「ボクシングのタイトルマッチでもあるのか」
少年は、さいたまスーパーアリーナを埋め尽くさんとする群衆と、その巨大な威容を眺めながら、呆然と呟いた。
「何を言っている。今日は戦車道の全国大会の抽選だ」
河嶋桃が眼鏡のブリッジを押し上げ、焦れったそうに言葉を返す。彼女の言う通り、これからこの巨大な器の中で、全国から集った少女たちの運命を決める抽選会であった。
少年は、戦いへと向かう大洗女子学園のメンバーを静かに見送った。女子生徒ばかりの集団の中に男子が混ざれば、戦略的にも心理的にも無駄に注目を集める。そう判断した彼は、抽選が終わるまでの数時間、休息できる場所を探し、路地へと紛れ込んだ。
しばらく歩き回り、賑わいから隔絶された裏路地へ入ると、一軒の変わった喫茶店が視界に飛び込んできた。入口には土嚢やポリタンクが積まれ、左右には精巧な戦車の模型や毛布が敷かれている。看板に刻まれた名は『戦車喫茶ルクレール』。その無骨な佇まいは、どこか大洗にある「戦車くらぶ」を連想させた。
「…それなりに需要はあるようだな」
少年は皮肉めいた独白を零し、扉を開けた。店内はさらに徹底されており、客席の合間に土嚢やドラム缶が配置され、軍服に身を包んだウェイトレスたちが、機敏に働いていた。
「いらっしゃいませ。2名様でよろしいでしょうか」
「…2名?」
ウェイトレスの言葉に、少年の思考にわずかな違和感が走った。自分は一人でここを訪れたはずだ。しかし、その疑問は即座に上書きされた。
「ああ、2名で」
「…!?」
背後から放たれた聞き覚えのある声。少年が振り返ると、そこには平然とした顔のアダムが立っていた。彼は迷いなく指を二本立て、ウェイトレスと視線を交わしている。
「こちらのテーブルでお願いします」
「…いつからいた」
「お前が裏路地に入ったあたりから」
アダムは少年の警戒を気にする風もなく、促されるままにテーブルについた。
「ご注文は」
「マテ茶」
「ドリップコーヒー」
言葉短く注文を終えると、ウェイトレスは見事な敬礼を捧げ、音もなく厨房へと戻っていった。
「それにしてもずいぶん個性的な店だな。これほどこだわっているとは…」
アダムは感心したように周囲を見渡し、戦車を模したインターホンに興味を惹かれたように手を伸ばしたが、少年の無言の、しかし鋭い制止の視線を受けて手を引っ込めた。
「アダム… 何の用だ」
「…相変わらず無愛想で冗談の通じない奴だ …ネイキッド」
「あいにく、お前が会いに来て面倒ごとがなかったことなど、一度もなかったからな」
少年はこれまでの経験から、アダムという男が現れる時はいつも碌でもないことを知っていた。
「…普通のニュースと悪いニュースがある。どっちから聞きたい」
アダムが放つ空気が、一瞬で重苦しいものへと変質した。冗談の通じない男に、冗談ではない現実を突きつけるための「間」だ。
「…どっちも聞きたくない」
少年は吐き捨てるように言い放ち、興味を失ったかのように窓の外に視線を逸らした。
「なら悪いニュースから言う。俺たちが中東でとっ捕まえたカタストロフィアの一員が逃亡した」
窓の外を見ていた少年の意識が、瞬時にテーブルへと引き戻された。
「…自力で逃走したのか」
「…いや、おそらく内部に協力者がいたんだろう。あまりにも用意周到だった」
「…いつの頃だ」
「2日前だ。俺が知ったのは昨日だがな」
絶妙なタイミングで、ウェイトレスがマテ茶とドリップコーヒーを運んできた。その香りが、死線の匂いを一時的にかき消す。
「大佐はそのことを」
少年は動揺を悟られぬよう、淡々と話を促した。
「そのことなんだがな。今後は彼ではなく、俺がコンタクトを取ることになった。これまで通りのやり方でも問題ないが、万が一に備えてな」
アダムの言葉の裏にある「懸念」を、少年は敏感に感じ取った。おそらく何かが変わったのであろう。
「…」
「だがそう心配するな。お前の居場所がバレることはない。もし見つけようとする者がいれば、俺がなんとかしよう」
「…何とも頼もしいことで。なら、お前の言う良いニュースってのは?」
少年は皮肉な笑みを浮かべ、本題であるはずの「良い」とされる情報に触れた。
「…カタストロフィアについてだ」
アダムの口から漏れたその組織名は、世界を裏側から破壊する正体不明のテロ集団。
「それが良いニュースなのか」
「カタストロフィア。俺の予想通り、奴らはPMCの一つだ」
「傭兵。要するに、金で雇われる部隊か」
少年の声に冷酷な響きが混じる。
「だが並の傭兵じゃない。人間離れした傭兵集団… 要するにかつてのお前らの代わりになったようなもんだ」
「確かに… 中東のあの男。不意を突いたから制圧できていたが、正面から対峙していたら結果は分からなかった…」
少年はかつての戦いを脳裏に再現し、戦慄した。
「ああ… アウターエデン崩壊後、高度な任務は奴らが行っている。もっとも、あんたらとは違い、過激で無差別だがな」
「…別に俺たちも義賊でもなかったが。それで、連中の規模は」
「少数精鋭… 数は片手があれば数えられるだろう」
「…物は言いようだな。それで、素性がわかる奴は一人もいないのか」
「いや、一人いる」
アダムが差し出した一枚の写真。それを目にした瞬間、少年の時間は停止した。写真の男は、鏡を見ているのではないかと錯覚するほど、少年と同じ顔をしていた。しかし、決定的に違う。髪や肌の色、そして何より瞳の奥に宿る、全てのものを破壊せしめん猛獣の光。
「…流石に驚いたか。髪の色や肌こそ違うが、何もかもお前に瓜二つだ」
「…俺に双子が」
「ジョン・Ω(オメガ)・レックス。そう呼ばれているようだ」
「ジョン… Ω… レックス」
少年はその名を咀嚼する。自身と同じ顔とコードを持つ男。
「…一応聞いておく。この男を知っているか」
「…俺に家族はいない」
少年の答えは即答だった。過去の記憶は曖昧だが少なくともこんな男に見覚えはなかった。
「そうか。何かわかったら連絡しよう。あと…」
アダムは、無造作にメモ用紙をこちらに渡してきた。そこには、緊急時の連絡先が殴り書きされている。
「…何か必要な時があれば連絡をくれ。できる限りのことはやってやる」
アダムはそれだけ言い残すと、冷めたコーヒーを一気に飲み干し、伝票をひったくるようにしてレジへと向かった。
「…恩に着る」
少年は、店外へ消えていく背中に向け、自分でも驚くほど静かな声でそう呟いた。
しばらく経つと、静かだった店内が急に騒がしくなってきた。時計の針を見る限り、アリーナでの抽選会が終わったのだろう。戦車道という競技の特性上、客のほとんどが女子高生だ。
「……長居するのも悪いな。さっさと出るか。……ん?」
腰を浮かせようとした瞬間、腕時計型の携帯端末が震えた。表示された名前は「西住」だった。
「…西住さんか、どーした?」
『あっ、ジョン君。今抽選会が終わったんだけど、今どこに居るの?』
「ルクレールって喫茶店だ」
『あ! 私たちも今からそこに行こうって話してたんだ。優花里さんが前々から行ってみたかったって』
少年には、秋山がこの店に入り喜んでいる姿が容易に想像できた。
「そうか。それで一回戦の相手は?」
『うん、会って話したいから待ってもらってもいいかな』
「了解。だが早く来たほうがいい。店も混んできた。1人でテーブルを占領しているのは店にも悪いからな」
『うん! すぐに行くから!』
「…なんか頼むか」
電話でのやり取りを終えて、少年はメニューを追加するのであった。
「わ! 何これ?」
「これ、ドラゴンワゴンですよ!」
「ケーキも可愛い~」
合流した大洗女子Aチームの面々を迎えて、再びティータイムが始まった。先ほどのアダムとの密談のような重苦しい空気は一切ないので、少年も幾分か気が楽だった。彼女たちは運ばれてきたドラゴンワゴン型のトレイと、戦車の形にデコレーションされたケーキに夢中だ。
「それで、一回戦の相手……サンダース大学付属高校だったか?」
少年は手元の資料に目を落とす。戦車道の知識は浅いが、いくつかの強豪校の名前くらいは耳に入っている。
「うん……。ごめんね、一回戦から強いところと当たっちゃって」
西住の様子を見る限り、相当な強敵のようだ。しかし、少年にはピンと来なかったので、少年は腕時計型端末を操作し、瞬時に情報を探った。
「サンダース大付属ってそんなに強いんですか?」
「強いというより、とてもリッチな学校で、戦車の保有台数は全国一位なんです! チーム数も一軍から三軍まであって……」
五十鈴の問いに、秋山が即座に反応した。
「え? ちょっと、そんなのうちが勝てるわけないじゃん!!」
武部が悲鳴を上げる。大洗の戦車は5両。相手は三軍まである。まともな計算をすれば試合にすらならない。
「公式戦の一回戦は戦車の数は10両までって決まってますから。砲弾の総数も制限があります」
西住の補足に、少年は小さく頷いた。
「なるほどな。逆に良かったんじゃないか?」
「えー、何がいいの?」
「サンダース大附属は主にアメリカの戦車、シャーマンを使っての圧倒的な物量を活かした戦術を使ってくる。後になればなるほど厄介な相手だ。初戦で当たったのは存外悪いとは言えないな」
「でも10両って……うちの倍じゃん。それは勝てないよぉ」
「…武部さん。ほとんどどこの学校と当たっても、向こうは10両揃えてくるぞ。むしろこっちが5両っていう数字の方がおかしいんだ(まあ、一両の豆戦車で出場したところもあるが…)」
「ではこちらは1両につき、相手2両を撃破すればいいんですね」
「ううん。公式戦はフラッグ戦だから、相手のフラッグ車さえ撃破できれば勝ちだよ」
「要するに、場合によっては一両だけ撃破すれば勝てるって訳だ」
「なんだ……それなら! って、うちもそうだからこっちが不利なのは同じじゃない?」
武部が少年の言葉に噛み付く。
「まあ…その通りだ」
少年はマテ茶を啜った。
「……単位は?」
今まで黙々とケーキを解体していた冷泉が、ジロリと少年を睨んできた。
「負けたら貰えないんじゃないか?」
「……おい」
冷泉の瞳に恨みの色が宿る。
「俺はちゃんと『好成績を収めたなら』と言ったぞ」
冷泉は低く唸ると、フォークでケーキの履帯部分を乱暴に突き刺して口に運んだ。あのフォークの先が自分に向かないことを祈るばかりだ。
「まあ、そう悲観するな。勝てばいいんだ。勝てば」
少年は、落ち着いた声で言った。
「あっ! そうだよね! 全国大会は中継されるんでしょ? ファンレターとか来たらどうしよー!!」
「生放送は決勝だけですよ」
「よーし、なら決勝にいけるように頑張ろー!!」
(そうだ、勝てばいいんだ、勝てば……?)
少年は心の中でそう唱えた。現金なものだが、その単純さが今のチームには必要かもしれない。そんなことを考えていると、端末にアイリスからの着信が入った。
「ほら、みほもジョンも早くケーキ食べようよ」
「うん、ジョン君も食べよう」
「…悪いが呼び出しだ。先に食べててくれ」
少年は席を立ち、人気のないところへ移動した。その際、武部に「早く戻ってきてよ〜」と言われ、軽く手を振って応える。
「じゃあ、先に食べよっか」
「……副隊長?」
武部が再度口を開こうとしたその時、背後から声をかけられた。
「……えっ?」
西住の手が止まる。声のした方を一同が振り返ると、そこにはジャーマングレーの制服を着た二人の少女が立っていた。一人は銀髪のショートロングヘアーの少女。もう一人は茶髪のボブヘアで吊り目の少女。
「あぁ……、元、でしたね」
「……お姉ちゃん」
「「「えっ」」」
西住の言葉に、大洗のメンバーが驚愕に目を見開く。
そこに立っていたのは、西住流次期後継者であり、黒森峰女学園の隊長、西住まほ。去年のMVPにして、高校戦車道界の頂点に君臨する怪物。そして、西住みほの実の姉であった。