「はぁ、はぁ……かなり鈍っているな」
少年は、ぜいぜいと息を切らしながら呟いた。木々の間を縫うように跳躍し、枝から枝へと軽やかに飛び移っていく。その身のこなしは常人離れしているが、少年自身は違和感を感じていた
(…少し鍛え直す必要があるな…っと)
少年がそんなことを考えているうちに、目標としていた大きな木が目前に迫った。自身の右腕にしている時計型の端末で時間を確認する。
(5分か…。あと登るのに1分ぐらい必要だな…)
そう思い、少年は捕まった枝を支点にして体を一回転させた。その勢いを利用して跳ね上がり、目指す頂点へと向かっていく。
一方、その頃、武部が叫んでいた。
「もうしつこい!」
彼女が乗る戦車は、三凸と八九式に執拗に追いかけられていた。車体は大きく揺れ、砲塔は旋回しながら後方の敵を捉えようとする。
「すいません! 外しました!」
砲手である秋山が、焦った声で報告した。放たれた砲弾は、敵の戦車には命中せず、大きく逸れていく。
「大丈夫! そのまま続けて!」
西住は、冷静に装填しながら秋山にアドバイスを送る。その声には、一切の動揺が見られない。
「振り切れませんね」
操縦士の五十鈴が、静かに呟いた。ハンドルを握る手には力がこもっている。
「…辛い」
冷泉が、苦しそうに呟いた。その顔は青ざめている。
「大丈夫!?」
西住が心配になり、冷泉に尋ねた。
「麻子、低血圧だから…」
幼馴染である武部が、西住の問いに答えた。冷泉は普段から低血圧に悩まされており、この狭い戦車の中ではいつも以上に苦しいのだろう
「ジョンさん、まだでしょうか」
五十鈴が、操縦しながら尋ねた。その瞬間、車内の全員の動作が止まった。ジョンとは、このチームの偵察に出ている少年のことだ。
「確かに、もう5分以上過ぎてます」
秋山が砲撃を一時中断し、時間を確認して言った。全員の顔に不安の色が浮かぶ。
「何かあったのかもしれないな…」
冷泉がそう答えた
「ええっー! なら連絡しないと! 誰かジョンの連絡先を持っている人は…」
武部がパニックになりながら尋ねたが、誰も少年の連絡先を知らないようだった。車内に沈黙が流れる。
「「「「……」」」」
「嘘ー! どうしよう!」
武部は、半狂乱になりながら叫んだ。
「ジョン君…」
西住は、そう呟き、ハッチを開けて少年の目標地点である大きな木を見つめた。すると、その目的地から規則的に光が点滅しているのが見えた。モールス信号だ。
「ジョン君!」
西住は、嬉しそうに叫んだ。その声は、安堵と喜びに満ちていた。
「はぁ、はぁ…6分か。まあ及第点だな…」
少年は、その大きな木の頂上で息を整えながら自己評価した。そして、懐から取り出したライトを点滅させ、『目標地点に到着した』とモールス信号を送る。少年がモールス信号を送り終えると、向こうから『大丈夫』と、こちらの安否を尋ねる信号が送られてきた。どうやら、時間になっても信号がなかったので、何かあったのかと心配してくれたようだ。
「全く、さっきまで砲撃に晒されていた奴らに安否の確認をされるとは…」
少年は、少し嬉しそうにぼやいた。気遣ってくれたチームメイトに感謝しながらも、状況の厳しさを再認識する。少年はモールス信号で『問題ない、今から戦況を伝える』と送った。向こうから『了解』の合図をもらうと、直ちに戦況の情報収集を開始した。
目を凝らし、周囲を注意深く見渡す。戦況を確認すると、現在IV号戦車と交戦しているのは三凸と八九式だけであり、残りの38tとM3は確認できなかった。そして、IV号戦車は吊り橋の架けられた場所に出ようとしていた。向こう岸に渡るには、その吊り橋を渡るしかなかったが、当然橋の上では行動が制限されるため、砲撃に当たる確率が大きい。しかし、橋を渡らなければ、後ろの二両に背水の陣で向かわなければならない。
少年はモールス信号でIV号戦車に『前方に吊り橋を確認』と連絡を送った。すると彼女らから『橋を渡って向こう岸に行きます。偵察を続行してください』と送られてきた。どうやら彼女らはあの橋を渡って向こう岸に行くようだ。幸いなことにまだ三凸と八九式からは射程距離外であったので渡ることができるだろう。しかし、その橋はとても古びており、戦車が通れるのか疑問だった。
IV号戦車が橋の前に停車すると、西住がハッチから降りて橋の状態を確認した。周囲のワイヤーや鉄の板の強度を確かめ、そしてそのまま戦車を誘導した。どうやら戦車が通れる程度の強度はあるようだが、戦車が前進する度に橋がミシミシと大きく揺れているのが確認できた。
この調子なら橋を渡れるだろうと思った少年は、あたりを注意深く偵察していると、橋の向こうから38tとM3が縦に並んで橋に向かっているのが確認できた。少年は急いで西住にモールス信号でそのことを伝えた。
すると西住も想定外のことで動揺していた。彼女の顔色が変わる。そして、彼女が一瞬目を離した瞬間に、IV号戦車が左に寄って履帯がワイヤーの手すりに擦れた状態で前進し、摩擦で手すりが切れてしまった。Ⅳ号の車体の重量で橋は大きく左に傾いた。
「!」
少年はそれを見て焦った。このままでは橋から落ちてしまう。高さは数十メートルもあり、落ちると大惨事になりかねない。少年は木から飛び降りてそして懐からフラスコボトルを取り出し、中の不思議な液体を飲み干した。全身に力が漲るのを感じる。少年はフラスコボトルを懐にしまい、落ちた先の木の枝を踏んだ。かなりの高さから落ちたので木の枝は異常なまでにしなり、その張力を持って少年はIV号戦車の方に跳躍していった。
「落ちるー!」
一方、IV号戦車の中では、橋の吊り材を履帯で切って大きく揺さぶられながら武部が叫んだ。車内は悲鳴と怒号に包まれている。
「落ち着いて! 華さん、一度後退して! ッッ!」
車内に戻った西住が皆を落ち着かせ、指示を出そうとした時、IV号戦車の中に衝撃が走った。
車内が騒然とした。ついに敵の砲弾がIV号戦車を捉えたのだ。西住がハッチから後方を確認すると、IV号戦車の後方で煙が上がっており、そして数百メートル先の三凸の砲身から煙が上がっていた。直撃を食らったのだ。
「華、大丈夫!?」
「五十鈴殿!?」
武部と秋山が五十鈴の無事を気遣う。
「操縦士失神、行動不能…」
秋山が、辛そうに報告した。西住は武部と秋山の声を聞いて、急いで五十鈴の容体を見た。目視による限り外傷はなく、呼吸も安定しているようだ。どうやら先ほどの砲弾の衝撃で気を失ったらしい。西住は五十鈴を隣の通信席に移した。
「運転は苦手だけど、私がやるしか…えっ!?」
西住が代わりに操縦手をすると決めた瞬間、突然Ⅳ号が動き出し、落ちそうになっていたⅣ号がバックして橋の真ん中に移動して体勢を立て直した。皆が操縦席の方を見ると、そこには冷泉が少年の作成したマニュアルを見ながら操作している姿があった。
「麻子、運転出来たんだ!」
武部は、冷泉が戦車を操縦できることに驚愕していた。
「今、覚えた」
冷泉は、さも当然のように答えた。その言葉に、武部と秋山は目を丸くする。
「今!?」
「流石、学年主席…」
秋山と武部は感心した。その冷静さと学習能力に、冷泉のすごさを思い知らされた
「秋山さん、三凸に照準を合わせて!」
西住は、状況が打破するために、素早く指示を出した。
「はい!」
秋山は、西住の指示を受けて三凸に照準を合わせるのであった。その時、三凸と八九式から煙が上がった。白い煙が視界を覆う。
「「えっ!?」」
それを見た西住と秋山は驚いていた。何が起こったのか理解できない。そしてよく見ると、何者かが橋のケーブルに飛び移り、こちらに向かっているのが見えた。その人物は、見慣れたシルエットだった。
「ジョン君!」
「ジョン殿!」
そう、その人物は偵察に出ていた少年であった。
数分前、三凸では、
「カエサル、装填!」
車長のエルヴィンが、装填手のカエサルに装填の指示を出していた。緊迫した状況の中、次の一撃でIV号戦車を仕留めるつもりだ。
「急ぐぜよ!」
操縦士のおりょうが、装填を急かす。時間との戦いだった。
「少し待ってくれ! 思っていた以上に砲弾が重い…」
カエサルは苦しそうにそう答えた。砲弾は種類によるが75ミリ砲弾の重量は6kgから7kgであり、いきなりこれらを持ち上げて砲弾に装填するのはかなりの重労働であった。汗が額ににじむ。
「はぁー…装填完了!」
カエサルが、渾身の力を込めて砲弾を装填した。
「よし、次で仕留める!」
砲手の左衛門はそういい、IV号戦車に狙いを定めた。
すると、小さな爆発音がしたと同時に、三凸が煙幕で覆われた。視界が真っ白になる。
「なっ、何だ!?」
三凸は、その煙幕に動きを停止した。
「無事か」
少年は橋のケーブルからIV号戦車に飛び移り、車内の確認をした。その声には、少しばかりの疲労が滲んでいる。
「ジョン君!」
少年の姿を見て、西住は安堵した。その顔には、心配と安堵が入り混じった表情が浮かぶ。
「ジョン、大丈夫!?」
武部が、少年の安否を尋ねた。
「君らほどではない。みんなは?」
少年はそう答え、逆に皆の安否を尋ねた。
「はい、私たちは無事ですが、五十鈴殿が…」
秋山が、五十鈴の状態を報告した。少年は通信席の方を見ると、ぐったりしている五十鈴がいた。
「無事なのか」
少年は尋ねた。
「大丈夫だ。気を失っているだけだ」
「そうか。……」
少年はそう聞いて安心した。そして少年は質問に答えた人の方を見てみると、そこには戦車の操縦桿を握って操縦している冷泉の姿があった。その姿を見て少年は一瞬固まった。
「何だ…」
少年が固まって冷泉の方を見ていると、冷泉が尋ねてきた。少年の意外そうな顔を見で少し不機嫌になっていた
「…運転できたのか」
少年は硬直が解けて、素朴な疑問を問いかけた。
「さっき覚えた」
冷泉は、当たり前のように答えた。
「…(流石だな)なら操縦は任せた。西住さん、引き続き俺が偵察する。装填を頼む」
少年は、冷泉のあまりの学習能力に驚いたが、すぐに気持ちを切り替え、指示を出した。状況を冷静に分析し、最善の手を打つ。
「わかりました」
西住は、少年の言葉に力強く応えた。そう言い、少年は戦車の上で辺りの確認をした。三凸と八九式はまだ煙幕で確認できず、38tもM3もまだこちらからは確認できなかった。
少年が状況を確認し終えると、IV号戦車の砲身が三凸がいた方角に向けられていた。
「周囲に新たな敵影なし」
少年は西住にそう伝えた。
「わかりました。優花里さん、行けますか!?」
西住は砲弾を装填しながらそう答えた。
「いえ…煙幕で敵の補足ができません」
秋山がそう答えた。
すると少年はライトを取り出し、高く上空に放り投げた。するとその光ったものに三凸が砲撃を、八九式が機銃をそれぞれ放った。
「行けるか!?」
少年は秋山に尋ねた。
「はい、補足しました! 合図を!」
秋山は少年の質問に答え、西住に合図を頼んだ。
「撃て!」
西住は一度深呼吸をして、強い声で号令を出した。IV号戦車の放った砲弾は煙幕の中に飲み込まれていき、ほぼ同時に爆発音が響き渡った。砲撃の衝撃で煙幕は晴れて、三凸の様子が確認できた。三凸からは白い旗が立っており、戦闘不能になっていた。
「やったー!」
武部は嬉しそうに叫んだ。
「やりました! 一両撃破です!」
秋山が、戦果を報告した。その声には、興奮が隠せない。
「次をお願いします!」
西住は装填しながら次の指示を出した。そして秋山は、先ほど機銃のマズルフラッシュがした方角に照準を合わせた。
煙幕が晴れ、照準器の真ん中に八九式が姿を現した。そして同時に砲弾を発射した。八九式の砲弾はわずかに逸れたが、こちらの砲弾は直撃しており、八九式からは白い旗が立った。
「やった! 二両撃破!」
武部がますます嬉しそうに叫んだ。その顔は、喜びに満ちていた。
「まだだ! 前方より38t戦車、接近! 奥にM3戦車発見!」
少年は浮かれている武部を抑えて、新たな情報を伝えた。少年の言う通り、橋の向こう側から38t戦車が急接近しており、距離は100メートルを切っていた。
「秋山さん、砲塔を回してください!」
西住は急いで秋山に指示を出した。
「了解です!」
秋山は急いで砲塔を旋回させた。
(間に合わない…仕方ない……えっ)
少年がそう思いどこからかカプセルボールを取り出した時、38tから砲撃を受けた。しかし、その砲撃は明後日の方角に飛んでいった。敵の攻撃が逸れたことに、少年は驚きを隠せない。
「…再装填までまだ時間はある。それに距離も近くなった。落ち着いて狙え!」
少年はカプセルボールをどこかにしまい、急いで指示を煽った。そしてIV号戦車の砲身は38tに照準を向けて砲弾を発射された。砲弾は38tに直撃しており、38tから白い旗が立った。
「あとはM3戦車だけだ。まずは橋を渡って……」
少年がそう指示を出そうとしたら、M3はどこか土の柔らかいところに埋まってしまい、そのまま履帯が切れて爆発し、白い旗が上がった。まさかの自滅に、少年は言葉を失う。
『Bチーム、Cチーム、Dチーム、Eチーム、行動不能。Aチームの勝利』
長野教官から試合終了の宣言が伝えられた。
「やった! 私たち勝ったんだ!」
武部は、勝利を喜んだ。
「勝ったと言うより、相手が自滅したと思ったほうがいいだろう」
冷泉がそう指摘した。
「でも、勝ちは勝ちだ!」
少年そう言い、戦車の上で大の字になって、天上を見上げた。
「やりました、西住殿!」
秋山は感動のあまり西住に抱きついた。
「うん」
西住は動揺しながらも答えた。その顔は、喜びと照れ隠しが混じっている。
「あっ、すいません!」
我に返った秋山が西住から離れて、土下座しながら謝った。
『回収班を派遣するので、行動不能の戦車はその場に置いて戻って来て』
長野教官から無線が飛んできて、撃破された戦車の乗員は倉庫前まで戻って行った。
「冷泉さん、頼めるか」
少年は冷泉に、とりあえずこの橋を渡ってもらおうとした。
「仕方ないな」
冷泉は仕方なく戦車を前進させて橋を渡った。
「ジョン君」
少年が戦車の上でくつろいでいると、ハッチから西住が顔を出してきた。
「どうした、西住さん」
少年は西住と向かい合った。
「ありがとう」
西住はそう言いながら、手を差し伸べてきた。
「……こちらこそ」
少年は、何に対しての感謝の言葉なのかは理解できなかったが、少年も拳を握りしめて西住に差し伸べた。
「あっ、えへへ」
そうすると西住は嬉しそうに笑い、自身の手を握りしめて少年の拳と軽く突き合わせた。その瞬間に、少年も言葉では言い表せないほどの充実感を感じていた