――ユスティヌ一族の歴史は古く、遡ることおよそ千年前に興った家系だ……と、言われている。謎に包まれた一族であることは間違いがない。それは、彼らがホグワーツへ子女を送り込むことが稀であり、その高貴な青い血を尊ばれこそするが、その内実は伺い知れないのだ。
リーンも文献で名とその旗印――青地に咆哮する黄金の幻獣 ――を知っていただけで、実際にユスティヌの者を見るのがこれが初めてだった。
スリザリンの寮テーブルはまさに一人にために存在しているかのようだった。貴族階級の、誇り高い――誇りの見解の相違については今は置いておくとして――スリザリン生は次から次へと『彼女』の元へと馳せ参じている。恭しいその態度は、まさに忠誠を誓った騎士さながらであった。
静かに夕食を口に運びながらも、リーンは困惑を隠せなかった。むしろ、騎士はリアイスもといグリフィンドールが専ら得意とするものであるのであるが、これはどうしたことか。
「彼らはいつから魔法使いでなく、騎士になったのかしら、プリンス殿?」
セブルスの母方の姓で茶化せば、彼は苦笑していた。
「仕方ないだろう……あのユスティヌだぞ? 世俗的な権力はリアイスの方が上かもしれないが、家系の古さは折り紙つきだ。血に拘る僕らからすれば、ああいう態度にもなってしまうだろう」
「スリザリン的模範解答をどうもありがとう、セブ」
『僕ら』ね。残念ながら私はその中には入っていないわよ、と内心で友人の言葉を切り捨てつつ、リーンは彼女に目をやった。
髪は烏の濡れ羽色で、両目は暗い紅藤色。肌は白く、体格はどちらかといえば華奢だった。城に閉じ込められるように育てられた代わりに、上等な衣服と高等教育を受けて育ったリーンは、その少女の身に着けているローブの格高さに驚いた。
「絹ね。しかもご丁寧に刺繍までしてあるわ……糸ももちろん一流。しかも目立たないようにしてるから、嫌味なくらいお上品なこと」
呟くリーンを、セブルスが妙なものを見るような目つきで見ていることに気がついて「何?」と問いかけた。
「一緒にいるとたまに忘れそうになるが、お前は令嬢だったな、そういえば」
「別に四六時中忘れていてくれても結構よ。はみ出し者だもの。お高く留まった貴族より、平民のほうがその分余計なものを背負わなくて気楽じゃない。好きよ、そっちのほうが」
「だが、その分高度な教育を受けていて、成功の機会も多くある」
彼の言うことも一理あったので、頷いた。それでも、言い返した。
「その分失敗には寛大ではないわ。あなたも、よく知っているように」
リーンの諦念交じりの口調に潜んだものを汲み取ったのか、彼は小さく頷いた。
「くだらないことを訊いてしまったようだな」
女王様の『謁見』は続いているようだ。ホグワーツはいつから王城になったのかしら、と首を傾げつつも、そろそろ夕食は終盤に差し掛かっていた。 ちょうど、デザートに取り掛かったとき、レギュラスがリーンに隣に座った。
「スリザリンの女王様との謁見はいかがだったのかしら、獅子の騎士様?」
『獅子』と聞いて、レギュラスは困ったように眉を寄せた。彼の名は獅子座にちなんでいて、それ故にそう口にしたのだが、獅子はグリフィンドールの象徴でもあるので、どう対応したものやら決めかねているようだ。
結局彼はそのくだりを無視することに決めたらしい。疲れたように水を口にした。
「さすがに名門だけあって立ち居振る舞いに隙がありませんね。それより、グリフィンドールの目が突き刺さるようで、あまりいい気分ではありませんでしたけれど」
それはそうか、と納得した。今まさにこのテーブルは針の筵だった。グリフィンドール系名門の視線が情け容赦なく飛んでくるのである。リーンの一族であるネメシスも当然ながらユスティヌを捕捉しており、正直見ていて気持ちのいいものではなかった。
――ネメシスと同年だったかしら
確か、両者ともリーンより二つ年上のはずだ。つまり、グリフィンドールとスリザリンの合同授業で惨劇が起きる確率が跳ね上がった……ネメシスが、高貴なるユスティヌの存在を無視できるはずがない。
恐ろしい想像をなんとか振り払おうとしていたリーンは、靴音がこちらにやってくるのを捉え、顔を上げた。視線をついと滑らせて、その鮮やかな群青色の目を瞬かせた。
自身が怪しげな薬を飲んでいなければ――飲んでいるはずもないので、まぎれもない現実なのであるが――近づいてくるのは、誰あろうユスティヌの魔女だった。
――どうすればいいのかしら
騎士よろしく跪けと? 冗談ではない、とリーンの中にある勝気な部分が囁いた。
――誰が、スリザリンの筆頭に屈するものか。私は……リアイスだ。リアイスとリアイスの娘だ
軽やかに、だがしとやかに、彼女はリーンに向かってきた。ローブと同じような、艶やかな絹糸の髪と紅藤の目は洗練された雰囲気をかもしだしている。
「大方の人にはもう挨拶したのだけれど……貴女には、まだだったわね。私は、ウラニア・ユスティヌ」
礼儀を守って名乗られた以上、リーンも名乗らないわけにはいかなかった。
「リーン・リアイスと言います」
リアイスの名に、ウラニア・ユスティヌはさして驚かなかったようだ。だが、興味が彼女の目にひらめくのを、リーンは認めた。
「あなたが、例のリアイス令嬢なのね……けれども、貴女には余計に誇り高き獅子の血が流れているように思うわ」
そう言って、優美に微笑む彼女の笑みは心からのもののようにも、惑わしているようにも思えた。
異端のリアイスと正統なるスリザリンの会談には好奇の目がつきまとう。ユスティヌはぐるりと大広間を見渡した。まるで、剣で断ち切ったかのように、野次馬の視線が消失する。
『立ち居振る舞いに隙がありませんね』
いいえ、レギュラス、とリーンは答えた。
隙がないどころじゃないわ。このスリザリンは、視線一つで民をひれ伏せさせる女帝よ、と
ユスティヌが来るなんてね……リアイスが黙っちゃいないだろうな」
ジェームズは、談話室の暖炉の前の席に陣取るネメシスを見やる。今年四年生になる彼女の顔は険しかった。
「スリザリンの連中の浮かれようは見てられねえぜ」
グリフィンドールの四人は、宿題を片づけながらぽんぽんと会話を進める。学年で一二を争うほど頭のいいジェームズとシリウスは課題を苦もなくこなしていたが、半ば腰巾着のピーターは四苦八苦していて、リーマスに頼っていた。リーマスは教えるのが上手い。
教科書に下線を引いていた手を止めて、琥珀色の目で宙を見つめるリーマスは、ああ、とつぶやいた。
「ええと……"
それぞれグリフィンドール系とスリザリン系の名門に生まれた二人は頷いた。
「そうそう。魔法界を二分する大戦。よく聞かされた」
――その戦が起こったのは数百年前のことだと伝えられている
当時から魔法界で権勢を誇っていたグリフィンドール系純血名門・リアイス一族が、突如としてユスティヌ一族に宣戦布告されたのだ。
その時代の魔法界は――グリフィンドール側も、スリザリン側も――当然ながら資金力と人材に富むリアイス一族が本気を出すまでも無く勝つだろうと予測していた。名を馳せていたリアイスに正面切って戦を仕掛けるなどということは、愚の骨頂だと。
ユスティヌなどという、力のない一族に何ができるのかと。
しかし、予想とは違って、ユスティヌは他のスリザリン系純血名門と同盟を結ぶことに成功する――。
「……普通は俺の実家やマルフォイ家みたいな一族は、そんな新興貴族と手を結ぶことはありえない。いいや、捨て駒として利用しようとしたのならともかく――これが、本当に謎だが……ユスティヌの旗印の下に集った」
同盟という名の、統率だった。
「そう、ありえないわ」
彼らが声の方を見れば、リアイスの一員である、ネメシスが佇んでいた。鋭い菫の瞳でシリウスを見据えながら、呟くように口にする。
「仮に統率を取るならば、おそらくブラック家だったでしょう。当時の情勢ならば、それが当然だったはずよ。貴方達がたやすく統率されるなんてまずない」
「一括りにしないでくれ」
むっとしたように言い返したが、ネメシスは黙殺している。ジェームズは思い切って聞いてみた。
「ネメシス、あなたの一族にはどのように伝えられているんですか? そりゃポッター家だって参戦したけど、さほど細かいことまでは聞いたことが無い」
ネメシスはソファに腰を下ろした。話し出す前に、彼らの課題の間違いを指摘し、やっと口を開いた。
「史家によれば"紫薇戦争”はリアイスとユスティヌという一族同士の激突の形を取った、純血派とマグル擁護派の戦い――ひいてはスリザリン思想とグリフィンドール思想の戦いだったと言われているわ。それは間違ってはいないけれど、完璧な回答ではない」
彼女はシリウスとジェームズを横目で見ながら、断言した。
「……ユスティヌは、リアイスだけを執拗に殺戮しようとしたわ。他のグリフィンドール系なんて目もくれずに。二家に結果としてそれぞれの味方が集まっただけで、その本質はやはり、リアイスとユスティヌ一族の戦だったのよ。ユスティヌの異常なまでの憎悪は、力となってリアイスに迫った。三十年近く戦いは続いて、泥沼化した。ユスティヌは多くの一族を失っていたけれど、戦いを止めようとはしなかった」
「マグダラ家とクラウチ家の仲裁があるまで……」
「そうよ。リアイスは魔法界の荒廃なんて望んでいなかった。それでも戦を止めることはできなかった。ブラック家もマルフォイ家もユスティヌの暴走を止めることは不可能だった」
――ホグワーツの創設により、散り散りだった魔法族はある程度の統制が取れるようになった
安定した教育と、構築されていった魔法族の生活基盤は戦ができる余裕を生み出した。皮肉なことに戦によって数多の呪文が編み出され、魔法の技術は発展したものの、対価として魔法界の弱体化を招いた。
「リアイス一族の打診を受けて、ポッター一族が、そして、ユスティヌを除いた純血名門連合の総意を受けて、ブラック一族が、ハッフルパフ系名門のマグダラ一族、レイブンクロー系名門のクラウチ一族に調停者の役割を担うように打診した」
どちらにも属さぬ一族が最適だった。
「そして、黄昏の渓谷で講和が結ばれた。その象徴が棘の無い紫の薔薇。この戦は後世"紫薇戦争”として認知されることになり……ユスティヌは時折子女をホグワーツに送り込む以外は、表舞台から姿を消した」
ネメシスは大きく息を吐いて、グリフィンドールの寮旗を見上げた。
「ユスティヌは、リアイスにとって油断ならない敵なのよ」
◆
――ユスティヌの天下だわ
図書館の隅で、書物を開いているものの、内容は頭に入ってこない。入学当初からスリザリンの談話室には寄り付かないようにしていた。ほとんど皆が異端のリアイスに針のような視線を向けるからだった。
だが、今は――
「まるで、幽霊にでもなった気分だわ」
ウラニア・ユスティヌの登場で確かに、スリザリンは変わった。下心があるものも、無いものも、高貴なる青き血に注目している。彼らが目の敵にしているリアイスと戦をした英雄の末裔に。
孤立しているリーンを彼らは一顧だにしない。お陰で嫌がらせは鳴りを潜めたが。
「気に喰わないな、ユスティヌは」
誰かが、怒りのこもった声で吐き捨てていた。ぎくりとして身体を強張らせて、息を潜める。きっと、他寮の生徒だろう。
「あの女王様、調子に乗って、偉そうに……リアイスも今は黙ってみているし」
「それを言えばスリザリンのリアイスだって目障りだ。今の今までリアイスはスリザリンなんかに行かなかったのに……! 血に対する裏切りだ」
「そうとも。僕はリアイスを姻戚に持っているが、これで話が家にまで影響が出たら」
急いで本を棚に戻して、課題を集めて、こっそりとその場を後にする。スラグホーン先生の課題を片付けている場合ではない。図書館にいくつかある出入り口の一つを使って外に出る。夕方で人気は少ない。
――ネフティスのところまで行ければ
あるいは、いくつかある隠し部屋まで行くことができれば、リーンの身の安全は確保できる。問題は、それらが比較的グリフィンドール寮に近い位置にあることだ。
きっと、先祖も自分の血脈からスリザリン生が出るなんて思っていなかったのだろう。
――せめて、セブと一緒にいれば
一人ぼっちのこの状況はいかにも拙い。自寮にもできる限り行きたくないが――問題は、スリザリン生かグリフィンドール生の過激派に出会ってしまうことだ。
授業は終わって、夕食前のぽっかりと空いた時間は、出歩いている生徒もそれなりにいる。出入りが多くて人ごみに紛れられる時間よりも、今のほうが危ない。
「……お困りのようね、獅子の子」
廊下の隅で逡巡していたリーンは、ぱっと顔を上げた。夕日の色に輝くゆらゆらとした影は、レイブンクローの寮付きゴーストだ。
「灰色のレディ。ごきげんよう」
優美な令嬢は、じっとリーンを見下ろした。彼女には全てが分かっているようだ。ほう、と吐息を漏らした。
「中庸を取らず極端に走るのが獅子と蛇とは言え……なんとも嘆かわしい」
すっと壁を示す。
「そこの壁を杖で三度叩きなさいな。玄関ホールの近くの廊下に繋がっています。大広間に逃げ込みなさい。さしもの愚か者どもも、教員の前では手出しをしないでしょう……できれば、途上で他の三寮のゴーストの誰かを見つけて、付いてもらいなさい。確実なのは、あの忌々しい血みどろ男爵。次善がグリフィンドールのゴーストです。さあ、お行き」
促され、礼を言って、出現させた通路に飛び込んだ。微かに埃っぽい路を急ぎ足で進んで、そろりと滑り出る。
――大広間に行くことができれば
廊下を進んで、角を曲がれば玄関ホール。そうすれば――
「……おい、見ろよ。リーン・リアイスだぜ」
悪意の滴る声に、凍りついたように動きを止めた。ぎこちない動きで振り向いた。ネクタイの色は、緑と銀ではない――赤と金。
――リーンがつけるはずだった色の、ネクタイ
「都合がいいな。こんな廊下で、一人だ」
「リアイスのお嬢さんがお供もつけずに、一人だぜ」
けらけらと彼らは笑う。爛々と輝く目は、リーンに固定されている。背を見せて走るなど論外だ。逃げ切れない。味方は誰もいなくて、相手は複数な上に上級生で、体格のいい少年達だ。
図書館でユスティヌを罵っていた連中だろう。
彼らはあっという間に距離を詰めてきた。取り囲まれて、追い詰められる。
「ペトリ――」
「エクスペリアームス!!」
相手が唱えるよりも早く、リーンは武装解除呪文を完成させ、杖を弾き飛ばした。けれども、それだけだった。グリフィンドールの一人に腕を痛いほど掴まれて、杖をもぎ取られた。 壁に身体を押し付けられ、背が痛んだ。
「お前、実家から勘当されたんだって? 出来損ないを処分すれば、リアイス家はさぞかし喜ぶだろうよ」
いいぞ、と囃し立てる声がする。産毛が残らず逆立った。御伽噺に聞く、悪鬼のような形相を彼らはしていて、何をしてもおかしくないような奇妙な熱っぽさがあった。
「あいにくね。あなたたちが処分するよりも、あの人たちのほうがよほど、自らの手で私を処分したいはずよ……他人の家の事情に口を出すなんて、よほど暇なのね」
嫌味が口をついて出る。直後、頬に衝撃がはしって、思わず片手で押さえようとしたが、両手とも拘束されていて、それはかなわなかった。引っ張られ、廊下に転んだ。とっさに手を突いたが、両膝はひどく擦りむけてしまって、じくじくと痛む。
――これが、祖先が作った、正義と勇気を重んじる寮の生徒だというの
声を出そうとしてもできなかった。誰かが呪文を放とうとした隙に、素早く肘鉄を食らわせて、杖を奪い取る。一人、倒したが、髪を掴まれて引き倒された。
堪えきれずうめき声が漏れる。ひゅっと杖を振る音がする。鋭い音がして、頭が軽くなった。はらはらと、黒いものが舞う。
――髪が
父が長い髪が好きだと言っていたので、懸命に伸ばしていたそれが、惨く、乱暴に断ち切られてしまった。
どこもかしこも痛くて、身体を丸める。
――なんでもいいから早く行って。私になんか構わないで
「リーン!!」
「おい、あんた達何してんだ!!」
声が聞こえる。足音も。いくつも――。
「――愚劣なグリフィンドールどもだこと。どきなさい!」
少女の、声。高く響く靴音。振られる杖の音まで聞こえるよう。
「リーン! ああ、なんだってこんな……」
悲鳴に近い声がして、瞑っていた目を開けた。憤激に揺れるハシバミ色の目があった。
「ジェームズ……」
慎重に身体を起こされ、誰かのローブを掛けられた。
「着とけ。ボロボロだぞ、お前」
見上げれば、シリウス・ブラックがそこにいた。顔をしかめながら、昏倒した寮生達を蹴り付けている。リーマスも、素早く自寮の生徒を拘束していた。
「なんで――」
「君が大広間にいなくて、スネイプがいたから……それで、」
「貴女は目を付けられやすいと色々と情報が入っていたから、念のために探していたのよ」
グリフィンドール達を情け容赦なく吹っ飛ばしたのは、誰あろうウラニア・ユスティヌだった。
紅藤色の目を怜悧に光らせて、足早にやってくる女生徒に唇を吊り上げてみせる。
「グリフィンドール生の質はこれほど悪いのかしら? 私を目の敵にするのは結構だけれど、まずは内部の綱紀粛正をしたらいかが、ネメシス・リアイス」
ネメシスは今にも射殺さんばかりにユスティヌを睨んだ後、さらに怒りに燃えた眼差しで、倒れている襲撃犯たちを睨みつけ、杖を抜いた。
「ちょ、待った! ネメシス、先生も来る。落ち着いて!」
呆然としているうちに、どんどん人が増える。怒れるネメシスを留めたのは、リーマスだった。必死の形相でネメシスの腕を掴み、制止している。
リアイス! と誰かが叫んで走ってくる。セブルスと――マクゴナガル、スラグホーンだ。
二人の寮監はさっと状況を検分するや、そろって唇を真一文字に結んだ。普段怒りをあらわにしないスラグホーンは、その時は珍しく鬼のような形相だった。
「聞くまでも無く、どちらが悪いかは分かる。リーン、君は医務室に行きなさい。セブルス、よく知らせてくれた……君は大広間に戻りなさい」
「ポッター、ブラック、リアイスを……医務室に」
二人に付き添われて医務室に行けば、マダム・ポンフリーは痛ましげな顔をした。昨年も小さな切り傷や痣を治療してもらっていたが、今回はなおいっそう、同情的だった。丁寧にあちこちにある傷を治療してくれて、髪も元通りに伸ばそうとしてくれたが、リーンは断った。
「しばらく、入院なさい。酷い顔をしています」
こればかりは固辞しても駄目で、寝台に寝かしつけられた。
「駆けつけるのが遅れて、ごめん」
ジェームズは俯いていた。こんなに落ち込んでいる幼馴染は珍しい。今日は、珍しいことだらけだ。
「いいの。来てくれただけでうれしいから……」
「お前、一人で出歩くな。あの陰険スニベルスとでもいいから、固まっとけ」
ぶっきらぼうに言うブラックは顔をしかめたままだった。意外と、心配してくれているらしい。小さく頷いたものの、内心ではそんなことは無理だということも悟っていた。
二日、リーンは入院した。怪我をしただけで、病気でもなんでもないので暇をもてあまして、セブルスに頼んで魔法薬学の本を持ってきてもらって、課題を仕上げた。
その間にグリフィンドール生の凶行の一件は城中に広まった。マクゴナガルは自寮の生徒の乱行に怒り狂い、グリフィンドールから二百点も得点を引いた上に、罰則を科したのだという。
「それで、さすがに“獅子公”が怒ったらしくて、あの連中の家との交易を断絶したのですって。リアイスから断絶を突きつけたわけではないわ……巧みに、あちらから交易を断らせた、とのことよ。さすがね」
この日はなぜかウラニア・ユスティヌが見舞いに来ていた。お供がいるのかと思えば、まったくの単独で、だ。
「ああ。近づいてくる馬鹿な輩は残らず排除したわ。大体、取り入ろうとしても、無駄なのよ――ユスティヌはそれほど力があるわけではないの。昔と違って」
存外ユスティヌは砕けていた――リアイスにこのように接するなど、ありえていいのだろうか。
「あの、ありがとう。あのとき、来てくれなかったら……もっと酷いことになっていたかもしれない」
葛藤の後になんとか感謝の言葉を口にすれば、彼女はにこりとした。
「いいのよ。よってたかって弱いものいじめをするあの人たちが悪いのだから」
串に刺した林檎を差し出され、おずおずと口にした。甘酸っぱい香りが広がって、肩から力が抜ける。
この人のほうがよほど、大丈夫そうだ。
林檎をいくつか小机において帰る間際に、ああ、とユスティヌは呟いた。
「……もうすぐ、満月ね。貴女の人狼のお友達は大丈夫かしら?」
息を、止めた。唇を戦慄かせ、ユスティヌを見る。彼女は強い口調で言い切った。
「気づいているのでしょう? 私だってユスティヌの端くれ。分かるわよ、人間でないものは」
「他の生徒に――」
「言わないわよ。言ってもなんの利益もないし、暇でもないのだから。けれど、気をつけなさいなリアイス。貴女の父親は、人狼に殺されたのでしょう? 同じ轍を踏まないことね」
そして、ユスティヌは音も無く消えた。それとも、リーンが聞き逃していただけだったのか。 心臓が暴れている。震える手を握り締め、気を落ち着かせた。
――本当に、あなどれない
気を紛らわせるように、ブラックから拝借したままのローブを丁寧にたたんで、小机に置いた。返しに行きたいが、グリフィンドール寮にとてもではないが近づけない。鬼門だ。
――ジェームズが来た時に、託せばいいわ
疲れ果てて、ベッドに横たわった。リーマスが人狼であるということは、気づいていた。けれど、きっとジェームズはまだ気づいてはいないだろう。
――リーマスが隠し通せればいいのだけど
目を瞑る。眠気が静かにやってきて、闇に閉ざされた。
そして、再び目を開けて小机を見れば、ローブと、林檎が少しなくなっていて、代わりのようにハニーデュークスの菓子が置かれていた。