ジャラリ、と響く音。
「どうか……どうか」
「リーン嬢」
「我らは違います。決して……」
古代語がびっしりと刻まれた鎖で拘束された襲撃者たちは、口々に言い募る。必死にのばす手の平は、白く焼けたようになっていた。リーンは彼らを順々にねめつけた。
言葉はかけない。誰かが、鎖を引っ張る。
「来い」
長く伸びた鎖が連結し、リアイス一族の者達は互いに離れることもできず、縦一列になって引きずられるように歩かされていく。
「――これで全てか、ルーファス」
声がして、つられてそちらを見る。粉々に砕かれた窓から、誰かがひょいと入ってくるところだった。鎖を手にした男はさっと敬礼した。
「マッド・アイ」
その場にいた全員が息を呑む。リーンはその男の顔をじっと見た。顔は傷跡だらけで、灰色の髪はぼさぼさだ。ローブには闇祓いの徽章――“鷹の翼を持つ死神”。そして、大きな一つの星と、小さな星。闇祓いの徴が留められている。
――この人が
拘束されたリアイスたちを眺め回していた男が、リーンに眼を留めた。口からかすかに音が漏れる。
「局長の娘か」
リーンは少し身構えた。先代の当主――リーンの母であり、闇祓い部門を創設したアリアドネ・リアイスとよく似た、鋭い目つきをしていたからだった。
ただ、異なる点もある。彼の眼差しには殺意も憎悪もない。純粋な興味が宿っている。
「自分の一族に殺されかける娘も珍しいが、その年で、それを迎撃してしまうのはもっと珍しいだろう」
ぽつりと呟き、彼はリーンの側を通り過ぎる。すれ違い様に肩を叩かれ、耳に低い声が滑り込んできた。
「お前が闇祓いになりたいというなら、儂に手紙をよこせ。鍛えてやる」
ぎょっとしたリーンに構わず、彼はさっさと出て行った。鎖の音と、リアイスたちの絶叫を引き連れて。
悲しい目的のために嵐が野を呼び起こした
昼の昏さのなかから死の鳥の叫びが洩れた
まわりの丘々はほとんど灰いろの時間の飛翔を示さぬ
一本の樹が低く頭をさげて崖ぎわの草をつかもうとしている
荒蕪はすでに暗い谷へと逆流している
苦悩と暗黒のひびきが
最後の絶叫のようにほとばしる……
獲物を狩る際に死の歌を紡ぐ、マンティコアの調べにそれは似ていた。
彼女は、杖を降ろした。己の『仕事』を検分する。塊は二つ。一方は喉を半ばまで噛み切られ、一方は傷一つない。
こんなものなのかしら、と思った。
――マッキノンたちのほうがよほど骨があったわ
随分前に殺した、今はない名門の魔法使い達を思い浮かべる。そして、当主の妻であった魔女を。彼女相手に死に物狂いで向かってきて、そして死んだ女を。
「――見事ですね」
扉が開く。痩せた男が入ってきた。せわしない足取りで彼女の側に至り、二つの肉塊をちらりと見て、震えた。シューッという音に、飛び上がりそうになる。
「食べてはだめ。そこの男もだめよ」
ロジエールはそれなりに使えるのだから、と彼女は言う。常人にはシューシューとしか聞こえない言葉で。
「真に……」
未知の言語を操る彼女に、ロジエールが膝を突いた。
――当然だ
私は幻獣なのだ。ただの魔法使いが膝を折るのは、太陽が昇りまた沈むように、摂理の一部なのだ。
「ロジエール、もうしばらくこの館を借りるわよ。もう少し、釣れるでしょうし」
歯切れのよい返答に、彼女は少し笑い、転がる闇祓いたちを示した。
「魔法省の前にでも放り出しておきなさい」
「撒き餌ですか」
ええ、と頷く。闇の勢力がロジエールの館にいる、とわざともらしたら見事に釣り上がった。マッキノン本家を殲滅した魔女がいるとも知らずに、彼らはやってきて殺された。
「仲間を殺されて、食らいつかずにはいられないでしょう。まあ、これで――」
彼女は杖を振った。同時に、傷一つないほうの死体から首が落ちた。
「ナギニ」
大蛇が、首なしの中に潜り込んでいく。そうして、頭と身体が再び結合された。
「私たちに敵対しようという輩は、殺すだけ」
それが摂理なのだから。
*作中の詩は岩波文庫『ゲオルゲ詩集』から引用
登省時の惨劇――犯人は闇の帝王か?
八月十四日、魔法省前で五人の闇祓いが殺害された。省前に遺棄されていた遺体(彼らも闇祓いであった)を発見し、近づいたところで仕掛けられていた魔法が発動した模様だ。闇祓いたちは喉首を裂かれ、絶命していた。咬み痕から闇の帝王が所有している大蛇の仕業であると推測される。なお、この五人のうち一人は食われたと見て魔法省は捜査をしている。
アズカバンにて囚人が死亡
去る十二月に起こった襲撃事件で捕縛され、アズカバンに収監された魔法使い達が八月二十日、絶命しているのが発見された。 彼らはいずれも名門・リアイス家の出身であり、マルフォイ家にて行われていたパーティを強襲した罪に問われていた。捕縛時から彼らの精神は異常であり、収監されてからでさえ容疑を否認するような発言ばかりしていたと確認が取れている。しかしながら、パーティに居合わせた一族の令嬢がリアイスによる犯行と断言している(悪霊の火の姿もそれを裏付けている)。死亡した囚人たちの亡骸はアズカバンにて葬られた。
新聞をくしゃくしゃに丸め、ゴミ箱に放り投げた。狙いは外れず、紙くずは見事に吸い込まれていく。ふーっと息を吐く。指先がぴりぴりと痺れ、眉間に皺が刻まれる。
――これで何人の一族が欠けただろう
襲撃者たちはもちろん、絶命した闇祓いの中にはリアイス出身の者もいた。一人は行方不明だ。局長であったアリアドネ・リアイスの殺害からはじまり、リアイス姓の闇祓いの死亡率は高い。
――狙い撃ちにされている
一人が殺されれば、復讐にはやった者達が打って出る。それを嘲笑うかのように殺していく。
「窓を割らないでくださいよ」
行儀悪く机の端に座っている、第四分家セイリャントのイルシオンが警告した。リーンから魔力が放出されるのを感じ取ったのだろう。実際、この間も窓を割ったところだ。
――収監されていたのは、それぞれ第四分家、第五分家クーシャント、第六分家クーラントの魔法使いたち
それぞれの家から二名ずつ『英雄』は輩出された。世間的には襲撃犯であることは間違いないが、一部のリアイスにとっては英雄――死んだのだから英霊だろうか――だ。
イルシオンを盗み見れば「何か?」と問われた。気づかれずに何かをするなど、端から無理らしい。
「あなたは怒らないのね」
「勝手に暴走した挙句、放り込まれるバカなど知ったことではありませんね」
彼らは優秀でしたけど、ガチガチの『信者』でしたからね、とイルシオンは続ける。
「特に強烈なのは第六分家……彼らが天馬やヒッポグリフを出撃させなかっただけ僥倖といえますが。敵に回すと厄介ですよ」
「今更だけど」
そうですねえ、とイルシオンは微笑う。壁にある、一族の系譜のところまで歩いた。リーンもつられてそちらに行く。
「貴女から辿ると、お祖父様は筆頭分家パッサント、お父君は第七分家ドーマント、叔父君たちはそれぞれ筆頭分家と第二分家ステータントに婿入り。従姉妹は第三分家シージャントと婚約……血統的に近いのは、筆頭分家、第二分家、第三分家。第七分家も貴女とは心情的に近しい」
「だからこそ、他の分家が襲撃に走ったのでしょう?」
「今の本家から血は遠く、貴女を殺そうとしてもなんらおかしくない。ですが、仮にもリアイスの者がこんな下手を打つとでも本気で思っているのですか?」
鳥肌が立って腕を擦った。ゴールデンオレンジの眼は燃えている。危険な輝きだ。
――そう、例えば
第六分家なら夜間に襲撃なんて迂遠なやり方をせずに、本家に直接攻撃を仕掛ける方がらしいといえばらしい。
「イルシオン、あなたならどういう手を打つ?」
「紅茶を一杯いただければ、お話ししてもよろしいですよ」
毒薬を入れてやろうかしら、と一瞬思う。それでもカップを用意して、紅茶を注いだ。
「貴女や、貴女の背後にある分家の有望株を一気に排除したいと思えば……適当に罪をでっちあげて、スリザリン派の名門につなぎを取り、告発……晴れてアズカバンに直行。後は吸魂鬼が完膚無きまでに破壊してくれますし、そもそも脱獄なんて無理ですし、楽な仕事ですよね」
ひく、と喉が鳴る。
「それ、は」
イルシオンはカップを置く。
「昔、リアイスが敵対する家を潰すのに使っていた手ですよ。第五分家がアズカバンに勤務しているのも、元々は収監した敵の監視が目的でしたし……ああ、そんな顔をしないでくださいよ、ランパント」
「ランパントじゃないわ」
なんとかそれだけを返す。
善悪の有無を除けば、邪魔者を排除するのに打ってつけだ。イルシオンはリアイス家の『裏』を司る。その彼が言うのだから、昔リアイスがそうやって敵を消してきたというのも、本当の話だろう。安閑と名門の地位を維持できるほど、この世界は甘くない。
――しっぺ返しを受けているみたい
リアイスの陣地は着実に崩されている。過去のリアイスの手口を真似した『誰か』がいるとするならば、ほくそ笑んでいるのだろう。
――証拠は何もない
だが、気味が悪かった。
カツ、カツ、と盤上に駒が置かれる。奇妙に澄んだ音の合間、紅藤色の眼を持った女学生はゆったりと琥珀色の液体を注ぐ。湯気がほわりと立ち昇った。
「口に合えばいいのだけど」
差し出されたカップをまじまじと見る。幻獣の紋章が捺された、一級品だ。
――家紋つきのものをわざわざ持参するなんて
呆れればいいのか、さすがは天下のユスティヌだといえばいいのか迷うところだ。手を伸ばし、優美な取っ手を摘み取る。紅茶の香りが口いっぱいに広がった。こんな情況でなければもっと美味しかっただろう。
「……とてもいいわ」
よかった、とユスティヌは微笑む。揺れる車内であっても、彼女は実にそつなく茶を淹れる。
――普通は『お付き』に淹れさせるものじゃないのかしら
今更そんなことに気がついた。現に、コンパートメントの外には何人か張り付いている。しかも、中にはレギュラス・ブラックだ。彼はユスティヌと少し離れた座席に座って、静かに紅茶を飲んでいた。家格や実力等々で『護衛』に選抜されたのだろうが――女帝・ユスティヌにはいらぬ心配だろう。
リアイスの者が放った『悪霊の火』を咬み裂いた水の幻獣は忘れようがない。学校の外では戦闘などほとんど起こらないので、ユスティヌの実力の片鱗がうかがえたのは貴重な機会だった、とまで考えて頭を振る。
――いいえ
ユスティヌの実力は垣間見ていた。二年生の時も、三年生の時も。尋常ならざる魔力と、吸い込まれそうな眼の輝きを。はた、と動きが止まる。
――あの紅い眼の男に似ているのだ
ホグワーツ特急が発車するや否や引きずりこまれたコンパートメントで、なぜかチェスに興じているという現実を打ち消すように考える。ユスティヌは鋭く切り込むような戦法を使ってきて、リーンは防戦しがちだ。
「貴女、クィディッチに興味はないかしら」
「全く」
すっぱりと切って捨てた。彼女は噴き出す。ひとしきり笑っていても駒を素早く進め、続けた。
「そこまで拒絶されるとは思わなかったわ」
でも、と言葉が繋げられる。リーンの白い駒が、黒い駒に倒される。
「リーン・リアイス。貴女の力が必要なのよ」
カップを慎重に置いた。レギュラスが眼を瞠っているのを捉え、これがユスティヌの独断であることを確認する。カツ、と白の騎士を進めた。
「つまり?」
しらばっくれようとしても、幻獣には通用しない――騎士が打ち倒される。だが、リーンは負けじと駒を倒す。優位に立った。
「スリザリン・チームにおいでなさい。リーン。ポジションはチェイサーなんてどうかしら」
「私の立場がお分かりですか?」
ユスティヌが小さく口端を上げた。歩兵が着実に進む。
「地位も、名誉も、名声もいとも簡単にひっくり返る」
氷の手で心臓をつかまれたような錯覚にとらわれる。魔力が肌を刺した。これは本当に人間なのか?
硬く拳を握る。立てた爪の痛みが揺らぐ心の均衡を戻した。その時、ユスティヌの駒がリーンの駒を打ち倒す。
「優秀な子が必要なの。そして、リーン。貴女は秀でている。リアイス姓でさえなければ、最初から頭角を現していてもおかしくないほどに」
スリザリン生のデータは全て眼を通したわ、とユスティヌはこともなげに言う。彼女はキャプテンではなかったはずだ。だが、そんなものは瑣末なものなのだろう。事実上スリザリン・チームを掌握しているのはウラニア・ユスティヌだ。
「だけど、」
「これはもう決定事項なのよ」
息を呑む。
――なんて強引な
「チームメイトには承諾を取ってあるわ。ああ、レギュラスには今日報せるつもりだったのだけど……構わないわよね」
レギュラスは呼びかけられ、肩をかすかに震わせた。
「ユスティヌの、仰せのままに」
呆気に取られているうちに、白の女王は倒され、そして、王をも包囲されていた。
諦めを腹の中に飼って、リーンは告げた。
「投了よ」
ユスティヌに辞去を述べ、コンパートメントを出た。トランクを片手に持ったリーンを『親衛隊』たちが値踏みするように見てくる。
――熱心なことね
心配しなくても、彼女に危害を与えることはない――より正確に言えば、与えられるはずもない。ユスティヌとリーンの実力の差異は明らかだ。
とにかく、と呟く。
「箒をどうにかしなくっちゃ」
箒やクィディッチといえば幼馴染に訊くのが一番早い。ジェームズはグリフィンドールの人間だが、この際仕方がない。リーンとてあまりユスティヌと一緒の空間にいたいわけではないのだから。
あの昏い紅藤色の眼はどうにも苦手だ。リーンも意識していない、心の奥底まで見透かされそうで肝が冷える。
うろうろと歩き回り、小耳に挟んだ噂話から(どこそこでクソ爆弾が爆発したとか、誰某がクラゲ足になったとか)トラブルメーカーの彼の位置を割り出す。
ホグワーツ特急の中ほどのコンパートメントだと当たりをつけ、ノックをして突入した。
「ジェームズ! …………また変なものを持ち込んでいるのね」
何を言おうかうっかり忘れ、思わず口走る。妙な器具が沢山転がっていれば当然だ。
対して、幼馴染はぱっと立ち上がった。なんともいえない色の液体が入ったコップをこっそり置いたのをリーンは見逃さなかった。
「リーン、久しぶりだね! 元気だったかい? 色々ごたごたしているみたいだね」
「リアイスのごたごたはつきものよ」
席を薦められ、座る。ぐるっと見回せば、リーマスやピーター・ペティグリューがいなかった。ブラックは寝こけている。
「リーマスとピーターは別の友達のところさ。シリウスはお疲れでね……」
ふうんとだけ呟いて、机の上の菓子をつまんだ。
「それで、用件はなんだい? わざわざこっちまで出てくるなんて珍しいじゃないか」
「私、スリザリンクィディッチチームに内定したのよ。だから……」
ジェームズの手から百味ビーンズがばらばらと落ちた。口をOの形に開け、穴が空くほどこちらを見つめてくる。
「ついに君もクィディッチのよさを分かってくれたんだね!! 素晴らしいよ!!!」
「うん、あの、落ち着いて。お願いだから」
やったやった、と大はしゃぎなジェームズが静かになるのに、五分はかかった。最終的にリーンが黙らせ呪文を行使した。
「だからね。最新箒カタログを貸してほしいの。貴方ならもってるでしょ。私、箒のことはあまりよく知らないんだもの」
ジェームズが首を縦に振る。トランクの中から『最新箒カタログ』を引っ張り出して机の上にでんと置いた。恐ろしく分厚い。彼が自分の喉を指差して口をぱくぱくさせるので、リーンは反対呪文を唱えた。
「響け!」
「酷いよ、リーン」
「騒がしいのは好きじゃないのよ」
ぱらぱらとめくってみるが、種類が多すぎてとてもではないが把握できない。
「お奨めはあるのかしら?」
「僕が使っている閃光とかは? とっても速いよ。制御が難しいけどね。あと、シリウスが使っているのが嵐。これは気まぐれな箒だけど、使いこなせれば戦力になるね」
「よりにもよって二人とも、そんな難易度の高い箒を……」
「難しいことに挑戦したくなる年頃なのさ」
誇らしげに胸を張る。
「総合的にバランスがいいのはないかしら?」
じゃあ、これだねとジェームズが指差す。
「銀の矢。流線型の形が空気の抵抗を少なくしてね……小回りが利くよ」
――ユスティヌは私のポジションをチェイサーだと言っていた
仲間内でパスを回し、得点につなげていくのが役目だ。シーカーほどではないがビーターの妨害も受ける。素早い身のこなしが必須といえた。
――銀の矢。戦いの始まりを告げる嚆矢
「申込書を頂戴、ジェームズ。私、これにするわ」
幼馴染はにっこり笑った。
「戦えるのを楽しみにしているよ」
幼馴染がコンパートメントを出て行くのを見届けて、ふうっと息を吐いた。
「……で、聞いてたんだろ、シリウス」
隣で眠る親友に呼びかけると、気だるげに眼を開けた。嵐の空を思わせる灰色の双眸が覗く。
「お前が騒ぐからだ」
「やれやれ、僕の親友はなんて冷たいんだろう!」
大仰に言ってはみせたが、シリウスは取り付く島もなかった。蛙チョコをわしづかみにして頬張っている。
「あいつが参戦とは面倒だな」
「だよねえ……入学前は一緒にクィディッチチームに入って頂点を目指そうって言ってたんだよ。二人で箒で遊んでたし。なかなか筋いいしね。クィディッチに興味なんてなかったはずなのに、なんでまた」
強引に入れられたんだろう、とシリウスが返す。今度はかぼちゃパイに手を伸ばした。腹ペコらしい。
彼が言いたいことを察して、ジェームズはくっと笑った。
「あのスリザリンの女帝にかい?」
「それ以外、どうやってリアイスを引き入れる?」
声は刺々しい。口をへの字に曲げて、眉間には皺だ。いい男が台無しだった。
ご機嫌ななめじゃないか、と言ってみれば彼は頷く。
「実家じゃお前は正しい純血婚をしろって念押しされるし、ドロメダの居場所を吐けだのなんだの……次期当主としての心構えだの……縁談だの……息抜きのクィディッチすらきな臭いときた! これが怒らずにいられるかよ!!」
シリウスが勢い良く机を叩いたせいで、菓子が飛び散った。あまりの怒りっぷりに笑いがこみあげてくる。げらげらと笑っていたら殴られて悶絶した。
「毎日毎日、染まらず濁らず色褪せず……ブラックとしての誇りを忘れてはなりませんなんて俺は言われてたってのに、お前ってやつは!!」
「仕方ないじゃないか、シリウス坊ちゃん。大変でございますね!!」
乱闘が勃発し、リーマスとピーターが必死で仲裁するのは五分後のことだった。
ホグワーツも四年目ともなれば飽きてもくる。組み分けもリーンの入学年度のような(そして、シリウス・ブラックのような)どんでん返しがあるわけでもなく、リアイス姓の者は洩れなくグリフィンドールに組み分けられた。
――私やブラックのような例なんて頻繁にあってたまるものですか
気のない拍手を送り、リアイス家の子どもがグリフィンドールの席に着くのを眺めた。六年生のネメシス・リアイスがにこやかに迎え入れているのが見える。
彼女は道を踏み外さなければ、優しいのだろう。曲がったことが嫌いな性格のために、リアイスを誇るがために、リーンのような異端を赦さない。
胸がざわついて、視線を無理矢理引き剥がした。その先に、リーマスがいる。頬にガーゼを貼っていた。きっと人狼になって自分を咬んだり引っかいたりした傷だろう。後で傷薬をあげたほうがいいだろう。そうして傷、で思い出した。
「セブ、後で塗り薬あげるわ。またやられたんでしょう?」
隣のセブルスに囁けば、彼は舌打ちした。
「最近は避けられるようになってきた……ただ、母親を庇いながらだと、なかなか……」
小さくため息をつく。彼の手には包帯が巻かれていた。父親に踏まれるか切りつけられるかしたのだろう。
――野蛮なマグルが
滅多に浮かぶはずもない言葉が浮かんでくる。セブルスは夏休み中魔法が使えない。そして、母親は純血の魔女だが、そういった魔女が必ずしも戦いが得意とも限らない。大の男に暴力を振るわれれば萎縮して魔力を思うように制御できなくてもおかしくはないのだ。
「体術なら、少しなら教えてあげられるわ。実家で鍛えられてるから」
セブルスが眼を見開き、穴が空くほど凝視してくる。
「お前の家は仮にも純血名門だろう? そんな家が体術なんて――」
ジュースを一口飲んで、言い返す。
「お忘れでしょうが、代々闇の勢力と戦ってきた専門家集団なのよ。しかも闇祓いの輩出率は純血名門中一番。魔法以外にも得手はあるわ」
「恐れ入った」
「このままじゃ危ないわよ。その、お節介かもしれないけど……休み中の不利をなんとか補わないと、殺されてしまうかもしれないわよ、父親に」
ああ、と彼は頷いた。
「そうだな……僕だけならまだしも、母が心配だ。いつもまともに抵抗もしないで殴られる」
声がかすかに震えていた。唇を引き結んで、何かを堪えるようにうつむいた。
「頼めるか」
「もちろんよ、セブ」
セブルスと約束したものの、一週間経っても時間を取れていなかった。それもこれもリーンの情況の変化が原因だった。
緑地に銀の蛇がついているクィディッチユニフォームを手に取り、撫でる。
「ユスティヌの支配手腕には驚きだわ」
リーンがリアイス姓で初のスリザリンクィディッチチームの一員だろう。リアイス一族の者は皆赤地に獅子の紋がついたユニフォームをまとって空を飛んでいた。
綺麗に畳んで、ユニフォームを仕舞う。手元にやってきた"銀の矢"はまだ手入れをしなくていいだろう。数度練習に使っているだけなのだ。
――セブルスと時間が取れない
入学してから行動を共にすることが多かったが、最近ではそれもめっきり減った。来年は普通魔法技能試験もあるのだし、勉強に精を出しているのだろう。元々、お互いに干渉するような性格でもない。
変身術の教科書と、羽根ペン、インク壷、羊皮紙を鞄に詰めて談話室に向かった。
「リーン、ミーティングを十時からやるから、時間を空けておいて」
声をかけられ、頷いた。これでまたセブルスとの時間が無くなったわけだ。
――仕方がない
予期せぬこととはいえ、リーンはスリザリンチームに入った。入ったなら入ったなりに貢献しなければならない。でなくば、得た居場所も無くしてしまうだろう。
「時間通りに帰ってくるのだよ」
“賢人”に重々しく言われ、小さく頷いた。薄暗い地下通路から玄関ホールに抜け、そのまま図書館を目指す。夕食が終わったからだろう、人影はまばらだった。
「リーン?」
振り返る。階段から、リリーとアリスが降りてくるところだった。
「ああ、二人とも。久しぶり」
ええ、とグリフィンドールの二人は笑う。
「その荷物だと、図書館で勉強するのかしら?」
「そうなの。マクゴナガル先生の課題……もしかして、リーンも?」
「早く仕上げておくに越したことはないわ、変身術は」
自然と三人で並んで歩く。
「クィディッチチームに入ったって聞いたわ、リーン」
「貴女の耳にも入ってたのねアリス」
入ったのではなく、入れられたのだと言うのも面倒で、そのまま流した。アリスはくすくす笑ってリリーを見た。赤毛の彼女はしかめっ面だ。
「ポッターがうるさくって。ブラックに殴られてたわ。いつものことだけど」
「想像できてしまうのが残念だわ。昔から騒がしいから」
リリーやアリスはクィディッチにさほど興味はないらしい。けれど、リーンがクィディッチを始めたことで、興味は持ったのだろう。あれこれと訊いてくる。いちいちそれに答えながら、図書館のある搭へと移動していった。
「こっちはフランクとシリウスがビーターなのよ。それで、ネメシスとジェームズとキャラドック・ディアボーンがチェイサーで、ギデオン……従兄弟がキーパー」
「フランクっていうと、ロングボトム家の長男の?」
直接話したことはないが、落ち着きがないジェームズとは正反対な印象を持っていた。互いに名門の嫡男だというのにこの違いはどうしたことか、と思ったものだ。
「そうよ。シリウスと結構ウマが合うみたい」
「なかなか手強そうね、グリフィンドールチームは――」
言い差したとき、前方に見知った影が見えた。おそらくスリザリンの生徒であろう、男子と話しているようだ。声をかけるのを躊躇っているうちに、彼らはどこかへ消えてしまった。
「セブルス、妙な人たちと付き合ってるって噂になってるわ」
リリーの硬い声に、眼を瞬かせた。若葉色の双眸に影が差していた。リーンはそんなことはちっとも知らなかった。
――外から見た方が分かることもある
「妙な、人っていうのは……」
「純血主義者。それも、けっこう過激派の。私、さっきの人知ってるわ。カルカロフ……イゴール・カルカロフ。穢れた血って私のことを呼んだのよ」
何かを言おうと口を開いたが、何も言葉が出てこなかった。リーンの動揺を悟ったのか、リリーが気遣うように微笑んだ。
「セブルスは、私に一度もそう言ったことはないけど」
言うはずないじゃない、と返す。続きは胸の中で呟いた。
貴女のことを、セブルスは好きなんだから。
魔法族の好む競技といえばクィディッチが挙げられる。箒に乗って矢のように飛び回る選手達、打ち込まれる凶暴なブラッジャー、手から手へと渡るクアッフル。世界選手権ともなれば裏では莫大な金額が動き、皆が熱狂する。そして、名門の出だろうと庶民の出だろうと、プロの選手になれば一気に英雄だ。
――つまりは、花形
つまりは、リーンにそぐわない。
クアッフルが宙を飛ぶ。ぐんと上昇しそれを取った。捻りを効かせたパスは、取るのも苦労する。だが、そうでもしなければ、敵に奪われる。
紅い影が目の端にちらついた。ぐっと歯を食いしばり"銀の矢"の柄を大きく右に振った。だが、凄まじいまでの速さで突っ込んできた影と衣が擦れ合う。ちりっと繊維が音を立てる。
「おおっと、ポッター、スリザリンのリアイスに急襲をしかけるも、失敗! もっと思い切り行け! ポッター!!」
アナウンスが鼓膜を震わせ、続いてマクゴナガルの怒号も聴こえた。
「もっと穏便な放送ができないのですかッ!!」
こちらをマークしているジェームズと、自陣のチェイサーとの距離を推し量る。投げたとしても、取られる可能性が高い。だが――。
黒く小さい球が、リーン目掛けて飛んでくる。この情け容赦のない打ち放ち方は、シリウス・ブラックだろう。
――あの男
とっさに宙返る。柄とブラッジャーが交わった瞬間、リーンは速度を上げた。
手から全身に衝撃が伝わる。ひゅっと風を斬る音と、ジェームズの悲鳴。小気味よさに少し笑った。
「ざまあみなさい、ジェームズ!!」
追跡をまんまと振り切り、そのままの勢いでクアッフルを叩き込んだ。
「スリザリンのリアイス、箒の柄でブラッジャーを打ち返しました! そしてそのまま、ゴール!! スリザリン、十点加算!!」
スリザリンが沸いたのも束の間で、クアッフルが奪われた。茶色い髪に菫色の眸――。
「ネメシス・リアイスがクアッフルを奪いました! グリーングラスが追撃するも、見事振り切り、点を奪い返す!! ところで彼女の箒は"烈火"で……」
「余計な解説はいりません! ウッド!!!」
「先生ッ! ここからがいいとこなんですよ!!」
グリフィンドールはなかなか愉快なようだ。
――まずいわ
流れがあちらにいっている。士気が高まっているのが感じられた。だが、緑の影がクアッフルを掠め取った。
「リーン!」
ユスティヌのパスを受ける。グリフィンドールチェイサー陣が展開し、追い込もうとする。
「両チェイサー陣、激突します!!」
影と影が交錯する。すれ違った瞬間に、またパスを投げる。グリーングラスが鮮やかにそれをキャッチし、追撃を振り切った。
「スリザリン、十点!」
点を入れては奪われ、また入れての繰り返しだった。グリフィンドールの時に向こう見ずとも思える攻めと、スリザリンの固い守りは膠着する。
汗が流れ落ちる。袖でぐいっと拭ったとき、リーンは黄金色の『それ』を見つけた。
「スニッチが現れました! レギュラス・ブラック、フェービアン・プルウェット、これを追う!!」
両者の箒の性能はほぼ互角。だが、風向きが悪かった。レギュラスにとっては向かい風だったのである。
フェービアンのほうがわずかに、速い。
スニッチの動向をうかがいながらも、クアッフルを奪い合う。ブラッジャーが飛んでいき、絶妙な間でクアッフルがリーンに向かって投げられる。パスを回したユスティヌの唇が確かに動いた。
「やりなさい」
何を、と問う暇もなかった。一瞬にも満たない間に、どこかへ突き進むブラッジャーと、クアッフルを捉える。必要な力、速度をはじき出した。
ぱっと身体の重心を変え、横に傾く――倒れる。どこからか悲鳴があがる。だが、リーンはしっかりと箒の柄を握り、ぶら下がった。大きく孤を描く。ちょうど、マグルの競技――大車輪を思わせる速さとしなりで。
勢いのついた足は過たずクアッフルを蹴り、飛んで行ったクアッフルはブラッジャーにぶち当たった。黒い凶器は軌道を変え、勢いづいてフェービアンに牙を向く。 まさかの反撃に彼の気がそれる。間隙をついて、レギュラスが前へ出た――。
いつもは騒がしい、落ち着きのない、という言葉が当てはまらないはずのスリザリンの談話室はお祭り騒ぎとなっていた。
かぼちゃジュースが振舞われ、おそらくだが、ファイアウィスキーの瓶も持ち込まれ、菓子が山積みになり、クラッカーが鳴らされる。
「これじゃあまるでグリフィンドールじゃない」
ソファに座りながら、呟いた。普段は『上品で、礼節ある、貴族階級』の看板をぶら下げている癖に(ただし礼節などが発揮されるのは自分達と同じ階級かそれ以上の者に限定される)この箍が外れたような様子はどういうことだろう。
「今回は痛快な勝利でしたからね」
年齢の割に大人びている感が強いレギュラスも、今晩ばかりは高揚しているようだった。リーンにグラスを差し出しながらひょいと菓子をつまむ。
「さすがにもう駄目かと思いましたけど。リーン先輩のお陰ですよ」
「いいえ……私の功績じゃないわ」
ユスティヌの、と言い掛けたが、チームメイトが話しかけてきて途切れる。
――いままでならこの距離感はありえなかった
一年前の自分に言っても信じてはもらえないだろう。スリザリンチームに入り、こうして溶け込みつつあるなど。リーンは『外れた者』で『排除された者』だった。これからもそうだろうと思っていた。
混んでいる談話室の中、ユスティヌを探す。取り巻きも連れず、隅にぽつりといた。“女帝”にはひどくそぐわないように思えて、首を捻る。彼女こそ、話しかけられ、敬意を払われる存在だというのに。紅藤色の眸の彼女は、誰かにグラスを渡す。
「……セブ?」
あまり見ない組み合わせだった。実際、セブルスは居心地が悪そうだった。差し出されたグラスを慎重に受け取り、これまたゆっくりと中身を飲んでいる。
スリザリンの“女帝”は緊張を解かない彼を、まじまじと見つめていた。
まるで、暴こうとでもいうように。
自分は目立たない方だと思っているし、そう思われているだろうことは分かっている。そして『それでいい』と自らも考えていた。 下手に注目を浴びて何になるだろうか。面倒事を引き寄せるだけだ。それに対処できるとも思えない。
だから、彼は息を潜め存在を消すことに労力を傾けていたはず――だった。
「僕の顔がそんなに面白いですか、ユスティヌ」
「どちらかというと、興味深い……かしら」
彼女はゆるく首をかしげ、眸を妖しげに光らせた。ぎくりとして視線を外す。
――どうにも苦手だ
深淵を躊躇なく覗き、本人が気づいていないことまで引きずりだそうとするような、強いものが秘められた眼差し。
「まるきり純血至上主義というわけでもない、けれども――」
白い手が、頬に触れる。とっさに身体が逃げを打とうとする。けれども、彼女はそれを赦さない。仄暗い両眼が、彼を貫く。
「……マグルは憎い」
「当たり前でしょう。僕らはスリザリンだ」
粘つく口をこじ開けて、反論する。彼の閉心術は完璧なはずだった。だというのに、背筋が凍る。
――もしかしたら
全て見透かされているのでは、と。
ねえ貴方、と彼女が言う。
「スリザリンが本当に一枚岩だと思っているの? いいえ、そんなことは思っていないでしょう……だって、貴方は周りをよく見て、自分の立ち位置を確保する種類の人間だもの。そしてそういう人間が生き残る。目立ちたがり屋はすぐに死んでしまうわ」
「過大な評価ですよ」
「随分と卑屈なのね。まあいいわ……ともかく、スリザリンが完璧に統制できているなんて私は思っていない。独裁なんて虚しい夢よ――だから、別に貴方が心の中で何を考えていても構わないわ」
くっと歯を食い締めた。ユスティヌは微笑む。 喧騒は遠い。彼は独りだった。
「ただ、この混沌を把握できる人間が必要なの」
呼吸が速くなる。彼女が望む応えを搾り出した。
「何がお望みで……"女帝"?」