ガールズ&パンツァー 少年の女子高戦車生活   作:ダオダオ

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危機

夕焼けができてきた頃、二人の影は古びた看板を掲げる喫茶店の前に止まった。

 

潮風に混じって、焙煎された豆の香ばしい匂いが微かに鼻をくすぐる。そこは少年ジョンにとって、単なる店ではなく、寄宿先でもあった。

 

「ジョン君…ここって」

 

隣に立つ少女、西住が不安げに声を漏らす。彼女の瞳には、夕暮れの街角に取り残されたような戸惑いが映っていた。少年はポケットに手を突っ込み、短く息を吐く。

 

「…俺の寄宿先だ、話を付けてくるから少し待ってくれ」

 

そう言い残すと、少年は『準備中』の札が揺れる扉を迷わず押し開けた。カランコロンと乾いたベルの音が響き、少年店内の暗がりへと消えていく。残された西住は、燃えるような夕焼けを背に、独り心細そうに自分の裾をぎゅっと握りしめていた。

 

「…おかえり少年」

 

カウンターの奥、磨き上げられたグラスを拭いていた女性――この店のアイリスが顔を上げた。いつもならからかうような明るい声で迎えてくれる彼女だが、その瞳にはどことなく拭いきれない陰りが宿っている。

 

「姉御… 悪いが少し店を借りてもいいか」

 

少年がカウンター越しに切り出すと、彼女は手を止め、訝しげな視線を彼に向けた。

 

「…どうして」

 

「…少し彼女と話がしたい」

 

少年の視線が、窓の外で所在なげに待つみほへと向く。それを見たアイリスは、わざとらしく溜め息をついてみせた。

 

「…こんな時に、女の子を連れてくるもんかね…」

 

「…そう言う意味じゃない だが、あまり人に聞かれたくない話だ なるべく人目につかないところはここしかないんだよ」

 

「まあ、こっちの件は後でいいわ」

 

「…やはり何かあるのか」

 

少年の問いに、店内の空気が一瞬で重たく沈んだ。彼女は視線を落とし、低く、含みのある声で告げる。

 

「ええ、でも貴方の用が終わってからでも良いわ。紅茶でいいよね」

 

「ああ すまないな」

 

 

 

 

 

 

 

間もなく、厨房から華やかな紅茶の香りが漂ってきた。

 

「どうぞ」

 

「あっ ありがとうございます!」

 

運ばれてきた二つのマグカップ。湯気の向こうで、アイリスは一度だけに柔らかな視線を送ると、音もなく奥の部屋へと姿を消した。今はまだ営業時間外。少年が頼み込み、この静寂を一時的に貸し切りにしてもらったのだ。

 

「ジョン君、さっきの人は」

 

温かいカップを両手で包み込み、一口すすった西住が尋ねる。彼女にとって、少年とあの大人びた女性の不思議な関係性は、少しだけ理解の範疇を超えていた。

 

「…保護者ってところだな」

 

「保護者…」

 

西住の顔に、まだ完全には納得しきれていないような表情が浮かぶ。少年は声のトーンを落とした。

 

「まあ、色々あるんだよ あんたと同じように」

 

「えっ」

 

その一言で、西住の動きが凍りついた。カップを持つ指先が、微かに震える。

 

「元黒森峰女学院戦車道の副隊長…で合ってるよな」

 

「…うん」

 

消え入るような声だった。名門・黒森峰。九連覇という重圧の中で、彼女は仲間を救うために戦線を離脱し、その結果、勝利を逃した。正しかったのか、間違っていたのか。その答えの出ない問いを抱え、彼女はこの学園に逃げるようにやってきたのだ。

 

「…西住さん…すまなかった 今ならあんたがなぜこの学校に来たのか、わかる気がする 知らなかったとはいえ、君に嫌なことを言ってしまって…」

 

少年は椅子から立ち上がり、深く、深く頭を下げた。

 

「…いいよ、知らなかったなら仕方ないよ」

 

「いや、君に嫌な思いをさせたのは事実だ 本当に申し訳ない」

 

「いいよ本当に、むしろ気を遣ってくれてありがとう」

 

西住の優しい声が、少年の心を打つ。彼女は自分を責めるどころか、少年の不器用な誠実さに微笑みを返した。

 

「西住さん…」

 

「今まで誰も私のこと、ないがしろにされてきたし、ここまで思ってくれたことなかったから」

 

ポツリと漏らした言葉。そこには、エリート校で背負わされてきた孤独と、深い悲しみが沈んでいた。少年はかける言葉を見つけられず、ただ黙って彼女の瞳を見つめるしかなかった。

 

「だからもう謝る必要はないよ」

 

「…」

 

ようやく、西住は少年の謝罪をその柔らかな心で受け入れてくれたようだった。

 

「…ジョン君は選択科目、何を選んだの」

 

「…戦車道」

 

少年は、ほんの少しの沈黙の後に答えた。それを聞いた西住の目が大きく見開かれる。

 

「えっ、でも」

 

「ああ、知っての通り、男子が公式戦に出ることは認められていない 俺は裏方だ」

 

「…そうか。そうだよね」

 

西住は納得したように、けれどどこか寂しげに俯いた。

 

「西住さん…」

 

「実は、沙織さんも華さんも戦車道がやりたいらしくて、それで私もまたやってみようと考えたんだけど…」

 

彼女の優しさは、時に危うい。自分のトラウマよりも、友人の願いを優先しようとするその姿勢。少年は、彼女が自分自身を犠牲にして、いつか壊れてしまうのではないかという懸念を抱かずにはいられなかった。

 

「西住さん…少なくとも確かなことは、君が戦車道をするのも、しないのも、君の自由だ だからこそ、自分の意思で決めればいい 猶予は明日まである」

 

「…でも」

 

「それに、選択科目が違うだけで、武部さんや五十鈴さんともう会えなくなるわけじゃないだろ」

 

「ジョン君…」

 

励まそうとして、けれど少年は言い淀んだ。

 

「だが……いや……何でもない すまなかったな 時間を取らせて…」

 

「ジョン君…」

 

「?」

 

 

 

 

 

時は、その日の昼休みへと遡る。

 

西住は、少年に言われた通り、勇気を出して武部や五十鈴たちと一緒に昼食を取ろうと決めていた。

 

しかし、不器用さが災いしたのか、急いで片付けようとした拍子に筆箱を机から落としてしまう。床に散らばるシャーペンや消しゴム。慌てて拾い集めていると、追い打ちをかけるように上から教科書が頭に降ってきた。

 

「痛っ……」

 

ようやく全てを拾い終えた頃には、教室はもぬけの殻。他の生徒たちは既に食堂へと向かっていた。

 

結局、西住が一緒に昼食を取ることができたのは、いつもどこか所在なげな少年だけだった。しかし、彼を探そうとした矢先、無情にも生徒会からの放送が響き渡る。

 

「……(どうしよう)」

 

唯一、気兼ねなく話せる相手がいなくなり、彼女は立ち尽くす。その時――。

 

「ヘイー、かーのじょ。一緒にご飯どう」

 

「ふぇぇ」

 

驚きながら振り返ると、そこには満面の笑みを浮かべた西住と、穏やかに微笑む五十鈴が立っていた。

 

「沙織さん、西住さんが驚いてるじゃありませんか」

 

「あぁ、ごめんごめん」

 

「あの、よければ一緒にお昼どうですか」

 

五十鈴が、少し遠慮がちに、けれど温かな眼差しで尋ねた。

 

「わ、私と、ですか」

 

「はい、西住さんがよろしければ」

 

「こっ、こちらこそよろしく、お願いします」

 

三人が並んで歩く。食堂での賑やかな時間は、西住の不安を少しずつ溶かしていった。

 

「いやー、みほってジョンが言ってた通りの人だね」

 

「そうですね 聞いていた通りの人ですね、みほさんは」

 

教室に戻ってからも、会話は弾む。

 

「え、沙織さん、華さん、それってどう言う…」

 

「うん、ジョンがいつもおどおどしてるけど、小動物みたいな人って」

 

「おどおど…小動物…」

 

西住は自分の評価に少し赤面し、肩をすくめる。

 

「でも、他人のことを思いやることのできる人って」

 

五十鈴の言葉に、今度は顔が真っ赤に染まった。

 

「実は、私達一度西住さんと食事をしたいと思ってたのですが、タイミングが合わなくて」

 

「そうそう、そこでどうしようか悩んでたら、昨日ジョンが西住さんを誘って欲しいって」

 

その瞬間、西住は悟った。少年は自分がいない場所でも、彼女のために居場所を作ろうと動いてくれていたのだ。

 

「……武部さん達も、そうだったんだ」

 

「えっ」

 

「と言うことは、西住さんも」

 

「うん 私が転入した時は、それぞれのグループができていたから そしたらジョン君が、武部さん達なら大丈夫だって言ってくれて。武部さんはとても親しみやすくて話しやすいって。五十鈴さんは、芯があって誰にでも親切に対応してくれる、大和撫子のような女性だって。私も今日話して、武部さんは明るくて親しみやすくて、五十鈴さんは落ち着いてて芯が強そうで大人っぽくて、二人とも本当に素敵だよ」

 

真っ直ぐな言葉。その裏表のない称賛に、武部と五十鈴は顔を赤らめ、照れくさそうに俯いた。

 

「沙織さん、華さん……あっ」

 

西住が視線を感じて振り返ると、教室の外に佇むジョンの姿があった。彼は静かに教室から離れようとしていた。

 

「…言ってきなよ、みほ」

 

武部が優しく背中を押す。

 

「ええっ?でも」

 

「そうです。私たちは後で構いませんから」

 

五十鈴もまた、慈しむような笑みで頷いた。

 

「みほ、ファイト」

 

「…二人とも、ありがとう」

 

友の応援を受け、西住は少年の元へと駆け出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ありがとう」

 

西住はにかんだ笑顔を見せた。少年は意外そうに眉を寄せる。 

 

「…なぜ礼を言う。俺は…」

 

「ううん、本当にありがとう」

 

「…」

 

少年には、彼女がなぜそこまで深く感謝しているのか、その全ては分からなかった。

 

「じゃあ、えっと」

 

外を見ると、夕闇が街を藍色に染め上げる頃であった。西住は慌てて自分の財布を探し出すが、少年はそれを制した。

 

「…前の看板を見てなかったのか 今は営業時間外だ」

 

「いや、それは悪いよ」

 

「構わない 呼んだのは俺だ」

 

少年も立ち上がる。

 

「…悪かったな。時間をとらせて」

 

「…いや、ありがとう」

 

みほはもう一度、大切にその言葉を伝えると、喫茶店を後にした。

 

「用は済んだ 色男」

 

奥からアイリスが、意地の悪い笑みを浮かべていた。

 

「茶化すなよ姉御 まぁ忙しい中、時間を取ってくれたことには感謝するが」

 

「へぇ〜。よくわかったね」

 

「明らかにいつもと雰囲気が違っていたからな。それで、何かあったのか」

 

少年の鋭い指摘に、彼女は視線を屋上へと向けた。

 

「屋上のテラスに行けばわかる」

 

「…誰が来ているのか」

 

問いに答えず、彼女は新しく淹れた紅茶を差し出した。湯気の香りに、少年は全てを察する。

 

「…なるほど」

 

「察しがいいわね」

 

「あまり嬉しくないな」

 

少年は重い足取りで階段を上がり、潮風の吹き抜ける屋上テラスへと向かった。

 

 

 

 

 

「…遅かったな。紅茶が冷めてしまった」

 

そこにいたのは、スーツ姿の男――ジェイムズ・ジョンソン大佐がテラスのテーブル椅子に紅茶を手に取り座っていた。少年の形式上の保護者だ。

 

「ここは海風がよく当たるからな きっとそのせいだろう」

 

少年は持ってきた温かい紅茶を差し出す。

 

「久しぶりだな、ジャック」

 

「ああ、こうして会うのは一年ぶりだな、大佐」

 

少年は大佐に彼と向かい合うように座った。

 

「そうか もうそんなに経つのか 時が経つのは早いな」

 

「ジャネーの法則か 俺はそこまで長くは感じなかったが」

 

軽口を叩き合う二人。しかし、少年はその空気の中に微かな違和感を覚えていた。

 

「悪い知らせか」

 

「…ああ…」

 

大佐は一口、紅茶を啜り、口を開いた。

 

「まず昨日はご苦労だった。」

 

昨日のテロを未遂に終わらせたことだろう。

 

「どうも それで連中の素性は掴めたのか」

 

「ああ、奴らは現地のゲリラだ。今回のテロで多額の金を得るつもりだったようだ。」

 

「…あまり言いたくはないが珍しいことではないな」

 

「特に今の状況ではな そして奴らが雇ったのがこいつだ」

 

そういい大佐は懐から一枚の写真を取り出した。写真に写っているのは昨日少年と対峙したヒスパニック系の男だ

 

「…この男はやはり」

 

少年は写真の男を見つめてそう尋ねた。

 

「ああ、カタストロフィアの一員だろう テロリストからはミゲルと呼ばれていた。」

 

「…奴はどこに」

 

「…キューバの収容所 グアンタナモ収容所に送らせている」

 

「国内法も国際法も存在しないブラックサイト…か …他にもありそうだな」

 

少年は大佐の険しい表情を見て、本題は、別にあると思い尋ねた。

 

「…この学園艦は、来年には廃艦になる」

 

「何だと まさか俺や姉御の存在がバレたのか」

 

あまりに唐突な宣告を受け、動揺を隠しきれなかった。

 

「いや、それはない筈だ。学園艦には莫大な維持費がかかる。コスト削減のために成果に乏しい学園艦を廃艦にするそうだ」

 

「…学校は」

 

「もちろん廃校になる。生徒に関しては、他校に分配されることになっている。まあそれも、君次第だな」

 

大佐は目を細め、少年の反応を試すように言った。

 

「君は戦車道を知っているな。今年から君の学校で再開しただろう。そこで全国大会で優勝することだ。それだけの成果を出すことができれば、この学園艦を存続させることができるだろう」

 

それができなければ、転校。バラバラになる日常。少年は沈黙の末、ゆっくりと口を開いた。

 

「…この学園艦に残る道を選ぶ」

 

少年がそういうと大佐は動きをピタッと止めた。

 

「…意外だな 君がそこまでするとは…何かあるのか」

 

「…色々あったんだよ この一年間」

 

少年はに答えた。

 

「…さっき店に来ていた子か」

 

「…さぁ どうだろう」

 

はぐらかす少年に、大佐は満足げな笑みを浮かべ、一束の書類を渡した。大洗がかつて所有していた戦車の詳細なデータだ。

 

「ありがとう、」

 

「ジャック。私はもう大佐ではない」

 

別れ際、男はそう言った。

 

「わかった……大佐」

 

少年はあえてそう呼び、立ち去る背中を見送った。

 

階段を降りると、アイリスが壁に背を預けて待っていた。

 

「あなたも災難ね」

 

「ああ、嫌な予感はしていたが、まさかこの船がタイタニック号とは知らなかったな」

 

「そうとも限らないわ 少年 君が残るのなら、私も残るよ」

 

ぶっきらぼうな彼女なりの絆。少年はそれを「光栄なことだ」と皮肉で返した。

 

「それで、なぜわざわざここに残ろうと思ったの」

 

「…正直、自分でもよくわからん だが、少なくともここの居心地は決して悪くないことは確かだ。それに…」

 

脳裏に浮かぶのは、夕暮れに笑った少女の顔。

 

「…やっぱりさっきの子に気があるんだ」

 

「…ああ、あと彼女とは… いやなんでもない」

 

沈みゆく太陽が、店内を長く、暗い影で覆っていく。

 

 

 





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