公子誕生万歳! では終わらないのがリアイスである。もう少しどうにかならないものか。いいやなるわけがないか。
「黒髪だなんだとうるさく言うでしょうねえ」
「ブラック家との混ざり子ってまだ言ってるのようちのジジイ」
「あー……そりゃ《クーラント》はねえ」
「後見人にジェームズ・ポッターとリーマス・ルーピンを指名したって聞いたけど本当なのか」
イルシオン、と水を向けられ瞬いた。『谷』のとある酒場――の、地下。いわゆる特別な『お客様』だけが通される場所である。《ランパント》に世継ぎが誕生し、一族はそれにかこつけて呑んでいた。年齢不詳の穀潰しにもお呼びがかかり、公子誕生からぶっ通しで呑んでいるのである。守りは固めてあるし、お嬢様の側には伴侶殿がついている。私が張り付いている必要もあるまい。
「何か不満でも? どちらもお嬢様とブラック家の若君のご友人だ」
ひた、と若者の顔を見れば、彼は口ごもる。アズカバンや塔の看守を多く輩出する、第五分家の者であろう。
「ポッターはともかくルーピンは……」
「彼がなんだろうといいだろう」
《ランパント》がお決めになったことだ、と魔女が割って入る。第七分家の娘であった。
「だが、他にいただろう? わざわざ」
「我々が心血注いで『何』を研究してきたかお忘れのようで」
「さんざん殺されたがな、やつらに」
第六分家まで参戦し、祝いの席に吹雪がふきあれる。学生でもあるまいし杖を抜きはしないだろうが、血気盛んなことだ。
「若君が誕生なされたんだ。今日くらい笑顔でいなさい」
仕方なしに告げても、彼らは唇をひん曲げたままだ。英国魔法界の守護者だの剣だの言われていてもこんなものだ。若いし、間違いはするし、感情を切って捨てることはできない。
ため息の代わりに、杯を置く。
「彼らは《ランパント》がスリザリンに組分けされても友人であり続けた……いやはや、リアイスよりよほどまともじゃないか?」
まさか一族が《ランパント》にした仕打ちを忘れたわけじゃないな? と満面の笑みを浮かべてみせれば、誰もが押し黙った。
「――たしかに、我々がどうこう言うのは野暮だった」
第五分家、第六分家の魔法使いたちが、小さくなる。第七分家の魔女がやれやれと肩をすくめた。
「それで? 若君はどちら似なの、イルシオン」
「まだしわくちゃだったからな……」
抱いてみるか、と差し出されたのは数時間前のことだ。お嬢様も腕にすっぽりとはまる小ささだったのになあ、と感慨にふけったものだ。
『この子は黄金のグリフィンだもの。泣かないわよ』
仕えるか仕えないかはあなたが決めなさい、とにやにやしながら言われた。そういえば婿殿もそんなことを言っていた。さすが父娘。そっくりである、と感心した。
小さく頼りなげな命を抱いてのぞき込めば、鮮やかな群青色が見返してきた。まだ光と闇しかわからないのだろうが、そう感じてしまった。いつの頃からか、リアイスに現れるようになった特別な青色。《ランパント》の子であるという証。
「黒髪の公子だ。少なくとも眼は《ランパント》のものだな……」
金の髪でないことを、古老たちは嘆くだろうか。黄金のグリフィン。輝ける一族にふさわしいたてがみを望む者もいるのだ。馬鹿馬鹿しいにもほどがある。偉大なるゴドリックは黒髪であったらしいし、ウィーズリーの赤毛を持つ《ランパント》もいたらしい。リアイスとリアイスの娘、黄金の髪持つグリフィン――アリアドネ様なんて、功罪が大きすぎて手放しで賞賛もできない。なにせ幼い娘を殺すように私を差し向けた女である。
お嬢様はそんな非道はすまい。淡い笑みを浮かべ、我が子を見つめる眸には、確かな慈しみがあった。
『私の子だわ。私とシリウスの……両の眼こそ、その証』
アリアドネ様がついぞ示さなかった感情だった。私の子、とも言わなかったように思う。ただただ突き放し、疎み、殺そうとしていた。
――私の娘
赤子を抱きながら言ったのは、婿殿だった。守り、育て、ことあるごとに言っていたものだ。私の娘、と。どこか祈るように。
婿殿の欠片は娘に引き継がれ、娘の欠片も息子に引き継がれるのだろう。
誰が思っただろう。
それから一年と少しで、何もかもが壊れるなんて。
私はどこかで思っていたのだろう。狩人のくせに、希望を抱いていたのだろう。
このままつつがなくすべてが巧くいってほしいと。
入室するなり、靴底が固いものを踏む。そっと動かしてみればじゃりじゃりと鳴る。なんの変哲もない陶片が絨毯のそこかしこにばらまかれていた。
「――大変でございますな、《ランパント》」
返事のかわりは深いため息。新居に持ち込んだ執務机で頬杖をついている。机案の上には紅茶でぐしょぐしょになった書類が一山。産後間もないお嬢様が荒れ狂ったわけではない。犯人は小さなゆりかごで眠る嬰児である。
「こんな種類の苦労は想定してなかったわよ」
でしょうねとだけ返す。赤子を育てるのはとかく手間がかかる。世話自体は屋敷しもべのクラインにほとんど任せているようだが、それでも執務の間は側に置いて様子を見ている。時には赤子が魔力を暴走させて、このような惨事も起こるわけである。
「城のシャンデリアを落としたとか」
「息子ながら大胆だわ」
シリウスなんて面白がってたけどね、と続ける。さすが伴侶殿。けが人続出でもおかしくない事象だろうが楽しむ御仁である。
「貴女様も色々やらかしてましたがね」
杖を振る。無言修復呪文は、散らばった欠片をくっつけ、書類の汚れも消し飛ばした。
「待って。私が? いつ?」
くっと眼を見開いて、たいそう食いつきがよろしい。思わず喉を鳴らした。すっかり大人の顔つきになったと思っていたが、まだまだ幼いところもあるようだ。
「すやすやとお眠りになっている、そこの若君くらいの頃ですね」
お嬢様はリアイスとリアイスの娘である。つまり高い魔力を持っている。制御もできない赤子から二、三歳のみぎりなどそりゃあすごかった。
「シャンデリアは落とす、窓は割る、ゴドリック様の像を粉砕、ライオンのぬいぐるみバラバラ事件……」
指折り数えてみせれば、お嬢様は肩を落とした。「なんなのかしら。血なのかしら」とぶつぶつ言っている。
「たいていミスラ様がおそばにいたので、実害はありませんでしたけどね」
婿殿の名に、お嬢様は唇を噛む。切なくて苦しくて、手を伸ばしても届かない場所へ行った者を思う。
「お忙しかったでしょうに」
「親ですからね。ミスラ様は父であろうとしていましたよ。できうる限り」
お嬢様の騎士もそうでしょう? と水を向けてみれば、素直に頷いた。
「抱っこの仕方が危なっかしいんだけど」
「そんなもんです」
ちなみにお嬢様も危なっかしい。クラインが側にいるときは、そうっと浮遊呪文を準備している。親になりたての二人は、学業そのほかは優秀だったが、赤子のお世話に関してはずぶの素人だ。慣れるほかない。
――まあ確かに
小さくて脆い生き物は、触れてしまえば壊れてしまう気がして怖い。私とて人の親だった時もある。生まれたばかりの息子に触れるのは怖かったものだ。なんだかんだで育って、孫までこしらえたのだから別れた妻は偉大である。私には子育てなんて無理であった。
「若君の記憶には残らないでしょうが、あなた方の記憶にはしかと残ります。合間合間にお世話なされるとよろしいでしょう」
貴重ですよと付け加える。ふ、とお嬢様が笑う。
「親はいつまで経っても親なのね」
「まあ……翁はそうですねえ」
ひょいと指が振られる。群青の眼が私を射抜いた。心の底まで見透かす、ダンブルドアの眸を思い出す。
「違うわよ。あなたよ、イルシオン。父親の顔をしていたわよ」
「まさか」
「色々あったんでしょうけど、あなたも人間よね」
顔を背けた。背けるしかなかった。婿殿のように娘を育てたわけでもない、伴侶殿のように世話をしているわけでもない。捨てた側の人間であり――むしろアリアドネ様に近い人間だ。だから、お嬢様の言は刺さった。
「父親といえば、ジェームズ・ポッターが父になる日も近いとか」
強引に話題をそらしてもお嬢様は怒らなかった。腑抜けた狩人の悪足掻きにひょいと乗った。
「八月一日とかにずれてくれたらいいんだけどね。ただ……」
憂いを刷いた眸が、ゆりかごへ向けられる。
「この子が七月が生まれる日に誕生したのだから……」
ジェームズの子が末に生まれてもおかしくないのよね。
「だってリアイスとポッターの結びつきは強いもの」
当たってほしくないわね、と締めくくる。
何かに――偉大なるゴドリックに祈るように。
◆
「人狼の動きは鈍化しております」
「巨人は……」
「ダームストラングとつながりを持とうとして、拒否されたとか」
夏のランパント城に響くのは、憂鬱な報告ばかり。敷かれた絨毯や、獅子や薔薇が装飾された窓もくすんでいるようだった。公子誕生に浮き足立ったのはたかが数日。すっかり日常に――戦時に戻ってしまった。
侍女に扮して室の隅に控えながら、集まった面々を観察する。誰も彼も眉間に皺を刻み苛立ちを露わにしている。
――決定打がない
闇の陣営との戦いは、かれこれ二十年以上になるか。数年前にユスティヌを討ち取り、一年ほど前にフェンリール一派をアズカバン送りにしたとはいえ、足りない。
あちらの帝王とこちらの女王のどちらかが倒れなければ、戦は終わらない。一度女王とその伴侶を奪われた苦い過去があるのだ。リアイスがそう簡単に女王を奪わせるわけがない。かくして神出鬼没の帝王の首をとろうとリアイスは奮闘しているが、いっこうに成果があがらない。
肉薄した者はいる。手傷を負わせた者もいる。けれど、それだけだ。ダンブルドアや翁の前にはけして現れず、暗がりに身をひそめるばかり。帝王が自ら姿をみせるのは、名のある魔女や魔法使い、リアイスを狩るときだけだと囁かれていた。
――大量の出血はあった
――致死量であろうとも言われていた
けれど、帝王は生き長らえている。一角獣の血でも飲んだのかそうでないのか。賢者の石はニコラス・フラメルが厳重に保管している。第一あれは延命するだけで傷を癒すわけではない。
帝王とて人間だ。死ぬときは死ぬ。その理からはずれているのだとすれば――。
あれじゃああるまいな、と呟いたとき、猫の鳴き声が聞こえてきた。ついと踏みだそうとした伴侶殿を制し、私は窓辺に置かれているゆりかごへ急ぐ。
「元気のいいことだ」
「また窓を割るんじゃないだろうね」
「名工の作が! と泣いてましたもんねステータント」
緊迫した空気が一気にだれる。
「よい時に泣いてくれたわ……。すこしだけ休憩にしましょう」
お嬢様がにっこり笑って宣言し、違いないと分家当主や名代が同意する。
ひょいと猫――あらため、若君を抱き上げる。まだ生まれて一月足らずであるが、抱き上げるたびに重くなっているように感じる。そのうち首も据わって寝返りして、おもちゃの箒で飛んだりするのだろう。けれど若君はご機嫌斜めである。
「ミルクはあげたわよ」
「おむつも替えたぞ」
若い夫婦が口々に言う。知っているとも。伴侶殿が実に大胆なおむつ替えをしようとして「慣れてないんですからマグル式でやってください!」と屋敷しもべのクラインに叱られていたことなんて。
「少しぐずっているだけですよ」
そのうち寝るだろう。寝汗の問題でもない。さらりとした着心地、吸湿速乾、軽い呪文なら弾く実用性重視の反物に呪いを兼ねた刺繍をほどこした産着なのである。庶民の二、三ヶ月分の給料が吹っ飛ぶ逸品である。
さてはて夫妻に任せてもよいが、彼らは彼らでお疲れなのである。私が面倒をみてやるべきだ。婿殿でも私を侍女にして同行させるなんて荒業は使わなかったのだが。お嬢様といい婿殿といい、父娘そろって私を子守り担当と勘違いしてやいないか。我が祖セイリャントがご覧になれば爆笑ものだろう。
間違っているとぼやきつつ、小さな小さな背を軽く叩く。ぐずぐずと泣いていた若君は、やがてあくびを漏らして寝入ってしまった。腕がずしりと重くなる。こんなに小さいのに重いのだ。息子のときも思ったが、つくづく不思議だ。ゆりかごに戻し、織物をかけてやる。つかの間あどけない寝顔を眺める。今は寝て泣いて、言葉も話せない無垢な存在。成長すれば染まっていく命。
――アリアドネ様も
あの狂える女も、ただの命だった時があった。姫君誕生、公女誕生! と言祝がれた。金のたてがみに至高の青をそなえたグリフィンの中のグリフィン。
「どこで間違えなさったのか……」
やわらかい頬をそっとつつく。この孫をみればアリアドネ様はどんな反応を示しただろうか。殺せと言ったろうか。ブラックの血が混じった子などいらぬと言って。
私も仕事が仕事なので、死んだら地獄行き確定だ。だが、己が娘を手にかけようとした心なぞわからない。
――殺さなくてよかった
仕事をやり損ねた。狩人としては失格だ。アリアドネ様が気にくわなかったのもある。あの日、あの時お嬢様を前にためらった自分は正しかった。リアイスであり狩人である以前に、私とて人間なのだ……。
「あら」
お嬢様が声をあげる。黄金の炎が燃え上がり、落ちた紙片を伴侶殿がつかみ取る。やさしい仕草で妻へ差し出した。
「……今日は終わりましょう。なにか奏上したけれは、書翰を」
言うや否やお嬢様と伴侶殿は早足で室を抜け出そうとする。一同は唖然として見送るほかなかった。嵐のような夫婦である。まったく。
「ウィスタをお願いね!」
「ランパント、シリウス、どこへ」
あまりの急展開に誰かが声をかける。お嬢様は振り返りもせずに告げた。
「ポッター家よ!」
リアイス本家当主夫妻とポッター夫妻が仲良く死んだら洒落にならない。護衛たちがすぐさま後を追い、もちろん私の手駒もその中に紛れていた。
「おお、泣くんじゃないぞ」
両親がいなくなり、若君は眼を覚ました。とたんに周囲がおろおろし始める。どいつもこいつもおっさんか爺である。子ども慣れしていない者も多い。しかし一族最長老殿は書類に眼を通しつつ、片手でゆりかごをゆらし始めた。
「さ、さすがですな」
「これでも三人……いや四人育てたからな。妻やしもべに任せきりにせず、構っておけよ。一瞬で大きくなるからな」
今夜は私が預かろう、と小さくため息を吐く。突然出て行った孫娘の尻拭いをするのは祖父の役目であろう。お嬢様のことであるから日付が変わるまでには一旦戻ってくるだろうが。
同じ『谷』内だ。何事かあっても対処はできる。お嬢様たちは聖マンゴより『谷』を選んだ。医療機関に入院なんてすれば格好の的である。戦いにくくて仕方がないし、誰も巻き込まない保証なんてない。
――帝王にしてみれば
打ち破る可能性を持つ者をより重視するであろう。早急に消したいと思うはずだ。自らが頂点に立つには、これから生まれてくる預言の子は邪魔であろう。勝敗を左右する秤である若君ならば利用もできようが、太陽は二つもいらないのである。
うわああんと若君が泣き始め、瀟洒な窓が恐れに震えた。ステータントが狼狽え「ああ泣かないで泣かないで未来の《ランパント》!」とおろおろしていた。生後約一ヶ月の若君にいっぱしの魔法使いたちは振り回されまくりである。
――生まれた瞬間に入学名簿に名が載った
それだけ内包する魔力が大きいのである。ホグワーツの入学名簿は、魔法族にふさわしい魔力を示した者を書き記す。リアイスの者はたいていが生まれた瞬間から数ヶ月前後で名前が載るものらしい。さすがに若君はリアイスとブラックの混血だけあって破格である。さて、魔力が破格なのは大変喜ばしいのであるが、なにせ制御を知らない赤子である。窓の一枚や二枚、扉の三枚や四枚は覚悟しておくべきであろう。
なにやらゴドリック様の石像が砕け、ステータントはさめざめと泣き崩れた。アリアドネ様より上だ。赤子の頃のお嬢様といい勝負かもしれない。婿殿ならば、孫息子をうまくあやせたろうか……。
「やんちゃな子だな」
嘆くステータントを黙殺し、翁は鼻歌でも歌わんばかりだ。本来ならば隠居して曾孫の子守でもして暮らしたいだろうに、孫娘の後見やらなんやらで引っ張りだこ。曾孫のやんちゃも微笑ましいのであろう。ただし、淡い群青の眼は鋭く、好々翁への道は遙か遠い。
「――おや」
声が上がったのは同時。黄金の炎がステータントの間近に顕現する。ひらりと落ちたのは羊皮紙だ。
「……ロングボトム家の子が、生まれたとか」
それまでの落ち着きのなさはどこぞへ追いやり、ステータントは顔をしかめた。喜べばいいのか、嘆けばいいのかよくわからないと言いたげに。
「帝王の手から三度逃れた者たちの間に生まれた、子だ……」
同日に生まれる子なんて掃いて捨てるほどいるだろう。たとえばリアイスとリエーフには時折生年月日どころか出生時刻までぴたりと合わせて生まれてくる。それは将来の主従であると運命づけられているが故、ある種血よりも濃い繋がりが生み出す魔法なのだといわれている。
――表向きは、だが
あんなものもはや呪いであろう。一度仕えると決めれば死ぬまで仕える。《ランパント》の命令には服従。死ねと言われれば死ぬであろう。特に《ランパント》と時を同じくして生まれたリエーフはその傾向が強い。主には忠実だが、敵には情けをかけず、戦ともなれば屍の山を築き上げる。《ランパント》以外に御せず、たいていが悲惨な死に方をする。ユスティヌとの戦の頃はたいそうひどく、少なくとも三人か四人はリエーフの嫡子――あるいは当主が殺されていたはずだ。リアイスから離れれば安泰に生きられるだろうに、現代においても《ランパント》にひっつきたがる執着には天晴れである。次期《ランパント》と目されている若君にもリエーフがいるのである。同日、同時刻に生まれてきた子が。
確か名はエリュテイアと言ったか。儀礼的な祝いだけはお嬢様が送ったが、積極的に関わるつもりはないようだった。エリュテイア嬢の両親、兄姉は廃人同然である。ゴーントに負けず劣らず近親婚が多かったせいだろう。二十世紀にもなって度し難いが、魔法族なんてそんなもんである。
現当主――令嬢の祖父にあたる男は、約十年前、お嬢様がスリザリンに組分けされて騒動になった際に手をさしのべるわけでもなかった。今でも一定数の人員は派遣しているが、形だけである。明らかにお嬢様を認めていないのだ。ひょっとしなくてもブラック家との混ざりものである若君のことも。
なんにせよ、あと数年しなければエリュテイア嬢がどんな娘で、若君の百合の騎士になるかは不明である。肉親たちと同様に狂っている可能性もある。千年余り続いたリエーフもついに滅亡かもしれない。巧く交配できなかったのだから仕方があるまい。あんまりにも狂っていてオブスキュラスにでもなられたら事である。私が内々に始末するしかないか。
「――五分五分になったわね」
ポッター家から飛ぶように帰ってきて、第一声がこれである。お嬢様は若君を伴侶殿に任せると、ランパント城の居室に戻った。机案の上には屋敷しもべが用意した便箋とインク、羽ペンが揃えてある。ロングボトム家への祝いを贈るためである。
七月三十一日、ポッター家の嫡男とロングボトム家の嫡男が誕生した。それ事態は喜ばしい。特に第二分家ステータントは喜んでいる。当主の妻はロングボトム家の長女である。紛れもない慶事であった。けれど、預言を知る一部の者には悩みの種である。
まさか預言の子が二人も生まれると思わないではないか。
「伴侶殿のように素直に喜べないのが辛いですねえ、お嬢様」
「あの楽観主義、わけてほしいわ。ぜんっぜん動揺してないのよ。よかったなウィスタに友達が二人も! とかなんとか」
大物である。戦時かつ預言がどうこう、七月末日に生まれるのか生まれないのかとぴりぴりしていたのに、伴侶殿にかかれば友達が二人増えたで片づくのである。
「お嬢様はあの方を選んで正解ですね」
「我ながらいい男を選んだわ」
堂々とのろけられ、私は眼を逸らした。あんたら学生時代は仲悪かっただろうがよ。
――まあ
お嬢様の境遇を理解できそうで、家格もつりあって、実力もあって……と絞り込めば候補は多くなかったのだが。冗談混じりでブラック家のシリウスなんてどうですかね翁殿なんて言ったような言わなかったような。本当に結婚するなんて思っていなかった。
「アリスとフランクには預言の話は伝えてあるし……こっちが打てる手なんて知れてるのよね」
さらさらと羽ペンが舞い、流麗な筆致で祝いの文がしたためられていく。ぱちりと指を鳴らせば、すぐさま屋敷しもべのクラインがやってきて、手紙を回収する。
「――出方を見るしかないですからね」
両方を始末しようとするか、片方だけに手を出すか。
「……印すであろう、か」
お嬢様はつぶやき、首を振る。勝敗を左右する子、帝王に比肩すると『印される』子、帝王。役者は三人。ただし敵を選ぶのは帝王自身である。どうやら帝王は印すどうこうの下りまでは把握していないようで、このままではポッター家の嫡男かロングボトム家の嫡男が始末されるだろう。
その気になれば、帝王をおびき寄せ始末だってできるのだ。極めて非道な手を使えば、だが。囮を使えばいいだけだ。赤子を殺したところを急襲すれば有利に事が運ぶだろう。
お嬢様は赦さないだろうが――と様子を窺えば、群青の双眸が私を縫い止める。
「それは駄目よイルシオン。どこかの子どもをさらってきて替え玉にするのも却下」
「善人なのも考えものですね。なんて不便な」
喉の奥になにかがひっかかったような笑い声。お嬢様は顔をゆがめる。居室の装飾――獅子と薔薇が配された壁紙をにらみつけた。
「実質はどうであれ、リアイスは魔法騎士の一族、英国魔法界の守護者。黄金のグリフィン。輝かしく在らねばならない」
「この爺の妄言、お許しください」
道化じみた礼をとる。お嬢様を気に入っている理由はいくつかあるが、ただの正義かぶれではないという点も理由のひとつである。リアイスなんて外面がいいだけの、グリフィンドール至上主義の戦争屋である。お嬢様はそれをよくわかっている。
非道な手は思いつくのに実行に移さないのも天晴れだ。散々リアイスを殺してきた仇敵なのだ。リアイスの過激派ならば手段は選ぶまい。
「……私やお祖父様、ダンブルドア先生やマッド・アイ、シリウスにジェームズにアリスにフランク……帝王に抵抗できる人間はいるわ。たとえばジェローム聖堂に追い込んで袋叩きにできれば勝てるでしょうね。けれど」
白い指が杖をもてあそぶ。ぱちりぱちりと火花が散った。
「あれはグリンデルバルドよりも深い闇に沈んだ男よ」
ただじゃあ死なないわ。
「……本当に」
このまま諦めてくれれば楽なのにね。ランパント城の尖塔から『谷』を一望し、お嬢様が愚痴る。
季節問わず薔薇が咲き誇り、芳しい吐息に満ちる我らが故郷。最初の薔薇はゴドリック・グリフィンドールの息子とヘルガ・ハッフルパフの娘の間に生まれた子――孫のネフティスがつくったのだとされる。元々は白い薔薇であったが、伝説によれば流されたリアイスの血により、深紅に染まったのだとか。ただの魔法の薔薇ですすごいですねで終わればいい話なのだが、そこはリアイスである。血なまぐさい話がつきものだ。
物騒な伝説があろうとも、薔薇はリアイスの象徴のひとつ。俯瞰する眺めは美しく、炎を思わせる色彩は血を沸き立たせる。 「あれは生に執着していますからね。狂信者であり、暴君であり……己がすべてを手にできると思っている」
諦めますまいよと返す。お嬢様はため息をついて肩をすくめた。
「全然グリフィンドールらしくないわよね、あなた」
「よく言われます」
どの寮だろうがそれなりにやっていけたろう確信がある。純血家系が組分けごときで騒ぎすぎなのである。平々凡々な家系ならばお嬢様や伴侶殿のときのような上へ下への騒動には発展していなかったはずだ。
「スリザリンに入ればよかったのよ。そしたら私は楽ができたのよ――ところで義弟くんは見つかったのかしら」
軽口ついでに、さりげなく問いかけられる。お嬢様の眸は『谷』を映したまま、こちらに向くことはない。
――義弟
該当するのはただ一人。ブラック本家当主・レギュラス。伴侶殿の実弟で、お嬢様の後輩である。そして闇の印を刻まれた者でもあった。姻戚でありながら敵である。対外的には、だが。
「ロンドンのブラック邸に戻ったところまでは辿れましたが……」
死喰い人であるが、協力者である。いわゆる間諜であった。年若いとはいえ優秀な魔法使いであり、閉心術にも明るい。闇の帝王を欺き通せるだけの実力はあったはずだ。そんなレギュラスが姿を消した。ちょうど、若君の顔を見に来た後に。ぷっつりと消息を絶ったのである。
「――露見したとは考えたくないわ」
「帝王が泳がせている可能性はありますが――わざわざ消す必要もない……」
「粛正したという話は出ていないのでしょう?」
沈黙で以て、肯定とする。帝王は時折感情的になり非常に短気になるところがある。しかし、死喰い人の誰それを粛正したのならば、表沙汰にするはずだ。恐怖政治の基本である。お前もこうなるのだぞと知らしめれば抑止にもなろう。
「ともかく、あちらでも義弟殿の行方は掴んでいないようで」
――粛正するはずがない
なにせレギュラスはブラック家の直系である。純血主義の筆頭、古い血筋。それだけでも価値はある。なによりも、お嬢様と伴侶殿に対しての手札となりえるのだ。殺して仕舞いにするはずがない。帝王は莫迦ではないのだ。
「調査は継続して。レギュラスが何を考えて姿を消したかはわからないけれど」
「幸いといってはなんですが、あちらはさほど関心を払っていないようです」
知ってるわ、とお嬢様が鼻を鳴らした。
「私たちに眼をつけているからね」
ポッター家に子息が誕生していくらも経たないうちに、闇の陣営が蠢き始めた。ひそやかにこちらの――不死鳥の騎士団を監視している。むろん、こちら側もあちらに間諜を送り込んでいるのでお互い様だ。
本格的にどうこうはしていないものの、闇の帝王の関心は二人の赤子に向いているようだった。
「ロングボトム家が外れたのは幸いというべきですかね」
「――油断させてズドンもありえるけれどね」
私ならそうするわ。夢も希望も情けもない。残念ながら私もその手を使うであろう。人間誰しもゆるみはある。ほっと一息ついた瞬間にしとめるのが楽だ。
リアイスもポッターも守りは固めている。死喰い人が来ようとも、帝王が来ようとも、時間は稼げるはずだ。でなければ千年以上も生き延びてこられなかった。
――だが
私の脳裏に閃いたのは、滅ぼされたマッキノン家の有様であった。荒々しい破壊の跡と、惨殺された当主一家……。なにごとにも完璧などありえない。
「今のうちに備えておかれるがよいかと。『忠誠の術』を」
「しなきゃ駄目かしら」
お嬢様の横顔には、憂いが深い。どこか幼げな声に、不安が滲む。
「人心掌握と支配にかけてはグリンデルバルドが上ですが、暴力と破壊、執念においては帝王が上です――隠れたほうがよろしい」
帝王とて人の子。魔法の法則からは逃れられない。『忠誠の術』であれば、隠蔽にはぴったりである。一人の人間に秘密を封じ込め、守り人と成さしめる。守り人が秘密を漏らさない限りは、たとえ元から場所を知っていたとしても、敵は邸に侵入できず、認識もできない。
「ダンブルドア先生からも言われたわ……なんなら式はこちらで用意するとも」
「彼に任せておけば問題ないでしょう。あれは手間と時間と頭脳と才能が必要ですから」
これ以上ないほど複雑怪奇な術なのだ。それもそのはず。まずは『秘密』を定義づけなければならず、式を編まなければならない。お次に生物と秘密を結びつけ、仕上げに封じ込める。ゆらぎ移ろう生物に術を組むだけでも一大事だ。古い術式であり、知っている者は限られる。
「守り人がご入り用ならお申し付けを」
「そんなに忠誠心が篤いとは思わなかったわ」
「酷いお方だ」
冗談よ、とお嬢様がやっと笑う。我知らず肩の力を抜いた。しかし、次の瞬間、お嬢様の顔に笑みの欠片すらなかった。
「秘密は守られるでしょう。けれど、何が起こるかわからない。もし――最悪の事態が起こったのなら」
私の子を連れて逃げて頂戴。
断固とした口調であった。幼少期から幸福を奪われてきたが故に、最悪を考える。家族を手に入れ、子を成してもなお、陰を落とす。
――ありえません
そう言いたかった。忠誠の術は破られません。心配しすぎです。
言えたならどれほどよかったか。けれど私は狩人であり、リアイスの暗部を担う者であった。一寸先は闇なのだとよくよく――嫌になるほど知っている。
「――御意に。黄金のグリフィンの名に懸けて誓いましょう」