「ただいま姉御」
少年は戦車の整備を終え、ようやく宿舎に帰り着いた ずっしりと重い疲労感に、少年は思わずため息をついた
「おかえりー 随分と遅かったわね」
数秒後、地下から店の彼女が出てきた タンクトップとカーゴパンツ姿の彼女は、少年の顔を見るなり、冷蔵庫の方に顎でクイッと指し示した その仕草はいつものことで、少年は迷うことなく冷蔵庫へと向かう
「授業が長くてな これからしばらくこれぐらいの時間になるかもな 店にはあまり顔を出せないかも」
少年は冗談げに言い手にしていた荷物を近くに置き、冷蔵庫から冷たい水の入ったペットボトルを取り出すと、彼女手渡し、彼女はそれを受け取る
「いいわよ でも帰る前に一報は入れなさい」
彼女はペットボトルを受け取りながら、自身の腕につけられたデバイスを指差した その言葉に、少年は意外そうな顔をする
「…意外だな ペットボトルを投げつけられると思っていたが」
少年が正直な感想を漏らすと、水分補給を終えた彼女は、ペットボトルを正確に少年の顔面に投げつけた 少年はそれを軽く受け止め、冷蔵庫に戻す
「相変わらず失礼で小僧らしいわね それに今はAIロボットで運用することができてるから」
マスターが運営する喫茶店は、配膳用、調理用、自動会計など、様々なAIロボットが導入されており、かなりの機械化が進んでいた 初めてここに来た時からあったが今ではかなり精度が上がっており、今となっては彼女1人で回せるようになっていた
「全く、大したもんだな AIの実用化はまだ先だと思っていたが」
少年はマスターの技術力には、いつもながら驚かされた
「何を言っているの 私は世界一の科学者であり開発者よ これぐらいは当然だわ それはそうと、はい」
そう言って彼女は、一枚の資料を少年に手渡した。資料に目を通すと、そこには専門的な機材の購入記録が記されている
「早急に持ってきて欲しいの」
彼女は、有無を言わさぬ口調で機材の搬入を指示した
「…今から夜のおつかいか 姉御…今日は色々あって疲れているんだが…」
少年は乗り気ではなさそうに答えた 戦車の整備に授業、そしてまた仕事 体が鉛のように重い
「まあそう言うな 少年 礼は弾むから」
彼女は少年の両肩に手を置き、にこやかに言った その笑顔の裏に隠された威圧感を、少年は敏感に察知する
「…なら、休息を与えてくれ それが一番弾み…」
「…これ以上私に言わせる気か、少年」
少年の言葉を遮るように、両肩に置かれた手に力がこもる 物理的な痛みはなかったが、その圧力に少年は観念した
「…わかった わかりましたよ 全く人使いが荒い」
少年は小さく呟き、重い足取りで格納庫へと向かった
「よろしい 言った通りに礼は弾むから」
彼女はそう言い残し、少年を見送った
「全く 何で女ってのはこんなに人使いが荒いんだ」
翌日、少年は不満げなことを言いながら学校に向かっていた 昨夜の機材搬入は、想像以上に骨の折れる作業だった 昨夜は思った以上に天候が荒れて自動操縦が搭載されていてもかなり疲れるものであった 因みに彼女の「礼は弾む」という言葉は、まだ現実のものとなっていない
ピピッ、ピピッ
こんな朝早くに、突然デバイスが鳴り響いた 確認すると、電話をかけてきたのは秋山だった少年は少々困惑したが、小型のイヤホンを耳につけて電話に出た
「あっ、ジョン殿!大変です!急いで来てください!」
少年が電話に出るやいなや、秋山が焦ったように叫んだ どうやら何かが起こったらしい
「落ち着け、秋山さん 何があった?」
少年は努めて冷静に秋山を落ち着かせ、情報を聞き出そうとする
「いえ、本当に大変なんです!戦車が!」
「戦車?」
どうやら戦車に何かあったようだ しかし、昨日の終わりに修理、整備したばかりだ その時には特に問題はなかったはずだ だが、秋山が嘘をついているとも思えなかった
「わかった すぐ向かう」
少年はそう言い、通話を終了すると、急いで戦車のあるグラウンドへと向かった
「…何だ パレードでもするのか…」
少年がグラウンドに駆けつけると、目の前に広がる光景に思わず呆然とした 戦車の塗装が、まるで別の乗り物のように変わっていたのだ
いや、それはもはや塗装というより、仮装と言った方が適切だろう
八九式中戦車の側面には、まるで選挙カーのように「バレー部募集」と書かれた文字が堂々と描かれている どうやら戦車を広告代わりに使っているようだ その発想に、少年は言葉を失った
三号突撃砲は、様々な色がランダムに塗装され、新選組や海援隊、真田六文銭や風林火山の旗が所狭しと刺さっている あれでは三突の最大の長所である隠密性が完全に失われてしまっていた
M3リー戦車は、単色の真っピンクに塗られていた。一体何をどう考えれば、このような色を選ぶことができるのか 少年には全く理解できなかった
そして、38(t)戦車は、金色に塗り替えられていた その金色は、日の光を浴びて強烈に輝いており、遠くから見ても一目瞭然だ まるで黄金の塊がそこにあるかのような存在感を示していた
しかし幸いにも、IV号戦車だけは外装に変化はなかった それは唯一の救いだった
「…かっこいいぜよ」
「支配者の風格だな」
「ふむ」
「私はアフリカ軍団仕様が良かったのだが…」
「これですぐ自分の戦車がわかるようになった!」
「やっぱピンクだよね~」
「かわいい~」
「うん、いいねー」
それぞれが搭乗する戦車の塗装に、満足げな声が上がっていた 彼女たちの感性に、少年はただただ困惑するばかりだった
「これ、ジョンさんがやったんですか?」
五十鈴が少年に尋ねた 少年はそのように思われたことに少し落胆した まさか自分がこんな悪趣味なことをするはずがない
「まさか 俺が帰った後で一体何があったんだ」
どうやら少年が整備を終えた後、彼女たちがこの“改装”を行ったようだ
「むー 私たちも色塗り変えればよかったじゃん!」
武部が頬を膨らませながら叫んだ どうやら彼女も塗装の変更を試みたらしい おそらく秋山あたりに止められたのだろう
「ああ、38(t)が!三突が!M3や八九式が何か別の物に~!!あんまりですよね!西住殿!ジョン殿!」
案の定、秋山はその戦車たちを見て頭を抱えていた どうやら彼女が朝早くに電話をかけてきた理由はこれだったらしい
「ふふっ、ふふふっ」
すると、西住が突然笑い出した その笑い声は、どこか楽しげで、少年は少し驚いた
「に、西住殿?」
突然笑い出した西住に、秋山が少し心配そうに尋ねた
「どうした、西住さん。そこまでおかしいか?」
少年はあまりにも笑っている西住に尋ねた
「うん だって戦車をこんなふうに使うなんて考えられないけど……なんか楽しいね 戦車で楽しいと思ったの初めて!」
西住は笑顔でそう言った どうやら彼女は戦車の塗装が変更されていることに対して、かなり好意的であった 他のメンバーもそれ以上塗装のことに関しては語らなかった
「一列横隊!」
少年はイヤホンマイクに向かってそう叫んだ すると、戦車は横一列になり、走行を続けた 現在は訓練中である 少年が現場監督を務めることになった 初めに実践的な演習を行ったが、やはり基礎は重要だと少年は痛感していた 彼女たちの走行足並みはまだバラバラで、編成を組むのに手間取っている これを素早くできるかできないかで、戦況がガラッと変わってしまうため、走行訓練はひたすら練習あるのみだった
「一列縦隊!」
少年が指示を出すと、今度は横一列から縦一列に陣形を変えた まだ始めたばかりなので、走行足並みはまだバラバラで、編成を組むのに手間取っていた しかし、これが素早くできるようになると戦況を優位に進められるため、ひたすら練習を重ねるしかなかった
「打ち方用意!撃て!」
次の訓練は、射撃である 少年が合図を送ると、それぞれの目標めがけて砲弾が発射された 比較的目標に命中しているのは、IV号戦車であった
どうやら五十鈴は操縦士よりも砲手の方が得意だったようだ 冷泉の運転技術といい、IV号戦車のメンバーはかなり優秀であった
他のチームも目標にそれなりに命中していた 初めての訓練にしては上出来だろう
だが、金色に輝いている38(t)の砲撃は、遥か彼方に飛んでおり、目標に当たる気配が全くなかった
「おい、全く当たらないぞ!どうなっている!」
少年に川嶋から無線が入ってきた 何となく予感はしていたが、砲手は彼女のようだった
「知らん。問題はあんたの方にあるだろ」
少年はそう言い返した
「違う!問題があるのはこの戦車の方だ!」
川嶋もそのように言い返した
「(はぁー)了解。確認に行く。他は引き続き砲撃を再開してくれ」
少年はこのままでは埒が明かないと思い、他のメンバーには訓練を再開させ、自身は38(t)戦車に向かうのであった
「お疲れー」
少年が38(t)に乗り込むと、会長は干し芋を食べながらそう言った その暢気な態度に、少年初めて呆れてしまった
「どうも 代わってくれ」
少年は、早急に戦車には問題がないことを証明したかった
「フン。いいだろう。やってみろ」
川嶋も自身は悪くないと言わんばかりの態度で答えた 彼女の自信過剰な態度に、少年は呆れを通り越して感心した
少年は砲手の席に座り、目標を補足し始めた
「目標、500メートル、角度10度」
すると川嶋が目標座標を示してきた 気づけばハッチから出て双眼鏡で目標を補足していた それには少年も驚かされた
「オーライ。捉えた」
少年は言われた目標に照準を定めた
「フン、当たるものか」
河嶋は悪態をつきながら言った その言葉には、どこか挑戦的な響きがあった
「3、2…ファイヤ」
少年が合図をして砲弾を発射した 放たれた砲弾は、正確に目標のど真ん中に当たった
「なっ」
「すごい!」
「やるねー」
その様子を間近で見ていた3人は驚いていた 会長は干し芋を落とし、小山は目を丸くしていた
「次の目標は?」
少年は驚いて固まっている河嶋に指示を仰いだ
「ああ、次は………
…目標、前段命中……」
それから少年は数回、言われた目標に発射したが、全て命中していた 弾道は完璧で、微塵もぶれることがなかった
「…やはり問題があるのは戦車ではなく、砲手のようだな」
少年はわかりきっていたように言い放った 河嶋は何も言い返せず、悔しそうに顔を歪めた
「ジョン君、どうすれば桃ちゃんは当たるようになるの…」
小山が少年に尋ねた その声には、心配の色が滲んでいた
「うるさい!桃ちゃんと呼ぶな!」
川嶋が小山を怒鳴りつけた
『狙撃に必要なものは、何よりも生まれ持ったセンスだ これについては、訓練ではどうにもならない センスのない者はいつまでたっても上達はしない』
少年は随分前にそう言われたことを思い出した しかし、それを直接伝えるのはあまりにも酷であり、それをいうことはできなかった
「せいぜい精進することだ」
そう言い、少年は38(t)から降りて行くのであった それからそれぞれの訓練が夕方まで続いた 少年はその後も、各戦車の砲撃状況を確認し、助言を与え続けた
「今日の訓練、ご苦労だった」
河嶋の号令で、今日の戦車道の練習は終了した 戦車道の練習が終わったのは、夕陽が傾きかけていた頃だった 空は茜色に染まり、グラウンドには長い影が伸びていた
「「「お疲れさまでした!!」」」
戦車道履修登録者は、生徒会三人組の前に整列し、練習終わりの挨拶をした 西住以外の皆は、初めての練習のためか疲れた表情をしていた
「ジョン 今日全体を通して感想を言ってみろ」
「えっ」
皆とは少し離れた位置にいた少年に、河嶋が突然話を振ってきた 少年は突然のことに驚いたが、それ以上に倦怠感が強かった そしてそれは皆同じだろうと思い、なるべく簡潔に終えようとした
「あー、今日は初めてで色々大変だったと思うが、これから慣れてくるので焦らず精進するように。以上」
少年は皆の前に歩み出て、簡潔に話をして締めた もっと気の利いた言葉をかけるべきだったかとも思ったが、今はそれほど頭が回らなくそれ以上の言葉が出てこなかった
「それでは解散!」
河嶋が号令し、皆はそれぞれの場所へと散って行った グラウンドにいた面々が次々と去っていく中、少年は戦車の点検を始めた 明日の練習に備えて、入念にチェックしなければならなかった
「やあ、ジョンちゃん」
「……」
少年が練習終わりの点検をしていると、会長が突然話しかけてきた その声には、どこか含みがあるように聞こえる 少年は明らかに何かを警戒していた 会長が自分に話しかける時は、大抵ろくな用事ではないと経験から学んでいた
「ジョン君、落ち着いて いつもみたいな雑用じゃないから」
小山がそう言い、少年を宥めた 少年は、生徒会が自身に雑用を押し付けてくるのが、もはや「いつものこと」として認識されていることに、初めて気づいた
「なら何だ?」
少年は不機嫌そうに答えた 雑用ではないというのなら、一体何の用があるというのだ
「貴様には別件を頼みたい」
川嶋が要件を伝えた その表情はなぜかとても真剣なものであった
「別件?」
少年は嫌な予感を覚えた