「さあ、どうする」
少年は皆に問いかけた。薄暗い戦車内には、エンジンの振動と微かな金属音だけが響いていた
「取り敢えず撃ってみます?」
秋山は提案を出した
「え、闇雲に撃っても……」
西住は不安げな声を上げた
「ああ、それに音がすればこちらの位置を悟られるし、砲弾にも限りがあるからな」
少年は冷静に指摘した しかしこのままでは埒が明かないもの事実だ
「ねぇ!真っ先に生徒会潰さない?教官女の人だったんだもん!!」
武部は頬を膨らませて不満そうに言った 先日、生徒会チームに騙されたことをまだ根に持っているようだ
「まだ言ってるんですか?」
五十鈴は操縦桿を握りながら、呆れたように小さくため息をついた
「全くだ まあ、それには賛成だ」
意外にも、少年は武部の突拍子もない提案に同意した
「えっ どうして」
西住は目を丸くして少年に問いかけた 彼女には、なぜ少年が武部の意見に賛同したのか分からなかった
「日頃の恨みを晴らす絶好のチャンスだからな。代案があるのなら出してくれ」
少年の口元には、かすかな笑みが浮かんでいた それは、単なる冗談なのか、それとも本心でいっていのか、西住には分からなかった
「私が決めていいんでしょ!車長なんだから」
武部は得意げに胸を張った 彼女は、自分がこのチームのリーダーであることを改めて主張したかったのだろう
「…うん」
西住は仕方なさそうに頷いた 今の状況では、誰かが決断を下さなければならない
「じゃぁ、生徒会チームのいる方へ前進!で、どっち?」
武部は勢いよく人差し指を前に向けそう言ったが生徒会チームのいる方角は分からなかった
「「「「………」」」」
当然だが誰も生徒会チームのいる方角は分からなかった
「じゃあ まずは偵察から… 伏せろ!」
少年が偵察を提案しようとした、まさにその瞬間、鋭く短い叫び声が車内に響いた
その数秒後、けたたましい轟音と共にⅣ号戦車全体が激しく揺さぶられた 咄嗟に少年と西住はハッチを開け、周囲の状況を確認する 数メートル先の地面がクレーターのように大きく抉れ、黒煙がもうもうと立ち上っている 明らかに敵の砲弾が極めて近い場所に命中したのだ
そして数百メートル先に、砲塔から白い煙を上げている旧式の八九式中戦車が見えた その砲身は、明らかにこちらを向いている
「8時の方向 距離130メートル 89式中戦車発見」
少年は冷静に状況を報告した 少年の声は震えることなく、状況を正確に伝えている
「ええっ どうしよう」
突然の出来事に、車長の武部は完全にパニックに陥っていた
「相手は一両です。応戦しましょう!西住殿!」
砲手の秋山は、射撃照準器を覗き込み、強気に進言した スペック上、Ⅳ号戦車の方が火力、装甲ともに優れており、この距離ならば十分に撃破可能だと判断したのだろう
「あっ うん」
西住は慌てて返事をし、砲弾ラックから砲弾を取り出そうとした
「いや まずいな」
少年は西住の動きを制止した 少年は、八九式中戦車だけでなく、周囲の地形をも警戒していた
「9時の方向 距離300メートル 三凸発見」
少年の新たな報告に、車内の空気はさらに張り詰めた 八九式一両だけならばまだしも、強力な75mm砲を搭載するⅢ号突撃砲が加わった状況では、正面から撃ち合うのは得策ではない
「怖ーい!!逃げよぉー!!」
武部は半泣きになりながら撤退を叫んだ 彼女の声は震え、今にも泣き出しそうだった
Ⅳ号戦車は、けたたましいエンジン音を上げながら急発進し、その場から逃走を開始した 履帯が地面を激しく掻きむしり、車体は大きく揺れた 直後、先ほどまでⅣ号戦車がいた場所に、三凸が放った砲弾が着弾し、巨大な土煙が舞い上がった 逃げるⅣ号戦車を、二両の戦車は執拗に追いかけてきた
「どうしましょう?」
操縦手の五十鈴は、冷静な声で指示を仰いだ
「挟まれた!あっちに逃げよ!」
武部はパニックになり、何とも伝わりにくい指示を出した
「聞こえません?」
しかし、武部の指示は戦車の騒音にかき消され、五十鈴には全く聞こえなかった
「ええっと 右斜め前!」
武部は動揺しながらも冷静に、操縦席の五十鈴の右肩を棒で叩いた
「西住さん 装填してくれ こちらも応戦しよう」
少年は後方の迫り来る戦車を見ながら、冷静な声で西住に提案した
「えっ でも闇雲に打っても当たる確率は低いよ」
西住は驚いたような表情を浮かべながら 少年に意見した
「ああ、確かに動きながら打つわけだから命中率は低いだろう。だが少なくとも牽制にはなるだろう」
少年はそう説明した 敵の追撃を遅らせ、逃げるための時間稼ぎが必要だと判断したのだ
「でも」
西住は後方の迫り来る戦車を不安そうに見つめながら言った
「偵察は俺に任せろ 西住さんは装填を頼む」
少年はそう言って西住に装填するのように頼んだ
「…わかりました。何かあれば報告お願いします」
西住は覚悟を決めたように頷き、砲弾を手に取って装填を始めた 彼女の表情には、先ほどの迷いはもう見られない
少年は西住が車内に戻るのを見届けてから、再びハッチから身を乗り出し、周囲の状況を警戒した 改めて確認しても、八九式と三凸以外の敵戦車の姿は見当たらない しかし、敵の砲撃は依然として続いており、油断はできない状況であった
少年が周囲を確認し終えたのとほぼ同時に、再び敵の砲弾が飛んできた 二発ともⅣ号戦車の近くに着弾し、爆風と破片が吹き荒れた 向こうも何となくコツを掴んできたのだろう
少年がそのように考えているとこちらの砲塔が敵の二両に向けられ、砲弾が発射された しかし、発射された砲弾は大きく目標を逸れ、遥か彼方へ飛んでいった この打ち方は行進間射撃と呼ばれるものであり、初めての実戦射撃であることを考慮すれば、無理もない結果だった だが、こちらの反撃を受けたことで、敵の二両は一瞬動きを止めた
(多少の効果はあったみたいだな)
少年はそう心の中で呟きながら、前方に目をやった 森林地帯を抜け、視界が開けた草原に出ようとしていた 周囲に敵の影は見当たらない このまま一気に走り抜けようとしたその時だった
前方の切り株のそばに、一人の女子生徒が本を顔の上に置いて横たわっているのが目に入った 斜面だったこともあり、発見が遅れてしまった
戦車と彼女との距離は、わずか数十メートルしかなかった
「停止!」
少年は慌てて車内に飛び込み、張り詰めた声で五十鈴に叫んだ
「えっ」
五十鈴は予期せぬ少年の指示に一瞬戸惑ったが、すぐに急ブレーキをかけた 突然の衝撃に、車内は騒然となった 乗員たちは前のめりになった
「何急に」
武部は不満そうな声を上げた
「どうしたの」
西住は心配そうに尋ねた 彼女は、何らかの異常事態が発生したことを察知したのだろう
「いや 進行方向に人が…」
そう言いながら少年は再びハッチを開け、横たわっていた生徒を確認しようとした すると、先ほどまで地面にいたはずの女子生徒が、Ⅳ号戦車の上にうつ伏せに倒れていた 見ていなかったので断定はできないが、おそらく戦車に飛び乗ることは成功したものの、着地に失敗したのだろう
(…何とか最悪の事態は免れ…)
少年がそう安堵した瞬間、その女子生徒がうつ伏せのままゆっくりと顔だけを上げた その顔を見て、少年は一瞬固まった それは今朝、少年と西住が介抱した冷泉麻子だった
「…何やってんだ 冷泉さん」
少年は我に返り冷泉に問いかけた
「君こそ 何をやっているんだ」
冷泉は少年の質問には答えず、逆に少年に聞き返した
「…見ての通り授業中だ」
少年は当たり前のように答えた
「あれ 麻子じゃん」
少年と冷泉が言葉を交わしていると、武部がハッチから顔を出し、冷泉を見て驚きながらそう言った
「…沙織か」
冷泉は武部の顔を見て、小さく呟いた どうやら二人は顔見知りのようだ
「あっ 今朝の」
西住もハッチを開けて外の様子を確認し、冷泉の姿を見てそう言った 彼女は、今朝の出来事を思い出したようだ
「あれ?みほ、麻子のこと知ってんの?」
西住の意外な反応を見て、武部は驚いたように質問した 二人が知り合いだとは思っていなかったのだろう
「うん 今朝会って お友達」
西住はそう答えて、武部と冷泉の様子を交互に見ながら、二人の関係を尋ねた」
「うん、幼馴染み。何やってんのこんなところで。授業中だよ」
武部は西住にそう答え、冷泉に呆れたように言った
「知ってる」
冷泉は相変わらず低い声で答えた 彼女の言葉は少なく、感情が読み取りにくい
「いつものサボりだろう」
少年は冷泉の代わりに答えた
「君も人のことは言えないだろう」
冷泉も負けじと言い返した
「…ねえ 2人は知り合いだったの」
武部は二人のやり取りを見て、改めて確認するように尋ねた
「ああ」
冷泉は短く答えた
「多少な。でも今はそれより…」
少年が話を切りかけたその時、背後から再び砲弾の音が聞こえてきた 音の大きさからして、三凸と八九式が追撃してきているのだろう 五十鈴はすぐにⅣ号戦車の前進を再開した
「あの 危ないので中に入ってください」
西住は身を乗り出し、冷泉に叫んだ
「ああ、だが1人余るぞ」
少年の言葉通り、Ⅳ号戦車は五人乗りだ 現在、少年、西住、秋山、五十鈴、武部の五人が乗っており、冷泉を加えると一人余ってしまう 誰かが戦車から降りなければならない
「どうしよう」
武部は完全に混乱し、オロオロしながら言った 彼女は、このような緊急事態にどう対処すべきか分からず、完全に思考停止している
「…」
西住は深刻な表情で考え込んだ。彼女は、誰が降りるべきか、そして降りた後はどうすればいいのか、必死に考えているのだろう
「…俺が降りる」
静かに、しかし毅然とした声で首を鳴らしながら少年が言った
少年の目は、既に覚悟を決めた色をしていた
「えっ」
西住は驚いたように顔を上げた 彼女は、少年がそのようなことをいうとは思っていなかったのだろう
「ジョン、何言ってんの」
武部は信じられないといった表情で叫んだ
「別に変なことは言っていない俺は偵察に出る 偵察はルール上問題ないはずだ」
少年はストレッチをしながら冷静に答えた 少年の声には、迷いは一切ない
「えっ そうなの」
武部はルールを知っている西住に確認を求めた
「確かに問題ないけど…」
西住は不安そうに言った 無線機もない状況で、少年がどのように情報を伝えるのか心配なのだろう
「モールス信号を使う ポイントはあの大木の頂上で」
そう言いながら少年は、腕時計型の端末を点灯させ、遠くの森林の中に一本だけ高くそびえ立つ大木を指差した その木は、周囲の木々よりも一段と高く、遠くからでもよく見えた
「でもここからじゃ」
西住は距離がありすぎることを指摘した そこまで数キロはあるだろう
「そうだよ。それにどうやってあんなところに行くの」
武部も少年の無謀な提案に反対した 大木の高さも相当なものだ
確かに、そこまでの距離は数キロはあるだろう。大木の高さも、およそ30メートルはあるように見える 普通の人間ならば、数十分はかかる距離であり、たどり着いたとしてもあの大木の登るのは困難である
「5分ってところだな」
少年は自信に満ちた表情で、大木までの距離と自身の脚力を測って言った
「えっ」
西住は目を丸くして驚愕した
「そんなの無理だよ」
武部はありえないとばかりに首を横に振った
「まあ見てな」
少年はそう言い残し、躊躇なく戦車から身を躍らせ、近くの木の枝に飛び移った 彼の動きは俊敏で、まるで訓練された忍者のようだ そして、次々と木から木へと飛び跳ねながら、あっという間に大木の方へ姿を消していった
「ええっー」
武部は信じられないといった声を上げた 彼女の目は、森の奥へと消えていく少年の姿を食い入るように見つめている
「…すごい」
西住はただただ目を瞠っていた 彼女は、少年の驚異的な身体能力に言葉を失っている
「…まるでターザンだな」
冷泉の声はいつも通りだが、少年の動きを見て驚いたような表情をしていた
三人は、驚愕の表情で少年が深い森の奥へと消えていくのを見送った 彼の姿は、あっという間に緑の木々に飲み込まれて見えなくなった
「…とりあえず …中 入ろっか」
武部は呆然とした様子で呟いた
「うん そうだね」
西住は力なく頷いた 彼女の心には、少年の無事を案じる気持ちと、これからどうなるのかという不安でうめつくさていた
そして、三人は静かにⅣ号戦車の車内へと戻って言った