守り人を立てている。忠誠の術は解けてはいない。第一、ジェームズが誓いを破るはずがなかった。だが――。
――待ち伏せすれば違う
けれど誰が――。
「臆病ものの鼠を飼うからこんな破目になるのだ」
帝王が笑う。リーンの思考が空転した。ネズミ――。
――ピーター
ぞっと背筋が冷えた。崩壊の予感がする。
――ジェームズ、リリー、気づいて
もう忠誠の術は破れてしまった。お願いだからハリーを連れて逃げて。
杖を帝王に向ける。
「俺様に従う気になったか? 愚かな娘」
「いいえ」
つと笑う。「この杖が見えないのかしらね」と。だが、帝王は生意気な発言をさらりと流した。
「息子を渡す気もないわけだな?」
眦を険しくする。いっそう強く、杖を握り締めた。
――ここで食い止めなくては
「当然だわ。この子はグリフィンドールを継ぐ者。……あなたとは、相容れないのよ」
声の震えを悟られないように祈りながら、リーンは帝王と対峙した。ここで負ければ、ジェームズとリリーが殺される。息子は奪われる。それだけは、どうか。
「頑迷なことだ。お前もお前の息子も俺様と相容れない? そんなはずがないだろう。リーン」
帝王は肩をすくめた。頑是無い子どもに言い聞かせるように、ゆったりと言葉を紡ぐ。
ゆら、とリーンの杖先がわずかに揺れた。リーンと帝王からあふれ出す魔力が、静かにぶつかり合う。背後でウィスタが泣き出した。
――恐ろしいに決まっている
相手は最も多くのリアイスを殺した、闇の帝王なのだから。
「私とあなたは違う。もちろん息子も。心は決して交わらないわ」
闇が深くなった。じわりと魔力が侵食していく。歯を食いしばった。
「交わらぬのならば、排除するのみだ」
「させないわ」
一瞬にも満たない刹那、リーンと帝王は同時に杖を振った。
「息絶えよ!」
詠唱速度は同じ。威力も遜色ない。緑の光線が中空でぶつかり合う。さらに杖を振る。帝王は素早く迎撃し、全ての魔法が相殺された。
「魔力は俺様とほぼ互角。だが哀れかな、お前には経験が足りない」
笑った帝王の顔を、一条の呪文が裂く。血が飛沫いた。
――今だ
地を蹴る。渦に飛び込む。帝王の斜め後ろに出現し、宝剣を顕現させようとして――。
「悪くない……が、詰めが甘かった」
衝撃とともに叩きつけられた。全身が切り裂かれている。頭の芯が揺らいだ。血がだくだくと流れていくのを感じた。帝王ではなく、彼女の血が。ローブが翻る音が、どこか遠くから聴こえる。
「アリアドネと同じ呪文でやられ、死ね。愚かな娘……せめてもの慈悲をくれてやろう」
苦しまずにいけ、と優しい声が降ってきた。
――ウィスタをお願い。貴方を置いていく私を赦して……。
「……シリウス」
囁き、渾身の力で方陣に力を流し込むのと、緑の閃光に覆われるのは同時だった。
『死』がやってきていた。
ジェームズは杖を引き抜く。
「行くんだ」
――リリーとハリーを逃がさなければ
扉が微塵となって飛び散る。
「おお哀れなポッターよ……お前の幼馴染は死んだ」
息が止まる。かろうじて呪文を跳ね返した。逸れた呪文は花瓶を砕く。破片が儚い音を立てて落ちていった。
帝王の頬に走る長々とした傷。いまだに血を滴らせている。
「リーンが?」
「そうとも……息子は逃したがな」
燃えるような怒りがこもっていた。ジェームズは杖を振る。今まで決して唱えるまいと思っていた呪文を紡ぐ。
「苦しめ!」
だが、築かれた障壁によって霧散した。
「貴様もやはりグリフィンドールか……友の死に怒るとは」
「うるさい……」
なぜ忠誠の術が破れたのかなんてどうでもいい。この男を殺したい。
――きっと誰よりも穏やかな生活を望んでいた
運命を狂わせたのはこの男。こいつさえいなければ、リーンはリアイスの令嬢として、平和な時代を生きれたのに。
怒りのままに杖を振る。帝王から血が飛ぶ。だが、意に介さないようだった。痛みが鈍いかのように。ジェームズの動きはひるむ事を想定していた動きだった。致命的な隙が生まれる。間合いを詰めた次の瞬間、彼は壁に叩きつけられる。
肺の中が空になる。視界が霞む。
『死』が杖を振り上げた。口を三日月型にして。
そうして、杖が歌った。
[newpage]
ああ、どうか。どうか。
涙が滲む。姿くらましをしようにも、箒に乗って逃げようにも、展開された障壁がそれを阻む。リリーにはそれを破るだけの力は無い。
――ジェームズ
帝王に立ち向かい、逃げろと言った。けれどもその言いつけには従えそうも無い。
――リーン
いまどこにいるの。どこに。重い立場を背負いながら、闇に敢然と立ち向かっていたあなたは。
すすり泣く。恐怖に身がすくむ。
扉が弾けるように開き、背後にかばった息子が泣き始めた。
「どけ、女……息子を差し出せば命は助けてやろう……ポッターやリアイスのようになりたいか」
「嘘よ……」
――死んだ
ジェームズが、リーンが。
「嘘」
「俺様は真実を言ったまで」
『死』がせまる。歯が鳴った。リーン、あなたは何度も対峙していたの。この恐ろしい男と。
――リーン
「ハリーだけは……」
立ちはだかる。帝王の双眸に正体の知れぬ光が灯った。だが、それはすぐさま消え去った。
「どうか……!」
――どうか私に勇気を頂戴
「ピーター?」
かつて用意した隠れ家に、踏み込んだ。あるのは埃ばかり。人の気配はない。
――いないかのように
あちこち探す。けれど、どこにもいなかった。おいそれと隠れ家を出るはずがない。守り人になってからというもの、外に出るのを嫌がって、シリウスたちと接触するのも最低限にしていたぐらいなのだから。
身ぶるいした。これは一体、どういうことだ?
ピーター、ともう一度呼んだ時、首からかけた華奢な鎖が重さを増したような気がした。思わず手繰り寄せ、凍りついたように動きを止める。灰色の眼は一点に固定され、寸毫とも動かない。
「な……んで……」
――指輪が二つ
二つで一つの。かっちりと合わさり、刻まれた比翼の紋を露にしていた。片翼が戻った、その意味。
――死が二人を別つとも
意味。
「リーン……?」
分かっている。いや、頭が理解を拒む。けれど、比翼は無情に現実を突きつける。
――死を
その瞬間、彼は全てを理解した。
「殺してやる……! ピーター!!」
獣の咆哮が、木霊した。
彼の世界が崩壊してから、十年ほどが経っていた。夏の盛りの山道を懸命に進んでいく。目的の場所はもうすぐ。
――無くした欠片があるはずだった
大切だった人の一部を持っているはずの。
汗が滴る。ハンカチで顔を拭いた。対面の時は爽やかなおじさんでいたい。少しみずぼらしい格好をしていても。
目指す村があった。村人はよそ者をじろじろと見る。それでも、物腰柔らかな彼には警戒を解いたのか、その建物を教えてくれた。
――孤児院だ
院長と名乗る男に通され、彼は歩みを止めた。所在なさげに座っていた少年が気配に気づいたのか顔を上げる。双眸は群青。彼女と同じ色合い。
彼は覚えず微笑んだ。
「ウィスタ……リアイス、だね?」
――やっと会えた
彼女の一部を持った魔法使いに。
◇
――時はなく、あるのはどことも知れぬ昼と夜の狭間
薔薇の香りがする中に、彼女はぽつねんと座っていた。いつか城の花園で二人で薔薇を摘んだことを思い出した。それはもう随分と前のことなのだろう。そうして、ずっとずっと待っているのだ。長い間。一人ぼっちで。
着ているのは懐かしい制服で、容姿も昔のままだった。
ここはいつまでも黄昏のままだ。彼女は狭間の子。このどちらでもない時間がふさわしいのだろう。
――草を踏みしめる、靴音がする
立ち上がった。だが、進めない。会いたいような、会いたくないような。再会を望んでいたのは彼女なのに。
風が吹く。薔薇が香る。
誰かが背を押した。振り返る。長い黒髪と、柔らかい色の双眸。形のいい唇が動く。行きなさい、と。
――ああ
一人で待っていたわけではなかったのだ。
ええ、と頷いた。草を踏みしめる。次第に歩調が早まった。
赤とも金ともつかぬ光のなか、待ち望んでいた片翼がいた。懐かしい制服を着て、昔のままの姿で。
最後の数歩をどちらが詰めたのかはわからなかった。気づけば、飛び込んでいた。
静かに、待ち人の名を囁いた。
これにて親世代本編完結です。