――寝かせたほうがいいんだろうか
暑くもなく寒くもない、気持ちのよい秋の日。シリウスは嘆息した。図書館の一角――正確には隠し部屋だ。基調色は青。装飾はブロンズの鷲。棚には本が詰まっていて、ソファに机、椅子……と家具がそろっている。
「リーン」
囁いても返事はない。机に突っ伏している。黒髪が灯りを受けて青を帯びた。隠し部屋に男と二人。油断し過ぎだろうとあきれつつ、それだけ気を許しているわけか、と己を納得させようとする。
――そもそも
リーンが誰かと付き合うなんてありえなかった。ありえなかったはずの相手に、選ばれたのが自分なのだ。気を許している以上だろう。浮いた話のひとつもなかったし。
「リーン」
もう一度呼ぶ。だが反応なし。最高学年になってようやく時間をひねり出し、図書館でささやかな一時を過ごせると期待していたのだが。仕方がないので抱き起こし、ソファまで運ぶ。転がして、己のローブを脱いでかけてやった。我ながら甲斐甲斐しいではないか。叔父の教えである。諸々は我慢して尽くせ、と。なんせ最初が肝心だから。
「へえ」
リアイス家のリーン嬢とね。叔父の笑みが脳裏をよぎる。夏にふらりと訪ね、なにかの拍子にこぼしたのだ。いや「交際しているひとはいないのか」と直球を投げられ、打ち返したのだ。アルファード・ブラックにならば言っても構わなかった。シリウスと同じくはみ出し者であるし。そしてはみ出し者を支援するのが好きなのだ。シリウスとかアンドロメダとか。
「お前は同性愛者なのかと」
配慮もクソもない言動に、シリウスはフォークをぶん投げた。叔父はなんなく避けた。ああ、腹が立つ。と、と瀟洒な応接室の壁に、銀色が突き立って震えた。
「叔父さんぜんっぜんお前の浮いた話を聞かなかったもんだから」
「付き合い一つとっても面倒だろうが」
吐き捨てる。言ってはなんだがシリウスは成績はよいし純血で、滅びてしまえと思っている生家は上流階級だ。学生時代の「お遊び」程度ならば選びたい放題である。だが、シリウスは器用なほうではなかったし、容姿のよい女なんて見飽きていたし、ややこしいことは嫌いだった。誰が勝手に「シリウスに振られた」なんてほざく女どもを相手にしたいと思うのか。顔も名前も覚えがないのに。ひどい話だ。
「で、リーン嬢と」
「色々あって」
「高嶺の花が好みだったのか甥っ子よ」
「あー……」
いつの頃からか気にして、知らないうちに眼で追っていた。高嶺の花だからではない。魔法騎士の家系に生まれたくせに、スリザリンなんかに組分けられた裏切り者だと勝手に決めつけた。なにも知りもせずに。知ったような気になっていた。ほとんど八つ当たりだ。シリウスは、ブラックの血を恥じていたから。
「好みどうこうじゃなくて――」
「……惹かれてたんだよ」
安らかな寝息に耳を傾ける。至高の青は瞼に閉ざされて窺いしれない。叔父貴よ、図書館の仕掛けを教えてくれたのは感謝するが――まさか本を並び替えると通路が出現するなんて思わない――余計なお節介だ。過酷な路を往く女につき合えるのは己だけだ。彼女の隣は誰にも渡さない。
――ままならない
膝を突く。雪白の頬に触れた。心ゆくまで眠れた日が、いくつあったろうか。秘密を抱え、生きていかねばならない女。誕生を望まれなかった女。
全部がほしい、とシリウスは言った。己の『正体』を知られ、青ざめる女に。叩きつけるように。あるいは請うように。
心も身体も厄介ごとも全部。俺のものにすると。逃げようとしても捕まえる。ずっと独りで生きていくつもりかと。
「親の業なんて知るか。なんでお前が、」
お前ばかりが苦しむんだ!
気づけば吼えていた。腸が熱く、どこもかしこも燃えるようだった。ゴドリックの谷、ジェローム聖堂――墓地で女はひざまずいていた。撫でていたのは墓標のひとつ。刻まれた名はミスラ。女の父の名だった。帰省の特急を襲撃され、混乱がおさまり、ふらりとジェローム聖堂を訪ねた。ふと思い立って裏手に回って見つけてしまったのだ。影をひきずる女を。
「言っても恨まないわ」
そんなことをほざくものだから、頭のどこかが灼き切れた。俺がそんなやつだと思うのか。ふざけるな。みくびるな。離れようとするな逃げようとするな。衝動のままに呪文を唱えた。己に呪いを、束縛を打ち込んだ。秘密を漏らせば死ぬように。そうでもしないと女が離れていきそうだったから。たった独り、灯火もない闇のなかへと行ってしまうと感じたから。余人が見れば愚かとあざ笑うだろう。なにを命まで懸けているのかと。
「……お前のすべてを望むんだ」
俺も相応のものを懸けよう。
だから、俺を選べ。リーン。
衝動で走りすぎたな、と己を省みるが、それが性情なのだ。いまさら変えられない。押して押して押さないと手に入れられなかったろう。誰も巻き込みたくなくて、眼をはなせばどこへ逃げるかわからない女なのだから。
流れる黒髪を手に取る。するすると指の間を抜けていく。闇祓いになるであろう女。シリウスの半分は、眠りに沈んでいる。外の世界は嵐が吹き荒れている。だが、今だけはせめて。
「どうか」
幸いな夢でありますように。
囁いて、柔肌に唇をおとした。