【完結】黄昏の輪舞   作:扇架

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九話

 ホグワーツの最高学年といえば高等魔法試験が思い浮かぶ。魔法省やグリンゴッツ、癒者、法曹……いわゆる上位職を目指すのならばこの試験の成績は重要だ。特に良家の子女は優や良の成績を求められるものだ。リアイスのご多分に漏れず、高等魔法試験で優秀な成績を修めてきた。少なくとも、本家と分家の上層部は。そんなきらきらしいお偉方と違い、私の学業成績は人並みだった。将来的に狩人としての任に就くことはわかりきっていたので、目立たないようにしていた。遠い昔の懐かしい話だった。

「学業と当主業の兼業は大変ですねえ」

 お嬢様、と呼びかけた。そのまま執務机に歩みよっても、お嬢様は顔も上げない。母親譲りの群青の双眸は、書瀚の上を滑っている。積み上げられた書瀚の隙間に茶器を置いた。

 はた、とお嬢様の手が止まる。

「……お祖父様に言われてきたのかしら、イルシオン」

「いいえ。お嬢様がお帰りになられたとのことで、顔を出したまでですが」

 どうかしました? と水を向けてみる。お嬢様はため息を吐いた。視線を執務室の隅へ滑らせる。

「お祖父様まで縁談を持ち込んできたのかと」

 私もお嬢様に倣って隅を見やる。なるほど山と積まれているのは釣書だ。

――そろそろ諦めろよ

 どうせ第五分家や第六分家が粘っているのだろう。ブラック家の若者などとんでもないとまだ言っているらしい。

「ご安心ください、お嬢様。第四分家はそんな動きは――」

「釣書送ってこないだけマシだわね」

「何事か言っているでしょうが、有象無象の妄言とお捨て置きを」

「私が何年リアイスをやっていると思っているの。とっくの昔に分かっているわよそんなこと」

 杖が優美な弧を描く。釣書はたちまちのうちに紅の舌に舐め尽くされ、この世から消え失せた。

「翁は若君のことを認めておいでですよ」

 許可も得ずに椅子に腰を下ろす。

「意外だけれどね、今でも」

 お祖父様の世代じゃあ、悪徳の一族に嫌悪感を持っていてもしょうがないもの、とお嬢様は続ける。私は首を振った。

「若君を流れる血だけで判断するお方ではないですよ。でなくば貴女を保護し、あらゆるものを与えて育てるわけがないでしょうに」

 お嬢様は応えず、茶器を口に運んだ。それもそうね、と呟いた気がした。

「何にせよ、思うがままに行かれませ。黄金のグリフィン……翁は貴女が闇祓いを志しても、止めはしない」

――可愛い孫娘が危険に飛び込むと分かっていても

 お嬢様は闇祓いになるだろう。高等魔法試験で必要な成績を修めるであろうし、決意は変わらないだろう。

「お祖父様はお強い人ね……反対されると覚悟していたのに。シリウスのことだって」

「あの方は縛り付けられることを嫌いますからね。愛する者が選んだ道ならば、手を離す」

 どれほど痛みを伴おうが。本当は風にも当てぬように守ってやりたいのかもしれないが。

――アリアドネ様の育て方は間違ったのかもしれないが

 お嬢様のことは見事に育て上げた。幼少期に婿殿が守ってきた影響もあるだろうが、よい魔女になったと私も思う。鋼の意志、弱者を守ろうとする強さ、魔法騎士たる矜持……。

――もっとも、本人に言うつもりはないが

 私なんぞが賞賛するより、婿殿に誉められたかったろう。もっと言えば、アリアドネ様に認められたかったに違いない。

 

 娘として、リアイスとして。

 決して血に背いたわけではないのだと。

 ◆

 私はホグワーツをとうに卒業した身だ。寮はもちろんグリフィンドール。ただし組分け帽子には「スリザリンでもレイブンクローでもやっていけるだろうが」と言われたものだ。それは面白い! と純粋極まりなく、曇りのない眼をした十一歳の魔法使いは思った。つまり子どもの頃の私だ。

 何せ石を投げればグリフィンドール出身者に当たるような家系に生まれたのだ。紅と金が大好き。正義大好き。ガリオン大好き。必要ならば戦争も勃発させる戦屋だ。魔法界の剣やら守護やら世間では言われているようだが、どこがだ。根本的に自分勝手な一族だった。やりたいようにやる。生きたいように生きて、死ぬ。それがリアイスだ。

 そんな我が道を行く一族の例に漏れず、私も面白いことは大好きだった。

「じゃあスリザリンで」

「………………待ちなさい。いやいや待ちなさい」

 組分け帽子は口早に言った。

「なぜグリフィンドールじゃないのかね。いや、グリフィンドールがいいとかグリフィンドールじゃないと困るとか言うものじゃないかリアイスは」

「だって、スリザリンに入れば気に入らない連中と――」

 心おきなく喧嘩ができる、と言い放った。リアイス一族だからといって皆仲良しこよしというわけではないのだ。

「たまに他寮に適性のある者が出る思えばこれだ。ああ、ゴドリックの好奇心旺盛な血のせいかね……では――グリフィンドール!」

 かくして私のちょっとした望みは打ち砕かれ、グリフィンドールのリアイスとして無難に過ごし、ほどほどの成績で卒業し、狩人となり……ホグワーツへ戻るお嬢様の護衛をしていた。

 今頃お嬢様は寮にいるのだろう。さあ帰ろうとしたら、ダンブルドアにお茶でもしないかと誘われ、なぜか差し向かいで座っている。ちりんちりんと魔法具の音が響き、眠ったふりをしている肖像画たちがいびきをかいている。

「不死鳥の騎士団……ですか」

「左様。誰かが頭にならんとな」

 まじまじとダンブルドアを見つめた。皺の刻まれた顔、白い髪と髭。グリンデルバルドを倒した英雄の一人。今度は闇の帝王も倒そうというのだろうか。

「魔法大臣になり、陣頭指揮を執ればよろしいのでは?」

 今まで何度も大臣就任要請を蹴り飛ばしてきた。理由は知らない。ダンブルドアを支持する者は一定数いるし、大臣就任も十分可能だ。わざわざ組織をつくる必要もないだろう。

「省は巨大で小回りが利かぬ。それにのお……組織をつくろうという若手の動きもあっての……」

 私は茶菓を口に放り込み、咀嚼した。一つ頷く。

「暴走させるくらいなら、手綱を握りたい……と?」

 若手――お嬢様の世代は、帝王に親きょうだい、親族を殺された者が多い。長じて力をつけ、今こそ立ち上がる時だと思っても不思議ではない。

「確かに、貴方が旗頭になったほうがよいでしょうね」

 それにダンブルドアにはあらゆる伝手がある。機動力のある組織と、ダンブルドアの頭脳があれば――とまで考え、顔をしかめた。リアイスでさえなかなか仕留められないというのに。婿殿も、アリアドネ様も闇の帝王と相対し殺されている。直前に人狼をけしかけられた上で。

――いいや、たとえ人狼と対峙した後でも

 あの二人が、帝王より劣るとは思えない。共に人を殺すことに慣れていた。戦場を知っていた。だというのに敗れた。帝王に無尽蔵の魔力でも備わっているのか、九つの命を持つ猫よろしく、殺しても死なないのか。痛みを感じないのか。人としての良心を捨てているのは明らかだ。自ら手を汚した殺しは数知れず。女子どもでも容赦はしない。ただし、陵辱だけはしていない。どんな理由があるかは知らない。だが、その禁忌だけは犯していないようだった。配下の死喰い人が陵辱をしようとすれば、そいつの首が刎んだ。

 悪の極みへ至った者だけが持つ、己の中の掟のようだった。そして、グリンデルバルドにも似たようなところがあった。話術と人心掌握に長けていたグリンデルバルド。彼は人民を魔法界の浄化へと駆り立て、密告を奨励し、監獄を作り、混沌を生み出した。彼はこう言うことだろう。彼らの望んだ通りにしたのだと。奥底に眠る思いを揺り動かし、心を掴む悪の神性の持ち主だった。ある意味では闇の帝王よりも厄介で恐ろしい。しかしながら、彼は幼い娘だけは見逃していた。グリンデルバルドに反旗を翻す者の多くがヌルメンガードへ収監されたものの、幼い娘の姿はなかった。

 暗黒の時代が終わった後、欧州の魔法族の比率は、女が多く男が少ない有様であったという。

「リーンも参加するつもりのようじゃ」

「大方ポッター家の若君が噛んでいるのでしょう?」

「それにシリウスもな」

 はあ……とため息が漏れた。ジェームズ・ポッターとお嬢様は形に影の添うごとし――だ。片方が動けば片方もついていく。お嬢様が闇祓いを志せばジェームズ・ポッターも従う。逆にお嬢様がジェームズ・ポッターを追いかける場合もある。それでなくとも婿候補殿が騎士団に入るのだから、お嬢様も入るだろう。当然。

「血気盛んなことで。闇祓いの任務だけでいいでしょうに」

「気が早いなイルシオン。卒業していない上に、まだ闇祓い試験も受けていないのに」

 小さく笑う。

「お嬢様がいくつ修羅場を潜ってきたと?」

 闇祓い試験なぞ一位で通過するでしょうよ、と鼻で笑った。

 

 英国魔法族の成人は十七歳だ。ちょうど魔力が安定し、扱いも手慣れる頃だから定められたとも、神秘の秘められた七がつくからだとも言われていた。男女ともに成人年齢は変わらず、また婚姻も両姓の合意の下に自由である。ホグワーツの在学期間が七年であり、それに合わせたのだとも伝えられる。真偽は不明だ。なにはともあれお嬢様は成人した魔女であり、己の道を己で決めるだけの自由を手にしていた。

 高等魔法試験も突破し、ホグワーツを卒業。騎士団に入団。当主業の傍ら、闇祓い試験の対策。忙しいことである。私もお嬢様の試験対策とやらのお相手を仕っている。実技は完璧だろう。

 もうそろそろお嬢様と呼ぶのも控えねばならないかな……と思わないでもないが、適当な呼称が浮かばない。お嬢様はお嬢様だ。

 そう、あれこれと忙しく、研究熱心で、本を積み上げ、壁にはなにやらわからない標本がずらり。

「――卒業してから加速してますねえ……混沌っぷりが」

 場所は婿殿の研究室。お嬢様は嬉々として鍋をかき混ぜていた。さては『脱狼薬』の試作品だろうか。婿殿から研究室のみならずその研究をも引き継いだお嬢様は、子どもの時分から完璧な『脱狼薬』の研究を進めていた。

「仕方ないじゃない、色んな標本を集めて比較して……並べてたらこんなことに」

「クラインに片づけさせては?」

 お嬢様付の屋敷しもべの名を出せば、お嬢様は首を振る。黒髪がさらさらと音を立てた。

「シリウスがたまに片づけてくれるの」

「お嬢様は大物ですねえ」

 ブラック家の若君に掃除をさせるとは。

「自発的によ? それに私だって一緒に片づけてるんだから」

「仲がよろしいことで。私も安心ですよ。若君はリアイスに馴染んでるようですしね」

 伴侶候補殿は卒業してからポッター家を離れた。家を借りて生活している。そこからランパント城へ顔を出していた。定職には就かず、主に騎士団の任務に精を出していた。

 血を裏切る者赦すまじ、とブラック家縁故の者から襲撃を受けたこともあったが、軟弱な貴族家のボンボンにどうにかできるほど伴侶候補殿は甘くはなく、完全に牙をへし折ってお帰り頂いたようだ。

 『ブラック家の若君』に懐疑的だった面々も、ようやくのことで伴侶候補殿を認めた。婚姻こそまだだが、彼はもはやリアイスの人間であった。

「第七分家と話が弾んで変な花火やら薬やらが誕生したけどね。発想力も図抜けてるから」

 どこかの店で開発担当にでもなればよかったのよ、とお嬢様は笑う。私も頷いた。伴侶候補殿発案の諸々の玩具は商品化され、ダイアゴン横丁の雑貨店に並んでいる。リアイスの収益源の一つだ。

「それでイルシオン、何の用かしら」

「ダンブルドアから言伝が」

 ブラック家のレギュラスが、当主に就任。なおかつ死喰い人になったと告げても、お嬢様は眉一つ動かさなかった。

「腹黒いこと、ダンブルドアは。レギュラスを内部に送り込んだのね」

「驚いてくれないと困りますよ」

「私が何年あの子の先輩やってたと思うのよ。レギュラスは暴力や破壊は好きじゃない。心の底からヴォルデモートに心酔しないでしょう。こちら側の間諜で、その旨一部の者には通達があるはず」

 ご名答とだけ口にした。だが、この報せにはなんと言うだろうか。

「……セブルス・スネイプが死喰い人に」

 お嬢様の双眸が陰った。数秒沈黙し、きりきりと歯噛みする。

「そう。彼は――」

 やはり父親を赦せないのね、とだけお嬢様は言い、それきり口を閉ざした。

 腹になにを抱えてようが、お嬢様は口にしない。友人だったセブルス・スネイプが死喰い人になっても。

――己の手で捕縛してやる

 そう思っていそうだが叶うのだろうか。市街地を歩く。濃い霧があたりを覆っている。

「これさえなければ、なかなかよい景色なのに」

 嘆息をひとつ。見やる先には魂の抜け殻が転がっている。幽玄の夜が台無しだ。

「レストレンジの分家の分家筋あたりだな。他はたいしたことない」

 守護霊に声を吹き込み飛ばす。白銀の鴉は一声鳴いて去っていった。あちこちから炎や守護霊がやってきて、私に報告していく。

 闇の帝王の姿はなく、人狼や死喰い人は始末した――。

「あとは闇祓いに任せて帰還だ」

 命じて、衣を翻す。『姿くらまし』しようとして、動きを止めた。黄金の炎が顕現し散っていく。はらりと落ちた紙片を手に取った。文面をあらためすぐさま焼く。口元が弧を描いた。

――当主、闇祓い試験合格

「後戻りできませんよお嬢様」

 屍の道へようこそ。

 ◆

 お嬢様が闇祓いになった件は一族に伝わった。むざと危険に身をさらさずともなどと言う者はいなかった。リアイスは魔法騎士。英国魔法界の剣であり盾を自負している。勇猛さが尊ばれる家風であり、本家当主ならなおのこと求められるものも多くなる。

――闇祓いがどうこうよりも差し迫った問題があるようだが

 一族本家ランパント・リアイス。その広間に一族の主立った者たちが集まっていた。床には紅の絨毯。最奥には玉座。円卓は片づけられ、沈黙した一族は並べられた椅子に座していた。

 後方に座りながら、私は玉座を見やる。紅の衣を纏った《ランパント》は群青の眼に冴え冴えとした光を宿し、一族を睥睨していた。笑みの一つもこぼさない。

「集まってくれてありがとう。心配しないで。用はすぐ終わるから」

 お嬢様――いいや《ランパント》は言を切る。すう、と広間の温度が下がった。肌を刺す魔力がそう思わせるのだ。間違いなく《ランパント》はお怒りだ。現に一族は青ざめている。アリアドネ様……と誰かがこぼした呟きが、静寂に支配された広間によく響いた。《ランパント》は眦を険しくする。

「ああ先代。お懐かしいわ」

 欠片もそう思ってはいないだろう。冷えた声からも明らかだ。《ランパント》は指を組む。紅を差した唇が歪んだ。

「あなたたちは、大好きな先代になら言わなかったでしょうに。婚約をやめては、なんて。《ランパント》にふさわしくないなんて。絶対に」

 私は天を仰ぎたくなった。まだ言ってたのか。闇祓い試験を突破し、伴侶候補殿との婚約を整えようとしている時期に一族招集。何事かと思えば。

 《ランパント》は杖を構えもしなかった。だというのに魔力は広間を侵し、不届き者を威圧する。これはたまらないだろう。今すぐ逃げ出したくなってもおかしくない。けれど《ランパント》の威圧が手を足を心すらも凍らせる。

「……十五の子を当主に選んだのはあなた方」

 《ランパント》は微笑む。それは氷の心臓を持つ魔女にも似て。

「たとえ黒狼の血を引いていようと、彼は私が選んだ伴侶。黄金のグリフィンの威に逆らう覚悟があるなら、前へ出なさい」

 リアイスの長は私だ、と《ランパント》は告げる。必要とあらば一族を放逐し、悪くすればもっと悲惨な運命を用意することは明白だった。一族の穏やかならざる心を映してか、天井のシャンデリアが震える。しかし、誰もが沈黙したまま。やがて、一人二人と椅子から滑り下り、崩れるように頭を垂れる。

「――仰せのままに《ランパント》」

 お嬢様が雷を落としてからというもの、伴侶殿改め婚約者殿に難癖つける輩は消えた。静まりかえった広間に、シャンデリアが落ちたのも理由の一つかもしれない。怪我人こそ出なかったが婚約者をよく思っていない連中は色を失っていた。お嬢様が意図して落としたのか、偶然なのかは分からない。解明する気もない。

 何はともあれお嬢様と婚約者殿の婚姻を阻むものはなくなった。またぞろ何事か起こったとして、二人でなんとかするだろう。

「もうね、戦時だしなるべく早く式挙げようと思うのよ」

「うるさいのが出てこないうちに?」

 お嬢様は鼻を鳴らす。喉元過ぎれば熱さも忘れるでしょうからね、と断言した。あれだけ威圧すれば問題ないだろうと思ったが、腹の中に留めておいた。

「お呼びだしの理由は?」

「結婚式準備の手順について、ざっとでいいから教えて頂戴」

「なぜ私に。エディン様とか他に色々いるでしょ――」

 エディンとはお嬢様の従姉にあたる魔女だ。第二分家の令嬢で、ホグワーツを卒業して早々に第三分家に嫁いだ。空色の眸をした、儚げな魔女だ。寮はグリフィンドールであったが、あまり『らしさ』は感じなかった覚えがある。

「エディンは駄目よ」

 お嬢様の眸が陰る。

「……病んでいるから」

 知っているでしょう? と振られ渋々頷いた。エディン様は夫たる《シージャント》と折り合いが悪い。上手に隠してはいるが、お嬢様を始めとした極めて聡い者たちには分かる。あの令嬢は遠からず破綻するだろう。だからといって私に訊かずとも。

「お嬢様のお願いはあれこれ叶えておりますし、先代と違って汚れ仕事もさせないよい《ランパント》とは思っておりますよ。しかし、私はなんでも屋では――」

「妻帯してたでしょ、あなた」

 ぐ、と押し黙った。いやいや待て、古い話だ。お嬢様が生まれる前の話で、今では知る者など――。

「スリザリン系のお嬢様と」

「大恋愛して」

「――分かりましたこのイルシオン、お嬢様の仰せのままに」

「あなたが私に甘いのって性格だったのねえ」

「さて、どうですかね」

 なぜお嬢様にばれたのだ。私は婚姻歴ありなんて一言も告げていないしそんな素振りも見せなかったというのに。

 色々ややこしい時代だったので、式は挙げたが極秘であったし、書面上はハッフルパフ系名門のマグダラ家の娘と婚姻したことになっている。妻がマグダラ家の養女に入り、その上で婚姻したからだ。

――私との婚姻は厄介と分かっていたはずだが

 身元を『綺麗に』してまで婚姻に踏み切った妻には頭が上がらない。

「素敵な方だったんでしょうね」

「……困難を恐れない人でしたよ」

 後ほど離婚したが。後ろ暗いことを山ほどしている身だ。妻の身になにか起こらないとも言い切れなかった。だから説得して離婚した。よくある話だ。息子を授かったが、どうしているのか。幸いにして私の忌まわしい形質――狂った時計――を引き継いでいないので、いい年だろう。無論、息子は私のことなど知らないが。彼の姓はあくまでマグダラ。リアイスではない……。私が引き取ったら引き取ったでリアイスのあれこれに巻き込んだだろうし、妻に育ててもらって正解だった。

「結婚の準備、ですか」

 あれもいる、これもいる、と指折り数える。お嬢様と婚約者殿はガリオンをたんまり持っているから、資金面で不安はない。まったくない。あとはお嬢様たちの手際次第だ――とまで考えて、ぽんと手を打つ。

「ドレスは婚約者殿に選んでもらうとよろしいかと」

「……同席はしてもらうわよ?」

 それでは不足かと暗に問われる。私は口端を吊り上げた。

「男から見ての『美しい』と女から見ての『美しい』は違いますからね」

 なんにせよ、婚約者殿ならお嬢様にぴったりのドレスを選ぶでしょうよと締めくくった。

 結婚式は『谷』で執り行われる。誓いを立てるのはジェローム聖堂。かつて『紫薇戦争』で活躍したリアイス出身の英雄・ジェロームを讃えてつくられた聖堂だ。とはいえ聖堂自体は後付けで、本来は墓所であった。

 誓いの後は広場に張られた天幕の下で宴が開催される運びとなっているようだ。

 会場の警備はお願いね、と第三分家や第四分家に笑顔で丸投げし、お嬢様は準備に奔走している。花嫁衣装やら招待客の絞り込みや、食事の構成やら考えることは盛りだくさんだ。

「……会場の警備? 望むところだ」

「腕が鳴る」

「闇の陣営が来ようものなら血の雨を降らしてくれる」

 第三分家当主《シージャント》と第四分家当主《セイリャント》はやる気満々だった。両名に呼び出された人員は眼を泳がせる。そんなこと言ったって警備やらなんやらするのは我々でしょうよ……と第四分家の誰かが呟いた。同感だ。上つ方々は号令を発するだけ。動くのは我々である。

「ちなみにポッター家との合同で執り行うと」

 我々は眼を瞑った。本家の式というだけで神経を尖らせるというのに、この上ポッター家と合同?

「……さすが《ランパント》。無茶を言いなさる」

 またもや誰かが呟く。

「ポッター家は昔から我らの良き友だからな。合同にしたいというのもわからんでもない」

「ジェローム聖堂ならば《ランパント》の『場』であるし、いざとなれば自分の身はお守りなさるか」

「ブラックはいいのか? ジェロームといえば彼の一族の城を破壊した英雄だぞ」

 ああだこうだと言葉が飛び交う。少なくとも、第三分家と第四分家は、お嬢様の結婚に対して思うところはないようだ。

――お嬢様がリアイス姓のままでいると宣言したしな

 紅茶をすする。夫婦同姓が魔法法において定められているわけではない。どちらの姓を名乗ってもいいし、二人の姓を繋いでもいい。新たな姓を創出しても構わない。本家当主であるお嬢様がブラック姓を名乗ることはありえない。婚約者殿がリアイス姓になるか、二人の姓を繋げてブラック=リアイスとでも名乗るのが妥当だろう。しかし、二人は別姓を選択した。当然一族の反発もない。

 いざという時の保険であろう。ブラック家は敵ではある。しかしながら、その純血の血筋と財力はスリザリン系で飛び抜けている。仮に婚約者殿の弟が死んだとき、当主になるのは婚約者殿だ。ブラックの姓を保持しておいて損はない。まあ婚約者殿は忌々しいブラック姓などどぶに捨てたいだろうが。

 大卓に羊皮紙が広げられ、議論が始まる。己が死喰い人であればどういう戦法を取るか。天幕を覆う障壁の創出。忠誠の呪文はこの場合効力が薄れる……。

 誰かを守るための警備計画に噛むなど、久しぶりだと思い出す。婿殿の護衛やアリアドネ様の護衛、お嬢様の護衛もこなしていたが、私がお側に控え、いざとなれば守ればいいだけの話だった。婿殿とアリアドネ様は、私が別件で離れている時に殺されたわけだが。このように大人数で警備するなど珍しいのだ。

「イルシオン、貴方、この中じゃあまり腕は立たないでしょう。私たちが《ランパント》のお側にいるから、貴方は天幕の障壁展開のほうがいい?」

 笑いを噛み殺す。私はリアイスの基準に照らし合わせれば弱い方。それが一族の認識だ。お嬢様の側にいるのは、チェスなどの息抜きの相手だとも思われている。《セイリャント》は私が昼行灯ではないと知っていて呼び寄せたのだが、他の面々にとっては訝しいことだろう。

 構わないと受諾すれば、計画はどんどん埋まっていった。

――さりげなくお嬢様の側にいよう

 せっかく艱難辛苦を乗り越え、この年まで生き延びてきたのだ。

 宴の場で殺させるには惜しい魔女だ、お嬢様は。

 慣例に則り、ふさわしい日取りを筆頭分家当主――お嬢様の従兄が占い、式の日は確定した。

 速やかに準備は整い、いよいよ『谷』で式が執り行われることとなった。広場に黄金と紅の天幕が張られ、リアイスの紋『剣に蔓薔薇』とポッター家の『飛び跳ねる牡鹿』、ブラック家の『双狼』の紋が翻る。さらにいえばポッター家に嫁入りするリリーのエヴァンズ家の紋もきちんとあった。

 ジェローム聖堂で二組の新郎新婦が誓いを交わす。私はお嬢様たちを守ることのできる間合いで杖から黄金の炎がほとばしり、絡み合い散っていく様を眺めていた。

 大きくなられた、と感慨にふける。母に疎まれながら育ち、紆余曲折あったが成人し、伴侶まで得た。最前列の翁はきりりとした顔を崩していないが、内心では安堵していることだろう。隣のダンブルドアは穏やかに二組の若者たちを見つめている。

「祝福を!」

「永遠の灯火を!」

 参列者が口々に唱え、杖を上げる。黄金の輝きが杖先から飛び出し、祝福を授けていった。私は視線を滑らせ、縮こまっている娘を見つけた。金髪に青い眼。リリーの妹だろう。非魔法族であるが、式に招かれていた。だが、どうやら刺激が強いらしく眼を白黒させていた。さて、賓客の相手をするわけにもいかないし、私がいったところで怯えさせるだけだろう。ゴールデン・オレンジの眼は非魔法族ではありえないのだから。

 見守っているうちに、誰かがリリーの妹――確かペチュニア――に声をかけた。賓客のひとり。テッド・トンクスだ。ブラック家のアンドロメダの夫で、非魔法族出身。穏和そうに見えるが名門から令嬢をかっ攫った男だ。ただ者ではない。

――驚かれたとは思いますが、慶事でこういった光を出すのは風習で

――僕も非魔法族なのですが、最初は色々と驚いたもので

 とあれこれ話してペチュニアを落ち着かせる。よしよしと警護の面々が頷いているうちに、祝福された新郎新婦たちは聖堂を出て行き、参列者もそれに倣う。広場に張られた天幕の下で宴が始まった。

 一同が着席すれば、料理はすでに用意されていた。円卓には花が飾られ、黄金の小鳥が歌いながら天幕を飛び回る。どこからか歌声が響き、まさしく喜びの日にふさわしかった――と、鳥の一羽に眼をやって、続いてダンブルドアを見やる。

――不死鳥まで連れてきているとは

 歌っているのは不死鳥だ。最上級の祝福だ。しかもこの鳥は死の呪文ですら受け止め、復活する。いざという時は戦う気満々だろう。ダンブルドア。

「――ダンブルドアとアシュタルテ様がいるのに、帝王が襲ってくる確率は低いわね」

 杯を干しながら、警護の一人――第六分家令嬢・ネメシスが呟く。眸の色と合わせた菫色のロングドレス姿で、戦闘ができるようには見えない。だがドレス自体に強い防護の術が織り込まれ、つけている装飾品は相手の魔法を無効化する術を付与してある。れっきとした戦闘服だ。

「毒を盛るほうがてっとり早いが」

 確認自体はしているしな、と私は返した。そもそもこのような慶事に襲撃を仕掛けるなど禁忌である。かつてリアイス配下リエーフ家の婚姻の際に襲撃され、累々と躯が転がる惨事となったことがある。当時のリエーフ嫡子が新婦であったのだが、彼女は夫よりなにより主たる《ランパント》を身を呈して守り死んだ。血の祝祭事件として語り継がれる。

 当然、慶事を汚した敵方の一族は多方面から非難された。魔法族の名誉を持たぬ輩よの、と。側近を奪われた当時の《ランパント》は容赦せず、女子供から胎の中の子まで始末し、家門根絶やしにしたとされる。子孫たるアリアドネ様の苛烈さを思えば、それくらいやってのけるだろう。

 私も杯を干し、会場をくまなく見やる。ルーピン家のリーマスも招かれていて、彼はなんとブラック家のレギュラスと話していた。意外な組み合わせだ。そもそも、レギュラスが顔を出すとも思っていなかったのだが。

 彼はお嬢様の写真を撮っていた。誰かに撮らせるかと思えば。これもまた意外だ。

「愚兄の見立てで心配していましたが、取り越し苦労だったようですね。お綺麗ですよ姉上」

「変な気がするわ。姉上なんて」

「弟と呼んでくださってかまいませんよ」

 レギュラスは朗らかで、お嬢様も笑顔だ。お嬢様の隣の伴侶殿は灰色の眼を光らせている。面白くないとありありと顔に書いていた。心配せずともお嬢様には伴侶殿しかいないのだが。あのお嬢様が結婚を決めるのだから、生半可な覚悟ではない。

「カメラなんて珍しい? ああ、写真を頼まれましてね。ほら……グリーングラスの令嬢も姉上の花嫁姿を見たがって」

 さらりと言ってレギュラスはシャッターを切っていく。そのうちにお嬢様が私を呼ばわった。

「カ――」

「メラでしょう。用意してますとも」

 最新式のカメラを手渡せば、お嬢様はにっこりした。あまりに幸せそうで、こちらまで笑顔になりそうだ。

「さすがだわ」

 鼻歌まじりにお嬢様は会場を歩き回った。参列者の写真を撮っていく。

「ねえ笑って、ペチュニア、リリー」

「きてくれてありがとう、アンドロメダ、テッド」

「リーマス、お花をありがとう。来てくれて嬉しい」

 参列者に声をかけ、笑顔を向け、写真を撮る。一瞬の時を切り取って納めていく。

 参列者が集まり、中空にふわふわと浮かぶカメラの前に集まった。

「さあ、警護の皆も」

 しかし、我々は。僭越ですなどという固辞をお嬢様は一蹴した。あれよあれよという間に警護も混ざることになった。アリアドネ様ならばありえなかっただろう。お嬢様が気安すぎるのだ。

 笑って、と誰かが言う。次の瞬間シャッター音が響いた。

――その日の写真は、机にしまいこんである

 時折眺めて思うのだ。

 どこかで誤らなければ、お嬢様は未だに笑顔でいたのだろうと。

 花嫁は、逝かずにすんだのだろうかと。

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