OVERLORD:The Invisible Watchmaker 作:Stormgren
「いやあ、
黒いローブを纏う人骨が、滑らかな所作で対面のソファを薦める。
「ありがとうございます。僕も、この世界での
促されるまま腰を下ろした少年――
目の前の相手は、戦闘能力だけで比べれば自分よりも弱いだろう。だがそんな
少なくとも、自分が彼と同じ立場に置かれていたら、彼よりも上手くやれる自信はない。
当然その骨は、ただの
スレイン法国、建国の祖たる六大神。
最後の一柱、死と闇を司る神、スルシャーナ。
カイたち八人より百年前にこの世界へ転移してきた、ユグドラシルプレイヤーの生き残りである。
法都の一角。カイとスルシャーナの会談は、和やかな空気のうちに始まった。
主にスルシャーナが語り、カイがそれを聴く形だ。なにしろ積み重ねてきた歳月が違う。死の神には語るべきことが、慈悲の王には聞きたいことが、いくらでもあった。
白骨の指が、古びた日記帳のページをめくるたび、神話の裏側が紐解かれてゆく。
リアルでは学校の教師を長く勤めていたこと。
ユグドラシルでかつての教え子たちと再会し、彼らのクランに引っ張り込まれたこと。
後に結成されたギルドの
サービス終了日、打ち上げに集い、最後の瞬間まで残った六人。
気づけばギルド拠点もろとも、この見知らぬ世界に転移していた。
劣等種として狩り立てられ、滅びゆく現地の人間たち。同じ人間として、義憤と使命感に駆られたギルドメンバーら五人が、彼らを救おうと動いた。
若さゆえの無鉄砲さ、正義感、情熱、傲慢さ。さらには、強烈な個性を持った拠点NPCたち。
それらを年老いた自分が、アンデッドの種族特性ゆえか凪いだ心で落ち着かせ、導き、まとめ上げていった。
数多の苦悩があり、困難があり、戦いがあり、選択があった。
当初は困惑していた六人も、村落以上の秩序を持ち得ず生きていた人々を信仰の鎖で律するため、神と呼ばれることを受け容れた。
敵対的な亜人種を蹴散らしてゆく中で、その後ろ盾となっている
都市を築き、技術を教え、法や制度を整備し……竜たちと折衝し、互いの領土と縄張りを確認し、殺し合いを避けるための取り決めを交わした。
いつしか歳月は過ぎて。
国は大きくなった。神々は老いた。その血を引く多くの子孫が産まれ、とくに優れた才を受け継ぐ者たちは、人類の藩屏たる〝神人〟となった。
スルシャーナだけが老いず、子も成せず、ただ国家の興隆と教え子たちの成長を――そして老衰を――見守り続けた。
残るは異形の
己の人間性が失われつつあることに、彼は気付いていた。既に人間種が同族でなく、動物の一種としか認識できなくなって久しい。
それでも、教え子たちが築いたこの国だけは、守らなければならないと思った。
あるいはそう信じることで――執着をよすがにして――最後に残った人間性の残滓を、血も肉もないこの
「そんなわけだから、ぼくとしては領土をこれ以上広げるつもりも、竜たちに喧嘩を売るつもりもなかったんだけどねえ」
スルシャーナの声色は朗らかなままであるのに、話題が現在の情勢に及ぶや、空気が硬く張り詰める感覚。
カイは頭を下げる。随行させたNPCが慌てて止めようとするのを、一瞥で制した。
自分が意図したことではなく、ましてや指示など出してもいないが……それでも
「ご迷惑を……おかけしています」
この世界へカイと共に転移してきたプレイヤー七人のうち、現在進行形で侵略戦争を繰り広げている者が二人。
規格外の軍勢強化能力を持ち、人間の敵すべてを駆逐せんと、怒れる民を率いる『征服王』――セントエルモ。
強大なマジックアイテムを無数に保有し、なおも世界の財宝すべてを手中に収めんと、略奪に明け暮れる『奢侈王』――イクルミ。
遠慮も配慮もリアルに置き忘れてきたかのような二人の蛮行が、いま大陸全土に波紋を広げつつある。
「彼らの気持ちも解らないではないんだよ。ぼくの教え子たちも、来たばかりの頃はどこか、ユグドラシルのモンスター狩りの延長みたいに思っていた節があってね。人間を襲って食べる異種族は、見つけ次第害獣か何かのように
ただ、対等以上の力を持った
比較的早いうちに、ツアーやトリシュ女史のような〝穏健な方の〟
しかし、きみのところの二人は……たぶん、
政治的な落とし所を見据えた、示威や恫喝の手段として戦争を仕掛けているのではなく。
若き日の六大神のように――あるいはそれ以上の苛烈さと、武力を持って――
そして、竜たちとの衝突で止まらざるを得なかった自分たちと違い……交渉に移る機も掴めず、そのまま
同じ懸念を共有していると示す意味で、カイは頷く。
「おそらくは。……彼らの根底にあるのは、窮地の人間種を救うという〝
苦り切ったカイの顔と声色。
スルシャーナは興味を惹かれた様子で、赤い眼光を遠く明滅させている。
「責めるつもりで言うのじゃあないが……問題意識があるのなら、なぜ止めないんだい」
「僕だって、この世界で同格のプレイヤー二人と本格的に敵対するのは、人並みに恐ろしいですよ。
でも、戦って、負けて死ぬことより……
かたかたと寒々しい音を立てて、スルシャーナの頭蓋骨が揺れた。どうやら笑ったらしい――と気づけたのは、続く声の興がるような響きを聞いてから。
「自分の強さに、絶対の自信を持つ人の悩みだねえ。
「傍目には傲慢な心配をしているんだろうな……とは、自分でも思いますよ」
それでもカイは、セントエルモとイクルミに勝つだけならさほど難しくはない、と見立てている。これはユグドラシル時代から、あるいはそれ以前からずっと鍛え続けてきた、競技者としての勝負勘のようなものだ。この感覚を疑うことだけは、できない。
ゆえに可否は問題ではなく、是非だけが問題であり続ける。
勝ち得る。だが、勝つべきか。
見ず知らずの異界で、人間種にとっては生存競争の敵手でもある、何の義理もない亜人や異形を。
同じゲームを遊び、思い出を共有した〝仲間〟を殺めてまで、救うべきなのか。
それは間接的に、人間種を滅ぼす道に続いてはいないか――。
力に狂ったプレイヤーなど仲間ではない、と断じられたらよかった。
さもなくば、こんな世界がどうなろうと知ったことではないと――人には到底背負えぬ重責など捨てて、いっそセントエルモらに同調できたらよかった。
どちらも選べないから、いまもカイはこうして悩み続けて、百年の先達に助言を求めようとしている。
縋るような少年の目に、神なる老骨は助言も、指示も与えなかった。
「……
圧。その意味を解して、カイの表情が色を失う。
同じプレイヤーが暴れているから。それだけのことで、主戦派に立っていない他の臨時ギルドメンバー五人や、無関係のスルシャーナにも累が及ぶのではないかと危惧してはいた。
が、それが事実であると聞かされれば。
具体的な影響の形を知らされてしまえば、罪悪感も募る。
「同じ
とりあえず、ぼくやNPCたちも含めて、法国はあの二人に与することはない。同じプレイヤーと言えどね。竜たちには、そういう宣言をさせてもらうつもりでいる……。
中立で済めば御の字だけど、それ以上を求められるようなら……取引だね。こちらも、
「何か……とは」
「それは交渉次第さ。いやー、
おどけたように、肩をすくめてみせる白骨。躱されたのだと、カイは察した。
スルシャーナはおそらく、同郷のプレイヤーによってもたらされたこの難局を乗り切るために、法国が支払わねばならない代償の予想がついているのだろう。
それが何であるか、カイには測り知れない。しかしこの場で――互いの護衛としてNPCが控える、会談の席で――口にするのが憚られる内容であろうことは、解った。
「きみはぼくと一緒で異形種だから、最悪あの二人が寿命で老いて死ぬまで、ただ待つという手も採れる。何を選んでも悔いが残りそうなら、いっそ何も選ばないという選択もありだろう。
けれど、もし選ぶのなら……決断は、早い方がいい。これはぼくの経験則なのだけどね。大事な選択ほど、先延ばしにしても良いことはないものだよ」
歳月に裏打ちされた言葉。人生訓としては凡庸で、しかし数え切れぬ後悔の重さが影を落としている。
その古傷に触れる勇気を、カイは持たなかった。
カイが退出した後、しばしの時を経て。
闇の神が居残る応接間に、一人の少女が入室する。
歳の頃は十二か三か。法衣から覗く肌は浅黒く、砂色の髪を丸く束ねている。
彼女は
「問題なくお帰りいただけたかい」
「はい。……闇の神よ、一介の巫女が御身に問いかける不遜をお許しください。
本当にあれが、浮遊都市の少年王……カイ様なのですか」
少女は今しがた、白ずくめの少年を聖殿の外まで護送する任務を与えられ、果たしてきたばかり。
事前に少年の正体については言い含められていたものの、その情報は真偽を神に問いたくなるほど疑わしいものだった。
闇神スルシャーナは些かも気分を害した様子なく、むしろ人の子に話しかけられることを喜んですらいるように、かたかたと笑う。
「そうだよ。カイ君は驚くほど、〝普通の人〟だったろう?
プレイヤーにも色々いる。この世界に来るなり、力に溺れて暴れる手合いもいれば……どうにか自分を律して、人間性を手放すまいと足掻く者もね。
だが時が経てば、その葛藤も薄れる。人は変わるものだ。慣れて、緩んで、摩耗して……巨大な力の器に相応しい、神へと成り果てるのさ」
少女には神々の事情など解らない。
彼らが何処から来て、かつては何であったかなど、教えられていない。
それでも、若くして神人の力に覚醒した彼女には、他より多くの真実が開示されている。それらと神の言葉を照応させれば、推測できることはある。
そして、あの白い少年も、やがて
「……あの子供が、〝競食の計〟に役立つとお考えですか?」
「ああ見えて、個人技では最強のプレイヤーとも呼ばれた御仁だよ。ちょっと優柔不断なところはありそうだけど、今のところ人格的にも
でも、これから状況がどう変わるかは、ぼくにも読めない。場合によっては、彼に
その覚悟は、しておいておくれ――カイレ」
[memo]
■「リアルでは学校の教師を長く勤めていた」
・スルシャーナとかつての教え子たちは、当然ながら国家運営のノウハウなど持ち合わせてはいない。そのため黎明期の法国では、ほとんどプレイヤー六人の限られた知識と経験だけを土台にして、制度設計から実運用まで何もかも手探りで進めていかねばならなかった。
・学校教師が一人と、最終学歴が高くても中学までの若者五人。彼らが諸種のルールを定めていくとき、参考にしたのは学校生活の記憶だった。たとえば神官長たちが会議に先駆けて議場の雑巾がけを行う文化などは、生徒が教室の雑巾がけを行う小中学校の清掃時間に着想を得ている。
■「窮地の人間種を救うという〝人間にとっては正しい〟心」
・カイは他のプレイヤーの動向について、基本的に〈伝言〉などでの遠距離通信と、随行させたNPCからの報告で間接的に把握している。
一方セントエルモらはカイの余計な干渉を誘発しないよう、自分たちの行動をだいぶ都合のいい形に歪曲して伝えている。NPCたちも、仕えるべきギルドメンバーとなった者たちのすることを悪しざまには言わない。
トリシュやツアーなど穏健派に属する竜王は、表現の濃淡こそあれ再三苦言を呈しているが、竜族特有の視座の高さゆえに却って具体的なディテールを伝えきれていない。
・いずれは現地人の噂などを通じて事実に近い情報が浮遊都市まで伝わってくることになると思われるが、この時点のカイは未だ、過激派二名の最前線での所業を正確に把握できていないと言える。
■神人カイレ
・原作に登場した同名の人物とは別人。
・五百年後の時代には〝初代〟カイレと呼ばれている。