「他を」
選ぶこともできたのにね。そうでしょう。
姉さん、と囁いてリーンは墓標を撫でる。眠っているのは姉だ。半分しか血が繋がっていない。それに、彼女が姉だとわかったのは、すべてが手遅れになってからだった。
――まともに
呼んでもあげられなかった。姉さん、と。冷たい雪の中で死なせてしまった。
「あなたなら、迷うこともなかったのかしら」
ホグワーツのはずれ、静かで寂しい場所はリーンと影たちだけ。
「あのひと、ほんとに……バカで」
向こう見ずで不器用で。ぽつぽつと呟いて膝を抱える。正体を知られてもう駄目だと思った。ジェームズたちは「君は君だ」と言ってくれたけれど、心のどこかには引け目があった。いいや負い目か。血筋など関係ないと切り捨てられればよかったのに。そうするにはあまりにも……身に流れる悪徳の血はどす黒い。誰も巻き添えにしたくなかった。リーン自身がどうであろうが、正体が明らかになればただでは済まない。よくて幽閉悪くて処刑だ。世間には愛も光もあるらしいが、それはリーンには向けられず得られない。慈悲もまた。
踏み込んで来られるわけがない。そう思っていたのに。張り巡らせた荊を軽々と打ち払い、迫ってきた男がいた。
「俺を選べ」
身も心もなにもかも、全部がほしい。彼は叩きつけるように言った。双眸に蒼い炎を宿して。駄目、と首を振った。そんなことは。だってそれは、片道切符だもの。奈落への。あなたは誰だって選べるし手に入れられるじゃないの。たいていのひとはうなずくはず。なにを……なにを、酔狂な。同情ならいらない。哀れみなどまっぴら。
ムカつくんだよ。リーンが言葉の矢を射かけても、彼はひるまなかった。ますます双眸をたぎらせる。熱いのに冷たい、冷たいのに熱い眼。
「いつまでお前は苦しめばいいんだ。親の業なんてもんのために!」
離れるな、逃げようとするな。俺はどこまでも追いかけて捕まえる。ああそうだともお前は逃げてばっかりだ。明るいところに背を向けて、幸せなんて諦めて。
「俺の手をとれ」
獰猛に唸り、彼は杖を振った。強力な呪いが織り上げられ、打ち込まれる――彼自身へと。束縛の呪い。最高位の呪いだった。
凍りついたように動けないリーンをよそに、彼は笑んだのだ。
「……お前のすべてを望むんだ」
俺も相応のものを懸けよう。
こともなげに秤の一方に心臓を乗せ、彼は言ったのだ……。
呪いを解除しようとしてもどうしようもなくて、父の墓前で追いつめられ、リーンはとうとう捕まったのだ。
物好きなひと。物好きだし、なんだかんだで我慢強い。図書館の隠し部屋で眼を覚まし……リーンを抱きしめて眠っている彼をみて唖然とした。すべてがほしいといいながら、慎重な男だ。
――それでも
心臓が早鐘を打ち、そっと彼の腕から抜け出し、気配を消して隠し部屋を抜け出したのだけど。
寝顔と伝わる熱と、かすかな香水のにおいを思い出し、顔が火照る。あれはだめだ本当にだめだ。どうしよう香りが混ざっていたら。昔はいたずらばかり、悪ふざけばかりの男だったくせに。押して押して押しまくったと思えば引いて。リーンは翻弄されっぱなしだ。
――離れなければならないのに
どうしてできないのだろう。魔が差して、額にくちづけてしまったではないか。唇へは、寝込みを襲うようでできなかった。
「シリウスが悪いのよ」
「誰が悪いだって?」
黄昏を刃が切り裂く。リーンはおそるおそる振り返った。紅と金のネクタイをゆるめ、両手をポケットに入れている。着崩しているのにだらしなさがない、無駄に似合っている男。
「逃げるなよ」
「あなたがよく寝ていたものだから」
少し涼みにきたのよ、と早口になってしまう。気持ちのよい秋の夕暮れ。涼むもなにもない。私はなにを言っているのか、と臍を噛む。調子が狂って仕方ない。
「……何度でも言うぞ」
逃げるな。激しい口調とは裏腹に、リーンの手首を優しく掴む。操り人形のように引き起こされた。
「耐えなくていい」
素直になれ。囁かれ、くちびるを噛む。いつからだろう、秤が壊れてしまったのは。傾いて戻らなくなったのは。全部この男のせい。リーンの、頑丈にかけたはずの鍵を、たやすく壊してしまう。喉が干上がる。なにも言えない。されるがままだ。
――私は
これほど流されやすかったのか。ふりほどいてしまえばいい。だけれども。
手を引かれるままに、歩き出す。森の香が濃くなって、緑陰に囲まれていた。長い指が、リーンのネクタイをほどいてしまう。
「お前の隣は誰にも譲らない。ジェームズにも」
なあリーン、灰の眼をした魔が囁く。耳が吐息に浸食される。いいや、なにもかもが黒に染められていくようだ。ぞくりと背筋が粟立つ。
紡がれる言の葉は毒のようだ。
厭なら厭と言え。そうでないのなら。
「俺は」
思うがままにする。
はらはらと緑と銀のネクタイが舞い――褥に臥せた。