、と問うこともできなかった。ただ、気に入らないのだろう。理由などそれだけで充分だ。

 こんな目に好きであっているわけじゃないのに、ため息をついた。殊勝にしているといえば、殊勝にしているつもりだし、言いがかりを付けられても困るのだ。

「リアイスはリアイスらしくグリフィンドールに行けばいいのに!」

 少女の瞳に怒気が宿る。真実憎憎しげに見られ、リーンは戦慄するとともに、諦めに似たものが去来するのを感じた。

 言葉を尽くしても、理解しあえないに決まっている。

 火花が散り、顔に降りかかる。別の一人が杖を振るのが見え、ローブの袖がぱっと切り裂かれ、腕がひりひりと痛んだ。

 転がった杖さえ取り戻せれば、と歯噛みする。その瞬間、どうしたことか杖が飛び込んできて、リーンは目を見開いた。だが、驚いている暇はない。

「エクスペリアームズ!」

 飛び出した赤い光線が、相手の杖を飛ばす。だが、もう一人に頬を張られ、衝撃に耐え切れず、床に転がった。

 頬が熱い。よろよろと身を起こせば、今度は爪先で蹴りつけられた。悲鳴を上げまいと声を押し殺し、リーンはもう一人に向かって素早く呪文を放った。杖が宙を飛ぶ。

「ペトリフィカストタルス!」

 低い声とともに、女子生徒が硬直しぱたんと倒れた。仲間は唖然として片割れを見つめ、その隙に全身金縛り呪文にかけられ、倒れた。

 リーンは倒れた二人の向こうを見つめた。鳶色の髪に、琥珀色の瞳。片手に本を何冊か抱えている。ネクタイは、赤と金――グリフィンドール生だ。

「大丈夫?」

 彼は駆け寄ってくると、張られたリーンの頬を痛ましげに見やった。リーンは我知らず呟いた。

「どうして、助けてくれたの」

 私はスリザリンなのに。

 彼は困ったように微笑み、彼女を引っ張り起こした。

「どっちが悪いか、はっきり分かったからね。スリザリンでも、君は他とは違うみたいだし。早く医務室に行こうか」

 ちょっと待って、と彼のローブの袖を引いて、リーンは倒れ伏した二人を見下ろした。今の状況では、仕返しするのは簡単だ。だが、それではだめだと頭のどこかで自分が囁く。

「オブリビエイド!」

 忘却呪文をきっちり掛けて、その場を後にする。

「寮監には言わなくていいの?」

「言ったところで何が変わるかしら? 結局これは、私の戦いなの」

 孤独な戦いだ。だが、これからの七年間を乗り越えなければならない。リーンは隣の少年に問いかけた。

「さっきはありがとう。私はリーン・リアイス。あなたは?」

「リーマス・ルーピン。リーマスでいいよ。これから、よろしく」

 差し出された手を、おずおずと握った。

「こちらこそ、よろしく」

 握った手は、温かかった。

 

 冬期休暇が近づいてきた。リーン・リアイスはリアイス家の先祖・ネフティスが番人を務める『部屋』から抜け出ると、本を抱えて歩き出した。

――これで少しは人が少なくなるわ

 内心でほっと息を吐く。寮監スラグホーンが持ってきた休暇中城に残る者のリストを思い返せば、スリザリンはリーンとセブルス・スネイプ以外帰省するようだった。おそらく各家でパーティーを催すに違いない。

 冬休み中は『脱狼薬』の研究に集中しよう。そう心に決める。『脱狼薬』は父ミスラ・リアイスが研究していたものだった。志半ばで倒れてしまったが、その研究資料はリーンに受け継がれていた。

『リアイス家でも、人狼には無関心だ。見えなくとも、彼らはそこにいるのに』

 父が何故薬を研究しようとしていたのか、リーンは詳しくは知らなかった。ただ、友人のために作りたいと言っていた。

――父様

 聡明な父が死んだのは、リーンがホグワーツに入学するおよそ一年前。あの時の衝撃は今でも忘れられない。彼の死を境に、母は少しずつおかしくなっていった。

「お祖父さまに手紙を出さないと」

 図書館に向かうはずだった進路を、ふくろう小屋へと変えた。一族独自の伝達手段があるが、彼女はまだそれを教えてもらっていなかった。

 螺旋階段を駆け上れば、先客がいた。

「ジェームズ」

 声に、彼は振り向き、顔を輝かせた。

「リーン! こうして二人っきりで会うのも随分久しぶりだね」

 お互いグリフィンドールとスリザリンで寮が違う。ジェームズはジェームズで友人と一緒だし、リーンはリーンでいつの間にか親しくなったセブルス・スネイプと行動を共にしていた。だから、このようなことは珍しい。

「ええ、本当に」

 返しながら、森フクロウを手招きすると、温和そうな一羽が差し出した腕に舞い降りてきた。手紙をくちばしにくわえさせ、窓のところまで歩いていった。

「ゴドリックの谷まで遠いけれど、やってくれるかしら」

 お任せくださいとばかりにフクロウは一声無き、優雅な動きで空に羽ばたいていった。

「リーンは城に残るのかい?」

「ええ。私自身、あまり寄り付きたいとは思わないから」

 ジェームズはその表情を翳らせる。普段ならば見ることができないであろう顔だった。だが、すぐにいつもどおりになった。

「だったら、休み中はグリフィンドール寮に遊びにおいでよ。僕とシリウス以外みんな帰っちゃうからさ」

「いいの? 私、部外者だけど」

「他のスリザリンなら嫌だけど、リーンならいいよ」

「でも……ブラックが承知するかしら」

 数ヶ月前の出来事を思い出し、顔をしかめた。スリザリンに入ったからという理由で拒絶された一件を忘れることはできなかった。

「大丈夫さ!」

 明るい声で請け負うジェームズは、この一件を知らない。リーンは曖昧に頷き、踵を返した。

 

 冬期休暇がやってきた。目を覚まし、談話室に誰もいないことに今までにない開放感を味わう。暖炉に火をくべると、図書館から借りてきた大量の本を積み上げ、一冊一冊丁寧に目を通していく。

「おはようセブ」

 同寮の友人に呼びかけると、細い声で返事が返ってきた。彼は朝に弱い。そうと知ったのは最近のことだった。リーンは本を置いて立ち上がると、棚からティーカップとポット、茶葉を取り出した。

「紅茶で構わない?」

「ああ……頼む」

 彼は元から饒舌なほうではない。朝は特にそうだった。リーンは構わず魔法を使わずに紅茶を入れ、カップを差出した。そのとき、彼が持っている本に目が留まる。

「闇の魔術の栄光盛衰……面白い?」

 貸し出されていたが、犯人は彼だったのかと思いつつ尋ねれば、まあまあだと返事が返ってきた。互いに面白い本の情報交換はするものの、なかなかこれというものに出会えないのが現状だった。

 それから何をしゃべるでもなく読書に没頭し、気がつけば朝食の時間が迫っていた。慌てて大広間に行けば、城に残る生徒が少ないからか、ダンブルドアは円卓を出していた。

 リーンがセブルスとともに席に着けば、ちょうど――運の悪いことに――向かいに座っていたシリウス・ブラックが鋭い目でセブルスを睨む。セブルスも負けじと睨み返すのを目の当たりにして、リーンは諦念の篭もったため息をついた。

 どうもそりが合わないらしい。それはおそらく双方の性格があまりにも違うせいだろう。見れば、ジェームズもセブルスに対して好意的ではない。

 料理を取り分けていると、ダンブルドアと目があった。彼は微笑みかける。刃のような印象の祖父と違い、ダンブルドアの微笑みは人を安心させる効果があるようだった。リーンは微笑み返し、周囲で繰り広げられている視線と視線の応酬をできる限り無視して朝食を食べ終えた。

 大広間を出ると、セブルスは図書館に行くと言って去っていった。寮に戻ろうと足を踏み出した瞬間、背後から声をかけられる。

「ジェームズ、おはよう」

 振り返らずとも誰か分かった。幼馴染はセブルスの去ったほうを複雑な表情で見つめ、リーンに向き合った。

「グリフィンドールの談話室に遊びにおいでよ。一人なんだろ?」

「ええ」

 他寮の人間を軽々しく招くなんて、本当にいいのだろうか。しかし、ジェームズの好意をむげにしたくなかった。

 ジェームズの隣のシリウス・ブラックを横目でうかがうと、やはりというかなんというか、渋い表情をしていた。ふとした瞬間に目があって、ブラックはばつが悪そうに目を逸らした。

――気に食わないってわけね。

 不快感が込み上げる。それでも面には出さず、ジェームズの案内の下寮の入り口、太った婦人の肖像までたどり着き、彼女はリーンの姿に目を丸くしつつも、扉を開けてくれた。現れた穴を苦労してよじ登れば、暖かな雰囲気の談話室がそこにはあった。

「スリザリン寮より快適そうね」

 心からの言葉だった。ふかふかのソファがいくつも置かれ、暖炉には楽しげに炎が踊っている。地価にある自寮とは違って、窓からの景色も充分に楽しめるだろう。

「リーンに相談があるんだ」

 唐突に、ジェームズが向き直った。リーンは身構える。一体どんな無理難題を吹っかけられるんだろうか。ろくでもないことに決まっている。

「それがね、リリーにクリスマスプレゼントを贈りたいんだけど」

「いつの間に友達になったの、リリーと」

 かなりの驚きを込めて尋ねると、ジェームズは傷ついたようだ。とたんにまとう空気が重々しくなるのだから困ったものだ。

「仮にも同じ寮なんだよ? 友達にだってなるさ。君は僕をなんだと思ってるんだい」

 賢明にも口をつぐんだ。話がややこしくなる予感がしたからだ。

 ぽんとカタログを渡される。『フクロウ通信販売』だった。

「ちなみに、あなたは最初どんなものを考えていたの」

「手作りのクソ爆弾とか咬みつきフリスビーとか……」

「却下!」

 ありえないわ、まったく。と一刀両断にしてカタログをぱらぱらめくった。

「リリーの家はマグルでしょう。そんな害がある品なんて送ったら、混乱するに決まってるわ」

「いいと思ったんだけどなあ」

 頭はいいが、こういうことは苦手らしい。ポケットからペンを取り出すと、いくつかチェックを付けていった。

「お菓子の詰め合わせとか、ほら、色々あるじゃない」

「個性的なものがいい」

 クリスマスプレゼントに何を求めているんだろう。つくづく疑問に感じつつ、リーンが選び出したのは次の品だった。

「無難に鏡にしておきなさい」

 まるでしかりつけるような口調だった。黒地に細かく花が浮き彫りにされている。しかも、いつまで経っても曇らない。あまり高いものを贈ってもあっちが困るだろうと配慮した結果だった。

「少なくとも、クソ爆弾よりましだわ」

 そして、ジェームズが申し込み用紙に記入するのを見て思いついた。用紙は後一枚ある。

「貰っていいかしら」

「もちろんさ」

 カタログから用紙を破り取り、リーンもじっくりカタログを見始めた。

――クリスマスまで、あと数日

 

 リーン・リアイスは螺旋階段をそろりそろりと進む。管理人のフィルチに見つかれば厄介なことになるのは目に見えていた。

――わざわざ呼び出しに応じるなんてどうかしているわ

 自分らしからぬ行動だ。冬の夜、吐息は凍りつき、手足は冷えていく。手袋をしてくるんだった、と今更後悔した。月明かりが差し込んできて、ようやく塔の上に近づいたと悟る。

 彼女は残る数段を駆け上がり、くるりとあたりを見回した。

――誰もいないじゃない

 ただの嫌がらせだったようだ。風が吹き付けてきて震える。早く帰ろう。そうしてベッドにもぐりこもう。決心して階段の方を振り返ったそのとき、靴音が響いて影が姿を現した。

「ブラック……」

 驚きのあまり、それきり何もいえなかった。灰色の瞳の少年はしかめっ面のままリーンに歩み寄ってきて、二三歩分の距離をあけて、止まる。そのまま向かいあっていたが一向に口火を切る様子がないので、たまらずに言った。

「つまり、呼び出したのはあなたってこと?」

「そうだ」

「栞を贈って来たのも、あなたってことよね」

 ブラックは頷く。リーンは首を傾げた。今日はやけに大人しいじゃない。

「栞に関してはありがとうといっておくわ。けど、何も無記名で送ってこなくても。なんだか回りくどいやりかたで呼び出すし。どこのスリザリン生かと思うわよ、あれ」

「悪かったな。ただ、俺は――お前に色々酷いことを言ったから……謝ろうと」

 思わずブラックの額に手を当てた。ぎょっとしたように目を見開く彼を尻目に、リーンは眉根を寄せた。

「熱はないわよね。ブラックが私に謝罪なんてどういう風の吹き回し? あ、ジェームズに変なもの盛られたんでしょ! ごめんね。ジェームズは悪戯好きだから」

――この女!

 ブラックは自らの口元がひくひくと痙攣したのを自覚した。人をなんだと思っている。こっちは一大決心で詫びの品を選び、呼び出したのに。

「熱もねえし。ジェームズにんなことされてねえよ」

「あら、そう」

「エヴァンズを助けたんだってな」

「そんなこともあったわね」

「言いがかりつけて悪かった」

「もういいわよ、結構前のことだもの」

 リーンは肩をすくめた。そしてブラックに目をあわす。伝えておかなければならないことがあった。

「リリーにね。あまり私に関わるなって言ってあげてくれないかしら。あの子まで巻き込まれるわ」

「お前がリアイスだけどスリザリンだからか」

「……身内も敵だもの。言わせてもらうけど、グリフィンドールだって結構陰険なことしてるのよ? 私に構わず学業に専念すればいいのに、暇なことね」

「エヴァンズは、言ってもきかないぞ」

 ため息をついた。

「あの子だって危険なのに」

 スリザリンはマグル生まれを排斥する。毛嫌いのされ方はリアイスとほぼ同等だ。リーンはリリーと出会ったとき、まさか自分がスリザリンになるなどと思っていなかったので仲良くなってしまった。

――時間を戻せたら

 決して仲良くならなかった。

 リーンは踵を返す。

「栞、ありがとう……あなたも早く寮に帰らないと、フィルチに見つかるわよ」

 階段を駆け下っていく彼女を見送り、ブラックはくしゃみをした。せめて手袋くらいつけてくるんだったと後悔する。

「わけわかんねえ女」

 グリフィンドールに選ばれるはずだった女は、スリザリンの中でどう過ごしているのだろう。まだ自分はマシだ。ジェームズやリーマスがいる。けれど、あの女は?

 誰も、いないのではないか。

 噂は嫌でも耳に入ってくる。時たま会う従姉のアンドロメダからも、よく聞いていた。

 ブラックもまた、階段を降り、静かに寮に戻った。とっくに就寝時間を過ぎているのに、談話室にはジェームズが待ち構えていた。

「上手くいったのかい?」

「何の話だ?」

「とぼけても無駄だよ。リーンと会ってただろ」

「……お前はなんでもお見通しだな」

「そりゃ、僕だからね」

 至極得意げに笑って見せた少年をぶん殴りたい衝動に駆られたが、頭を振っただけで抑えた。これがこいつなのだ。

「ねえシリウス」

「んだよ」

「……リーンのこと、気にかけてやってよ」

 寝室に行こうとしていた彼は、思わず振り返った。はあ? と思わず声が出る。何いってんだこいつは。

「お前が気にすりゃいいだろ。幼馴染なんだから」

「だーかーらー。幼馴染だからこそ、踏み込めないとこがあるんだよ。それに、リーンの境遇理解してやれるの、シリウスだと思うし」

「もう、寝る」

 足早に寝室に去っていく友人をみやり、ジェームズは呟いた。

――自分にはリーンの孤独は分からない

「……シリウス、君だと思うんだよね、僕は」

 

 

 後継はどうするのか、という密かな声をアシュタルテ・P・リアイスは聞き取っていた。それは一族のそこかしこで囁かれるもので、彼は億劫そうに目を閉じる。

「父上」

「お前たちが二人揃ってやってくるとは珍しいこともあったものだ」

 アシュタルテは並び立つ息子たちを見据えた。アトロポス、ネレイド――共にグリフィンドール直系ランパントであり、それぞれ筆頭分家パッサントと第二分家ステータントに婿養子として入った兄弟だった。

「……父上」

 泰然とした様子の実父に、兄アトロポスは唇を噛んだ。

「あちこちで噂になっています。収拾をつけねば――」

「お前たちは、私に動けと? 本家当主ランパントを差し置いて?」

「本家当主であっても、娘です! 父上、姉上をお止めください」

「あれはお前たちと同じように頑固だ。一度決断したら容易に覆すまい」

「――実の娘を本家から締め出すなど、あまりにも外聞が悪い……どうか、父上」

「私があの子を引き取った。ひとまずはそれでよかろうよ。ネレイド」

 アシュタルテは腰掛けたまま、息子たちを見据えた。それとも、と口にした。

「……お前たちの息子を本家当主の座に就けるか? 血筋の点でなんら問題はあるまい」

 アトロポスとネレイドは元はランパントに属していた身。その息子たちにも当主継承権は発生する。

「何を馬鹿なことを。それは最後の手段でしょう。今は姉上の娘――リーンがいるのです」

 アトロポスはとんでもないとばかりに首を振り、ネレイドも頷いた。

「お前たちにだから話すが、正直なところ打つ手がない」

「……リーンがスリザリンに入ったのは事実。これは消しようがない。加えて当代ランパントがリーンを締め出したことも、消しようがない。さらに、後継者指名をさせようにも、リーンはまだ十一歳。若すぎる」

 息子二人は沈黙する。そのようなことは、二人とも承知していたはずだ。だというのにここまできたのは、歯がゆさゆえだろう。

「リーンがランパントを継承する余地は残した――このまま一族に亀裂が走るようであれば、お前たちかお前たちの息子のいずれかが、位に就け。今の様子ではあっさり譲位してもおかしくない。あれは再婚して子どもをもうけるつもりもないようだしな……」

 異端となった娘の代わりに子どもをつくれば、この継承問題に形はつく。その場合はリーンは手元に置くつもりだった。

――もはや、ミスラ以外の男を夫にしたいとは思うまい

 ヴォルデモートによって人狼をけしかけられ殺された義理の息子を思って目を伏せた。惨い最期だった。

「さあ、もう行け。お前たちにも仕事があるだろう」

 うながせば、渋々といった風に、息子たちは礼をして、去っていく。扉が閉まるとともにため息をついた。

 冬休みが終われば、時間は飛ぶように過ぎていった。リーンは相変わらず孤立したまま学年末試験に臨んだ

 その結果はジェームズ、ブラックと並んで首席。最悪だわ、と額を押さえた。このように目立ってしまうなんて――。

 グリフィンドールからも、スリザリンからも嫉妬や敵意に満ちた視線が絡みつく。板ばさみとはこのことである。

 リーンはとにかくその場を離れようと掲示板から離れようとしたが、誰かに腕をつかまれた。

「リアイスのくせにスリザリンに入って、あまつさえ首席だと?」

 見知らぬグリフィンドール生だった。上背があって、がっしりとした体格をしている。彼の顔は、そこらにいる陰険な生徒と同様に歪んでいた。

 腕を振り解こうとするが相手の力が強くて駄目だった。リーンは唇を噛んだ。嫌いならそっとしていてくれればいいのだ。無いものとして振舞ってくれれば、こちらも楽なのに。どうして誰も彼もわざわざ絡んでくるのだ。

「離してくれませんか」

「この裏切り者」

 見知らぬグリフィンドール生から罵声を浴びせられ、心臓が縮こまった。罰則は覚悟で杖を使おうか――こうして公衆の面前で悪し様に言われるよりよほどマシだ。

「やめなよ」

 穏やかだが、芯の強さを感じさせる声が、緊迫した空気を打ち破った。少年は声の主を振り向き、ちらりと忌々しげな顔をした。

 首席の一人だった。

「その恥知らずな行動をやめないと、首席権限で罰則を科すよ」

「けど、こいつは!」

「この子は確かにスリザリンだ。けど、君に何かしたかい? 何もしていないだろう。優秀な成績を取ったのは褒められるべきであり、けなされることじゃない。ほら、手離して」

 肩をすくめながら彼は首席バッジをちらつかせる。リーンの腕から手が離れた。と、両腕をそれぞれ掴まれ連れ出される。

「大丈夫かい、リーン!」

「お前はまったく――」

 一つは幼馴染のもの、もう一つはセブルスのものだ。リーンはこの先の展開を思い苦く笑った。

「貴様、リアイスから手を離せ。馬鹿が移る!」

「はあ? スネイプこそリーンから手を離してくれよ! 陰険さが移る!!」

「あのね二人とも――」

 両者は喧嘩をはじめ、リーンは項垂れた。この険悪さはどうにかならないものかしら。それより腕を離してもらいたいと思った矢先、ゴンゴンッと鈍い音が二度響いて、腕が自由になった。今度は誰かに優しくつかまれ、引き寄せられる。

「大変だね、リーンも」

「……殴った、のね」

 リーマス、と呼びかければ、彼は朗らかに笑った。言っても聞かないからだよと嫌にはっきり言う。

 まだ近くで喚いていたので、リーンは杖を取り出して黙らせ呪文をかけた――ジェームズだけに。

「……煩いわよ。貴方は相変わらず騒々しいんだから」

「スニベリーにかけろよ! おいリアイス!!」

 リーンは眉間に皺を刻んだ。ここにも煩いのがいた。

「いいのよ、セブルスは静かだもの。どこかの二人と違ってね」

「んの野郎……」

 ぎりぎりと歯噛みするブラックをせせら笑った。目立つ二人と並んで首席になってしまった苦労の意趣返しだ。

「お生憎様、野郎でないもので」

 セブルスを促して、その場を後にする。寮へ向かう道がすら、彼はぽつりと呟いた。

「お前のことだから手を抜いてほどほどの成績を修めるとおもってたが」

「私もそのつもりで手を抜いてたんだけど……どうしてかしらね」

「その言葉、他の奴の前では言うなよ。色々とまずい」

 心底苦々しげに忠告した友人に、リーンは微かに笑いかけた。

「分かってるわよ」

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