storge
――あぁ
よく晴れた空、雲はさっと絵筆で刷いたようで、いくつもの筋が描かれている。箒で飛べばさぞかし気持ちのよいことだろう。絶好のクィディッチ日和だ。
「あーあ」
間の抜けた声が漏れる。図書館の片隅、窓辺の席。背もたれに身を預ける。強烈な誘惑に抗ってまで、なぜ彼は缶詰になっているのだろうか?
そりゃあジェームズだって外に出たい。もう出たい。猛烈に出たい。だけれども七年生にもなれば遊んでいる暇はあまりなくなる。今までのようにお気楽にいたずらばかりしていられない。授業は高度になるし、課題も多い。
ジェームズはそれなりに要領も頭もよかったので、たいして苦にはしていない。だが、闇祓いを志すならば――さしものジェームズも真剣に机に向かわざるを得ないのだ。
お陰で愛しのリリーともぜんっぜん、まったくしゃべれていない。同じの寮なのに。付き合ってるのに。ホグズミードでデートするくらいが関の山。
「私とおしゃべりなんて、いつでもできるんだから」
今は集中しなさいよ。緑の眼ににらまれれば、たとえ学年で一、二を争う秀才(天才ではない)、顔はまぁそれなりにいい(ジェームズは自分の顔が好きだが)ジェームズは言うことを聞くしかないのだ。
リリーはたいてい正しいのだ。まじめだし、でもお茶目なところもあるし、赤毛は燃える花のよう。お陰でジェームズと付き合うまでに、何人かボーイフレンドがいたのだ。ジェームズは草葉の陰でハンカチを噛みしめたものだ……。無二の親友にはうっとうしがられた。
『よそに眼を向けろよ。リリーじゃなくてもいいだろうよ』
さめた灰色の眼、夜の黒髪の持ち主――シリウスは、何度もジェームズに言った。
『俺にはわからないね』
その執着。ジェームズの答えはいつも同じだった。
「いまに分かるさ」
ふ、と息を吐き羽根ペンを置く。どうにも気が散る。さわさわとした風の音のせいか――と思ったのだが。
「ねぇ、本当なの」
スリザリンの女皇とシリウス・ブラックが付き合ってるって。
ジェームズは耳を澄ませる。ついでにいたずらグッズも鞄から出した。スニッチそっくりな羽根付きの球だ。はたはたと羽ばたき、天井近くに向かう。いわゆる盗撮ができる道具だ。悪用可能なブツなので、たまーに、慎重に使うだけ。
だってその気になれば女の子の着替えを覗くとか、その他諸々もできそうなのだ。ジェームズは女の子の着替えでムラムラ(なんだかとてもいやらしい言い方だ!)しないけれど、ホグワーツにいる野郎どもが全員紳士とは限らない。特に五年生から七年生なんて盛ってるやつも多い。まかり間違って広がれば大惨事間違いなし。
――忍びの地図もけっこうあれだけど
かつて作った代物に思いを馳せつつ、鏡をのぞき込む。羽根っ子はいい仕事をしてくれている。本棚の向こうには女の子が三人。たぶん五年生か六年生。レイブンクロー生だ。教科書を広げているが、羽根ペンは放置されていて、おしゃべりに夢中だ。
「仲悪かったんじゃないの?」
一人が言い
「女皇と付き合える男がいるの? 高嶺の花じゃないの」
一人が続けた。
「でもでも! スリザリンの子から聞いたんだもの」
付き合ってる発言をした子が、唇を尖らせる。
「とんでもないカップル成立だわ」
「いやいやでもね、その割に……そんなそぶり……」
「やあねあなた、シリウスにお熱だったの?」
「彼は観賞用よ」
一人がきっぱりと言い切った。ジェームズは噴き出すのをこらえた。君、勝手に観賞用扱いだよシリウス。
「孤高の女皇が誰かのものになるのが……なんだか」
「そうねえ、誰かとどうこうなんてなさそうだったものね」
しかもシリウスと。
くすくすとレイブンクロー生たちが笑う。
「どうかな」
ジェームズは羽根っ子を呼び戻し、鏡と一緒に仕舞った。
ゆっくりと眼を閉じる。
「リーンだって女の子で、人間で、別に孤高じゃあないんだよ」
そして結構さみしがりやさ。
――ユスティヌにも懐いていたし
懐いていた、だ。懐いている、ではなくて。
リアイスの仇敵、青き血のユスティヌ。実はリーンの異母姉だと聞いたのは、数ヶ月前。六年生の冬のことだった。
『正体』を知られ、青ざめた顔をして。ぽつりぽつりと秘密を語った幼なじみ。
「……臆病なんだよな」
さみしがりやで臆病で。『姉』の死が拍車をかけたのだろう。ジェームズがのんきにしている間に、幼なじみは秘密を抱えて耐えていたのだ。
リアイスで、一生秘密を抱えて、そして。
――実の父にねらわれる
誰とも付き合えるわけがない。それこそジェームズくらいでないと無理だ。実際、打診も受けたのだ。秘密裏に呼び出しを食らったのは、ジェームズが幼なじみの正体を知ってしまった数日後。
「――で、お前はどうする? ジェームズ・ポッター」
リーンと添う気はあるか。リアイス一族の城、とある一室。アシュタルテ・リアイス――幼なじみの祖父が問いかけてきた。淡い群青は刃のよう。ジェームズの背に汗がにじんだ。
「託したい、の間違いでは」
翁。ジェームズは堂々と返した。呼び出しの理由なんて――それも秘密の呼び出しだ――わかりきっていた。互いに名家の出、年は同じで幼なじみだ。いずれ打診がくるとわかっていた。
「僕にあずけないといけないほど、腑抜けばかりで?」
「あの子は危うい。一族とは添わないだろう」
わかるだろう? 眼で問われ、ジェームズはうなずいた。秘密が露見すれば殺されるだろう。好んで、処刑人たる一族と結ばれたくはないだろう。
「心に背けば、あるいは」
直立したまま、ジェームズはアシュタルテを見やる。孫娘を案じる祖父を。
「……僕も彼女も、幸せにはなれないでしょう」
幼なじみなのだ。物心ついたときから友達で、一緒の寝台で寝たことだってある。ちいさなちいさな頃。大きくなったらホグワーツに行って、同じ寮で楽しくやるんだと約束した。クィディッチもしようね、と指切りをした……。ずっとずうっと友達だよと。
――笑ってしまうくらい
幼なじみの明るい未来は踏みにじられた。綺麗な群青――至高の青色を笑ませていた、あの女の子はもういない。どこか陰のある魔女になってしまった。幼心の姫君は、彼女の奥底にしまい込まれているのだろう。
ジェームズは苦いものを飲み下した。
幼なじみのことは好きだ。けれど、恋をしているわけではない。焦がれて、欲しくてたまらない……ジェームズの知る恋とはそういうものだ。
恋わずらいとは昔の人もよく言ってくれた。まさしく病だ。
「リーンへの愛も情もあります。僕になんの出会いもなかったら、受けていたかもしれない。でも、僕とリーンは近すぎるんです」
子どものときから一緒だったんですからね。
「リーンの手を強引にでも引っ張って、ついでに殻をぶっ壊せる男じゃないと」
やれませんね。
にっと笑ってみせれば、アシュタルテは肩をすくめた。
「好いた相手を見つけたのだな? ジェームズ」
「振り向いてもらえるのに必死で」
茶化しと本音を半々で混ぜれば、アシュタルテが口端を吊り上げた。
「紳士たれ。たとえ、その『彼女』が振り向かなくても幸福を希え」
もしかしたら、望むものがやってくるやもしれん。
深い声で言い、アシュタルテはジェームズを射抜くように見た。
「これからも、孫と友人でいてくれるか?」
「言われずとも」
ジェームズは老騎士に一礼した。
「鹿の紋に、祖霊たちに誓いましょう」
僕は彼女を裏切らない。
「……険悪だったあの人たちが……って」
素敵ねえ。
柔らかな声が、ジェームズを過去から呼び戻す。
「そうだろう?」
聞こえないとわかっていて、ジェームズはつぶやいた。
二人をみているだけで
僕も幸せなのさ。