【完結】黄昏の輪舞   作:扇架

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六話

――白と紅のコントラストがひどく場違いだ

 散らばる白金の髪も血でまだらに染まっている。手は硬く杖を握り締めたまま。見開かれた眼は群青。彼女とは対極の色合い。

「……すぐ戻れ。追手が来よう――まあ、お前一人で返り討ちにしても構わんが、ユスティヌ」

 帝王はにぃっと笑い、闇の渦の中に掻き消えた。

 ユスティヌと呼ばれた彼女――ウラニア・ユスティヌは一人取り残される。空を雲が覆い、止んでいたはずの雪がまた降り始めた。はらはらと遺体に降り積もっていく。

 ウラニアはアリアドネ・リアイスだったものの側に跪いた。あちこち傷だらけの、氷の心臓を持つ魔女と恐れられた女をじっと見下ろす。

「これで、リアイスの一角が崩れた」

 凄まじい腕前だった。そしてこの女はリアイスの頂点に立っていた。かの一族の動揺を誘うことは充分にできる。敵方に穴を穿つことができた、なんともいえない快感。しかし、ウラニアの眉間には軽く皺が寄せられていた。魔女の顔に落ちかかる髪を払い、その相貌に走った傷を呪文で消してしまう。最後に瞼を閉じてやれば、眠っているように見えた。無数の傷さえなければ。

――どう動くかしら

 次の当主は恐らく、リーン・リアイス。闇の帝王が執着する少女。あの争いごとを好まない少女は怒るのだろうか。

「……あなたが何を思おうと、私は私の為すべきことを」

 立ち上がり、膝の雪をはたく。

「私はユスティヌ。最後の、恨みの血を継ぐ者」

 ほんの少しあの少女が哀れだが、仕方のないことだ。

――帝王からは誰も逃げられない

 

 

――喪の色を纏った魔法使い達がずらりと並んでいる

 リーンもその色を纏いながら、しずしずと運ばれてくる棺を淡々と見つめていた。あの中には母が眠っている。綺麗に死に化粧が施され、グリフィンドールたる赤と金の衣を着せられた魔女が。

――やっと父様のところへ行けるのだわ

 周りからすすり泣きや押し殺したようなうめき声が聞こえてきても、リーンには全てが他人事のように感じられる。闇への復讐を囁くもの、人狼の殲滅を誓うもの、それぞれは『リアイスの本家当主』が死んだという事象に、己の中のリアイスという家名に傷がつけられたことに怒り狂っているだけで、アリアドネ・リアイスという一個人が消えてしまったことへの怒りはないようだった。

――こんなものなのだ

 口元が歪む。一族の頂点に君臨した魔女は、畏れられ、死んだ後に心から涙を流してくれる者は数少ない。もっとも、本人もそれはわかっていただろうが。

 ひどく白けた気分で白い花を一輪掬い取るようにして手にした。直系の娘――たとえスリザリンに組み分けされていても――が棺に花を手向けなければ、一族は後に続くことができない。

 幸い顔に垂らした漆黒の紗のお陰で実の娘の皮肉気な顔は隠せているようだ。リーンは白い花を棺に手向けた。ちらっと母の顔をみたがそれだけだった。

――自業自得だわ

 紗があって本当に幸いだ。リーンのこの醜い表情も綺麗に隠してくれるのだから。

 一族が白い花を手に棺に進んでいく。黒と白のコントラストもあいまって、闇の中に星が瞬いているようだった。リーンはその群れの中に、ゴールデン・オレンジの星を見つけた。かすかに紗が揺れる。

――あの『影』

 リーンを殺そうとした暗殺者が、堂々と花を手向けている。『影』はリーンの視線に気づいたのか、すいと目を滑らせ、周囲には分からない程度に微笑んだ。どうせ貴女には何もできないとでもいいたげに。

 リーンは側にいた従兄弟の喪服を少し引っ張った。彼の険しい顔がわずかに和らぐ。

「どうしたんだい?」

 つい先日ステータントの家督を継いだ従兄弟は、軽く膝を折った。リーンはゴールデン・オレンジの眼を持つ『影』を示す。

「あの人は誰かしら? 見かけない顔だわ」

 ああ、と従兄弟は声を漏らす。

「イルシオン。第四分家のイルシオンさ」

 そう、と呟いてイルシオンの顔を眼に焼き付けた。

 

 慌しく一連の儀式が終わり、アリアドネ・リアイスは無事に土の下に埋められた。母の遺産は何の滞りもなく娘であるリーンに引き継がれ、グリンゴッツの金庫の鍵が二つ三つ増えた。だが、資産は簡単に受け継ぐことができても、家督はそうではない。

 パッサントからドーマントまでのリアイス七家による会議が今夜も開かれているはずだった。リーンはめでたくパッサント城に軟禁状態だ。

――本家当主の座が空いた

 さて誰が当主になるのかしら、とリーンはぼんやりと考えた。自身がそうなる可能性はこれっぽっちも考えない。系譜から抹消されていないだけましだが、本家を追い出された時点でランパントの称号を受け継ぐ可能性は半分無くなった。

「……子どもをつくっていてくれればいいものを」

「いやはやまったく」

 あるはずのない返答に心底ぎょっとして振り向いた。何食わぬ顔で入り込み、椅子に腰掛けているのは第四分家のイルシオン・リアイス――。

 リーンはどこから入ってきたとか、何をしにきたとかは聞かなかった。代わりに大きくため息をついて、謎の侵入者を見やった。じっとりと冷や汗が滲む。しかし、リーンが焦ろうが、逃げ出そうとしようが、抵抗しようが、イルシオンは易々とリーンの首を刎ねるくらいはしてのけるだろう。あがいても無駄だった。それに、今日はそういった用件ではないようだった。なので、リーンは水を向けてみた。

「お茶でもいかがかしら」

「毒入りでなければ」

――生ける屍の水薬をぶちこんでやろうかしら

 物騒な方向へ行こうとする思考をなんとか制御して、リーンは紅茶を入れた。ちくりと嫌味を言ってやる。

「婦女子の部屋を訪ねるのに、何の茶菓子もないのかしら」

 婦女子、の一言にイルシオンは片眉を上げた。小さく笑い声を漏らす。

「これは失礼。今度はハニーデュークスの菓子でも持ってまいりましょう」

 菓子はありませんが、情報はありますよとイルシオンは言う。

「本家当主の座はしばらく空席のまま。一族を取りまとめるのは"獅子公"ということで結論がでました」

 今度はリーンが片眉を上げる番だった。

「……ラキシスやドライアドではなく? 彼らの子どもたちでも、 シージャントの兄弟でもなく?」

「貴女まで死んでいれば話は違っていたかもしれませんがね。先代の娘の貴女がいる今、さしもの一族も傍流の当主を立てるわけにはいかない……というのが表向き」

 くつ、とイルシオンが笑う。

「ステータントやパッサント、シージャントに権を移行したくない、操りやすそうな娘をじっくり陥落させたい、というのが本当の理由でしょうね」

 リーンの眼がすっと細まる。イルシオンにつられてか、ひどく冷たい笑みが浮かぶ。

「くだらない理由ね」

「世の中はそんなものですよ」

 紅茶をすする。気に入ったのか、飲むペースが幾分か速い。

「あなたも私に取り入りたい人なのかしら?」

「いいえ、私は暇なのでね。何せこちらに仕事を山積みにしてくれたランパント様が死んだもので……久々ですよ、こんなに羽根を伸ばすのは――貴女が吉か凶か見極めるだけですよ」

 後半、さらりと放たれた一言に、リーンの手が止まった。母が死んだあの晩遭遇した時は只の暗殺者だと思ったのだが。

「あなたは何者、イルシオン?」

「汚れ仕事をこなすただのリアイスと言いたいところですが……一度殺されかかったというのに、茶まで淹れてくれるお嬢さんの度胸に敬意を表すとしましょうか」

 イルシオンが音もなくカップを置いた。

「私は“九番目を消す者”ですよ、リーン・リアイス」

 秘め事を囁くように口にして、暗殺者は霧が吹き散らされるかのように跡形も無く姿を消した。  空になったカップだけを残して、忽然と。

 

 人が一人消えたぐらいでは世界は止まらない。波紋は生じても、それはすぐおさまってしまう。たとえグリフィンドールの直系であり、闇祓いの長であった人物が死んだとしても。

 冬が過ぎ、春がやってきて、夏になった。二学年の課程を全て終えたリーンは、本家の城のなかを動き回っていた。先代のランパントが崩御して数ヶ月。もはや彼女の存在はない。影すらも。

――死んだ後に通うというのも、妙な話だわ

 城には静寂だけが満ちている。およそ九百年の歴史を重ねてきたにしては、幽霊は誰一人としていない。ホグワーツには沢山の幽霊がいるというのに、本家や分家には誰もいないのである。リーンは灰色のレディを思い出した。レイブンクローの娘である、あの誇り高い婦人を。

――彼女にとっても、ホグワーツが故郷だったのかしら

黄昏の渓谷こそがレイブンクローの出生地であったはずだ。だが魂魄はホグワーツを選び、留まった。

 リーンは階段をのぼる。手すりにはグリフィンや不死鳥、一角獣などの幻獣が彫刻されている。蛇がいないのを除けば、ホグワーツとそっくりだった。タンタンタン、とリズムよく、どんどん上階へのぼる。この城にいてもリーンは構わないのだ。咎める者は死んだ。そして、城自体はリーンを拒んでいない。

 人間と違って建造物には感情が入らない。リーンがグリフィンドールの直系か否か、リアイスに敵意を抱いていないかで全てを判断する。条件さえ満たせばいいのだから楽と言えば楽ではある。

 先代の部屋の扉はあっさりと開いた。深紅の絨毯、猫脚の優美な机。書棚には本がぎっしり詰まっている。雰囲気は父の部屋と通じるものがある。綺麗に片付いている、静かな部屋。

 死者の私的な空間に立ち入ることはためらわれたものの、生前の先代と親しかったどころか絶望的な溝があったので、見えない膜を突き破るのも比較的たやすかった。一歩、二歩と踏み出して空っぽの場所へと飛び込んだ。書棚に向かい、背表紙に眼を滑らせ、分厚いファイルを見つけ出した。振り分けられた名は簡潔だ。『闇の陣営』。

 指先を引っ掛けるようにして、ファイルを取り出す。ずしりと重い。二つ穴が開けられ、紐で綴じられた紙は黄色味がかっている。椅子を杖で呼び寄せて、座る。足が宙でぶらぶらと揺れる。  膝にファイルを乗せ、ぱらりと開いた。

「ヴォルデモート……」

 先代を殺した可能性が高い人物にして、この戦争の黒幕。アリアドネ・リアイスが殺されたことによって、ようやく戦争にも名がつきそうだった。

――"第二次紫薇戦争"

 今回の主力はユスティヌではないものの、スリザリン派とグリフィンドール派の戦いである点は変わらない。リアイスが狙い打ちにされている点も。ため息をついて、意識を書面に戻す。

 ヴォルデモート。本名トム・マールヴォロ・リドル。スリザリン寮出身。非常に狡猾であり、上手く他人を操ることを得意とする。卓越した魔力と、特殊能力である蛇語を操る。古代の魔術にも通じており、新しい術式の開発も手がけている模様。

 リーンは眼を見開いた。

「蛇語遣いですって?」

 口元を手で覆う。どくどくと心臓が暴れている。蛇語――蛇の言葉を理解し、話す者。その能力を持つということは、すなわち。

「スリザリンの、末裔」

 生きていた。スリザリンの末裔が――グリフィンドールがホグワーツを追放しても、生き延びていたのだ。

 手のひらに汗が滲む。ファイルを一旦置いて、古びた『純血一族概論』を引っ張り出した。軽く埃をはたいて、後ろの索引に目を通す。リドルという名は無い。

――では、純血ではない?

 ファイルに意識を戻し、そこに祖父・マールヴォロ・ゴーントという記述を見つけ出し、概論で拾い出す。ゴーントはあった。

「魔法界においても古くからある名門。ゴーント家の者同士での近親婚を行う超純血主義。魔力の強い魔法使いを輩出する一方、それを凌ぐ数の異常者を輩出していた。19××年にマールヴォロ・ゴーントおよびモーフィン・ゴーントの死亡により断絶。蛇語使いの家系であり、ゴーント家はサラザール・スリザリンの末裔である……」

 家系図を見る。マールヴォロ・ゴーントの下にあるのがモーフィン・ゴーントとメローピー・ゴーント。ヴォルデモートの本名が本当にトム・リドルだとすれば、姓は父のものを継いだことになる。

「母親がメローピー?」

 リアイスのように男でも女でも長子が当主となれるような家系でないとすれば、姓がゴーントでない理由はそうとしか思えない。仮にモーフィンが父であるとすれば、ゴーントの名を堂々と名乗っていただろうから。

 頁をめくると、新聞記事の切り抜きが丁寧に貼ってあった。何十年も前の、古いものだ。『惨劇! リドルの館!!』と題字が仰々しく躍っている。

 リドル夫妻とその一人息子であるトムが死んだというものだ。トム、と呟いた。トム・リドル。ヴォルデモートと同じ名前。先代がどうしてマグルの新聞の切り抜きを保存しておいたのかがなんとなく分かった。

「死体には毒殺、刺殺、射殺、絞殺、窒息の痕は何一つなかった」

 マグルの医者とやらは本当に苦労しただろう。彼らは心臓を止められたのだ――マグルが知らない、魔法という力によって。先代の字で小さく『ヴォルでモートによる犯行』と記述されているのだから確実だろう。リーンは震えた。

――帝王は

「自分の傷を全て消したんだわ……」

 自らの存在を貶めるもの、下賤と厭うマグルの血を。そして、マグルの弾圧に乗り出した。

 リーンは『敵』の情報を頭に叩き込んだ。相手はリアイスを憎んでいる。ならば、備えなければならない。

――父や母のように殺されたくなければ

 

 休みは何時の間にか明けていた。そう感じるのも無理はなかった。脱狼薬の研究や先代のファイルに目を通すのに忙しかったからだ。

 九月一日。いつもと変わらないキングズ・クロス駅。

「見送りだけとはいえ、あなたが私の警護なんてどういう風の吹き回しかしら」

 私なんかを守るより、叔父上や従兄弟たちを警護すればいかが? といっても第四分家出身のイルシオンは微笑むだけだった。

「暇なんですよ。とんでもなくね」

 何か標的を教えてくださればすぐにでも狩りに行きますが、と返され首を振った。

「私はランパントではないのよ。だから権限もないはずよ」

「基準は私が気に入るか気に入らないか。ランパントであるか否かは関係ありません……いえ、私がランパントにまで押し上げるだけ」

 囁かれた最後の一言に呼吸が止まった。そろりと視線を上げれば、ゴールデン・オレンジの眼が怪しげに煌いている。遠くで見る分には綺麗だが、近くに寄れば焼き焦がされる、業火の色。

「"九番目を消す者"は折々にそれをやってきた」

 邪魔者を排除するのは得意なんです、と影は笑む。イルシオンが暗殺者だと誰が思うだろうか。この、繊細そうな見た目を持つ者を。細々と情報を集めれば、イルシオンがリーンの見送りに抜擢されたのもいわば左遷のようなものらしい。嫌な仕事の押し付け合いだ。猫好きで、たいして戦闘能力も無く、学生時代の成績もぱっとしなくて、仕事だってそこそこ。趣味はマグルの美術館めぐりなんてくだらないものに熱を上げている――と思われている、昼行灯に。

――最強の切り札を手に入れたようなものだわ

 表の切り札が祖父のアシュタルテ翁だとすれば、裏の切り札はイルシオンだ。表はうかつに動けない、または動かせない。彼には一族内の勢力図を安定させるという調整役としての役目がある。裏のイルシオンはあまりにも危険すぎるので動かしたくない。

――切れすぎる刀か、それとも祟りがありそうな呪われた『宿命の杖』のようなものじゃないの

 心底うんざりした。イルシオンはやるといったらやるだろう。リーンに敵対する一族をそうとは分からないように綺麗に排除してしまうに違いない。そして、先代とは違ってリーンはこの暗殺者を使いこなす自信は皆無だった。

「物騒なことを考えなくていいから、適当に表向きの仕事をして、昼行灯と思われておいて頂戴。一族の内部を探ってくれれば充分よ。今のところは」

 運んでくれたトランクを礼を言って受け取り、ホグワーツ特急に乗り込む刹那、笑顔が爽やかな暗殺者にぽつりと告げた。

「もし大英博物館とか、NYのメトロポリタン美術館に行ったら画集を買ってきて頂戴。私もマグルの芸術には興味があるわ」

 貼り付けた笑顔が、ちょっと固まった。まじまじとリーンを観察し、暗殺者は仰せのままに、と呟いて恭しく一礼した。

 

「チェック・メイト」

 すらりとした指が、駒から離れる。灰色の眼は、呆れたように親友であるジェームズを映していた。彼は口をへの字に曲げ、大きくため息をついている。

「いやあ、今日は全然だ」

「集中してないの丸分かりだ」

 シリウスは思わず返す。チェスは先を読む能力もさることながら、集中がものを言う。いつもならばシリウスとジェームズの勝負は互角で、対戦は長引くのだが今回はあっという間にけりがついた。親友が集中できない理由は明らかだ。

「……特急の中で会えなくても、ホグワーツで会えるだろう? カリカリするなよ、兄弟」

 リーン・リアイスのことを指して言い、さらに続けた。

「レストレンジも卒業したことだし……」

 ロドルファス・レストレンジ。純血名門レストレンジ家の長子。昨年はリアイスにちょっかいをかけてきたのでよく覚えている。それでなくとも、シリウスはレストレンジを頭の片隅に留めておくだけの理由はあった。

「君の義従兄になるんだろ、確か」

 読んでいた本をぱたんと閉じ、リーマスが口を挟む。ルーピン家は純血家系で、家格はそこそこ。中流であるが故にこの不穏な情勢の中でも眼を開き、耳を澄ませ、あらゆる情報を手に入れようと神経を尖らせている。ああ、とシリウスは頷いた。

――あのいけ好かない男が、いけすかない従姉と結婚か

 苦々しいことこの上ない。アンドロメダは公平に物事を見る良き姉貴分で、ナルシッサも気に食わないといえば気に食わないが「標準的な純血主義」のお嬢様なだけマシだ。問題は長姉のベラトリックス・ブラックで、彼女は純血家系の負の部分を凝縮させたかのように、高飛車で、無駄に頑固であり、マグルや血を裏切る者を侮蔑する。

 素晴らしい純血結婚をすることで、ブラック分家の当主はいたく満足するだろうが、シリウスにとってはたまったものではない。

「俺のクズな親戚なんてどうだっていいさ」

 そうだな、と視線を彷徨わせた。リーマスと眼が合う。彼の琥珀の眸は物憂げだった。

「――レストレンジが消えたにしろ、彼の配下がまだいるだろう。少し、良くない流れだ」

 スリザリンの内部情報は断片的にだが仕入れてはいる。派閥のようなものが形成されているのは確かであり、レストレンジ一派は勢いがあった。

 シリウスは白の女王をかつんと弾いた。スリザリンは良く分からないところがある。

――ユスティヌがどう出るか

 謎の一族。歴史の表舞台に姿を現した戦上手。リアイスを助けたあの行動も、計算の内なのか否か。帝王の側についているのなら、厄介である。逆に帝王とユスティヌが覇権を競っているのならば好都合なのだが。

「僕はどっちかっていうとグリフィンドールのほうが嫌な感じだと思う」

 細い声に、伏せていた面を上げた。ピーター・ペティグリューが窓の外を眺めていた顔を、こちらに向けていた。

 シリウス、ジェームズ、リーマスから一斉に注目され、彼は緊張した面持ちでおずおずと口を開く。

「彼女のお母さん、しばらく前に亡くなったでしょう? このコンパートメントに来る間にも、みんな『正面から立ち向かうからだ、ざまあみろ』とか『あの人はやりすぎだったんだ』とか、清々したって感じで話してるのを聞いたよ……グリフィンドールの上流だけじゃなくて、中流も、その下もね。何ヶ月も経っているのに、未だにそれを持ち出して、侮辱している」

 彼は怯えているようだった。ぎゅっと両手を握り締め、唇を噛み締めている。自分の恐怖をごまかすように。

「いままで、無かったことだよ。リアイスを軽んじるなんてことは」

――魔法界に君臨する彼らを、とピーターは付け加えた

 

「……うんざりだわ」

 トランクを転がしながら、リーンは小さく息を吐いた。コンパートメントの扉から、ちらちらとこちらを伺うのはグリフィンドール生ばかりな気がする。

――彼女はタカ派だったんだ。殺されるのも仕方ないさ

――やはり『あの人』が?

――だが、その場にはフェンリール・グレイバックもいたらしいぞ。局長は咬み裂かれていたって

 嬉々とした声だ。本人達にその自覚があるのか、ないのか。あるのであれば滴るような悪意を感じ、無いのであれば鈍感で、質が悪い。

 彼らにとってリアイスに降りかかった騒乱はまたとない祭典でしかない。

「……屈折していますね」

 幅の広い通路を共にするレギュラス・ブラックはそう言って僅かに頬の筋肉を動かした。笑ったのか、それとも顔をしかめたのか、よく分からない表情だった。

 問うように見れば、彼はくいっと口端を吊り上げる。

 ブラック家に属する僕が言うのも妙な話なんですけどね、と彼は前置きをして続けた。

「貴族階級――それも最上位――に対する怨念のようなものを感じますね。闇の勢力と先陣切って戦っているのは間違いなくリアイスです。それを魔法界はよく知っている……」

「地位も名誉もあって、おまけに戦場で華々しく戦って良いご身分だとでも思っているのかしらね、彼らは」

 胸の奥に冷えた何かが凝る。言葉に棘が混ざらぬように、務めて抑えた声を出した。

「そんなものですよ。憧れは嫉妬の裏返しです」

 レギュラスの声は乾いている。兄と同じ灰色の眼はどこか遠くを眺めていた。

――どこを見ているのかしら

 ふと、リーンはそんなことを思った。そしてブラックという名の重さを胸の内で量る。

 魔法界でもリアイスと対を為すといっても過言ではない、純血名門。その血の高貴さではユスティヌに劣ろうが、歴史の影に息をひそめるような彼らとは違い、ブラックはしばしば表に姿を現し、その力を振るってきた。あまりに沢山の時が降り積もり、その重さは子孫の心身を押しつぶす。

 リアイスと同じだわ、と苦く笑う。同族同士の婚姻を推奨し、血の純潔を誇り、連綿と続いてきた黄金のグリフィンの紅き血を尊ぶ。名を守ることに腐心し、意に染まぬ者を激しく弾圧する。

――同じコインの表と裏だ

 きゅっと手のひらを握り締めた。母とは最後まで溝を埋められなかった。その死も別段哀しいとは思わなかった。ただただ、闇を滅ぼそうと、黄金のグリフィンの誇りという幻想、我こそが正義であるという狂気に振り回された挙句に殺され、そうして同じ側である反スリザリンの魔法使いたちにまで貶められる彼女が、今初めて哀れに思えた。

 段々と狂いながら、闇に牙を剥いた彼女の立ち位置は、純血派と変わらなかったのだから。

 歩みを早めても、祭りに浮かれる学生たちの、奇妙な熱っぽさを孕んだ囁きはリーンの身体に絡み付き、滑り込んできた。

 粘るように、陰々と。そして仄暗く。

 

――羽虫が飛び交っているかのようだ

 先代が死んで数ヶ月経つというのに、リーンを見ては囁き交わす声は止むことを知らない。スリザリン系名門の者達がこちらを伺っているようだが、レギュラスのお陰か声を掛けられることはなかった。

「コンパートメントのあては?」

「ジェームズか、セブのところへ行こうかと思っているのだけど……」

 ホグワーツの全生徒が乗っているのだ。探し当てるのは一苦労だろう。二人ともどうせホグワーツで会えるだろうし、ジェームスのところへ厄介になることになれば、当然ながらブラック――シリウス・ブラックもいる。彼のことはなんとなく苦手だ。良い面もあると知ってはいるのだけれど。

――気疲れしているのに、これ以上消耗するのは御免だわ

「――空いているコンパートメントでも探すことにするわ」

 レギュラスが少しの間黙り込んだ。通路の混雑具合とそこにいる面々を素早く確認すると、では、と言葉を継いだ。

「従姉のアンドロメダのところはどうですか? 誘われていて」

「ドロメダなら、安心ね。じゃあお邪魔させてもらおうかしら」

 フェンリールが、というひそひそ話を無理に遮断して、リーンは返した。言葉の靄を突っ切るようにして、レギュラスに案内されて車両を移る。扉にはめ込まれた硝子から、アンドロメダ・ブラックの姿が見えた。レギュラスが軽く扉をノックすれば、中から返事があった。

「久しぶりね、リーン」

 リーンに親しげに接する者は数少ない。その中の一人がアンドロメダ・ブラックだ。彼女は眼を通していた何かを座席に置いて、リーンたちを招き入れる。

「さっきカートが来たから色々と適当に買ったけど、あなたたち、お腹は減っていない?」

 ふかふかの座席に腰を下ろし、トランクを魔法で浮かせて網棚に載せたリーンは、ちょっと笑った。色とりどりの菓子がてんこ盛りだ。ありがとう、戴くわと返して積まれていた蛙チョコレートを手に取り、箱を開けたとき、レギュラスが席にあった何かを拾い上げた。

「縁談ですか、ドロメダ?」

 手が止まる。レギュラスのほうを注視すれば、その手には黒い釣書き――身上書が握られていた。表紙には家紋が捺されている。ちらっとドロメダを見る。彼女はもう七年生だ。ブラック家――分家とはいえ家格は相当なもの。いままで婚約者もいなかったのは珍しいだろう。

「ああ、レギュラス。それは好きなようにしてくれていいわよ。父上が勝手に持ってきただけよ」

 声は素っ気無い。釣書を見る灰色の眼はひどく冷たく、彼女が押し付けられた縁談に抱いている感情を如実に表していた。

「意外ですね、ドロメダ。貴女がそれほど嫌がるなんて」

 リーンが口を挟めば、アンドロメダが苦笑する。百味ビーンズを一粒口に入れた。

「以前の私なら、ブラック家の女だからと割り切っていたでしょうけどね」

 彼女はすらりと杖を抜き、釣書を一瞬で灰にした。

「シリウスと一緒で、私も家に縛られるのはうんざりなのよ――やっとそれに気づいたわ」

 

 ホグワーツ特急が速度を落す。結局セブルスにもジェームズにも会えなかった。いや、ジェームズがどこにいるのかはもたらされる、誰某が襲撃されただの、クソ爆弾を投げられただのという情報で推測できたが、リーンは外に出る気力がなかった。

 名門ブラック家の二人がいるこの空間は、またと無い安全地帯だったのだ。

――結局私は、びくびく怯えて誰かの陰に隠れて生きているんだわ

 最初はジェームズで、今度はブラック家の二人。リーンはいつも誰かの庇護を求めている。たぶん、スリザリンに組み分けされなければこのような自分に気づくこともなかったし、気づいたとしてもそっと蓋をしていただろう。猛き血を継ぐグリフィンドールにあってはならぬことだと。

 ホグワーツでリーンの陣地は無きに等しい。手勢と呼べるものはなく、スリザリンもグリフィンドールも敵地同然だった。

――いつまで怯えていなければいけないのかしら

 ホグワーツ卒業までか。いいや、違うだろう。リーンはずっと怯えるのだろう。迫害を。周囲の目を。暗い想像ばかりが頭をよぎる。それもこれも、この特急そのものが陰鬱なヴェールを纏っているからであり、ひどく不安を掻き立てるからだ。

 そろそろ着替えなければならない時刻だった。レギュラスがさっとコンパートメントの外に出て行き、アンドロメダとリーンだけが残った。空は暗く、その只中を銀の雨滴が裂いていく。ドロメダはしばらくじっと窓の外を眺めやっていたが、かすかにため息をついて大人しく着替え始めた。

「今年で、ホグワーツも最後なのね」

 淡々としたところばかり目立つドロメダが、珍しく感傷に浸っていた。彼女はよどみない手つきでスリザリンカラーのネクタイを締め、首席のバッジをつけた。リーンがネクタイを締めるのに手間取っているのとは対照的だ。

「締めてあげるわ」

「ありがとう、ドロメダ」

 彼女とリーンの距離が縮まる。人に傅かれて育ってきた証である、爪の切りそろえられた、すらりとした指先が、的確にネクタイを締めていく。しかし、いささか距離が近いように思えた。いいや、近い――縮まっていく。彼女の唇が、リーンの耳に触れんばかりになる……。

 

「私ね、卒業したらブラック家を出て行くの」

 

 緊張に身を強張らせる。令嬢が「家を出る」となれば普通はどこかの家へ嫁ぐ――ブラック家ほどの家ならばもはや「降嫁」といっても差し支えないが――アンドロメダの声音にはどこか楽しげな響きがあって、どうもそうではないような気がした。

「……どこに、行くの」

「マグルの彼の元よ」

 リーンの驚愕を受けてか、アンドロメダがくすくす笑う。家に縛られた女のものではない、枷の外れた、自由で伸びやかな笑いだった。

「正確にはマグル生まれの彼の元へ、だけれど。卒業したらすぐに結婚するの」

 リーンは頭が痛くなってきた。ブラック家の令嬢が、マグル生まれと婚姻? しかも卒業したらすぐなんて。

「その、つまり……」

 駆け落ち、という御伽噺の世界の言葉をまごつきながら口にする。合理主義者のアンドロメダにこれほど似合わぬ言葉も無いだろう。異端とはいえリアイスと親しくしている割に、親類から叱責を受けた様子はいままで見たことも聞いたこともない。それはアンドロメダという女が家族の前ではブラック家にふさわしい令嬢という仮面を貼り付けて接し、疑いの目をそらしてきたからに過ぎない。真っ向から家族に反抗するという不合理で、直情的な手段に訴えるとは思わなかった。

「婚姻は両姓の合意があって成立しえる、でしょう? じゃあ構うことはないわ」

――ブラックにそっくりだわ

 このしてやったりという声ときたら。

「まだシリウスにも話していないの。駆け落ちしたら手紙を書くつもりよ」

「真っ先に報せてくれて、どうもありがとう。光栄だわ」

「リーンには報せておきたかったのよね、どうしても。貴女は口が固いし。名門同士だから、そういう色々なことも分かってくれるし」

 アンドロメダの手が、リーンの制服のほこりを叩き落とす。生き生きとした表情と仕草に、ぽっと胸の奥が暖かくなる。

「こっそり、アルファード叔父様とグリーングラスの叔母様には話しておくつもり……あの人たちは理解があるのよ」

「秘密は守るわ、ドロメダ」

「それは頼もしいわね。従兄弟と違って」

 シリウスになんて話したら、すぐにバレそうだもの、とアンドロメダは笑った。

 

 風がローブの裾を舞い上げる。今年の新入生は気の毒だ。凍るように冷たい雨の中、ボートで湖を渡るなんて真似をしなくてはいけないのだから。

 くしゃみをなんとか堪える。

「では、僕はこれで」

 外交に精を出さなければいけないので、と苦笑して、レギュラスが同学年の生徒と一緒に馬車に乗った。アンドロメダは妹に呼ばれてそちらに同乗するようだ。

――ナルシッサ・ブラック

 綺麗な髪と目を持つ彼女は、リーンの姿を認めてわずかに会釈した。蔑まれるかと思いきやまったく逆の態度をとられ、驚くしかない。ナルシッサの取り巻きも唖然とした顔をしている。

「ナルシッサ様、」

「何か?」

 発したのはたったの一語。だが、硬い響きを取り巻きたちは眼を伏せた。その様を睥睨し、ナルシッサは片手を振って彼女達を黙らせた。人に命じることを呼吸するようにできるのだろう。生まれながらの貴種なのだ。

「グリフィンドールといえど、純血名門には違いないわ。貴女方は祖先の歴史を知っている? 何代も系譜を遡ることができて?」

 しん、と沈黙が落ちる。ナルシッサは小さく笑った。

「身体に流れる古の血は本物。私たちとお前達では隔てが大きすぎるのよ。さあ、下がってちょうだい」

 じりじりと取り巻きが消えていった。憎悪がむき出しになった眼に少なからず動揺したものの、なんとか感情を押し隠す。

「あそこまで言わなくてもよかったのでは?」

 つい非難がましい口調になるが、ナルシッサは涼しい顔だ。

「分からせなければ付け上がるだけ」

 彼女は優雅にローブを翻し、馬車に乗る。

「名門同士、どうぞよろしく、リーン・リアイス」

 扉が閉じられる間際、言葉がするりと差し出された。ちらと見えた灰色の眼に、リーンは背筋が冷える。

――レストレンジと同じ眼

 こちらの力量を測る、その眼差し。

 

 新入生歓迎の宴が終わり、翌日大広間に降りると、妙に浮き足立っていた。

――グリフィンドールの席?

 よくない雰囲気だ。皆、ひそひそと言葉を交わし、時折スリザリンの方を見ている。非常に気になったものの、リーンが気軽に訪ねていけばどうなるか分かったものではない。仕方なしにスリザリンのテーブルに着座した。

 なんとなく、スリザリンのテーブルもぴりぴりしている。聞き耳を立てていると「帝王」「襲撃」という単語が聞こえてきて、手を止めた。

――どこの家かしら

 どさっと音がして、セブルスが隣に陣取った。横顔には疲れが滲んでいて、頬にガーゼが貼ってある。ホグワーツに帰還して早々に怪我をしたとは考えにくい。

「……後で薬をあげるわ」

 親から折檻を受けたのだろう。だが、セブルスは決して口を割らないし、リーンも無理に問いただすことができなかった。

「すまんな」

 ぽそっと呟くと、セブルスは皿に料理を盛り始めた。痩せた身体に似合わず、彼はよく食べる。実家ではろくに食べさせてもらえないせいなのだろう。

 セブルスは忍耐強い。だからこそこんな情況でも堪えられているのだろう。

――十七になれば自由になれるんだもの

 彼は大手を振って実家を出て行くに違いない。リーンと違って。

 黙々と食事を口に運んでいたセブルスだったが、ようやく周囲の情況に気がついたのか、手を止めた。なんだ? と眼で問われたが、リーンは首を振った。

「どこかが襲撃されたみたいだけど……そういうのは貴方のほうが詳しいんじゃないの?」

 いや、と返ってきた。

「僕の家は『そっち』とは距離を置いている。情報網も持っていないからな。襲われたのはグリフィンドール系で違いないだろう。お前こそ……?」

「私を買いかぶりすぎよ。微妙な立場なのに」

 グリフィンドール系の家名を思い浮かべる。ウィーズリー、ロングボトム、マッキノン、プルフェット、ポッター。そしてリアイス。グリフィンドール六大名門といわれる家系だ。ポッターではないだろう。そうであれば、ジェームズがもっと反応しているはずだ。

「狙われたのはマッキノンのようね」

 涼やかな声が割り込んでくる。ぽん、と無造作に新聞が置かれ、白い指先が記事を叩いた。手の甲に包帯が巻かれているのが気になったが、記事の見出しに眼が吸い寄せられる。

――マッキノン

 惨殺とでかでかと載っている。本家および分家が同時に襲撃を受け、全滅だったと書かれていた。おそらくは『例のあの人』の仕業だろうとも。死体が発見されたのは死後数日経ってからのことで、筆舌に尽くしがたい有様だったという。

――足場が崩されていく

 ユスティヌが興味深そうに見つめていることに、唇を引き結んでいたリーンは気づかなかった。

 

 それから数日、ホグワーツは険悪な雰囲気に包まれていた。恨みがましい眼で睨まれるなんて日常茶飯事で、リーンは早くもうんざりし始めていた。

――無理もないのだけど

 グリフィンドール派は気を張るしかない。名門・マッキノンが潰され、次は自分の家かと怯えている。リアイス一族を狙っていると推測していたのに、矛先がグリフィンドール派全体に向けられるようになったのだから、当然といえば当然の反応だ。

「お前が手引きしたんじゃないのか」

 リーンは空き教室の壁に押し付けられて、何人ものグリフィンドール生に囲まれている。

――懲りていないのかしら

 人間、危機のときは却って冷静になるらしい。頭の隅で襲撃者たちを数える。五人。ネクタイはどれもグリフィンドールカラー。きっと上級生。邪魔避けがされているだろうから、救援は期待できない。

 質問の主旨は充分すぎるほど理解できる。

「八つ当たりはやめてもらえる? お忘れでしょうけど、私は実の父母を奴らに殺されているのよ。どうして協力するというの」

 ぴくり、と彼らの米神が波打った。腕に力がこもる。異様に昂ぶり、眼は血走っている。

「黙れ。お前が悪いんだ……お前が裏切るから……母親だってお前が殺したんじゃないのか」

  胸の奥が冷えた。反対に、かっと身体が熱くなる。

「黙りなさい」

 ぱしっと音がして、腕が離れていく。ぎょっとしたような顔に奇妙な爽快感を覚えながら、杖を構えた。両目が燃えるようだ。

「……レラシオ!」

 素早く唱えると、薙ぐように杖を振る。迸った衝撃波が襲撃者を吹っ飛ばし、壁に叩き付けた。はらはらと埃が降って来る。

「よくも……!」

「黙れといったわ」

 もう一撃魔法を放つ。壁がみしみしとくぼみ、骨が折れる乾いた音が響いた。悲鳴が上がる。転がりまわる襲撃者と、それを助けようとする仲間を、リーンは容赦なく追い詰めていった。杖を弾き飛ばせば、絶望を湛えた顔で見上げてくる。それがあまりに滑稽で、くつくつと笑った。

「伊達に場数は踏んでいないのよ。リアイスの名に敬意を払うのなら、一族の魔力の強さも計算に入れておくべきだったわね」

 わけのわからない言葉を発しはじめれば、そこからは赤子の手を捻るようなものだった。何度も叩きつけ、ついには昏倒させてしまう。どっと倒れた彼らを、じっくりと検分した。貴族ならば家紋の入っている品を身に着けている可能性が高い。ぼろぼろになったローブを剥ぎ取り、目に付いたブレスレットをよく見ようと、点々と血が飛んでいるブラウスの袖を捲り上げる。だが、腕にある刻印が気になった。

「鉤十字……?」

 傾いた卍紋。それが円で囲まれている。独特な形に気を取られていると、邪魔避けが破られる気配がして、誰かが駆け込んできた。

「リーン!」

「リリー」

 呼びかけも聞こえないようで、赤毛の友人はひしと抱きついてくる。

「怪我は?」

「ないわ」

 どうして来てくれたの、と問おうとしたとき、リリーがぱっと離れ、リーンの顔をまじまじと見てきた。

「貴女の眼……紫色になっているわ」

「は?」

 首をかしげ、問おうとしたとき「派手にやったわね」と声が滑り込んできた。ユスティヌだった。

「そこのグリフィンドールのお嬢さんと鉢あったから来てみれば……返り討ちにしているなんて」

 彼女は面白がっているようだ。臆する風もなく我が物顔で踏み入ると、倒れ付したグリフィンドール生たちを検分する。骨のように白い杖を当て、何事か唱えた。魔力が漂い、何かが作用する気配が満ちる。強力な魔法だ、と直感した。

「あなた達が黙っていれば、この一件は綺麗に終わるんだけど」

 記憶を消したから、と淡々と言う。リリーは不安げにこちらを伺う。正義感の強い彼女なら、先生に突き出すことを勧めるかと思えばそうではないようだった。

「私だってことを荒立てたくないわ。結構暴れてしまったし」

「決まりね」

 ユスティヌは満足げに笑う。彼女に引っ張られるようにして教室を出る間際、襲撃者の腕を捉えた。

――鉤十字の紋は最初からそこになかったかのように、消えうせていた

 夢幻のように、跡形もなく。

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