【完結】黄昏の輪舞   作:扇架

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外伝 哀れな者に右手を与えよ
哀れな者に右手を与えよ


 令嬢でございます、と恭しく差し出され、両腕に抱いた我が子はあたたかく、小さかった。まだ見えない眼をきょろきょろと動かし、小さな小さな手を懸命に動かしている。

――この子が未来のランパント

 およそ一千年続く家系の、その頂点に立つのか。私は子を抱いたまま、堅く唇を噛む。

 こんな小さな子に生まれながらに科せられた使命を思って。そして……。

「ミスラ」

 鋭い声に、振り向いた。杖を突き、灰色の髪に薄い群青の眼を持つ男がやってくる。私はほほえみ、子を抱いたまま軽く一礼した。

「これはこれはパッサント様」

「生まれたのか」

 誰が、と筆頭分家の当主は言わなかった。私は問いを受け取って、子を差し出す。

「令嬢です」

 筆頭分家の当主であり、当代ランパントの父、そして私の義父は眼を細める。孫よりも淡い色の虹彩が煌めいた。

「そうか……無事に生まれたか」

 声には本家直系誕生の喜びよりも、ほかのなにか――暗いなにかが含まれていた。私は笑顔を維持したまま、パッサントを促した。本家の紋が刻まれた扉の向こうに、私の妻はいる。

「ランパントは心細く思っておられるはずでしょう。どうぞ行ってください」

「お前はいいのかミスラ。そばについてやらなくて」

「私はこの子をみておりますので」

 口調が乱れないか。首の振り方が不自然ではなかったか。なんでもないことだというのに、神経を使う。

 パッサントは私を静かに見て、やがて誕生の報せをもたらした産婆とともに扉の向こうへ消えた。

 廊下には私と子だけ――いいや。

「出てきたらどうだ」

 イルシオン、と名を囁く。わずかな笑声とともに影が現出した。黒い髪に、ゴールデンオレンジの眼を持つ魔法使いは、優美に一礼する。

「第一子ご誕生、おめでとうございます。ミスラ様」

 軽い頷きを返事の代わりにし、言葉を放った。

「護衛のつもりならば、こそこそせずに出てくるがいい……なんのつもりだ、イルシオン?」

「嫡子殿がお泣きになるかと思いまして」

――数え切れないほど殺したからか? その気になれば赤子も殺せるくせに

 皮肉を言おうとしてやめる。今日は祝いの日。それに、真っ白な子の前で口汚いのは我ながら嫌だ。

 私の考えを読んだのか、イルシオンはにこやかだ。私は彼に子を差し出した。

「試してみるか。この子が泣くかどうか」

「ミスラ様……」

「赤子が怖いか。それとも黄金のグリフィンの光輝がまばゆいか?」

 揶揄すれば、イルシオンは赤子を受け取った。ゴールデンオレンジの眼は当惑に彩られていて、かすかな優越を覚える。表向きは役立たずの昼行灯で通っているこの魔法使いは、その実強かで、ランパント相手にも物怖じしない。その男のこんな顔を見られたのだから満足だ。

「知りませんよ泣いても」

「この子は泣かないさ……ほら」

 喉を鳴らす。私の言葉通り、子は瞬いているだけだ。泣きも騒ぎもしない。

 イルシオンのため息が落ちた。

「さすがリアイスとリアイスの子。生粋の黄金のグリフィン……というわけですか」

「そうだ」

 子を取り返し、イルシオンの先導を受けて廊下を進む。途中で何人もの一族と出会い、次々と祝いの言葉を述べられる。ランパントの夫に恥じないように丁寧に応じていく。

「この子は清濁併せ呑み、いずれ我々の上に立つ者……セイリャントの魔法使いごときに屈しないさ」

 イルシオンが扉を開く。城の中では比較的小さい部屋に通され、ソファに腰を下ろした。

 当然のように側にいようとするイルシオンに告げる。

「この子の護衛よりも、ランパントの護衛をするがいい。産後で弱っているからな」

「あなた様は」

「……この子を守るだけの実力はある。行くといい」

 言い切れば、数秒の沈黙の後にイルシオンが出ていった。部屋には今度こそ私と子の二人きりだ。

 杖を手に取り、ありとあらゆる魔法をかける。誰にも聞かれないように。

 子の群青の眼をのぞき込む。愛する女の眼にそっくりな虹彩を。

――ああ、アリアドネ

「君は……ランパントの子。誇り高い黄金のグリフィン」

 顔が歪む。

――片方は黄金

――だが

「生粋のリアイス……といわれて育つだろう。私もそう言うだろう。だって君に罪はないのだから……罪があるのは君の産みの親なのだから」

――この子の顔は

――薄く生えた髪は  私の欠片はひとつもない。ただの一つも。腹が膨らむたびに、どこかおびえたような眼で私を見ていた妻。一年ほど前、突然闇祓い局をつくると言った妻。毅然とし、本家当主として申し分のない魔女のはずなのに、どうしてか私の前では違った。黄金の光輝はくすみ、褪せ、なにかを秘めたまなざしをしていた。

「アリアドネ……」

 どこかで予感していた。だが、認めるしかなかった。腕に抱いた子は、私の子ではないのだ……。妻は秘密を打ち明けてくれなかったのだ。

――それはなぜ?

 答えは頭のなかにある。

「……お前だな? 卑劣なトム。お前のせいだ……私に子を託卵して笑っているのだろう」

 虚空に向かってつぶやいても、返ってくるのは沈黙だけ。

「気づかないとでも思っていたのか。それとも、気づいてこの子を殺すと思っていたのか。侮られたものだ」

 お前のような心を失い、すべてを利用する男とは違う。感情ない交わりをする貴様のような者とは断じて違う。

「この子は私が育てる。たとえランパントが拒否しようとも……罪なき子。お前の呪いによって産み落とされた子」

 闇の帝王の噂は知っている。それが誰なのかも気づいていた。

「黄金のグリフィンの血と誇りは確かにこの子に芽生えるだろう……そしてリーン・イシス・ランパント・グリフィンドール・リアイスは」

 お前にとっての呪いとなるだろう。

「お前が忍ばせた卵は……」

 妻の喪われた笑顔が一瞬脳裏に閃く。だが、すぐさま切り裂いて、散らしてしまう。

――もうあのころには戻れない。

「私が守る」

 たとえ己の子でなかろうと。

 黄金のグリフィン(グリフィンドール)の名に懸けて。

 

 リアイス一族第七分家ドーマント。薬学や癒学等に秀でた家門であり、本家や他の分家に比べ、戦闘に長けた者は少ない。とはいえその豊富な知識と多岐に渡る研究は、一族の繁栄に貢献していた。

 私はドーマント・リアイスの魔法使いとして、薬学の道へと進み……ランパントの婿となった。

 当代ランパント。その名をアリアドネという彼女は、白金の髪に群青の眼を持つ魔女であった。

 私が彼女と結婚したのは家と家の結びつきを深めるための政略婚。もともと同年で同寮である以外にさして共通項はなく、本家の令嬢と婚姻する日が来ようとは、あのころは夢にも思っていなかった。

 眠る娘の黒髪を梳く。鴉の濡れ羽根色のそれ――ランパントの白金とは対極の色を。

 部屋の中は狭く、娘の寝台も簡素だった。屋敷しもべがひとりほかに、誰も娘付きの者はいない。静かに静かに、隠すようにして娘は育てられていた。

 小さな小さな娘。黄金のグリフィンの血をひく娘――。

「……あなたは……」

 寝顔をみながら、ここにいない魔女に呼びかけた。

「私ではなく……」

――あの男を好きだと思っていた

 黒い髪に赤い眼の秀才。敵寮だというのにアリアドネと親交を深めていた。私はただそれをみていた。

 あの男の賢さが鼻につくときもあったが、寮を問わず好かれていて、アリアドネに釣り合う男だとも思っていた。

 私は私で薬の研究に忙しく、輝かしい本家の令嬢のことは無意識に頭から締め出していた。

「思えば不思議ですよねえ」

 飄々とした声がした。振り向くまでもなく、誰かわかった。

「護衛ご苦労だな、イルシオン」

「私の『仕事』がなにかわかっているくせに、押しつけてくるミスラ様は頭がおかしいと思いますがね」

 言い切って、影――イルシオンが寝台に近づいた。ゴールデンオレンジの眼を煌めかせ、娘をじっと見つめている。

「お前がランパントにも私にも歯に衣着せない態度なのが不思議だがな……で?」

 促せば、イルシオンがこちらを向いた。

「……ドーマント・リアイスのミスラ様……あなたがなぜランパントと婚姻したのか」

 だって、とゴールデンオレンジの眼が細められる。

「あなたの妹さん――」

 ランパントに殺されたじゃありませんか

 ◆

 私は沈黙した。本当に昔の話だ。『妹』の顔もあまり覚えていない。

 黒髪に緑の眼をしたかわいらしい子だったと思う。

「いまじゃ、妹さんのことを口にするのは誰もいませんがねえ」

「存在すらも消されてしまって」

 ふ、と息を吐く。

 咬まれてしまったことが妹の運命を決定づけた……決定づけてしまった……。

 純血名門のリアイスは、ありとあらゆる分野に進出している。そして、人狼殺しも請け負っていた。そして、身内ですらも消そうとした。貴族家にとって人狼は穢れだったので。

「それが我々の習わしだ」

 多くの人狼を殺してきたリアイス。必要悪だったので。密かに持ち込まれる依頼に応え、時に幽閉用の鎖を、時に手を下し、魔法界の闇に身をひたしてきた。

――仕方なかったのだろうか?

 幽閉された妹。涙で眸の緑を濃くして、そのうち傷だらけになり、段々と壊れていった。

 一族からは見放され、静かな静かな牢で、妹はけらけらと笑うばかりになっていた。

 そんなとき、アリアドネがやってきたのだ。

「あなたの眼の前で――」

「妹さんの首を刎ねたとか……おや、そんな顔もできるんですね、あなた」

「ランパントは、妹に慈悲をくださったのだ」

 転がる首、噴き出す飛沫、血にまみれた九つか十の《ランパント》。私は悲鳴すら上げられなかった。

「治せない以上……戻せない以上……終わらせてやるのが役目だとおっしゃった」

 そうして妹はリアイスの系譜から消された。最初からいなかったことにされ、ドーマントの子は兄と私の二人だけ。

「恨むよりもなによりも……」

 続きは言葉にしなかった。血の池のなかに立つ幼いランパントの姿ばかりが浮かぶ。鮮やかな群青の眼を陰らせていた、後の孤高の魔女を思わせる眼差しが。

 ただただ、胸の底に悲しみがあった。壊れた妹。それを処分したランパント。貴族家である限り、避けられないものだった。ランパントではなく兄である自分が手にかければよかったのだが――そんな勇気など持っていなかった。

「幼い頃から狂ってましたがね。ランパントは……。リアイスらしいといえばそれまでですが」

 イルシオンの言は容赦ない。私は声を立てて笑ってしまった。

「そうでなくてはこの時代、リアイスは生き残ってこれなかっただろう」

 狂っていなければ突き進んでこれなかった。時代は彼女を選んだのだ。

「ミスラ様はさながらランパントの良心の欠片ですか」

 ゴールデンオレンジの眸は娘を捉えている。静かに、隠されるようにして育てられている娘。実母であるはずのランパントの訪いは数えるほど。一族から切り離されつつある子。

――まるで  私の妹が『消された』時のような。

 きっと妻はこの娘を見たくないのだろう。裏切りの証だから。

――哀れなアリアドネ

 私が気づいているとも知らず、日々怯えている。だが、証さないのならば言わない。手を差し伸べることもきっとしない。

「私はランパントの影だから」

 いつか言われたことがある。

「己のすべてを殺し、私に捧げなさい。それがランパントの配偶者である資格。忘れてはいけない。ランパントは光で、夫になろうという者は付随する影なのだから」

 それができるか、と問われ私は諾と言った。

――そして裏切られたのだ

「……影は影らしく動くまで」

 たとえば己の良心に押しつぶされそうになる妻から、次代のランパントを守ること。

――リアイスとして狂っていこうとしているランパント……

「私は思うんだ。イルシオン。我々の生き様は」

 なんと無様なのだろうと。

――ああ愛しいランパント

 君が壊れるのはいつだろうか。

 ◆

 瑞々しい碧や、燃える緋、やわらかな黄、色が溢れる庭園に、軽い靴音がひとつ。

 膝を突き、花や草を集めていた私は振り向かずに告げた。

「リーン、私の足跡を伝っておいで。危ないものがたくさんあるからね」

 はい、と小さな声がした。ちらとそちらを見れば、小雨でやわらかくなった土の上、残された私の足跡を辿って娘がやってくる。足取りはゆっくりで、繊細だった。

 本家当主ランパントとして、リアイスを束ねる妻を思う。

――アリアドネなら

 白金の髪の黄金のグリフィンならば、颯爽とためらいなく私のもとにやってきただろう。あちこちに生えている雑草など気にも留めず。……以前であれば。

 私の前でだけ、妻の輝きは陰る。群青の眼に潜む後ろめたさを正確に読みとっても、素知らぬふりを続け、ランパントを立てる良き夫を演じている。知っていると気づかれるのも業腹である。私は死ぬまで秘密を守るだろう。

 陰から生まれたが如き、黒髪に群青の眼の娘は私のもとに辿り着いた。つぶさに幼い娘の顔を見る。

――難しいところだな

 妻に似ているとは言いがたい。けれども、妻の胎から生まれてきたことは紛れもない事実なので、誰も疑うとは思えない。ランパントが裏切るなど――想像すらしていないだろう。

 いままで黒髪の当主もいた。このままあの男の系譜に顔立ちが似ていけば危ないかもしれないが――。

「父様?」

 娘が私を見てくる。曇りのない眼差しで。

「いいや、なにから教えようかと思っていたんだよ、私の娘」

 私の娘。少なくとも表向きは。

 花や草を示しながら、どういう種類のもので、どんな効果があるか、つらつらと語り聞かせていく。穏和しい娘は眼を輝かせて私の側にいた。

 それだけで、なんとなしに優越感を覚える。

――トム

 お前は託卵し、勝ち誇っているのだろうが。きっと、いつか来るその時、娘に愛されることはないだろう。父とも呼ばれないだろう。なにも与えられないだろう。呪いのように娘を産み落とさせた、それがお前の代償だ。

「……これは脱狼薬の材料でね」

 ある植物を指して、続ける。

「人狼を治すための薬を作りたいんだよ」

「……父様が?」

「ああ」

 静かに応える。

「友人を治してやりたくてね……いいや……」

 宙を見やる。首を吻ね飛ばされた妹の姿が脳裏をよぎった。フェンリールを治してやりたいのは本当だ。いまなにをしているのかはわからないが。けれど――あんな風に死ぬ者を、私はもう見たくない。せめて症状を緩和させることができれば希望はある。

「薬ができればね、リアイスはまた一つ功績を重ねるだろう」

――功罪深き我が一族。その罪が少しでも軽くなればいい

「皆が……幸せになるかもしれない」

「……母様は笑ってくれるかしら」

 ぽつ、と言われ瞬いた。

「ランパントが?」

「だって、母様は笑ってくれないから……」

 娘の群青の眼が曇っていく。泣くまいとしているようだが――

――なんて……

 腹の底から冷気が這い上がる。愛されないことを悟っている娘。きっとなぜなのか分からないだろう。 ――この子はなにも悪くないのだから

 懸命に距離を詰めようとする娘をはねのける黄金のグリフィン。雛を断崖から蹴り落とし、ようよう上がってきてもまた蹴り落とす。

 アリアドネにとって娘は己の罪を思い出させる、穢れでしかないのだから。

 内心に渦巻く感情を悟られないように、私は笑みを貼り付けた。

――教える必要はあるまい

 なぜ愛されないのかも。これから先、愛を向けられるどころか――憎まれるかもしれないことも。

 まだ知らなくていい。あまりにも酷だ。

 娘の細い首を見やる。つ、と手が伸びた。

――ここで殺してしまえば

 きっと苦しむことはない。私に見えている過酷な運命を歩む必要もない。子どもはつくればいい。情のない交わりで。

――それが幸せなのかもしれない……

 吐息をこぼし、なめらかな頬に触れた。

「……きっと大丈夫だよ私の娘。黄金のグリフィン……。ランパントは、母親としてではなく、当主として君に接しているのだよ。心の内では君を愛しているんだ……」

 仮面を被る。偽りを吐く。裏切りによって生まれた偽りのグリフィンを守るために。真実は痛みを伴うから。

「だから……君が頑張っていれば、ランパントは見てくれるよ」

「本当に?」

「リアイスらしくあれば……」

 群青の輝きから眼を背けたくなった。なにひとつ『本当』などありはしない。なにひとつとして。

――アリアドネ

 裏切られ、裏切り、娘を愛さない女よ。

 お前はいずれ壊れてしまうだろう。私がリアイスとしての誇りを教え、育てた娘の存在を前にして。その輝きに身も心も灼かれそうになって。

 

 堕ちてしまえ――裏切りの神女よ。

 

 ◆

 じりじりと、弾力のある感触を、断ち切っていく。ぶつ……ぶつ……ぶちり、と。鈍い色の毛並みは赤黒く染まり、傷口からは朱が覗く。やがて、重い音を立てて、獣の首が落ちた。

 並ぶ牙は真珠のごとく輝き、清らかに見えた。そのうちに、牙はくすみ、縮んでいく。毛並みもまた失せていき――人間のものとなった。

――解放されたのだ

 呪いから。死ぬことでしか、彼らは赦されない。

 膝をついて、転がる首を抱き上げた。

 

 眼を開ける。映るのは天蓋と、そこに施された黄金のグリフィン、銅の鷲、黒の穴熊――リアイスが血を引き継ぐ三家の紋。

 転がる首はどこにもなく、背中にあるのは柔らかい敷布の感触だった。

 紗で囲われた褥の中、隣で身を丸めているであろう女を思う。

 リアイスとリアイスから生まれた生粋のリアイス。真なる黄金のグリフィン。そして私は、ランパントの称号を持つ妻を支え、仕えるただの魔法使いだ。

――仲睦まじく

――ランパント・リアイスも安泰ですな

 外の世界に不穏な風が吹いていようと、私たちは――私たち二人は波風もなく、しこりもないと周囲には思われている。いいや、思わせている。

 偽りに気づかないふりをして、微笑んで、戦場で共に在り、返り血に身を染めて、どこまでもどこまでもランパントの陰のごとく控えて。

 私が尽くせばつくすほど、ランパントは壊れていく。細かな傷が刻まれ、欠片が落ちていく。

 そうして、ランパントはせり上がる不安と闇から眼を背け、杖で殺戮の歌を奏でるのだ……。

 手を伸ばす。流れる白金の髪に触れる。纏う色は光そのものだというのに、行いには慈悲もなく、敵を始末していく戦神。鋼の意志を持っていると思いこませる巧みな演者。

「……アリアドネ」

 久方ぶりに、号ではなく名を呼んだ。この囲われた世界の中でだけ、彼女の名を呼べる。

 眠っているとばかり思っていたのに、妻が身を起こした。指の間から、細い金糸が流れていく。

 常は力に満ちている群青の眸は、褥の闇のせいか曇っていた。彼女の唇が私の名を紡ぐ。

「……どうした?」

 囁けば、彼女は首を振る。どこか幼い仕草にも見えた。

――これが

 リアイスに君臨する者とは、誰も思うまい。壊れ続け、仮面を被ることで己を保っている魔女がランパントなどと。

「いいえ……いいえ、ミスラ」

 彼女の細い手が伸びて、私の肩を掴む。やがてすがりつかれ、ぬくもりが移っていく。

「……妙な夢を、見ただけ」

――それは

 違う誰かと夜を共にした夢か、アリアドネ。

 裏切った晩のことか。すがる相手は無論やつであろう。禍つ星の虹彩と、闇を紡いだような虹彩と――氷の心臓を持つ男。

 お前が忌み嫌う獣のように、その首を刎ねてやろうか……。

 女を抱き留め、脈打つ鼓動を感じ取る。

――殺してしまえば

 黄金のグリフィンからほとばしる血の彩は、偽りに塗り固められた漆黒であろうか。

「アリアドネ……」

 耳元に口を寄せる。

「我が黄金のグリフィンよ……悪い夢は私が祓おう。眠るといい」

 転と落ちた首を思う。

 きっと解放されるのは――

 その命が絶えた時。

 ◆

 あの日のことを覚えている。互いの杖を交差させ、誓いの言葉を口にしたことを。

 晴れていたのか曇っていたのか、それとも雨だったのか。そんなことは忘れてしまった。ヴェールに隠された顔。鮮やかな群青の虹彩と、絹糸のごとき白金の髪。

――死が二人を別つとも

 黄金の炎が杖先から迸り、私と彼女を結びつけた。……胎に子を宿した女は、わずかに青ざめていた。 ――それを私は

 らしくもなく緊張しているのだな、と思ったものだった。

――大きな間違いとも気づかずに

 

 雨滴が窓を叩き、映る景色を滲ませる。

「……ミスラ」

 低く呼ばれ、私はゴドリックの谷の、険しい山々から視線を外し、ついと声の主へ顔を向けた。彫刻の施された椅子に座り、ゆるく手を組み私を見ているのは、一族の長老、筆頭分家《パッサント》の元当主である魔法使いであった。

 私の義父でもある彼は、薄い群青の虹彩を煌めかせた。

 沈黙を守り、魔法使い――アシュタルテの言を待つ。

「アリアドネは、どうだ」

 なんとも抽象的な問いに、少しく笑む。どうだ、ときたか。なんと答えようか?

「ランパントは……」

 考え考え、答えを口にする。

「本家当主としての務めを全うしておられます。戦においては……闇の帝王という輩の勢力との戦いにおいて……実に勇猛果敢。私も時折お側に控えておりますが、さすがリアイスとリアイスから生まれた生粋のリアイスなだけはある」

 どこまでも穏やかに、柔らかく押し出した言葉は宙を漂い、ふうわりとアシュタルテの元へたどり着き――心の深い部分を突き刺した。

「……そうか。それは重畳」

 薄い群青の虹彩が、たしかに陰った。深く威厳のある声は常と変わらなかったが。

 素知らぬふりをして、毒針を仕込んだが見事に急所を貫いたらしい。

 裏切り、胎に偽りの子を宿し……私の子として産み落とした女。それを黙認したアシュタルテ。なにも気づいていないと思っている。そうして私を哀れんでいる。

――知らないのはあなたたちのほうだ

 互いに仮面を被っている。それだけのこと。もはや素顔など分からない。裏切られた私よりも、裏切った女のほうが静かに静かに崩壊し続けている。

「アリアドネは……」

 わずかな躊躇の後、言葉が継がれた。

「リーンを、公の場に出していないようだが」

「まだ雛ゆえ……ランパントになにか考えがあるのでしょう。それに、忙しい身です。子にかかずらうよりほかに、すべきことも多い。リーンはランパントと私の娘。リアイスとリアイスの子。ランパントの事情も察している。それに、婿である私がしっかりと面倒を見ておりますので」

「お前はよくやってくれている。ミスラよ」

 軽く礼を取り、囁いた。アシュタルテの荒れ狂う心中を思いながら。

「光栄です……婿として貴方のお眼鏡に叶っているならば」

「……私もお前と同じ立場であったからな」

 奇妙な響きを聞き取って、顔を上げた。アシュタルテは濁った眼で、宙を睨んでいた。ここではないどこかを見透かすように。

「婿であれ嫁であれ……本家に入った者は」

 続きを引き取った。

「ランパントの盾となり剣となれ。死を覚悟し、最期まで支えよ……ですね」

 かつて誰あろうアシュタルテから告げられた。そうして、私は是と言った。婚約を受け入れ、ランパントの陰となって仕えることを――覚悟したはずだった。

 こみ上げる感情を飲み下す。表面上はなにも変わらない。仲睦まじい本家の夫妻。仕える婿。約束された安泰……。

 けれども、妻は――アリアドネは私と眼を合わせようとしない。笑みを浮かべても、ひきつり、ゆがんだものだ。私にだけ分かる笑みでない笑み。

 穢れである黒髪の娘を隠し、押し込め、ひたすらに駆けていく。茨の路の先で待ち受けているであろう破滅へと。禍つ星マルスの輝きに魅入られて、逃れようもなく。

 きっと私は止めない。彼女がどのような路を選んでも。どこまでも仕えるがそれだけだ。いま私が守るべきなのは、黒髪の娘なのだから。紛れもなく黄金の血統を受け継いだ娘。半分がたとえ穢れていようが、知ったことではない。黄金のグリフィンたるその誇りと心は私が育む。その役目を放棄したランパントに代わって。

「お前ならば、その役目を全うできると思っている……私とは違ってな」

 アシュタルテが額を押さえた。呻きを口から漏らす。

「先代は……病死とされている……だが、違うのだ。私はディアドラの心を守ってやれなかった」

 落とされる懺悔に、耳を傾ける。先代。当代の母。名をディアドラ。私たちが学生の頃に亡くなっていたはずだった。だが、この口振りからすると。

「ディアドラはな……」

 アシュタルテが浮かべた笑みに、背筋が冷えた。続きを聞きたくないとさえ思った。しかし、祈りも虚しく真実の箱が開かれる。

「あれは……私の眼の前で自殺したのだ……狂って狂って、死んでしまったのだ。未来の重みに耐えきれずに」

 先代は先視の魔女であり、数々の未来を捉えては、予言をした。希代の魔女であった。その末路が自殺とは思いもしなかった。

「……ランパントは、このことを?」

 知らぬよ、とかすれた声が返ってきた。

「本家はな、狂気じみた血統なのだ……公にはされていないだけで、精神を病んで死ぬ者も多かった」

「ランパントにもその血が……とお考えで」

「あれは強い。大丈夫だ」

 間髪入れずに愚問が切って捨てられ、ゆるゆると瞼を伏せた。どこが強いものか。あれほど脆いというのに。己のしたことに傷つけられ、日々深紅と黄金の欠片をこぼし、進んでいるというのに。

「だが、ミスラ……お前が支えてやってくれ」

 祈りにも似た命令に、ただただ手を組み合わせ、魔法騎士の礼を取った。

「仰せのままに」

 ◆

 退出し、控えの間へ行けば娘が待っていた。笑みを浮かべて待ちきれないとばかりにやってくる。小さな身体を抱き上げて、笑みを返した。

「本をもう読んでしまったの、父様」

「そうか……新しい本をあげよう。いい子で待っていてくれたからね」

 細い黒髪を梳く。妻と同じ眼を持つ娘を見やる。脈々と引き継がれてきた狂気は、この娘にたどり着いているのか否か。

――この娘の心を守る誰かは

 現れるのかどうか。アリアドネのように、なすすべもなく、呑まれるのか。それとも。

 いまは私が守ろう。それが吉と出るか凶と出るか分からないが。

「私の娘……」

 何度だって口にする。私の娘、黄金のグリフィン……と。

 言葉で見えぬ呪いをかけるように。

――私の娘

 密かに枷をはめるのだ。

 

 

 

 闇の帝王。ヴォルデモート卿と名乗るその男は、歴史の表舞台に突如として姿を現した。 

 年齢も出自も不明。ただただ、強力な魔力と、多くの手勢を持ち、人の血で手を染めることに躊躇のない男であることだけが明らかだった。 

 私の一族は、当初ヴォルデモートという、どこの馬の骨とも知れぬ……王侯貴族など制度としては存在していない世界において、卿などと名乗る愚か者を黙殺しようとした。 

 一人の魔法使いなど、我が一族にとって羽虫も同じ……と。 

 だが、男は魔法省の職員を殺し、名門の者を殺し、我が一族にまで手を伸ばした。 

 最初に殺された一族は誰だったか。後に数多の屍が積み上げられる中、私はその名を忘れてしまった。 

 英国魔法界を取り仕切る政府と、グリフィンドール派筆頭であるリアイス。この二つの勢力に宣戦布告しながら、ヴォルデモートは生き残った。 

 異常であった。いくら多くの手勢をもっていようとも、これほどに強いと誰が思うであろうか。 

 妻が闇祓い局の創設をリアイス本家ランパントの名において、当時の魔法大臣にねじ込み、承認させたのは、ヴォルデモートが台頭して数年後のこと。 

 魔法大臣を脅したとも、報酬を約束したとも噂されたが、私ですら本当のところは知らない。なんにせよ、局創設の後、大臣が失脚しようとも知らぬふりで通し、スリザリン派との慎重な腹のさぐり合いの末、互いにとって都合のよい魔法大臣を選出したのは事実である。 

 妻は次々と人材を発掘し、闇祓い局に誘った。私も各地の魔法使いや魔女の情報を集め、進言し、局の充実に一役買った。 

 英国魔法界の剣とも盾とも称されるリアイス一族肝いりの組織は省内で頭角を現し、闇側と激しい戦いを繰り広げた。妻は――アリアドネは、いつしかこう呼ばれるようになった。 

『氷の心臓を持つ魔女』と。 

 ◆

「……さすがにお前が死んだら」 

 柔らかい声が滑り込んでくる。私は瞬き、もたれ掛かった樹木の感触を感じながら、次の言葉を待った。

 闇に禍つ星の色を燃え上がらせながら、闇の帝王は微笑む。 

「氷の心臓を持つ魔女とやらも、壊れるだろうか?」

 どう思うミスラ? 

 親しげに呼ばれ、私も笑みを返す。身体が軽い。腕を噛みきられたせいか、足を切断されたせいか。 

 フェンリールはどうにか撃退した。だがそれだけだ。殺すまでには至らなかったし、私の命はいくばくもない……この男が私を生かすはずがなかった。周到に用意をし、手勢をそろえ、友であったフェンリールをけしかけ、始末しに来たのだ……ついに。 

――十年近くか 

 いつ来るのだろうと思っていた。私がランパントの夫だというのは、闇の帝王も知っていたはずだ。そもそも、私とランパントは学生の頃には婚約していたのだから。 

「お前がなかなか城から出てこなかったせいだ」 

 考えを読んだように、闇の帝王が呟く。燃える彩を見つめ返す。骨のごとく白い面は、にんまりと笑っていた。 

「……子は娘だそうだな。お前とアリアドネの娘であれば、さぞかしかわいらしかろう」 

「そうとも。かわいくて仕方がない。お前も子を持てばよかったのにな……父親としての感情に目覚めたろうに」 

 帝王の杖先が揺れる。次の瞬間、頬に熱い痛みがはしった。 

「子煩悩なことで」 

 はっきりとした嘲りがこもっている。私も鼻で笑いたくなったが、すんでのところでこらえた。 

――気づかれてはならない 

――気づかせてはいけない 

 私がすべてを悟っていることに。死の国に持っていくと決めた秘密なのだから。 

 父様、と駆け寄ってくる姿が脳裏に蘇る。黒髪の愛娘。私の娘よ、黄金のグリフィンよ、と幾重にも呪いの鎖を巻き付けた子。 

――リーン 

私はお前の生を縛った。決して闇へと足を踏み入れないように。 

――リアイスとして……黄金のグリフィンとしての誇りに殉じるように 

「かわいいかわいい子だとも……」 

 お前は気づかずに笑っている。蛇の子を育てている、愚かな男だと。 

「……アリアドネと私の子なのだから……」 

 本家をつぶそうと、何度かリーンを始末しようとする動きがあった。密かに送り込まれてきた手勢を淡々と殺した。それがリアイスのためだったから。リーンがランパントの直系だったから。 

 ……決してアリアドネとの間に子ができぬように、私は幾重にも魔法をかけていた。肌を重ねはしたが、もはや子をつくろうなどと思わなかった。 

 ランパント・リアイスに、私の血は残されない。それでいい……私が育てた娘がいる。 

「……お前に呪いをかけてやろう……トム」 

 闇の帝王の余裕の仮面が剥がれ落ちた。小さな勝利をかみしめて、私は続ける。 

「決して愛されない。決して理解されない。お前はずっと孤独なまま……慕われず、畏れられ、友はなく……」 

「黙れミスラ」 

「……お前の前に、私の娘が立ちはだかるであろう。彼女はお前に杖を向けるであろう……たとえ娘が倒れようとも……次なる黄金のグリフィンが、お前に牙を剥くであろう……」 

「ミスラ!!」 

 どこかが斬り裂かれた。傷がひとつ増えようが、構わなかった。 

「リアイスのようにあがめられることなく……名は恐怖とともに語られ……最期の最期はランパントによって首を落とされるであろう。死しても、涙を流されることはないだろう……なんと哀れな男だ」 

 ごとり、と残った片足が落ちた。もう痛みなどない。 

「死に損ないが……」 

――アリアドネ 

 私が去った世界で、君はどうやって生きていくのだろうか。壊れ続け、なにをなすのだろうか。慟哭するのだろうか。 

――君を壊した原因は、きっと私にもある 

 気づかぬふりをして、毒針を刺し続け、これ見よがしに娘をかわいがり、教育し、黄金のグリフィンとして敬った。

 けれど悔いてはいない。 

 細長い影が向けられようとする。私は散り散りになりそうな意識の中、己の杖を自らの心臓のある位置に押し当てた。

「この命……お前にくれてやるものか」 

 そして、囁いた。 

「息絶えよ」 

 緑の光が溢れ出す。安堵の息を吐いた。 

 ()()()()()()()()()()()() 。リアイスのために。哀れで愛しい娘のために。 

 己の復讐のために。 

 お前はいずれ悟るだろう……。託卵が間違いだったと。 

――娘が、お前の前に現れたその時に 

 慈しんだ群青の眸を脳裏に閃かせ、意識が食われ、呑み込まれ。 

 ……奈落へと落ちていった。 

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