闇の陣営との戦は続いていた。葬ったり葬られたり。両者に決定的な力の差はなく、徒に長引いていた。毎日どこかで死体が量産される、なんとも血なまぐさい状況だ。何も変化がない中、貴族階級の家門に噂が流れた。
――青き血のユスティヌがブラック家の嫡男と婚約したとか
スリザリンに属する家門を中心に、ゆっくりと波紋が広がっていた。私は煙草をくゆらせながら、物思いに沈む。連帯を強化したいのだろう。互いに食い合うことがなければ、確かに良い手といえる。しかし……。
「ユスティヌは名のみの存在だが」
数百年前の『紫微戦争』以降、ユスティヌは歴史の表舞台から姿を消していた。飛び去った王であり、まさしく幻の獣であった。今ではマルフォイ家やブラック家のほうがよほど世俗の権を持っているであろう。ユスティヌの魔女を迎え入れることで箔をつけるつもりに違いあるまいが。
難点といえば、リアイスを奮起させることか。何せユスティヌまで噛むとなれば、ブラック家への敵愾心はますます強くなるに違いない。争いは激化するだろう。下手をしたらブラック家嫡男も狙われるかもしれない。
シリウス・ブラックと呟く。お嬢様の喧嘩友達らしいと話は聞いている。お嬢様は否定するだろうが。ブラックの姓を持ちながらグリフィンドールに入った異端。リアイスでありながらスリザリンに入ったお嬢様と鏡写しのような存在。煙草を噛んだその時、宙に炎が顕現した。ひらりと落ちた羊皮紙を掴み取り、眼を走らせる。
「ふむ」
捺されていたのは筆頭分家の紋だ。一族最長老からの通達だった。命は簡潔だった。幻獣、双狼との無用な闘争はならぬ。
さすが動きが早い。血気盛んな一部の者に釘を刺した形だ。私は壁のカレンダーを眺め、日付を数える。秋の終わり
――もうすぐ冬だ。
「じきにお嬢様が帰ってくるか」
お好きな紅茶とお菓子を用意しておこう、と頭の片隅に書き込んだ。
婿殿は穏やかで理知的な人柄で、熱烈な恋人向きではなく結婚向きの人材だと思われていた。今は亡き《ランパント》、アリアドネ様は知る由もなかったが、婿殿はもてていたのである。一族内で本家直系の魔女から婚約者を奪おうなどという輩がいなかったので何も起こらなかっただけで。
しかし、婿殿に思いを寄せていた者達は見る目がない。実力も人柄も良かった……のだが、穏やかに見せかけて鋼の精神の持ち主であったし、一皮剥けば激しい一面もあった。しかも《ランパント》の伴侶だけあってかなり用心深かったものだ。
思うに、そんな婿殿の特性をお嬢様は強く受け継いでいるはずだ。つまり。
――ユスティヌに気を許すはずがないのだが
大変珍しいことに私が紅茶を淹れて差し上げて、茶菓も用意して、閉塞したパッサント城での軟禁生活に彩りを添えていた。ぽつぽつと先の襲撃の件を話し、ホグワーツでの生活を話すお嬢様に首を傾げる。今までホグワーツ関連といえば、幼馴染みのジェームズ・ポッターが質の悪い悪戯を仕掛けていたので締めたとか、呪文で吹っ飛ばしたとか、叩きのめしたとかお嬢様あなたお嬢様ではなくどこぞの不良ですかと言いたくなるような所行であったり、シリウス・ブラックを以下略……というものだった。どうやらお嬢様は整った顔立ち揃いのブラック家の嫡男だろう容赦はしないらしい。男だろうが女だろうが顔がよかろうが平等である。
ところが、今回は様子が違っていた。ユスティヌがクィディッチでとか、勉強を教えてもらって、とウラニア・ユスティヌに関する話題が多いのだ。
――これは、どういったものか
「……懐いている……」
ユスティヌの者に。なんだか聞いているうちにお嬢様とユスティヌが姉妹のように思えてくる懐きっぷりだ。しかも本人は無自覚。グリフィンドール寮からは目の敵にされている状態では無理もないだろうが。言ってはなんだがこれは一族の失態だ。二年生の時に暴力を振るわれ、髪を切られもした。グリフィンドールを信頼しろというほうが酷だろう。
ひとまずつつがなくお過ごしのようで、と口にして紅茶をゆっくりと飲み込む。苦い味が喉を滑り落ちていった。
――聞いていないのか
ユスティヌの本当の謂れを。スリザリン系筆頭名門。飛び去った王。リアイスの宿敵。対立の起こりは紫微戦争から――とされている。しかし根は深いのだ。とてつもなく。一族の重鎮達は知っている。私もお役目の性質上知っている。狩る者であるから。
リアイスを恨んでいないはずがないのだ。であるからこそ、ユスティヌは警戒すべき相手なのだ。ユスティヌの興りについてまだ知らなくとも、お嬢様ならば用心するだろうと踏んでいたのだが。
首を振る。一族を継ぐかも分からない令嬢だ。秘を告げるのは私の役目ではない。
柔らかな声を聞きながら、内心でため息を吐く。いっそのこと、お嬢様は。
――スリザリン系名門に生まれた方が、幸せだったのかもしれない
綿密に張り巡らせた私の情報網は、一つの情報を捉えた。
「セブルス・スネイプか……」
お嬢様の友人の一人。スリザリン寮所属。父親は非魔法族、母はスリザリン系のプリンス家出身だ。スリザリン系とはいえ、出身寮の比率はスリザリン六、レイブンクロー三、稀にグリフィンドールかハッフルパフ。ブラック家やマルフォイ家のようにスリザリン絶対主義とはいえず、どちらかというと中立派だ。プリンス家の娘、アイリーンが非魔法族と結婚できたのも、ひとえに過激な純血主義家系で育っていないからだろう。
紙片を指で撫でる。
「物盗り……」
アイリーンの夫が殺害された。犯人は四人の男で、酒場での諍いに端を発し、後日に押し入った。武器は銃。麻薬を接種していて錯乱状態だった……。
お嬢様に報せるべきかどうかまたもや迷う。休暇くらい憂いなく過ごして欲しいものではないか。もっとも、リアイスにいてもホグワーツにいても気詰まりだろうが。
「諍い、押し入り……錯乱……」
麻薬か、と呟く。錯乱状態で弾丸を当てることなどできるだろうか? 数を撃てば当たるが、十四発も当てることができるだろうか。錯乱の呪文にかけられた者だって、魔法の精度は落ちるものだ。どうにもきな臭い。ただのよくあることで片づけるには不審な点が多い。
「誰かが裏で動いている、とか」
非魔法族を憎む者はいる。かなり飛躍しているが、ありえないとも言い切れない。
――似ている
犯人が錯乱している点が。あの襲撃事件を思わせる。誰がやったという証拠はない。しかし、操り動かす手法はリアイスも使っていたものだ。そして。
「スリザリンも得意だったな」
サラザール・スリザリンは蛇語が巧みで蛇遣いであった。自由自在に蛇を操ることができたのだという。そして『操る』という特性はスリザリンの末裔であるユスティヌにも受け継がれていたようだ。『紫薇戦争』時、リアイスは散々苦戦させられたと伝わっている。巧みに服従の呪文や錯乱の呪文を操り、指揮系統を混乱させたと。誰が敵で誰が味方か分からない状況を作り出したと。洗脳、あるいは精神汚染と呼ばれる技能はスリザリンの十八番だ。
紙片を長々と見つめ、燃やしてしまう。お嬢様に言ったところで仕方あるまい。
妙に神経がささくれる。煙草を取り出して紫煙を吸う。殺された哀れな男のことはもはや忘れかけている。
「ユスティヌが手を出さないだろうな」
スリザリンの末裔。恨みの血を持つもの。巧みな操り人。もしもお嬢様を縛り利用しようとしているのなら?
首を振る。ありえまい。お嬢様は《ランパント》を継ぐかも分からず、継いだとしても権を握れるかどうかも分からない。しかもリアイスにとって大事な人ではないのだ。
紫煙を吐き出す。
「ならばなぜ、ユスティヌは親しくする?」
答えは出なかった。
◆
『谷』の薔薇の香が強くなり、あちこちに覗く緑が鮮やかさを増す頃、各地をふくろうが飛び交った。そしてリアイスの情報伝達手段『炎』も忙しなく行き来した。
黄金の花が咲き、こぼれる花弁とともに紙片が舞う。すっと掴み取り文面を読みとるや灰に変えた。
『ブラック家嫡男出奔。ユスティヌとの婚約は白紙に。第二子次男、次期当主確定。婚約を結び直しか……?』
腕を組む。どうやらブラック家での内紛はなさそうだ。すんなりと当主が確定してしまった。また、ユスティヌとの争いもなし。
――関係に亀裂が入ればよかったものを
陣営でごたついてくれれば楽ができたというのに残念だ。ひとまず丸く収まってしまったらしい。
シリウス・ブラック、と呟く。ブラックの名を冠する者の中で唯一グリフィンドールに組分けされた若者。抜群の頭脳と悪魔の悪戯心の持ち主。ポッター家嫡男の親友、我がお嬢様の天敵。
あらゆる楔をものともせず、絡まる鎖を引きちぎって逃げ出した根性は認めよう。あるいはまともな神経ではない、と言うべきだろうか。分家の娘は娘で駆け落ちしたらしいし、どうも異端が揃った世代なのだろう。愉快なことだ。
「どうせならこちら側に引っ張り込めたらいいんだが」
貴重なブラック家の若者だ。是非とも引きずり込みたい。組分けはグリフィンドールであるし、ポッター家の嫡男の親友ともくれば、純血思想とは無縁の『血を裏切る者』であろう。どんな情報を持っているか興味津々だ。今頃第三分家あたりがリアイス一族の末端から上層部までの子女一覧を作成していてもおかしくない。別にリアイスでなくとも縁ある一族と結びついてくれても良い。卒業後就職先の斡旋もいいだろうし、探せばこちらの陣営につかせることも可能ではなかろうか……。
首を振って立ち上がる。猫を抱き上げて自室を出た。さてはてお嬢様はこの一件を知っているのだろうか。
「ブラックは派閥が嫌いでしょうからね。無駄よ」
猫とともにお嬢様の室にお邪魔し、ブラック家についてとりとめもなく話していると、お嬢様はひらひらと手を振った。
「私は何も申してませんが」
「あなた……というより、一族の考えなんてお見通しよ。ブラックは頭は悪くないし頑固でリアイスが大好きなグリフィンドール気質だけどね。利用しようとしても無駄。無理。政略婚なんてマーリンの髭でしょう」
「……饒舌ですねお嬢様」
「まかり間違ってブラックがリアイス近辺をうろうろすれば私の忍耐が保たないわ。ああ……」
お嬢様が額に手を当てる。
「ジェームズのところに転がり込んでいるんだったわ……なにあいつ『谷』にいるのよね。最悪」
「ポッター経由で取り込むというのはいかがでしょうか」
「ねえ、イルシオン」
紅い唇が弧を描く。穏やかに見える笑みに、私は微笑み返した。婿殿そっくりだ。仮面を着けるのがお上手だが、怒っていらっしゃる。かなり。
「あなたは一体何を聞いていたのかしら」
「お嬢様の愚痴を」
「誰よこいつを私の雑談相手にしたの」
「文句なら翁に」
お嬢様は唇を尖らせる。
「ブラックを派閥に取り込んでも得るものは何もないと思うわよ。だって寮がグリフィンドールだし、スリザリンの事情なら私の方が詳しい」
それに、とほっそりした指が振られた。
「どうせジェームズが闇側と戦う道を選ぶでしょうし、ブラックもそれに引っ付いていくわよ。間違いないわ。取り込む必要はなし。戦闘能力は仕えるでしょうし無理矢理どうこうは止めておくのね」
《シージャント》にそれとなく伝えなさい、と締め括られ、思わず拍手してしまう。
「本当に嫡男殿にお詳しい」
「同学年で接触は多いもの。ほんっとグリフィンドール気質よ」
「お嬢様が仰るならそうなのでしょうね」
相槌を打ち、お嬢様を見つめる。弱々しい幼子の影は消え、守られる少女の姿を脱ぎ捨てつつある。顔立ちも随分と大人びた。出奔した嫡男について話す時だけは年相応に見える。興味深いことだ。あまり他人に関心を向けるようなお嬢様ではなかったはずだが。鏡写しの存在だから気になるのだろうか。考え込みつつも、紅茶を飲む。
――気になることはもう一つ
やはり、お嬢様は味の好みが変わったようだ。
お嬢様は五年生になりホグワーツへ旅立った。そうして子守から解放された私はあちこちに出向き、情報を仕入れていった。情勢に大した変化はなし。闇の帝王は恐怖をまき散らしているものの、未だに魔法省を陥落させ、手中に納める気配はない。彼の陣営といえど骨が折れるのだろう。省には腕利きの闇祓い達もいる。高官には純血派ではなく非魔法族擁護派――つまりリアイスの派閥に属する者も潜り込んでいた。帝王が理想とする国を実現しようと思えば、高官やら闇祓いやらを皆殺しにするか、罪を着せて追放するしかあるまい。そして世論を反純血派支持へと傾ける必要もある。いずれにしても面倒で手間がかかる話だ。
――なぜ支配などしたいのか
私には理解不能だ。そもそも闇の帝王の目的が不明確だ。例えば魔法界を支配したとしよう。その後は? 純血だけの魔法界をつくる? 非魔法族を虐殺する? 荒唐無稽だ。帝王の所行を見ていると、他人の玩具を奪い、壊したい子どもにしか思えない時がある。頭が切れるかと思いきやふとした拍子に手のつけられない子どもが顔を出す。
「……婿殿の時もそうだったな」
人質となり得る婿殿を殺した。生かした方が得だったはずだ。無理矢理情報を抜き取ることもできたかもしれない。にも関わらず、帝王は婿殿の命を奪い――四肢を両断し、首を落とし、晒した。見せしめの意であろうと一族では言われていたが、私は否と言おう。あれは癇癪を起こした子どもの行いに他ならない。死の直前に婿殿が何をして帝王を激高せしめたのかは永遠の謎だけれども。婿殿が自ら死んだのが気に食わないのか、それとも……。
――アリアドネ様のものを壊したかったのか
壊して、見せつけたかったのか。帝王はリアイスに執着している。スリザリンの末裔だからか――。
「アリアドネ様に……」
口にしかけ、誰も聞いていないというのに言葉を呑み込んだ。婿殿を殺したのがアリアドネ様を苦しめるためだったとしたら? わざわざリアイスを敵に回すこと自体おかしいのだ。手始めに魔法省に人員を送り込み、非魔法族擁護派の力を削り、影響力を強めることもできたはずだ。だが、帝王はリアイスを殺し、宣戦布告した。あらゆる段階を飛ばして。
思考は次々に仮定を紡ぎ出す。帝王がアリアドネ様に執着しているとすれば。彼女はもういない。だが、娘がいる。リーン・リアイス。アリアドネ様と対極の闇夜の黒髪を持ち《ランパント》の形質を継いだ群青の虹彩を持つ小さな獅子が。
もしお嬢様の命を守ろうと考えるのならば、どこかに養女に出すなり嫁がせれば済むと漠然と考えていた。お嬢様が《ランパント》を継がないのならばそれが最善だとも。翁ならばいい縁組も用意できるだろうと。
去来した予感を紅茶とともに流し込んだ時、報せが舞い降りた。
「――なんという無茶を」
ため息すらも出ない。
――令嬢、人狼を迎え撃ち、重傷の由
翁に刻まれた深い渓谷は、しばらく平地に戻ることはなさそうだった。私はため息を押し殺す。翁にこんな顔をさせる者などそうはいない。先代《ランパント》たるアリアドネ様が存命の頃は、翁もよくこんな顔をしていたものだが。彼女はもういないのだ。
そう、アリアドネ様も人狼に襲われたのだったか。とどめを刺したのは闇の帝王だが、その前にアリアドネ様と激しい戦闘を繰り広げたのだ。現場には多くの人狼の首が転がっていて、若手は嘔吐したと聞く。
夫たる婿殿の方が数段悲惨な死に方であったが。彼もまた人狼に襲われた。手傷を負い、片足を失い、闇の帝王に追いつめられ、最後の最後は自害した。死してなお骸は冒涜され、晒されたのだ。
――そして
二人の娘もまた、人狼に襲われた。リアイスにとっての天敵はスリザリンの末裔ではなく人狼なのではないかと思う。それほどに、リアイスと人狼の相性は悪いのだ。
「……下手人はルーピン家の子だとか」
グリフィンドール六大――マッキノンが潰されたので正確には五大――には及ばないものの、そこそこの名門だったはずだ。父親は魔法省勤めであったはずで、腕もよかった。フェンリール・グレイバックを退けるくらいには。ルーピン家が人狼と悶着を起こしたが、撃退したと噂で聞いていた。よもや噛んだのがフェンリールとは。
「やつを始末し損ねた弊害だな」
翁が吐き捨てた。私も全面的に同意しよう。リアイスの事業の一つとして人狼の保護とやらがあった。第七分家が主導し、取り組みは大方巧くいっていた。しかしながら、何人かの人狼が逃げ出したことがあったのだ。 無慈悲な女王の命で、私は一人殺し二人殺し……と働きに働いた。婿殿に見つからないように始末していったのでそれはもう骨が折れた。だが、取り逃がしたのがフェンリールだ。奴だけはどうしても尻尾が掴めずに終わった。そしてあちこちに影響が出る始末。私がきっちり仕留めていれば、ルーピン家の息子は無事だったろうし、お嬢様が負傷することもなかったろうに。
「幸い、噛まれてはいない」
爪で切り裂かれただけだ、と口にする翁の表情は、アズカバンの最下層にいる囚人を思わせる。これが噛まれたなんてことになっていれば、この室は破壊され尽くされているだろう。ルーピン家も終わりだ。確実に。
「人狼型の時の負傷ならば、多少の影響はあるかもしれませんが……お嬢様は魔力が高い。影響は軽微でしょうね」
「問題は色々あるが」
「出血多量で重体とかじゃないでしょうね。冗談じゃないですよ」
「命は拾った。一時危なかったようだが……」
「ダンブルドアに怒鳴り込んでもいいんじゃないですかね」
ルーピン家の息子の入学を許可したのは校長だ。人狼がホグワーツで生活できるように隠れ家を用意し、第七分家――というより婿殿――に要請して『暴れ柳』を秘密の通路の入り口に植え、準備を整えて入学を実現させたのだ。校長の熱意は買うし、人狼だからといってむやみに排斥すべきではないという綺麗事もある程度は分かる。しかしながら、リアイスの令嬢が害されて黙っているわけにもいかないだろう。
「子どもどうしの喧嘩だ」
「お従兄弟殿に甘くないですか、翁」
舌打ちが聞こえる。こんな時だというのにアリアドネ様を思い出す。彼女もしばしば私を睨んだものだ。
「奴を責めても仕方がない。分かっているだろうが」
「後見人の立場からしたら死ぬほど腹は立つけれど、この件を公にすればダンブルドアが辞職に追い込まれる。下手な無能に校長の座を渡すわけにもいかない……ああ、そうですね、後は……まかり間違ってお嬢様が人狼に噛まれたなんて誇張されて噂になれば」
くい、と口端を吊り上げる。
「処分されるでしょうねえ」
人狼が天敵の家系だ。噂だろうがなんだろうがもみ消したいだろうし、小娘一人の命で精算できるならするだろう。翁が庇ったとしてよくて追放か。命が狙われるようなら、私がどこかに連れて行ってもいいが。北米なんてどうだろう。そこはあまり純血主義に染まっていない。独自の魔法もある。私の祖先でもあるモリガン――その血を受け継ぐセイア家の末裔があちらに渡ったとも聞いている。軽く三百年ほど前の伝承だが。いっそのこと今から北米に渡ってイルヴァモーニーに転校してもいいだろう。英国魔法界の名門出身の魔女という扱いは受けるだろうが、それだけだ。爪弾きにはされまい……。
「詳らかにしたところで誰も得をせん。リーンが生きているならそれでいい」
「人狼と対峙して生き残るとは……」
腕のいい者でもできるかどうか。お嬢様は仮にもリアイスであるし、過酷な生活のせいでそこらの令嬢と違って場慣れしている。それにしても無謀だ。爪で裂かれただけで済んだのが奇跡なのだ。ふっと唇を噛む。人狼の爪は鋭い。溢れ出た血は相当な量だったはずだ。
「都合よく血の提供者がいてよかったですが……。ポッター家の子ですか、それとも他の者が?」
血の型が一致すればそれでよいというものではない。他にも条件がある。魔力の高さがなるべく近いだとか、血が近い方がいいだとか。純血になればなるほど難易度は高いはずだ。
翁は眼を伏せた。
「……血を提供したのは」
続いた名に、眼を見開いた。
「まさか――」
ユスティヌだと?